2話 いつもの光景
「りっくん、おはよ♪」
「うおぁっ——!?」
不意に後ろからおぶさるように抱き着かれて声が漏れる。
誰かなんて確認するまでもなく俺をりっくんと呼ぶのは一人だけ。
「夏鈴、いきなり抱き着かれるとびっくりするって」
「ごめんね。でもほら、冬って寒いから人肌が恋しくなるでしょ?」
そう言って夏鈴は俺の頬に自分の頬をぴったりくっつける。
「気持ちはわかるけど、俺の頬は恋しさを満たせるほど温かくないぞ」
「ほんと冷たくて可哀想なくらい。じゃあ、あたしが温めてあげる♪」
甘えるように俺の頬に自分の頬をこすり付けてくる夏鈴。
夏鈴の温もりにドキドキしながら思い出したのは、学園祭の時に言っていた『振り向いてもらうようにアプローチしまくるから覚悟しておいてよね♪』という台詞。
学園祭で告白されてから夏鈴はずっとこんな感じなんだよな。
一線を越えていないだけで、していることは恋人同士のようなもの。
腕を組んだり抱き着いたり、今みたいに頬ずりしたり頬にキスをされたり。告白されて以来、夏鈴のアプローチは以前にも増して留まることを知らない。
ぶっちゃけ倫理観や羞恥心がぶっ壊れ気味。
「夏鈴、あんまりくっつかないでくれ」
「減るもんじゃないしいいじゃん」
「それはどうだけどさ……」
「むしろ増えるかもよ♪」
「増えるって、なにが?」
「あ・い・じょ・う♪」
耳元で囁く愛の言葉に思わずため息が漏れる。
正直なところ……夏鈴との接し方について絶賛困惑中なんだよな。
夏鈴の告白を受け入れなかったとはいえ振ったわけでもなく、かといって拒絶したら振ったみたいだし、受け入れすぎても気を持たせてしまいそうで難しい。
それは夏鈴に限った話じゃなくて悠香も同じ。
どうしたものかと悩んでいると。
「ん~♪」
背中から降りた夏鈴の顔が眼前に迫りくる。
「ちょ、待て——」
すんでのところで横を向いてギリギリ交わす。
セーフかアウトか、夏鈴の柔らかな唇が頬に触れた。
「今のは俺が避けなかったら唇と唇が触れてたぞ!」
「当然じゃ~ん。狙ってたんだもん♪」
「狙ってたんだもん、じゃないだろ……」
ちなみに未遂に終わった回数は片手を超える。
心臓に悪いことこの上ないから不意打ちはやめてほしい。
「それにしても、今日はずいぶん早いな。どうしたんだ?」
「りっくんと二人きりの時間を過ごしたくて。りっくん、最近早く着て部屋を暖めてくれてるでしょ? あたしも早く来れば作業前に二人きりになれるでしょ?」
相変わらず想いを直球で伝えてくれる夏鈴。
女の子に二人きりで過ごしたいと言われて嬉しくない男はいない。
それが夏鈴みたいな美少女ならなおさらだし、こうして抱き着かれて悪い気はしないけど、以前にも増してこんなことをしていれば修羅場の一つも起こるわけで。
「ちょっと……なに朝っぱらからイチャイチャしてるわけ?」
背後から響く冬の冷気よりも冷たい言葉に背筋が凍る。
振り返ると不機嫌そうな表情を浮かべる悠香の姿があった。
「ゆ、悠香……今日はやけに早いな」
「いつも凛久が早く来て部屋を暖めてくれてるから、私も手伝おうと思って」
「なんて言って、どうせ二人きりでエッチなことしようと思ってたんでしょ」
「エ、エッチなことしようなんて思ってないもん!」
まるで図星を突かれたように動揺する悠香。
そんな悠香を挑発するように夏鈴は俺を抱きしめる。
「ぐぬぬぬ……」
悠香も俺に告白して以来、かなり積極的になっているとは思う。
大胆な水着姿を披露してくれたり、Tシャツに透ける下着を魅せてくれたり。告白前と後ではクラスメイトの怒りが倍になるくらいにはアピールしてくれている。
たけど本気を出した夏鈴が相手じゃ分が悪くて押され気味。
それでも負けじと俺から夏鈴を引き離す。
「全く……いつも場所を選ばずイチャイチャして恥ずかしくないわけ?」
「人目を気にしてるからダメなのよ。心の底から愛し合ってる恋人同士は、人目を憚るどころか見せつけてやるくらいの勢いでイチャイチャするものなのよ!」
「そんなことない。二人きりでイチャつきたい人もいるから!」
愛情表現の仕方は人それぞれ、どっちの言い分も一理ある。
それはさておき、猫の喧嘩よろしく争う合う二人を見てふと思う。
本当、噓みたいだよな……昔好きだった女の子が今も自分を好きでいてくれることもさることながら、こうして俺を取り合っているなんて。
今までは二人が言い争いをしていても最悪見て見ぬふりをすることができたけど、今さら知らない振りをするわけにもいかない——なんて思っていると。
「凛久はどっち派なの!?」
「もちろん見せつける派だよね!?」
案の定、二人は俺の静観を許してくれない。
「えっとぉ……」
あちらを立てればこちらが立たず。
こんな状況も他の男からしたら羨ましい限りなんだろうけど胃が痛い。
右から左から腕を引っ張られていると、そんな状況を見かねたのか、わたあめが『にゃおにゃお』言いながら俺によじ登り二人の間に割って入った。
おかげで冷静になる二人。
「りっくんを困らせるのも可哀想だし、今日はこのくらいにしておいてあげる」
「それは私の台詞。わたあめに感謝してよね」
さすがわたあめ、気品溢れる純白の毛並みと穏やかな性格から女神と呼ばれていただけあり、かつて猫の喧嘩を仲裁していたように二人の仲を取り持ってみせた。
あとでお礼に某猫が夢中になるおやつを上げるとしよう。
「ほら、寒いから中へ入ろう」
玄関のカギを開け、二人の背中を押して店内へ。
荷物を置くと、さっそく薪ストーブに火を入れる準備を始める。
まずは空気の調節レバーが空いているのを確認し、ドアを開けて薪を組み上げる。そこに火をつけた着火剤を投入してドアを少しだけ開けて待つこと十分。
炉内が温まったら太い薪を追加し、レバーを絞って燃焼を調整。
あとは適度に薪を追加して火が消えないように保てばいい。
最初は四苦八苦したけど慣れたらお手のもの。
「莉乃さんが来るまで暖まりながら待とう」
俺たちは薪ストーブを囲むように椅子を並べて腰掛ける。
すると傍にいたわたあめが待っていたかのように膝の上に乗り、玄関横に作った猫用の出入り口からあげぱんとのりべんも現れて悠香と夏鈴の膝に飛び乗った。
「はぁ……あったかいね」
「ほんと、ぽかぽかする」
揺らめく炎を眺めながら猫を撫でる俺たち。
まったりしていると、ふと先ほどのことを思い出した。
「そういえばさ、さっき庭に知らない男の人がいたんだよ」
「「知らない男の人?」」
二人揃って疑問の声を上げる悠香と夏鈴。
「タイミング的に夏鈴はすれ違ってると思ったんだけど」
「ううん。あたしは見てないよ」
「どんな感じの人?」
「俺たちと同じ高校生だと思う。いかにも好青年って感じの人だった」
「私たちみたいに猫まみれのお世話になってた人かな?」
「そう思って聞いてみたんだけど、違うって言ってた」
「関係ない人がなにしに猫まみれに来たんだろうね」
夏鈴の言葉に思わず頷く。
どうやら二人も心当たりはないらしい。
まぁ気にしなくていいかなんて思っていると。
「みなさん、今日は早いですね」
莉乃さんも集合時間よりずいぶん早く現れた。
「そう言う莉乃さんもかなり早いじゃないですか」
「いつもりっちゃんが早く来て部屋を暖めてくれているので、たまにはわたしも早くこようと思ったんですけど、今日も先を越されてしまったようですね」
そんな莉乃さんの言葉に思わず笑みを零す俺たち。
三人とも同じことを考えていたのが面白い。
「よし、そろそろ始めようか」
「「「はーい!」」」
こうして今日も変わらず全員集合。
さっそくみんなで掃除を始めた。




