15話 幼き日の記憶
「じゃあ、俺たちも——ん?」
後に続こうと言うより早く、空いたはずの右手が温もりに包まれる。
不思議に思って視線を落とすと莉乃さんが俺の右手を握っていた。
「……莉乃さん?」
「え、えっと……」
薄暗い中、俯いている莉乃さんの表情はよく見えない。
だけど灯篭の明かりに浮かぶ頬は赤みを帯びている気がした。
「その……片手だけ空いているのは収まりが悪いと思いまして」
「そ、そうですね……ありがとうございます」
ちょっと無理がある気がするけどそういうことにしておこう。
年始早々、両手に花。美少女二人と手を繋ぎながら進むと、高さ十五メートルはある大きな鳥居と門が現れ、その先——本殿に続く参道には人の列が続いている。
夜の神社の凛とした空気の中、灯篭の明かりを頼りに進んでいく。
「それにしても本当に人が多いな」
「もしかして春名神社って人気なのかな?」
「関東でも指折りのパワースポットとして有名なんです。地元の人たちはもちろん、県外からも多くの参拝客が訪れ、その数は三が日だけで一万人を優に超えます」
「「へぇ……」」
「千四百年以上の歴史を誇る春名神社は、火の神である火産霊神と土の神である埴山売神を祀り、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があると言われています」
妙に春名神社に詳しい莉乃さんの解説を聞きながら参道を進む。
途中にある橋を渡り、二百メートルほど歩いた頃だった。
「……なにやらいい匂いがしてきたな」
「菫さん、あそこです!」
先を行く夏鈴が参道沿いに構える休み処を見つけて声を上げる。
二人は人の波を上手にすり抜けて店先の人だかりへ突撃。一足遅れて到着すると、記憶にあった通り店頭で鍋に入った味噌おでんと力こんにゃくが売っていた。
「味噌おでん二つください。味は山椒味噌と梅味噌で!」
夏鈴は迷うことなく二種類の味噌おでんを注文。
実はここのおでん、味噌が七種類あって好みの味を選ぶことができる。
夏鈴が選んだ二種類の他にも、胡麻味噌と唐辛子味噌、胡桃味噌に生姜味噌に柚子味噌があり、どれも温かいおでんにぴったりの味が揃っている。
「私は甘酒と生姜味噌をもらおうか」
「えっと、私は……胡桃味噌にしようかな」
「俺は胡麻味噌と柚子味噌。莉乃さんはどうします?」
「わたしも、りっちゃんと同じ味にします」
「じゃあ、俺が一緒に注文しますね」
温かいおしるこも一緒に注文し、店先のベンチに並んで腰を掛ける。
少し早いけど朝食代わりに声を揃えていただきます。
「……うん。すごく美味しい!」
口元を押さえながら感嘆の声を上げる悠香。
その隣で夏鈴は声にならない声を上げて足をバタつかせる。
「山椒味噌って、こんな味なんだ……独特の辛みが味噌とめっちゃ合う!」
「胡麻味噌も柚子味噌も、美味しそうな香りが食欲をそそります」
「おでんもいいが、年始といえば甘酒だろう。もう一杯頼む!」
温かいものを食べて飲んで思わずほっこり。
ひと息ついている間に気づけば空が青みを帯びていた。
「もう少しで夜明けだな」
「身体も暖まったし行こっか♪」
こうして休み処を後にして本殿へ。
この先は神社の境内というよりも山の中だった記憶がある。
参道に沿うように渓流が続く中、川のせせらぎが聞きながら道を行く。
ところどころ見られる美しい滝と天を覆うような杉に囲まれた光景は、まさに日本の原風景。四季折々の美しい景色が見られると思うと冬以外にも来てみたくなる。
徐々に蘇る記憶を懐かしみながら進むこと十数分後。
神門と社務所を抜けてその先へ。
「「「「「…………」」」」」
最後に参拝客を待ち構える門を前に俺たちは言葉を失くす。
なぜなら、その先は一般的な神社のイメージとはかけ離れていたから。
ここから先は一言で言うなら別世界——辺りには剥き出しの大岩と切り落としたような崖が広がり、岩間を縫うように伸びている石段が門の先まで続いていた。
子供の頃にも思ったけど、よくこんな山奥に神社を建てたよな。
ここまでの道のりでみんなへとへとだった。
「これは、参拝というよりも……」
「はい……まるで登山ですね……」
莉乃さんも同じことを考えていたらしい。
莉乃さんは力のない笑みを浮かべる。
「あと少しです。頑張りましょう」
みんなから遅れ気味の莉乃さんに手を差し伸べる。
すると莉乃さんはそっと俺の手を取った。
「……はい!」
こうして長かった参道もラストスパート。
最後の門を抜けた先にようやく本殿が姿を現す。
約十年ぶりに訪れた本殿は記憶となに一つ変わらない。
溢れかえる参拝客の姿も、頬を刺す冷気も、神秘的な雰囲気も、まるで時間がとまったかのように当時のまま。
すると、幻視の先に両親とはぐれて泣いている自分の姿が浮かんだ。
ああ、そうだ……そうだったな。
「りっちゃん、どうかしましたか?」
「少し……昔のことを思い出しました」
「昔のこと……?」
「俺、ここで迷子になったんです」
あれは小学校に上がる前、両親と最後に訪れた時だったと思う。
「人の波にもまれて母さんの手を放してしまって……この人混みですから、はぐれたら見つけるのも見つけてもらうのも大変で、仕方なく境内の隅で座ってたんです」
記憶と一緒に心細かった気持ちまで一緒に思い出す。
やがて心細さが恐怖に変わり始めた時だった。
——迷子ですか?
一人の女の子に声を掛けられた。
俺より少し年齢が上の女の子だったと思う。
さすがに顔は忘れたけど巫女の服を着ていたことだけは覚えている。
たぶん神社の神主や関係者の娘さんがお手伝いをしていたんだと思う。
慣れた様子で俺を社務所まで連れていくと、両親が来るまで傍にいてくれた。
そこには俺みたいに迷子の子供が数人いて、不安になる俺を『すぐにお母さんが迎えに来てくれますからね』と励ましながら優しく抱きしめてくれた。
その温もりにすごく安心したのを覚えている。
「俺……母親が亡くなる前後のことはあまり覚えてないんです。たぶん幼心に耐えられなくて、忘れることで悲しみから心を守ったんだと思います。ここに来たことで記憶が刺激されて思い出せたんだと思いますけど……少し複雑です」
「どうしてですか?」
「あの後——両親が迎えに来て呉れた後、女の子にお礼を言えなかったことを後悔していたんです。どこの誰かもわからないし、名前も聞きそびれてしまって。今なら神社の関係者に聞けばいいってわかりますけど、当時は幼すぎて考えもしなかった」
そんな後悔も思い出して複雑な気分。
「でも……思い出せてよかったです」
ふと、俺が莉乃さんに惹かれた理由がわかった気がした。
早くに母親を亡くした俺は、莉乃さんの年上の女性らしい包容力と全てを甘受してくれる優しさに、どことなく母親や姉の愛情にも似たものを感じていたんだと思う。
多少の違いはあるけど菫さん(当時)に憧れていたのもそう。
そのルーツが小さな巫女のお姉さんとの出会いだった。
「そうだったんですね……」
あれから約十年——あの子は今も巫女をしているんだろうか?
もし今もしていたとして、会ってもわからないだろうな。




