34話 婚約破棄
「ほら。今回の分だ」
「へへっ……ありがとうございます」
「それで、猫まみれの件は抜かりなくやってくれたんだろうな?」
「そりゃもちろん。再建なんて諦めたくなるくらいに壊してやりましたよ」
「あいつもいい加減に懲りて二度と莉乃にちょっかいを出そうなんて思わなければいいが……まぁ諦めなければ、次は再建が不可能になるくらい徹底的にやるがな」
「それにしても樹さん、意外と嫉妬深いところがあるんですね」
「……どういう意味だ?」
「自分の女に近づく男を引き離すためとはいえ、やることがえげつないですって。親の決めた相手なら、あんなガキに嫌がらせしなくても言うことを聞くでしょ。少しちょっかいをかけたれたくらいで潰すなんて、よほど婚約者が好きなんですね」
「勘違いするなよ。俺は莉乃が好きなんじゃなくて、莉乃の家柄が好きなんだ。美里町の地主で、地元での影響力は計り知れない。七々咲家がうちのものになれば、俺が家を継ぐ頃には美里町と春名町の両方で俺に逆らえる奴はいなくなる」
「な、なるほど……」
「そのために優等生を演じてきたし、これからも演じ続ける。そのためなら好きでもない女とだって結婚してやるさ。ていうか、あんなクソ地味で色気のない女を好きになるわけねぇだろ。まぁ女は外で調達すればいいし我慢してやるさ」
「話は全部か聞かせてもらった。このことを家族や学校にばらされたくなかったら、もう莉乃さんに手を出すな」
「言いたければ好きにすればいい。だが、長年に渡って優等生を演じ、家族や友人、学校においても信頼を得てきた俺と、どこの誰かもわからない高校生の戯言。どちらを信じるかなんて火を見るよりも明らかだろうがな」
「…………」
「とはいえ……タイミング的に些細な疑いすら持たれるわけにはいかない。正式な婚約を控えている今、懸念材料は潰しておくに越したことはないな。適当に痛めつけてやれ」
「待て——まだ話は終わってない!」
「おまえの相手は俺たちがしてやるよ」
「せっかく莉乃が守ってくれたんだ。大人しく身を引いていれば痛い思いをせずに済んだのにバカな奴だ……これじゃ莉乃の決意も無駄だったな」
「待て、四ノ宮——ぐはっ!」
——その後は俺が袋叩きに会っている光景が流れ続ける。
動画が終わった後、四ノ宮樹は優等生の仮面は完全に剥がれていた。
「……こんな動画、いつの間に」
「あの場所には俺の友達もいたんだよ」
俺が夏鈴にスマホを渡したのは続きを撮ってもらうため。
あの時、俺が四ノ宮樹の前に姿を見せたのは怒りを我慢できなかったのはもちろん、証拠により信憑性を持たせるために俺が殴られる場面を撮る必要があった。
この顔に残っているあざや傷が動かぬ証拠。
「おまえは動画内で『長年に渡って優等生を演じても信頼を得てきた俺と、どこの誰かもわからない高校生の戯言。どちらを信じるかなんて火を見るよりも明らかだろうな』って言ってたよな……その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」
半信半疑だった周りの視線が疑いの眼差しに変わる。
さすがの劣勢に焦るあまりボロが出たんだろう。
「こんな動画、いつの間に——って言ったな?」
四ノ宮樹ははっとした表情を浮かべる。
「つまり、認めるんだな?」
「ち、違うんです。これは——!」
今さら自分に向けられている視線に気づいても遅い。
すると四ノ宮樹の父親がテーブルに額が付くほど深く頭を下げた。
「七々咲さん、誠に申し訳ないが日を改めさせてもらえないだろうか?」
「父さん、聞いてください。これはなにかの間違い——」
瞬間、父親が四ノ宮樹の頭を押さえてテーブルに叩きつけた。
「黙れ、バカ息子が!」
それまでの穏やかな口調が嘘のように一喝。
「お恥ずかしい話……私は子供の育て方を間違えた挙句、今日の今日まで気づいていなかったようだ。こうして証拠がある以上、言い訳の余地はない。詳しい話は帰ってから聞くとして、後日改めて、事情の説明とお詫びに伺わせてもらいたい」
すると莉乃さんの父親は首を横に振る。
「お詫びは結構です」
「いや、そういうわけにも……」
「代々両家が本当の家族になりたいと願っていたように、私も四ノ宮家と家族になれたらどれだけ幸せだろうと思っています。それは今回のことがあったとしても変わることはなく、今後も良いお付き合いをしていきたいと思っています」
「では、今回のことは——」
四ノ宮樹の父親は安堵に表情を緩ませる。
だけど顔を上げた瞬間、その表情に亀裂が入った。
「ですが、二人の婚約については白紙にしていただきたい」
なぜなら、そう語る表情には明確な怒りの色が滲んでいたから。
「いくら代々続く願いだろうと約束だろうと、自分の娘を愛していない男と結婚してほしいと願う親はいない。我々が家族になりたいと願っていたとしても、娘に我慢をさせてまで叶えたいとは思いません。ご縁がなかったということで」
そう告げると莉乃さんの父親は俺に目を向ける。
「猫まみれの件といい、君には世話になってばかりだね。君がいなかったら、私は莉乃を不幸にしてしまうところだった……莉乃を守ってくれて本当にありがとう」
「いえ、守られているのは俺の方です」
昔も今も守られてばかりだった。
俺は返しきれない恩の一つ返しただけ。
「莉乃さん」
俺は莉乃さんに手を差し伸べる。
「帰りましょう。みんなが待っています」
「……はい!」
莉乃さんは俺の手を取って立ち上がる。
「待ってくれ!」
部屋を後にしようとした時だった。
この期に及んで四ノ宮樹が引き留めた。
「誤解なんだ。さっきの動画で言っていた言葉は本心じゃない。あいつらに莉乃さんとの仲を冷やかされて……照れ隠しで心にもないことを言ってしまったんだ。本当は君のことを心から愛している。信じてくれ、嘘じゃないんだ——!」
「今さら都合のいいことを——」
莉乃さんは俺の前に手を伸ばして制止する。
「私は今まで、あまり自分の気持ちを口にすることなく生きてきました。みんなが幸せになるのなら、わたしの気持ちは二の次でいいと思っていたんです。わたし一人が我慢することで多くの人が笑顔になれるならそれでいいと思っていた……だから本当の想いに蓋をして、あなたとの結婚を受け入れるつもりでした」
莉乃さんは『でも——』と言葉を続ける。
「家族が反対をするのなら話は別です」
その言葉は今まで聞いたことがないほど冷たく響く。
「私はあなたのことが嫌いです——出会った日から今日に至るまで十年以上、わたしの心があなたに惹かれたことは、一ミリたりともありませんでした。わたしが想い続けている男の人は、今も昔も、そしてこの先も一人だけ」
莉乃さんは別人のように冷めた瞳で言い放つ。
「どうか金輪際、わたしの前に現れないでください」
それは一切の言い訳も許さない完璧なまでの絶縁宣言。
俺たちはショックでうな垂れる四ノ宮樹を横目に部屋を後にする。
お店を出ると前に車が横付けされていた。
「二人共、早く乗れ」
「はい!」
急いで後部座席に乗り込む俺たち。
ドアを閉めると菫さんはすぐに車を走らせる。
「えっと……その……」
気まずさから言葉に詰まる莉乃さん。
「おかえりなさい、莉乃さん」
「帰ってきてくれるって信じてました♪」
そんな莉乃さんを泣きながら迎える悠香と夏鈴。
「……ただいま帰りました」
莉乃さんも目に涙を浮かべて言葉を返す。
こうして猫まみれで起きた事件は無事に解決。
莉乃さんを連れ戻すことに成功した。




