27話 持つべきものは仲間
莉乃さんと出会ったのは小学六年生の春だった。
当時、小学生ばかりだった猫まみれに現れた中学一年生の女の子。
おじいちゃんとおばあちゃんの手伝いや子供の遊び相手をしていた。
一つしか歳が違わないとはいえ、猫まみれの子供たちにとって莉乃さんは憧れのお姉さんで、俺もよく遊んでもらったり宿題を見てもらったりしていた。
二度の失恋で女の子に対して苦手意識を持っていた俺は、莉乃さんの包容力と、母親のように全てを甘受してくれる優しさに心癒されていたんだと思う。
いつしか氷が解けるようにゆっくりと惹かれていった。
いつも優しく微笑みかけてくれて、俺のくだらない話に付き合ってくれて、友達と喧嘩をした時は慰めてくれて——ただ傍にいられるだけで心が満たされる日々。
でも、二度の別れを経験した俺は不安を覚えていたんだろう。
「莉乃さんは、ずっと一緒にいてくれる?」
「はい。わたしもりっちゃんの傍にいたいです」
そう言ってくれた時の感動は今も胸に刻まれている。
それからの日々は、なに一つ孤独を感じることのない毎日だった。
無条件で自分を受け入れてくれる人がいる幸せ——子供心に、自分はこの人と出会うために生まれてきたんだと信じて疑わなかった。
ともすれば、莉乃さんに憧れ以上の感情を抱くのは自然なこと。
でも、ふとした瞬間に思い出す失恋の記憶が想いにブレーキを掛ける。
それでも、いつまでも過去の恋を引きずったままじゃダメだ。
そう思い、勇気を出して前に進もうと決意した時だった。
「もう、りっちゃんとは一緒にいられません」
突き付けられた拒絶の言葉が木端微塵に心を砕く。
その言葉を聞いた時、目の前が真っ暗になるという言葉の意味を初めて知った。ショックのあまり食事が喉を通らないという経験をしたのも初めてのことだった。
その日以来、莉乃さんは猫まみれに来なくなった。
毎日通っても会えず、誰も莉乃さんが来ない理由を知らない。
それでも諦められなかった俺は莉乃さんの通う中学校まで会いに行った。
それが莉乃さんと交わす最後の言葉になるなんて思わなかったんだ。
「どうして一緒にいられないの?」
「それは……りっちゃんのことが好きだからです」
当時の俺が言葉の意味を理解も想像もできるはずがない。
小学校を卒業するまで猫まみれに通い続けたけど莉乃さんは現れず、かといって、もう一度会いに行く勇気は持てず、真意を聞けないまま地元を離れることに。
こうして、最後の恋は疑問を抱えたまま終わりを告げた。
——これが俺の三度目の失恋の全て。
かつて好きだった女の子たちの前で、別の女の子との失恋話をするのはデリカシーに欠けるし、恥ずかしいやら情けないやら複雑だけど避けては通れない。
二人とは答え合わせ済みだから許してほしい。
「莉乃さんと再会してからは、拒絶されたことが嘘みたいに普通だった。だから……俺は莉乃さんの傍にいていいんだと思っていたんだ」
でも実際は違った。
「誕生日の夜、また莉乃さんに拒絶されたんだ。あの日と一言一句違わぬ言葉で拒絶された上に『もう二度と私に話しかけないでください』ってさ……」
「「…………」」
さすがに複雑な心境なんだろう。
二人は言葉もなく難しい表情を浮かべていた。
「一度ならず二度も振られた気分だった。昔も今も理由はわからないし嫌われるようなことをした覚えもなくて……ショックと風邪で自暴自棄になってたんだと思う」
「仕方ないよ。私たちでさえ莉乃さんが抜けたのはショックだったもん」
寄り添うように悠香は理解を示してくれる。
だけど夏鈴は考え込むように難しい表情を浮かべたまま。
「……おかしい。そんなの絶対におかしいよ!」
すると弾けるように顔を上げて疑問の声を漏らす。
「莉乃さんがりっくんを嫌いになるなんてありえない。莉乃さんとの付き合いはそんなに長くないけど同じ女性として断言できる。悠香もそう思うでしょ?」
「うん。それだけは絶対だよ」
「そもそも嫌いなら再会した時点で拒絶してるはずでしょ? 再開してからだって、悔しいけどりっくんのことを一番理解してたのは莉乃さんだもん。猫まみれを去ったのは、りっくんを好きとか嫌いとかじゃなくて他の理由があるはず」
「他の理由……」
俺が嫌われた以外の理由なんて考えもしなかった。
でも二人が断言するならあるのかもしれない。
「りっくん、なにか心当たりない?」
「心当たりか……」
「たぶん、あたしたちじゃわからない。昔のことでも今回のことでもいいから、なにかヒントになるようなこと。莉乃さんが言ってた言葉とか、昔と今回の違いとか」
言われるままに記憶を探ってみる。
四年前の時は言葉の通り寝耳に水だった。
ある日、唐突に拒絶の言葉を突き付けられ、引っ越してからも幾度となく思い返したけど心当たり節もなく、いつしか熱は冷めて考えることすらやめてしまった。
今さら当時を思い出すのは難しいから再会してかのことを考える。
ヒントになるようなことや、莉乃さんが言っていた言葉。
「あ——」
不意に夏休みの思い出が頭をよぎる。
それは莉乃さんと二人で観覧車に乗った時の記憶。
「なにか思い当たることがあった!?」
夏鈴が期待を込めた瞳で俺を見つめる。
「夏休み、莉乃さんと二人で海浜公園の観覧車に乗った時に言ってたんだ……『あの日、りっちゃんに言ったことを……今でも悔やんでいます』って」
それが拒絶の言葉を指していたのは間違いない。
未だ元彼への未練を残す菫さんに『未練があってもいいじゃないですか』と掛けた言葉を受け『わたし自身に向けられているように思いました』と言った莉乃さん。
それは莉乃さんが俺を拒絶したことを後悔しているということ。
ショックだったとはいえそんなことも忘れていた。
いや、忘れていたことはそれだけじゃない。
「言葉は同じだったけど……莉乃さん、今回は泣いてたんだ」
「決まりだね」
夏鈴は断言するように言い放つ。
「りっくんを拒絶したのは本意じゃない。莉乃さんは四年前のことを後悔してるのに、また拒絶しなくちゃいけない理由があった。涙を我慢できないくらい悲しいのに、それでもお別れをしなくちゃいけない事情があったってこと!」
「それって……凛久のためってこと?」
夏鈴は迷わず頷く。
「なにが莉乃さんを苦しめているかはわからないけど、気持ちだけは理解してあげられる……もしあたしが同じ立場だったとしても、きっと辛くて泣いちゃうもん」
「私も……きっと莉乃さんほど強くはいられない」
その隣で悠香も瞳を滲ませていた。
「りっくん、どうする?」
どうするもなにも決まっている。
未だに莉乃さんが俺を拒絶した理由はわからない。
だけど、俺を嫌いになったからじゃないのなら落ち込む理由はない。
むしろ二人の言う通り、後悔してもなお拒絶しなくちゃいけない理由が俺のためだとしたら……自惚れじゃなく、俺以外の誰が莉乃さんに手を差し伸べられる。
とめた足を進める理由としては充分すぎた。
「莉乃さんを連れ戻す」
そして莉乃さんと話すんだ。
もう二度と離れ離れにならないように。
それは願いではなく誓いのようなものだった。
「でも、ただ会いに行っても話を聞いてもらえないよね?」
「悠香の言う通り、少なくとも事情がわからないとダメだよね」
「もっと言えば、莉乃さんの抱える問題を解決する必要があるだろうな」
みんなで答えを見つけるべく話し合いを始める。
そのためにも、まずは全員の認識のすり合わせから。
「悠香も夏鈴も、莉乃さんの様子がおかしいのは気づいてたか?」
「うん。ずっと元気がない感じだったから心配してたの」
「いつも心ここにあらずって感じだったよね」
やっぱり二人も気づいていたらしい。
「いつ頃からだったか覚えてるか?」
悠香は顎に指を添えて目を伏せる。
「たぶん……年が明けたくらいから?」
「クリスマスの時はいつも通りだったよね」
「うん。そうだったと思う」
二人の会話を聞いて自分の認識が間違っていないと確信する。
クリスマスパーティーの後に水回りのトラブルが発生し、年始に春名神社でアルバイトをしようって話になった時、莉乃さんは浮かない表情を浮かべていた。
そして明らかに様子がおかしくなったのは……。
「元旦のアルバイト後からだ」
悠香と夏鈴も確信に満ちた瞳で頷く。
あの日、なにがあったかなんて確認するまでもない。
「「「……四ノ宮樹」」」
まるで答え合わせのように三人の声が重なる。
アルバイト先の春名神社に莉乃さんの婚約者である四ノ宮樹が訪ねてきた。
それ以来、日に日に莉乃さんの元気がなくなっていき、時を同じくして猫まみれのガラスが割られ、その後も収まることなく立て続けに事件が起きた。
「じゃあ、あの人が莉乃さんになにかしたってこと?」
「どうだろうな……でも今にして思えば、紹介してもらった時の感じから仲が良いようには見えなかったし、あまり婚約者って感じはしなかった。むしろ二人の間に微妙な距離を感じた」
「それは私も思った!」
悠香も同じ印象を受けていたらしい。
「そ莉乃さんと最後に話した時に言ってたんだ……『もう二度と、猫まみれには手出しをさせません』って。そのために覚悟を決めなければいけないとも言ってた」
「それって、莉乃さんは犯人がわかってるってこと?」
「俺はそう受け取ったよ」
犯人に心当たりがあるのかと尋ねた時、莉乃さんは答えなかった。
だけど無言は肯定の裏返し、人は図星の時ほど黙り込む。
否定をしなかったのはそういうことなんだろう。
「じゃあ……あいつが犯人の可能性もあるってことだよね? 証拠がないから決めつけるのは早いと思うけど、可能性はゼロじゃないって感じ?」
夏鈴の推測に頷いて同意する。
わかりやすく言えば白でも黒でもなくグレー。
「莉乃さんの様子がおかしくなったのは四ノ宮さんが現れてからで、猫まみれが嫌がらせを受けるようになったのもそう。見るからに好青年で、婚約者になにかをしたり猫まみれに嫌がらせをしたりするような人には見えないけど——」
「そうかな……私にはそうは見えなかったけど」
「あたしも、なんとなく笑顔が嘘っぽいと思った」
驚いたことに、二人も俺と同じ印象を受けていた。
異性から見てもそうなら、あながち間違いじゃないのかも。
「いずれにせよ、状況的に無関係だとは思えない」
偶然にしては出来事が集中しすぎている。
「だから四ノ宮さんについて調べようと思う。確証もなく疑うのは気が引けるけど、可能性がある以上は無視できない。犯人じゃないにしても関りがあるかもしれない」
「そうだね。私もそう思う」
「あたしも!」
こうして意見は満場一致。
となると、今度は別の問題が浮上する。
というのも俺たちは四ノ宮樹についてほとんど知らない。
知っているのは春名神社の宮司の息子で、莉乃さんの一つ年上で、莉乃さんの婚約者ということくらい。家の場所も知らなければ通っている高校すら知らない。
「ていうか、それだけわかってれば大丈夫でしょ」
悩む俺とは対照的に夏鈴がさらっと断言する。
「春名神社の宮司ってことは春名町に住んでるわけでしょ? だとすれば、春名中学校に通っていたのは確定。あたしのクラスにも春名中学校出身の子はいるし、りっくんや悠香のクラスメイトにもいると思うんだよね」
「なるほど!」
話の途中だけど悠香は察した様子で手を叩く。
「その人たちに聞けば情報が集められるはず。莉乃さんも四ノ宮家は春名町に代々続く由緒正しき家系って言ってたし、知らない人の方が少ないじゃない?」
確かに夏鈴の言う通り。
転校して地元を離れていた俺たちが知らないだけで、意外と中学時代の四ノ宮樹を知る人は多いのかもしれない。
「じゃあ、さっそく明日から聞き込みしてみる」
「あたしも。なにかわかったらメッセージで共有するね」
「ああ。そうしてくれると助かる」
小学校を卒業後は他県で過ごしていた俺に中学時代の友達はいないし、相変わらずクラスではひとりぼっちで友達がいないから聞き込みは二人の方が適任だろう。
ここは任せて俺は別のことをやる。
「俺は萩原さんに話を聞きに行くよ。さっき、萩原さんから水道工事を手伝えなくなったって連絡が来たって言ってたよな? あれだけ協力的だった萩原さんが急に断るなんて、よほどの事情があるとしか思えない」
疑い出したらきりがないけど、もしかしたらこれも……?
「みんなで手分けして情報を集めよう!」
「うん。必ず莉乃さんを連れ戻そうね♪」
「二人共……ありがとうな」
こうして俺たちは四ノ宮樹について調べ始めることに。
気づけば心を蝕んでいた喪失感はずいぶん和らいでいた。
やっぱり持つべきものは仲間だと思った。




