9話 思い出のケーキ
そして迎えたクリスマスイブ当日の夕方。
終業式を終えた後、辺りが暗くなり始めた十六時過ぎ。
俺は一人アンデスにクリスマスケーキを受け取りに来ていた。
アンデスがすでに閉店済みなのは知っての通りだけど、夏鈴の誕生日や花女の学園祭でケーキを作ってもらったこともあり今回もお願いしたところ快諾してくれた。
みんなが猫まみれでパーティーの準備をしてくれている間、俺は夏鈴に受け取りは俺に行かせてほしいと頼んだ通り、一人アンデスに足を運んでいる。
なぜならご主人に折り入って相談があったから。
「お待たせ。気を付けて持っていくのよ」
そう言って袋に入れたケーキを差し出してくれたのは奥さん。
ここは昔からご主人と奥さんの二人三脚で経営していた。
「いつも無理を聞いてもらってありがとうございます」
「いいの。うちの人もケーキが作れるのを喜んでるんだから」
奥で作業中のご主人に会釈をすると無表情で返してくれた。
そういえば昔から寡黙な人だったよな。
「猫まみれの再建の方がどんな感じなの?」
「なんとか年内に片付けと掃除を終えることができました。年が明けたら次はリフォームを始める予定です。古い建物なので、あちこち傷んでいますから」
「大変そうね……猫まみれは地域にとっても思い出の場所。私たちもできることは協力したいんだけど、リフォームとなると、あまり力になれそうにないわね……」
「気にしないでください。気持ちだけで嬉しいです」
奥さんは申し訳なさそうに眉尻を下げる。
話を切り出すなら今だと思った。
「できれば、お二人には別の形で協力してほしいと思っています」
「別の形?」
「再建後、猫まみれで提供するケーキをアンデスに作ってほしいんです」
「猫まみれで提供するケーキを……うちが?」
奥さんにとっては寝耳に水な話。
驚いた様子で言葉を失くす。
「そうねぇ……」
奥さんはご主人に視線を送る。
すると話を聞いていたご主人が奥から出てきた。
「うちはもう廃業している。前回や今回みたいに頼まれた分だけ作ってやることはできても喫茶店に卸すとなれば話は別だ。今時、個人の洋菓子店じゃ食っていけない」
「そう……ですよね」
それはわかっていた話だった。
猫まみれが仕入れるくらいで採算が合うはずがない。
アンデスが閉店したのは地元の過疎化に伴いお客さんが減ったから。
その流れが今後も緩やかに進んでいくのは避けられず、今さら猫まみれにケーキを卸すくらいで経営が成り立つなら閉店という選択肢は取らなかったはず。
ご主人と奥さんは難しい表情を浮かべたまま。
無茶なお願いなのは百も承知——。
「それでも、アンデスのケーキがいいんです」
「なんでうちのケーキに拘るんだ?」
ご主人は寡黙な人ということもあり怖いくらいに俺を見つめる。
「ケーキを仕入れるだけなら他にいくらでもある。うちのような個人店よりも、事業向けの卸業者に頼む方がコストも抑えられるだろう。うちを頼らない方が猫まみれにとってメリットがあるのに、それでもうちのケーキに拘る理由はなんだ?」
ご主人の真剣な表情を前に気持ちを整理する。
たぶん、この質問は俺がどれだけ本気なのかを量っている。
言葉を間違えれば二度と交渉の余地はなく、だからと言って聞こえのいい言葉で取り繕っても見透かされる。だとすれば、伝えるべきは言葉ではなく想いだろう。
感触が最悪なのは火を見るよりも明らか。
だけど、諦めたくなかった。
「アンデスのケーキは特別だったんです」
俺だけじゃない。
悠香や夏鈴や莉乃さんだけでもない。
猫まみれの子供たち全員にとって特別だった。
「当時、猫まみれには様々な事情を抱えた子供が集まっていました。当然、仲の良い友達もいれば気が合わない人もいたから、些細な喧嘩をすることもありました」
なにも美化された思い出だけが全てじゃない。
学年も違えば学区も違い、性格も性別も違う子供がたくさんいたんだ。争い事の一つもないなんてことはあるはずもなく、しょっちゅう喧嘩しては怒られていた。
子供同士、むしろそれが自然とすら思う。
「それでも誰かの誕生日。おじいちゃんとおばあちゃんがアンデスのケーキを用意してくれて、みんなでお祝いしながら食べている時は仲良く笑顔でいられた。お二人の作ったケーキが、猫まみれで過ごす子供たちの心を繋いでいたんだと思います」
言うなれば、子供たちを繋ぐ架け橋になっていた。
それは俺の目指す猫まみれのビジョンそのもの。
「俺は、猫まみれを地域の懸け橋にしたいと思っています」
「地域の懸け橋……?」
「子供も大人も自然と集まるような場所にしたい。集まった人たちが自然と笑顔でいられる場所にしたい。そのためにはアンデスのケーキが必要なんです」
それから俺は、みんなに共有したビジョンを二人にも伝えた。
昔は地域で子供の面倒を見るのが当たり前、それが地域の繋がりを生んでいた。
時代が変わり、そういう文化はほとんどなくなったけど、今は昔よりも複雑な家庭が増えているからこそ、そういう場所があるべきだと思っていること。
当時の俺たちのように子供が安心して過ごせる場所を作る。
猫まみれの再建は、そんな思いから始まったこと。
もちろん子育て世代の親の中には、そういう繋がりを煩わしく思う人もいるだろう。だからこそ、子供たちのお世話を介して交流を深めていける場所にしたい。
きっとおじいちゃんとおばあちゃんもそう思っていたはず。
だから、二人の想いを継ぐ意味でも頑張りたい。
おじいちゃんとおばあちゃんが俺たちにそうしてくれたように、今度は俺たちが地元の大人たちと一緒に子供たちを見守り世代を問わず繋がれるような場所を作る。
言うなれば、みんなにとっての『もう一つの家』のような場所を。
かつて俺自身が救われたように誰かを救える場所にしたい。
「だからアンデスのケーキじゃなきゃダメなんです!」
気づけば熱くなりすぎたと気づいて我に返る。
決して上手く伝えられたとは思っていない。話す順番はぐちゃぐちゃだし支離滅裂とまでは言わないまでも一方的だし、伝えるべきことを伝えられた自信もない。
こんなことなら交渉上手な夏鈴に頼むべきだった。
そう後悔した時だった。
「週末だけでよければ手伝ってやる」
「え——?」
思いもよらない言葉だった。
「今は外に働きに出ているから協力してやれたとしても週末だけ。そもそも本当にオープンできるかもわからない今の状況じゃ約束はできない。まずは再建を頑張って、目途が付いたら改めて相談に来るんだな。詳しい話はそれからだ」
「ほ、本当ですか……?」
「あくまで可能な範囲。過度な期待はするなよ」
「それでも嬉しいです……ありがとうございます!」
これはご主人が今できる最大限ポジティブな回答だろう。
二人の事情を考えれば約束できないのは当然で、それでも交渉の余地を残してくれたということ。
思えば、ご主人は昔から寡黙で少し怖い印象だけど優しい人だった。
お小遣いを握り締めてケーキを一つだけ買いに来た時、売れ残っているケーキを黙って箱の中に忍ばせておいてくれたことが何度かあったのを思い出す。
「再建、頑張ってね」
「はい!」
俺は二人にお礼を言ってからアンデスを後にする。
猫まみれに向かう途中、夜空に向かって拳を突き上げずにはいられなかった。
「よし!」
柄にもなく叫んでしまうほど嬉しい。
ケーキを持ってなかったら走り出していたと思う。
逸る気持ちを抑えるって言葉はこういう時に使うんだろうなと実感しながら、それでも抑えきれず、みんなに一秒でも伝えたくて早歩きで猫まみれへ向かった。




