35話 戻ってきた日常
その後、莉乃さんと四ノ宮樹の婚約は正式に破談となった。
四ノ宮家で家族会議という名の事情聴取が行われた結果、彼の行ってきた悪事がいくつも露わになり、長年被り続けた優等生の仮面はあっけなく剥がれ落ちた。
中学時代から不良を厚生させていたという逸話もなんてことはない。
お金の力で不良たちを操り手駒にしていただけだった。
それともう一つ、やっぱり萩原さんに手を回していたのも四ノ宮樹だった。
萩原さんが俺たちに協力していると知り、父親に『萩原さんが仕事に困っている』と嘘を吐いて仕事を紹介させ、それを餌に萩原さんを脅したらしい。
猫まみれを手伝うなら二度と仕事を紹介しないと。
父親が萩原さんに謝罪し、おかげで萩原さんは再び協力してくれることになった。
なにはともあれ一件落着。
三学期が終わり、春休みに入った初日。
みんな揃って久し振りの再建活動は萩原さんのお手伝い。
今日から始まる水道管の交換工事のため猫まみれに集まっていた。
「なんか……ずいぶん久しぶりな気がするな」
「みんなで集まるのは凛久の誕生日以来かな?」
「再建活動で集まるのは年明けに萩原さんに見てもらって以来でしょ」
「そう考えると、三学期はなにもできなかったわけか」
「申し訳ありません……わたしのせいで」
身を窄めて小さくなる莉乃さん。
「いや、莉乃さんを責めてるつもりはないんです!」
「そうですよ。また集まれて良かったねって話です!」
「また莉乃さんの作ったお料理が食べられて嬉しいなって!」
「いや夏鈴。それは微妙に違うだろ」
「え……あ、あたしだけ?」
相変わらずの食いしん坊っぷりを見せる夏鈴。
そんなやり取りを見ていた莉乃さんが笑みを浮かべる。
「ご迷惑をおかけした分、今日は腕によりをかけてお昼を作りましょう」
「本当ですか!?」
「やったね♪」
小躍りしながら喜ぶ悠香と夏鈴。
「二人の気持ちはわかるけど、水道が使えないのに料理なんて……」
「安心してください。そのつもりで準備をしてきたので大丈夫です。料理用と手洗い用の水を自宅からペットボトルに入れて持参しました」
よく見ればキッチンには二リットルボトルが大量も置いてある。
なんでも莉乃さんのお父さんが朝のうちに車で運んでくれたらしい。
今日の昼食への期待に胸を膨らませていると一台の車が猫まみれに到着。
「お待たせしました!」
車から降りてきたのは萩原さん。
「今日からよろしくお願いします」
「こちらこそ。一生懸命やらせてもらいますね!」
こうして俺たちは水道管工事に取り掛かる。
とはいえ、俺たちにできることは些細なお手伝いくらい。
作業中の萩原さんに道具を渡したり、作業で出たゴミを集めたり手が空いている時はリフォームの相談をしたり、邪魔にならないように作業の様子を見守る。
お昼が近くなると莉乃さんはお昼の準備のためにキッチンへ。
残った三人でお手伝いをしていると。
「みなさん、お昼の用意ができました」
いつものように莉乃さんの声が庭に響く。
「待ってました!」
「もうお腹ぺこぺこ~♪」
待ってましたと言わんばかりに歓声を上げる悠香と夏鈴。
「今日は暖かく、庭の桜も見頃なので縁側でお花見をしながら食べましょう。悠香さん、夏鈴さん、お料理を運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「「はーい!」」
莉乃さんの手伝いは二人に任せて俺と萩原さんは作業を継続。
きりのいいところまで進めてから縁側に行くと、桜の木の下に敷かれたレジャーシートの上に豪華な料理がいくつも並んでいた。
「すごいですね……」
重箱には俺の大好物の唐揚げをはじめ、悠香の好きな海苔の佃煮を使った料理に、超甘党の夏鈴にあわせた激甘の卵焼きなど、もはや定番となったおかずの数々。
他にも和食を中心にバランスのいいおかずが並ぶ。
美味しそうな香りに思わず手が伸びかけると。
「先に手を洗ってきてくださいね」
いつものように優しく釘を刺す莉乃さん。
このやり取りも懐かしいなと思いながら手を洗って庭に戻る。
「どうぞ、召し上がれ」
「「「「いただきます!」」」」
みんなで料理を囲んで座り手を合わせる。
真っ先に箸を伸ばしたのはおにぎりと各々の大好物。
もちろん俺が最初に食べるのは莉乃さんお手製の唐揚げ。
それに、これまた莉乃さん手作りのマヨネーズを付けて噛んだ瞬間、衣の弾ける心地の良い音が響くと同時、弾力のある鶏肉の食感とともに肉汁が溢れた。
口いっぱいに広がる濃厚な旨味に笑みが零れる。
「やっぱり莉乃さんの料理は美味しいですね」
「ほんと、まだまだ莉乃さんには叶わないな」
もう何度目かもわからない悠香と夏鈴のやり取りを聞いて思い出す。
それは、いつか莉乃さんが語っていた美味しさの秘訣。
——一番の秘訣は愛情です。
大切な人が美味しいと言ってくれる姿を想像しながら愛情を込めて作る。
それは単に想いを込めるということではなく、美味しく食べてもらおうと思えばこそ妥協することなく、好みの味に近づくように一つ一つ丁寧に作る。
大切に思い、いつくしみ、恋い慕う淡い想い——悠香や夏鈴ほどわかりやすくはないけれど、莉乃さんはいつだって細かな気遣いの中に愛情を込めてくれていた。
そして……その愛情の意味に気づかないほど俺も鈍感じゃない。
その想いを嬉しく思う反面、今になって気づいてしまった。
当時の俺が莉乃さんに惹かれた愛情の本質について。
「それにしても一年か……早いもんだね」
「ほんと、あっという間の一年だったよねぇ……」
「進んだのは片付けと掃除くらい。ようやくリフォームに着手できると思えば水道トラブルが起きて、当初の予定よりも後ろ倒しになっています」
これだけ聞くと前途多難だけど。
「まぁ焦る必要はないさ。気長にやろう」
最近、ふと思ったことがある。
「この一年間、本当に色々あったけど……その寄り道が決して無駄だったとは思わない。むしろ、みんなとお互いの理解を深めるために必要なことだったと思ってる」
「うん……私もそう思う」
「りっくん、いいこと言うじゃん♪」
「わたしもりっちゃんと同じ気持ちです」
みんなと離れ離れになってから過ごした数年間。
俺たちは高校生になり、色々なことを経験して、当時とは違う自分に成長した。
たとえ想いが当時のままだとしても、当時のままではいられない部分も多々あって、そういうところをトラブルも含めて経験することで理解し合えたんだと思う。
まさに怪我の功名、嬉しい誤算、災い転じて福となすって感じ。
「とはいえ、猫の手も借りたい事実は変わらないけどな」
なんて苦笑いを浮かべながら呟くと。
「猫の手じゃないですけど、人の手なら借りられそうですよ」
一緒にお昼を食べていた萩原さんが思い出したように口にした。
「人の手? どういう意味ですか?」
「私は仕事柄、大工さんとか内装屋さんと一緒に仕事をすることが多いんだけど、四ノ宮さんに紹介してもらった仕事で一緒になった方に猫まみれの水道工事を手伝うことになったと伝えたら、自分も手伝わせてほしいと言ってる人がいて」
「本当ですか!?」
「しかも無料で三人も」
「「「「えええ!?」」」」
さすがに声も揃う。
「私と同じように片手間にはなりますけど、作業を手伝うだけじゃなくて教えてあげられるって。今度みなさんに会う時に聞いておいてほしいって頼まれたんです」
そんなのこっちからお願いしたいくらい。
「願ってもない申し出ですけど……でも、どうして?」
「その方々も昔、私のように七々咲さんのお世話になっていたんです」
胸が熱くなるのを押さえられなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんの想いを残そうとしてくれている人が萩原さん以外にもいて、こうして猫まみれの再建に協力したいと言ってくれるなんて……。
まるで伝手のない俺たちに二人が残してくれていた道標。
思わず涙腺が緩みかける。
「……?」
すると、隣に座る莉乃さんが俺の手に自分の手を重ねる。
「みなさんが協力を申し出てくれたのは、祖父母のおかげだけではありません。猫まみれを再建させようと、りっちゃんが今日までみんなを引っ張ってきてくれたから。そんな姿を見る人は見てくれているものです」
「莉乃さん……」
前に莉乃さんが掛けてくれた言葉を思い出す。
みんなと違い自分にはなにもないと嘆く俺に教えてくれたこと。
それは、心のままに一歩を踏み出す行動力です——大勢の人たちが協力してくれるのも俺が行動した結果なら、これからも俺は最初の一歩を踏み出そう。
「萩原さん、ぜひお願いしますと伝えてください」
「わかりました。詳しい話はまた後日」
「はい。よろしくお願いします」
また一歩再建に向けて話が進んだ喜びからだろう。
みんなハイテンションで今後の相談をしながらお昼を食べる。
満開の桜が庭の景色を彩る中、気づけば周りにはあげぱんとのりべん、わたあめはの姿はもちろん、他にも猫まみれでお世話をしていた猫たちが大集合。
気づけば作業もそっちのけでお花見を満喫する俺たち。
「こら、のりべん。猫は唐揚げを食べちゃダメなんだよ」
「あー! あげぱんが焼き魚を咥えて逃げちゃった!」
「みんなのおやつも用意しましょう」
まぁ今日くらいはみんなでお花見も悪くない。
こうして午後はお花見を楽しみ気づけば夕方。
「じゃあ凛久、またね」
「次はちゃんと活動しようね♪」
悠香は迎えに来た母親の車に乗り、夏鈴は自転車で猫まみれを後にする。
俺はバスだから莉乃さんを家まで送ってから帰ることに。
「じゃあ、俺たちも帰りましょう」
「そうですね」
玄関のカギを閉めて帰ろうとした時だった。
「りっちゃん——」
不意に呼びとめられて振り返る。
そこには真剣な表情を浮かべる莉乃さんの姿。
「急な話なんですが明後日、お時間はありますか?」
「明後日……はい。アルバイトは休みなので大丈夫です」
「実は、りっちゃんと二人で行きたい場所があるんです」
色々あったけど、ようやく取り戻した俺たちの日常。
「ご一緒いただけますか?」
「はい」
だけど、俺と莉乃さんにはやり残していることがあった。




