37話 伝えられなかった言葉
その後、俺たちの足は自然と猫まみれに向かっていた。
今日は再建活動もないし用があるわけじゃないんだけど、なぜか莉乃さんは家には向かわず猫まみれの方に向かい、俺は莉乃さんの隣を並んで歩いている。
なぜ猫まみれに向かっているかはさておき。
「それにしても、今日は寒いですね……」
「本当ですね。明日からは暖かくなるそうですよ」
莉乃さんから貰ったマフラーに顔を埋めながらふと気づく。
気づくというか、ずっと思っていたことが改めて気になった。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「はい。なんでしょうか?」
少し聞きにくいことなんだけど思い切って聞いてみる。
「俺のクリスマスプレゼントの手袋、あまり使ってない……ですよね?」
それは今日に限ったことじゃない。
実はこの冬、莉乃さんは自分で買った手袋と俺があげた手袋を交互に使っていたんだけど、使用頻度でいえば自分のやつが八割で俺があげたやつが二割ってところ。
実は使ってみたら微妙だったんだろうか?
「ふふっ」
よほど不安そうな顔をしていたんだろう。
そんな俺の様子を見て莉乃さんは小さく笑った。
「心配させてしまったのならごめんなさい。でも、違うんです」
「違う?」
「手袋をもらった時に言った通り、わたしはあの手袋を一生大切に使うと決めています。言葉の綾ではなく、いつか亡くなった時のために棺桶に入れてもらうよう遺言を残すつもりです。そうなると六十年は使うわけで、一般的な手袋が五年くらいで買い替えるとすると使用頻度を十二分の一くらいに抑えなければいけません」
「な、なるほど……」
そこまでガチだとは思わなかった。
疑ってしまって申し訳ない。
「……ちょっと重いですか?」
不安そうに俺の顔を覗き込む莉乃さん。
「いえ、少し驚いただけで大切にしてくれて嬉しいです」
「それなら良かった……あ、でもネックレスは毎日着けていますよ。金属なので手袋ほど痛みはしませんから、お手入れの時以外は寝る時もお風呂の時も学校に行く時も、二十四時間りっちゃんを感じられるように肌身離さず身に着けています」
そう言って首元からネックレスを手に見せてくれたんだけど。
「あ……ありがとうございます」
前言撤回、やっぱりちょっと重いような気がする。
いや、この場合はポジティブに一途と言っておこう。
まぁ莉乃さんらしいよなと思っているうちに猫まみれに到着。
すると、俺たちと待っていたかのようにわたあめが姿を現した。
「実は、りっちゃんをお誘いした理由はもう一つあるんです」
「もう一つ?」
莉乃さんはわたあめを抱き上げるとお腹に顔を埋める。
すると、いつもよりも深い呼吸を何度も繰り返す。
「すうううぅ……はあああぁ……」
莉乃さんにとって猫の匂いは精神安定剤。
緊張している時や照れている時に猫を吸う癖がある。
本人曰く、猫の匂いには高いリラックス効果があるそうで、照れたり動揺したりしている時は猫のお腹に顔をうずめて深呼吸。一発キメると落ち着くらしい。
その呼吸の深さからいつも以上の緊張が伺えた。
「はぁ……」
わたあめを下ろすと頬が真っ赤になっている莉乃さん。
猫カフェの時みたいに吸いすぎて酔っぱらってしまったのかと心配したしたけど、その瞳が微塵も揺らぐことなく俺を見つめていて違うと気づく。
瞬間、莉乃さんの唇がそっと震えた。
「わたしは……りっちゃんのことが好きです」
真っすぐな言葉は、今まで聞いたどんな言葉よりも胸に響いた。
「子供の頃から婚約者がいて、そのせいで他の男の子と仲良くすることのなかったわたしにとって初めてできた異性の友達。自分を慕ってくれた年下の男の子。りっちゃんと一緒にいる時だけは家のしがらみから解放されて素の自分でいられました」
莉乃さんの告白に当時を思い出しながら耳を傾ける。
そんなの俺だって同じだ……二度の失恋で女の子に対して苦手意識を持っていた俺にとって、莉乃さんと一緒にいる時だけは痛みを忘れていつもの自分でいられた。
俺たちはお互いを必要としていたんだと思う。
「わたしがりっちゃんに惹かれるのは必然だったと思います」
俺が莉乃さんに惹かれるのも必然だったと思うよ。
「あの頃のわたしは友達たちが恋をしているのを、ただ羨ましく眺めているだけでした。自分にとって恋愛は遠い世界の夢物語。そんな時にりっちゃんと猫まみれで再会し、気づけばりっちゃんの姿を目で追っている自分に気づいた時にわかったんです」
莉乃さんは祈るように手を合わせて呟く。
「この嬉しくも切ない想いが、憧れ続けた『恋心』なんだと」
そう語る表情は今まで見たことがないほどに恋する乙女だった。
だけど、莉乃さんの想いを嬉しく思うと同時に一つの疑問が頭をよぎる。
「……再会?」
聞き間違いだとは思えない。
莉乃さんは確かに『猫まみれで再会して』と口にした。
それは高校生になって再会したという意味ではなく、文脈的に当時——俺が小学生で莉乃さんが中学生の頃に会ったことを再会と言っているはず。
不思議に思っていると莉乃さんは口元を緩める。
「わたしとりっちゃんが初めて出会ったのは猫まみれではありません。それよりもずっと前、わたしたちは出会っていたんです——小学校に上がる前に、春名神社で」
その言葉を聞いた瞬間だった。
疑問が初詣に思い出した記憶と繋がっていく。
迷子になった俺に優しくしてくれた小さな巫女のお姉さん。
俺が年上の女の子に惹かれたルーツ。そして、莉乃さんが春名神社の神主さんと知り合いだった理由。
信じられないけど、間違いない——。
「あの時の巫女のお姉さんが……莉乃さん?」
莉乃さんは穏やかに微笑みながらそっと頷く。
「わたしは幼い頃から中学一年生まで、お正月の度に春名神社で巫女としてお手伝いしていたんです。わたしもりっちゃんから話を聞くまで忘れていたんですけど、まさか、あの時の男の子がりっちゃんだったなんて……まるで運命のようですね」
莉乃さんの言う通り……俺も運命だと思う。
これを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのかとすら思う。
「りっちゃん」
だけど——。
「わたしと結婚を前提にお付き合いしてもらえませんか?」
こうして叶わなかった恋の答え合わせをしながら思うこと。
それは悠香や夏鈴と同じく、俺にとって莉乃さんへの想いは過去形だということ。
自分でも嫌になるほど、すでに過ぎ去りし思い出であり想いだった。
「あの頃、俺も莉乃さんのことが好きでした。幼い頃に母親を亡くし、身近な年上女性がいなかった俺は、莉乃さんに母親のような母性を求めていたんだと思います……それでも莉乃さんのことを恋愛的に好きだった気持ちに嘘はありません」
だけど、俺は四年かけて想いに決着をつけてしまった。
拒絶されて失恋したと思い込んでいたが故に思い出にしてしまったんだ。
あの頃の莉乃さんへの想いは今も鮮明に覚えている。でも、拒絶された疑問が解消し失恋もしていなかったと知った今、悲しさを覚えるほどに当時の熱量はない。
幸か不幸か、心の整理はついてしまっていた。
その結果、俺の中に残ったのは母性を求める思いだけ。
四ノ宮樹が莉乃さんと親しそうに話をしていた時に覚えた嫌悪感。そして莉乃さんの婚約者だと聞かされた時の筆舌にし難い喪失感の正体が今ならわかる。
独りベッドの上で胸をモヤつかせていた初めて覚えた感情。
あれは母親や姉を奪われるような『嫉妬』だった。
「本当に、すみません……」
謝罪の言葉が零れた直後、口いっぱいに苦味が広がる。
昔も今も守ってもらっていたくせに、今度は俺が莉乃さんを拒絶していることに胸が苦しくて仕方がない。
「謝らないでください」
莉乃さんは凍える俺の手を自分の手で包み込む。
「わたしはりっちゃんへの誤解が溶けただけで充分。当時、りっちゃんがわたしを好きでいてくれたとわかっただけで幸せ。言葉の通り天にも昇る気分です」
「莉乃さん……」
「もちろん、お付き合いできないのは寂しいですけど……諦めるつもりはありません。悠香さんや夏鈴さんにりっちゃんをお譲りするつもりもありません。恋愛感情じゃないにせよ、母親のような愛情を求めてくれているのはアドバンテージです」
確かに、俺の莉乃さんへの想いが二人と違うのは事実。
「それに、わたしはりっちゃんの胃袋を掴んでいますからね」
そう口にする莉乃さんの表情は、いつも真面目で大人しい莉乃さんからは想像もつかないほどに悪戯心っぽい笑みだった。
「わたしの手料理なしにはいられなくしてあげますから覚悟しておいてください」
覚悟しておいてください、か……。
確かに、もうすでに胃袋は完璧に掴まれている。
いつかまた莉乃さんのことを好きになる可能性は大いにありそう。
「ありがとうございます……俺のことを好きになってくれて」
「わたしの方こそ、好きになってくれてありがとうございます」
こうして俺たちは四年の時を越えて想いを伝え合う。
ずっと覚え続けていた疑問が晴れたからだろう。
心に刺さり続けていた最後の棘が抜けたような気がした。




