白銀騎士
冬の訪れは、例年よりも早かった。
しかも今年の冬は、始まりから容赦がなかった。
数日前まで湿った土が覗いていた街道は、一晩のうちに白く染まり、城壁の上では冷たい風が吹き抜けるたびにヴァルディアの旗が激しくはためいている。
北へ続く街道では、すでに雪に車輪を取られた荷車が立ち往生し始めていた。山を越える道もいくつか閉ざされ、周辺の小さな領地では食料が足りなくなるのではないかという噂まで流れ始めている。
冬になれば、人も物も動きにくくなる。
秋までは当たり前のように使えていた街道が雪に埋まり、商人は移動できなくなる。川が凍れば船も使えず、山道が閉ざされれば遠方からの荷物も届かない。
レオにとって、それは冬が寒いという以上に厄介な問題だった。
だが、ヴァルディア領の城下はまだ動いている。
市場へ行けば、商人たちは店先に積もった雪を払いながら店を開き、残っている品物を少しずつ棚へ並べていた。
客足は以前より減っているものの、店を閉めてしまった者はほとんどいない。
街道沿いでは兵士と領民が協力して雪をかき、流民としてやって来た者たちもその中に混じっていた。
吐く息は白く、誰もが寒さに肩を縮めている。
それでも、人が動いている限り、街はまだ止まっていなかった。
市場では最近、レオについて話す者も増えていた。
「北の方じゃ、小麦の値段が上がってるらしいぞ」
「こっちも上がってはいるだろ」
「そりゃ上がってるが、まだ買える。向こうじゃ金を出しても物がないところまで出てるって話だ」
「若様が冬前に買い集めてた食料が効いてるのか?」
「そうなんじゃないか。橋も直したし、最近の若様は妙に先を読んでるよな」
「前はそんな感じじゃなかったけどな」
最後の一言には少し苦笑が混じっていた。
ほんの少し前まで、レオは領民から特別注目されるような存在ではなかった。
長兄アルスが後継者として期待され、次兄セイルも兄を支える存在として知られていた。その二人の後ろにいたレオは、領主家の三男という以上の印象を持たれていなかった者も多い。
ところがアルスとセイルがいなくなり、父グレインが重傷を負ってから、レオは否応なく前へ出ることになった。
崩れた橋を直し、街道を整え、行き場を失った流民を受け入れ、さらに冬が来る前から少しずつ備蓄を増やしてきた。
一つ一つは、戦場で敵将を討つような派手な働きではない。
それでも実際に雪が降り、周辺の道が止まり始めたことで、その意味を領民たちも感じ始めていた。
城壁の上から城下を見下ろしながら、レオは白い息を吐いた。
冷たい風が外套を大きく揺らす。
寒い空気を深く吸い込むと、胸の奥に僅かな違和感が残った。
槍に貫かれた傷は、もう普段の生活に支障がないほど治っている。
それでも寒さが厳しい日は、傷跡の辺りが鈍く疼くことがあった。
そのたびに、雨の中で地面へ倒れたあの日の感触が蘇る。
「寒いところに長く立っていると、またガイゼルに怒られるな」
レオが独り言のように呟くと、すぐ隣から声が返ってきた。
「すでに怒っております」
「いたのかよ」
「最初からおります」
隣ではガイゼルが腕を組み、呆れたような顔をしていた。
レオは少し気まずそうに視線を街道へ戻す。
「北は?」
「今朝の報告では、峠へ向かう道の一つが完全に塞がれました。別の道も、この雪が続けば数日と持たないでしょう」
ガイゼルも城壁の外へ目を向けた。
普段なら荷車が何台も通っている時間だったが、今日はほとんど姿が見えない。
「商人はどうしてる?」
「無理に先へ進まず、しばらく城下に留まる者が増えております。宿もかなり埋まっているようですな」
「その方がいいだろうな。この雪の中で無理に進んでも危ないだけだ」
レオは頷いた。
外から入ってくる物は、これからさらに減っていく。
だからこそ冬が来る前に、可能な限り食料を集めておいた。
十分とは言えない。
今の人口で考えれば、春まで余裕で食べられるほどの量があるわけではない。
それでも、何も準備していなかった場合に比べれば遥かにましだった。
「備蓄、やっておいてよかったな」
レオが言うと、ガイゼルが僅かに口元を緩めた。
「その点については、エルク殿も珍しく若様を褒めておられましたぞ」
「珍しくってなんだよ」
「そのままの意味ですが」
「本人の前では言うなよ」
「本人から直接似たようなことを言われているのでは?」
レオは返事をせず、先に階段へ向かった。
ガイゼルの小さな笑い声が後ろから聞こえた。
城壁を降り、そのまま執務室へ向かう。
扉を開けると、予想通りエルクが帳簿と格闘していた。
机の上には何冊もの帳簿だけでなく、各地から届いた報告書まで積み上がっている。
どれも内容は似たようなものだった。
北街道の封鎖。
小麦価格の上昇。
商隊の遅延。
山道の積雪。
雪が降り始めたばかりだというのに、すでに周辺では問題が起こり始めている。
レオが入ってきたことに気付いたエルクは、羽ペンを置くと目元を揉んだ。
「若様、ちょうどよかったです」
「何か悪い話?」
「悪い話なら机の上にいくらでもありますが、それとは別です」
エルクは帳簿を一冊開き、レオへ見せた。
「正直、少し驚いています」
「何に?」
「今のところ、本当に回っているんですよ」
レオは帳簿を覗き込んだ。
「流民への配給を続けながら、兵糧も想定以上に残っています。市場への放出分も急激には増えていませんし、今のところ買い占めのような大きな混乱も起きていない」
「備蓄が間に合ったってこと?」
「今のところは、ですが」
エルクはそこだけ強調した。
「だからといって安心はできません。この雪が長引けば話は変わりますし、外から入ってくる物が完全に止まれば、いずれは減る一方になります」
「分かってる。使い過ぎないようにしないとな」
「その通りです」
ガイゼルも後ろから入ってくる。
「少なくとも、冬が始まった途端に飢えるような事態は避けられましたな」
その時、部屋の隅から低い声が聞こえた。
「他所は、もうそんな笑ってられる状態じゃないがな」
見ると、応接用の椅子にバルドが座っていた。
いつものように酒瓶を片手に持っている。
「いつからいたんだ?」
レオが尋ねると、バルドは酒を一口飲んでから答えた。
「お前が来る前からだ」
「仕事は?」
「してる」
「酒飲んでるようにしか見えないけど」
「飲みながらでも頭は動く」
「便利だな」
レオが呆れると、バルドは気にした様子もなく地図を指差した。
「北の小領なんか、もう小麦の値段が倍近くになってるところもある。戦に備えて兵を集めたまではいいが、冬のことまで考えてなかった連中もいるらしい」
「毎年冬は来るだろ」
「分かっていても、目の前に敵がいればそっちへ全部使う奴はいる」
バルドは肩をすくめた。
「兵を増やして、武器を買って、その兵に食わせるために備蓄まで削る。そこへ予定より早く雪が来た。そりゃ苦しくもなる」
レオは机の上に広げられた地図を見た。
街道があり、山道があり、川がある。
普段なら、それらを通って人も物も移動している。
だが冬になれば、その多くが使えなくなる。
道があるだけでは足りない。
使えるうちに必要な物を動かし、止まった後でも耐えられるようにしておかなければならない。
前世でも、雪が降れば物流は簡単に乱れた。
普段は物が届くことを当然だと思っている人間も、トラックが一日動かなくなっただけで店から物が消えれば、ようやくその重要さに気付く。
この世界では、その影響はもっと深刻だ。
食料が来なければ、本当に飢える。
薬が届かなければ、助かる命まで失われる。
「春まで何とか持たせないとな」
レオが呟くと、エルクは頷いた。
「そのために、今の消費量でもう一度計算します。今後さらに流民が増える可能性も考えた方がよいでしょう」
「頼む」
そう答えた直後、執務室の扉が勢いよく叩かれた。
「入れ」
レオが声を掛けると、兵士が慌ただしい様子で入ってくる。
「若様、城門に一人、騎士を名乗る女性が来ております」
「騎士?」
ガイゼルが眉をひそめた。
「はい。若様への仕官を希望しているとのことです」
バルドが面白そうに笑う。
「また妙なのが来たな」
ガイゼルは深く息を吐いた。
「最近、この手の話が増えましたな」
「俺に言われても困るんだけど」
レオも苦笑した。
流民を受け入れるようになってから、外から人が来ること自体は珍しくなくなっていた。
仕事を探して来る者もいる。
食べる場所を求めて来る者もいる。
だが、自分から騎士を名乗って仕官を願う者は珍しい。
「どんな人?」
レオが兵士へ尋ねる。
「若い女性です。かなり長い間旅をしていたようですが、騎士の鎧を身につけています」
「武器は?」
「剣を一本」
レオはガイゼルへ視線を向けた。
老騎士は少し考えてから頷く。
「話を聞くくらいなら問題ないでしょう」
「じゃあ、通して」
「はっ」
兵士が退出してから、しばらくして再び扉が開いた。
部屋へ入ってきた女を見て、レオは最初にその鎧へ目を向けた。
元は美しい白銀だったのだろう。
だが今は、あちこちに傷が走っていた。
肩当ての一部は砕け、胸当てにも細かな傷が無数に残っている。外套は裂け、裾には乾いた泥がこびりついていた。
雪の中を歩いてきたのだろう。
長い銀髪にもまだ溶けきっていない雪が残っている。
年齢は二十代前半ほどに見えた。
旅の疲れのせいか頬は少し痩せていたが、それでも背筋は真っ直ぐ伸びている。
腰には細身の剣が一本。
疲れ切っているはずなのに、その立ち姿には騎士らしさが残っていた。
女が部屋へ入った瞬間、ガイゼルが僅かに目を細める。
入口近くの壁に寄りかかっていたダグラスも、ゆっくり身体を起こした。
レオには分からないが、二人には何か感じるものがあったらしい。
「騎士か」
ガイゼルが尋ねた。
女は少しだけ間を置き、静かに答える。
「元、ですが」
その声にも疲労が滲んでいた。
レオは彼女を見る。
「名前は?」
「リゼ・アークライトと申します」
ガイゼルの表情が僅かに変わった。
「アークライト……」
「知ってるの?」
レオが尋ねると、ガイゼルは女から目を離さないまま答えた。
「北方で名の知られた騎士家です」
その言葉を聞いて、バルドも興味を示した。
「確か、北の国で近衛を出していた家だったな」
リゼの表情が僅かに硬くなる。
「……はい」
「その国なら三ヶ月ほど前に滅んだはずだ」
バルドの言葉の後、部屋の空気が少し重くなった。
リゼは俯かなかった。
ただ、先ほどよりほんの少しだけ声を落とした。
「三ヶ月前、王都は落ちました」
それだけだった。
けれど、レオには十分だった。
傷だらけの鎧。
痩せた頬。
手袋から覗く指先には、古い傷や凍傷の跡まで残っている。
国が滅びてから、かなり長い間各地を渡り歩いてきたのだろう。
「それで、ここに?」
レオが尋ねると、リゼは真っ直ぐ彼を見る。
「仕官を願います」
ガイゼルが先に口を開いた。
「なぜヴァルディアなのだ?」
当然の疑問だった。
少しずつ立て直しているとはいえ、ヴァルディアはまだ辺境の小領地にすぎない。
名のある騎士なら、もっと大きな領地へ行くこともできるはずだ。
リゼは少しも迷わず答えた。
「ここへ向かう途中、何人もの商人から話を聞きました」
「何の?」
レオが聞く。
「敗残兵を雇い、流民を受け入れた領主がいると聞きました。それだけでなく、冬が来る前から食料を集め、街道や橋を直していたとも」
「もうそんなところまで広まってるのか……」
思わず呟くと、バルドが笑った。
「商人の噂は速いぞ。まして今は冬だ。どこに道があり、どこに食料が残っているかなんて話は、金より価値がある」
リゼは静かに続けた。
「ここへ来るまで、いくつもの領地を通りました。すでに門を閉じているところもあれば、食料不足を恐れて旅人を追い返しているところもありました」
その声には、実際に見てきた者にしか出せない重さがあった。
「ですが、ヴァルディアへ続く街道では、雪の中でも荷車とすれ違いました。城門の外では人が雪をかき、市場にもまだ店が開いています」
リゼはレオを見た。
「ここは、まだ生きていると思いました」
その言葉に、レオは少し驚いた。
自分が考えてきたことを、外から来た人間に言われた気がしたからだ。
橋が壊れれば直す。
荷車が詰まれば整理する。
人が足りなければ、働ける者を受け入れる。
冬が来るなら、その前に食料を集める。
一つ一つは小さなことだった。
だが、それを続けた結果が、少しずつ外から見ても分かる形になっているらしい。
「それで、ここなら生きられると思った?」
レオが尋ねる。
リゼは僅かに目を伏せた。
「……はい」
その答えは、騎士として仕える場所を求めているというより、ようやく辿り着いた場所に残りたいと願っているように聞こえた。
レオは少し考えてから尋ねる。
「何ができる?」
「剣です」
今度は即答だった。
迷いのない声だった。
ガイゼルは腕を組む。
「騎士なら、誰でもそう言う」
リゼは反論しなかった。
ただ腰の剣へ手を掛ける。
その瞬間、ガイゼルとダグラスの雰囲気が変わった。
「待っ――」
レオが止めるより早く、剣が抜かれた。
銀色の光が一瞬だけ走る。
次にレオが目を向けた時には、部屋の隅に置かれていた燭台の上部が床へ落ちていた。
切断された場所は驚くほど滑らかだった。
レオはしばらく燭台を見つめる。
「……それ、誰が弁償するんだ?」
静まり返っていた部屋で、最初に出た言葉がそれだった。
エルクがものすごい勢いでレオを見る。
「そこですか!?」
「だって領地の物だろ」
「今は剣の腕を見るところでしょう!」
「それは見たよ。すごく速かった」
「ならいいですが……」
エルクは納得していない顔で帳簿を引き寄せた。
一方、ダグラスは明らかに楽しそうだった。
「いいな」
獣のような笑みを浮かべている。
「お前、かなりやるだろ」
リゼもダグラスを見る。
二人の視線が合った瞬間、部屋の空気が僅かに張り詰めた。
レオに剣士同士の細かい感覚までは分からない。
それでも、お互いが相手の実力を意識したことだけは分かった。
「一応言っとくけど、ここで戦うなよ」
レオが言う。
ダグラスが笑った。
「何もしてねぇだろ」
「今にもやりそうな顔してるから言ってるんだよ」
「いいじゃねぇか。ちょっとくらい」
「よくない」
「若様」
ガイゼルが呆れたように声を掛ける。
「話が逸れております」
「分かってるよ」
レオは改めてリゼへ向き直った。
剣の腕があることは十分すぎるほど分かった。
だが、レオにとってはそれだけでは足りない。
「リゼ、行く場所は他にある?」
その質問に、リゼは少し黙った。
「……ありません」
「家族は?」
さらに短い沈黙があった。
「おりません」
「一緒にいた仲間は?」
今度はすぐに答えが返ってこなかった。
やがてリゼは視線を僅かに下げる。
「私だけが残りました」
部屋が静かになった。
レオは、それ以上詳しく尋ねなかった。
聞かなくても、何となく分かったからだ。
守れなかったものがある。
自分だけが生き残ってしまった。
そのことを背負ったまま、ここまで歩いてきたのだろう。
ダグラスたちもそうだった。
国を失い、仕える場所を失った。
流民たちは村や畑を失った。
エルクは仕えていた場所を追われ、バルドも今では一つの主君に仕える身ではない。
そして、また一人。
自分の居場所を失った者がヴァルディアまで流れ着いた。
「最近、本当にこういう人ばっかり来るな……」
レオが小さく呟くと、ガイゼルが横から答える。
「若様が受け入れるからでは?」
「俺のせい?」
「少なくとも一因ではあるでしょうな」
「そんな言い方あるか?」
レオが少し不満そうに言うと、リゼが不思議そうに二人を見ていた。
レオは咳払いして話を戻す。
「リゼ」
「はい」
「先に言っておくけど、ここで騎士になるなら剣だけ振ってればいい、ってわけじゃないよ」
リゼが僅かに眉を動かした。
「と、申しますと?」
「今のヴァルディアは人が足りないんだ。街道の警備もしてもらうし、商人の護衛を頼むこともあると思う。流民が増えてきてるから、その辺の揉め事もある」
レオは窓の外を見た。
「この雪が続いたら、雪かきだって手伝ってもらうかもしれない」
ガイゼルが横から口を挟む。
「さすがに騎士へ雪かきまでさせなくとも」
「でも人が足りないだろ」
「それはそうですが」
リゼはしばらくレオとガイゼルを交互に見た後、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「構いません」
「本当に?」
「剣しか使えないと思われる方が心外です」
「ならよかった」
レオは頷いた。
騎士だから特別扱いするつもりはない。
今のヴァルディアに、そんな余裕もなかった。
強い人間なら、その強さを必要な場所で使ってもらう。
それ以外にできることがあるなら、それも手伝ってもらう。
単純な話だった。
「じゃあ、ここに残ればいいよ」
レオがそう言うと、リゼの目が僅かに揺れた。
「……よろしいのですか?」
「そのために来たんだろ?」
「そうですが……」
リゼは少し言葉を詰まらせる。
レオには、その先を何となく想像できた。
国を守れなかった。
主君を守れなかった。
仲間を守れなかった。
そんな言葉が続くのかもしれない。
けれど、それを聞いたところでレオの答えは変わらなかった。
「前にどこで負けたとか、今は関係ないよ」
リゼが顔を上げる。
「ここで働くなら、ここでちゃんと仕事をしてくれればいい。剣が使えるなら助かるし、今のヴァルディアには人手がいくらあっても足りない」
レオは少し考え、続けた。
「食事は出す。寝る場所も用意する。それに、せっかく生きてここまで来たんだから、わざわざ死ぬ場所を探す必要もないだろ」
リゼは何も言わなかった。
ただ、真っ直ぐレオを見ている。
その表情が少しだけ崩れたように見えた。
ほんの僅かな変化だった。
やがてリゼはゆっくりと頭を下げる。
「……感謝いたします」
最初に部屋へ入ってきた時と同じ静かな声だったが、今度は僅かに震えていた。
レオは、そのことには触れなかった。
「ガイゼル、空いてる部屋ある?」
「騎士用の宿舎に空きがございます」
「じゃあ、そこを使ってもらおう。あと食事もお願い」
「承知しました」
ガイゼルが答える。
レオは改めてリゼの姿を見て、白銀の鎧へ目を止めた。
近くで見ると、やはりかなり傷んでいる。
「その鎧も直した方がいいんじゃない?」
リゼは自分の肩当てを見る。
「まだ使えます」
「いや、壊れてるだろ」
「戦うことはできます」
「戦えるかどうかじゃなくてさ……」
レオが呆れると、ダグラスが大声で笑った。
「気に入ったぞ、お前!」
リゼは冷たい目をダグラスへ向けた。
「私はまだ、あなたに名乗られた覚えがありませんが」
「俺はダグラスだ」
「聞いていません」
「今聞いただろ」
「そういう意味ではありません」
「細けぇな」
「あなたが雑なのです」
「ははっ!」
ダグラスはますます楽しそうに笑った。
先ほどまで重かった部屋の空気が、少しだけ緩んでいく。
レオはその二人を見ながら、早くも先が思いやられる気がした。
「頼むから壊すなら燭台だけにしてくれよ」
「若様、燭台も壊してはいけません」
エルクがすぐに訂正する。
「……そうだった」
窓の外では、まだ雪が降り続いていた。
これから冬がどれほど厳しくなるのかは分からない。
このまま降り続けば、街道が完全に閉ざされることもあるだろう。外から届く食料はさらに減り、物の値段も上がっていく。
ヴァルディアとて、決して余裕があるわけではない。
むしろ今は、少し先に動いたことで何とか耐えているだけだった。
それでも、雪に閉ざされ始めた周辺の領地とは反対に、ヴァルディアには少しずつ人が集まり始めている。
敗残兵だったダグラスたちが加わり、戦で故郷を失った流民が住むようになり、今度は滅びた国から一人の騎士が辿り着いた。
皆、何かを失っている。
それまで暮らしていた場所や、仕えていた主、家族や仲間を失い、それでも生き残った者たちだった。
以前のレオなら、それを領地にとっての負担としか考えなかったかもしれない。
だが今は少し違う。
何かを失ったからといって、その人間が持っているものまですべて消えるわけではない。
ダグラスには力があった。
流民たちは畑を耕し、家を建て、道を直すことができた。
そしてリゼには、騎士として身につけてきた剣と経験がある。
行く場所を失ったのなら、ここでできることを見つければいい。
ヴァルディアにとっても、それは決して悪い話ではなかった。
レオはそう考えながら、ガイゼルに案内されて部屋を出ていくリゼの背中を見送った。
白銀の鎧は傷だらけだったが、それでもまだ光を失ってはいない。
この時のレオはまだ知らなかった。
この日、自分が何気なく受け入れた一人の騎士が、やがてヴァルディアの防衛を支える重要な存在になることを。
後に“白銀騎士”と呼ばれ、幾度もの戦場でヴァルディア軍の盾となるリゼ・アークライト。
彼女が初めてヴァルディアの門をくぐったのは、例年より早い雪が辺境を覆った、厳しい冬の日だった。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
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