税収
エルクがヴァルディア領へ仕えるようになってから、三日が経っていた。
その三日だけで、城内の空気は明らかに変わっていた。
原因は一人。
追放文官エルクだった。
「違います」
朝から執務室へ乾いた声が響く。
「この数字、合っていません」
机の向こう側では、年配の役人が青ざめた顔で立っていた。
「い、いや……それは以前から、そのように処理しておりまして……」
「以前から間違っていたなら、なお悪いです」
エルクは一切迷わず言い切った。
机の上には大量の帳簿が積み上げられている。
税収記録。
備蓄記録。
市場の取引記録。
兵糧の出納。
武器修繕費。
この三日で城内に残っていた記録という記録を集めさせ、片っ端から確認しているらしい。
そのせいで、もともと濃かった目の下の隈はさらに酷くなっていた。
それでも手は止まらない。
羊皮紙をめくり、数字を別紙へ書き出し、別の帳簿と照合してはまた書き込む。
その速度は、見ているこちらが心配になるほどだった。
レオは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
「……凄いな」
思わず漏れた言葉に、隣のガイゼルが苦い顔をする。
「凄いというより、恐ろしいですな」
その言葉に、レオも少しだけ頷いた。
実際、城内の役人たちは完全に怯えている。
これまで曖昧に処理していた支出。
確認せず引き継いだ数字。
古い慣習のまま徴収し続けていた税。
そういったものを、エルクは一つずつ掘り起こしていた。
誰かを責め立てるわけではない。
ただ数字がおかしければ、遠慮なく指摘する。
それが役人たちにとっては何より怖いらしい。
やがてエルクは手元の帳簿を閉じ、新しい羊皮紙を机へ広げた。
「若様」
「何だ?」
「この領地、想像していた以上に酷いです」
レオは思わず苦笑する。
「それ、毎日聞いてる気がするぞ」
「毎日、新しい酷い部分が見つかるので」
冗談ではなかった。
エルクの真顔を見れば、それくらい分かる。
ガイゼルが腕を組みながら尋ねる。
「そこまで問題があるのか?」
「あります」
エルクは即答した。
「まず、税の種類が多すぎます」
レオが眉を寄せる。
「そんなにあるのか?」
「ありますよ。しかも無駄に」
エルクは手元の紙を見ながら、一つずつ読み上げていった。
「街道通行税。荷車税。市場使用税。橋使用税。臨時戦時税。護衛税。それに緊急徴収金」
ガイゼルの表情が徐々に険しくなる。
「……そんなに残っていたのか」
「ええ。さらに問題なのは、徴収時期も金額も統一されていません」
エルクは別の帳簿を開いた。
「同じ荷車でも、徴収した役人によって金額が違う。通行税を取った後に橋税を取り、その先の市場でも別に徴収する。しかも、どこまで払えば終わりなのか商人側には分からない」
それから帳簿を指先で軽く叩く。
「これでは商人が逃げます」
レオは黙った。
言われてみれば当然だった。
危険な戦乱地帯へわざわざ商品を運び、その途中で何度も金を取られる。
しかも金額すら一定ではない。
商人なら、もっと安全で分かりやすい場所へ行く。
「流民への徴収も残っています」
その一言に、ガイゼルが顔をしかめた。
「流民から取っているのか?」
「制度上は、です」
エルクは古い記録をめくった。
「恐らく戦費が不足した時期に、一時的な臨時徴収として始めたのでしょう。ただ、その後誰も整理しないまま制度だけ残った」
「廃止された記録は?」
「ありません」
部屋の空気が重くなった。
戦乱が長すぎたのだ。
戦費が足りなければ、とりあえず税を増やす。
兵が足りなければ、とりあえず徴兵する。
人手が足りなければ、現場へ押し付ける。
その場をしのぐために作ったものが積み重なり、気付けば誰も全体を把握できなくなっていた。
レオはその構図に見覚えがあった。
前世の会社でも同じだった。
最初は一時的な対応だったはずの作業が、いつの間にか恒常業務になる。
一人が休んだ時だけの代行が、そのまま担当業務になる。
例外を積み重ねた結果、誰も本来の形を覚えていない。
崩れていく組織は、どこでも似たような形になるらしい。
「グレイン様が健在だった頃から、ここまで酷かったわけではないでしょう」
エルクが続ける。
その言葉に、ガイゼルが顔を上げた。
「どういう意味だ?」
「戦が長引きすぎたということです」
エルクは淡々と説明する。
「役人が減り、経験のある者が戦死や逃亡でいなくなった。新しく入った者へ引き継ぎもされず、現場だけで処理するようになった」
「そして例外が増え、帳簿も統一されなくなった」
「気付けば誰も全体を見ていない」
レオは小さく息を吐いた。
まさに、それが今のヴァルディアだった。
一つ一つの現場では何とか動いている。
だが全体として見ると、あちこちで流れが滞っている。
「エルク」
「はい」
「徴税の案を作れ」
その言葉に、室内の空気が僅かに変わった。
ガイゼルが驚いてこちらを見る。
「若様、もう任せるのですか?」
「今のままにしておく方が危ない」
レオは即答した。
それからエルクを見る。
「ただし条件がある」
「聞きましょう」
「流れを止めるな」
エルクの目が僅かに細くなった。
レオは続ける。
「商人が来やすい形にする。流民がここで暮らし始められるようにする。それと、払う側が何を払っているのか分からない税は消せ」
周囲の役人たちは驚いた顔をしていた。
普通、財政が苦しい領主が言うことではない。
金が足りないなら税を増やす。
それが当たり前だ。
しかしレオには、それでは駄目だと思えた。
今のヴァルディアは弱りすぎている。
そこでさらに絞れば、人も商人も逃げる。
「……やっぱり変わっていますね」
エルクが小さく笑った。
「そうか?」
「普通は逆です」
エルクは肩を竦める。
「領地が苦しくなればなるほど、領主は目の前の金を欲しがる。その結果、税を増やす」
「そして商人が減る」
レオが続ける。
「人も逃げる」
「その通りです」
エルクは頷いた。
「絞れば、その場では多少金が入るでしょう。しかし来る人間そのものが減れば、来年はもっと取れなくなる」
レオは窓の向こうへ目を向けた。
遠くには街道が見える。
まだ荷車の数は少ない。
それでも以前より確実に増えている。
あの細い流れを、今は止めてはいけない。
「取ることばかり考えれば、最後には誰もいなくなる」
レオが静かに言う。
エルクは深く頷いた。
「では、まず税を整理しましょう」
そう言って新しい羊皮紙へ羽ペンを走らせ始める。
「街道通行税、橋使用税、荷車税、市場使用税。これらは細かく分けすぎです」
ガイゼルが眉を寄せる。
「では、どうする?」
「一本化します」
「一つに?」
「はい。商人が領内へ入る時に、何をどれだけ支払えばいいのか分かる形にする」
さらに別の項目を書き込む。
「流民への徴収は廃止します。今の彼らに払わせても定着しません」
「市場使用料も当面は下げる」
「下げて大丈夫なのか?」
ガイゼルが尋ねると、エルクはすぐに答えた。
「一人から十取って十人逃げるより、一人から三取って百人来てもらう方がいい」
レオは思わず口元を緩めた。
分かりやすい。
そして、その考え方は自分にも馴染みがあった。
物流も同じだった。
一台へ荷物を詰め込みすぎて止めるより、複数へ分けて流した方が全体として速い。
金も人も同じなのだろう。
「さらに街道を使う商人には、一定期間の優遇を出します」
エルクは続ける。
「特に塩、鉄、薬、農具を運ぶ商人は優先した方がいい」
「何故だ?」
「領地の再建に必要だからです」
必要な物を運ぶ者が来やすい条件を作る。
それだけで領地に入ってくる物資の種類も変えられる。
レオはその説明を聞きながら、改めて思った。
やはりエルクは単に計算が得意なだけではない。
数字の向こう側にある人の動きまで見ている。
「まず人を集めます」
エルクは羽ペンを止めずに言った。
「商人を呼ぶ。流民を定着させる。職人を増やす。金を集めるのはその後です」
ガイゼルが低く唸った。
「随分と大胆なやり方だな」
「今のヴァルディアは、守りに入れば遅かれ早かれ死にます」
エルクは淡々と答えた。
「なら、増やすしかありません」
「人も、物も、金も」
その言葉を聞いて、レオは自然に笑っていた。
やはり似ている。
エルクもまた、帳簿の数字だけを見ているわけではない。
数字がどう流れ、その先で人がどう動くのかを見ている。
「エルク」
「はい?」
「三日くらい寝てないだろ」
唐突な言葉に、エルクの手が止まった。
「……二日半です」
「寝ろ」
「ですが、まだ帳簿が」
「寝ろ」
レオはもう一度言った。
エルクが珍しく困った顔をする。
「若様、この状態で休んでいる場合では――」
「前世でも……」
思わずそう言いかけ、レオは途中で言葉を止めた。
ガイゼルが怪訝そうに見る。
レオは小さく咳払いした。
「人間は壊れたら戻らない。仕事は明日でもできる」
エルクはしばらく黙っていた。
やがて諦めたようにため息を吐く。
「……分かりました」
その返事を聞き、レオは満足そうに頷いた。
人を増やすだけでは意味がない。
集めた人間を使い潰してしまえば、前世と同じになる。
働かせるなら、休ませる。
長く動けるようにする。
それもまた、流れを止めないために必要なことだった。
その日から、ヴァルディア領では大規模な徴税制度の見直しが始まった。
長年積み重なった細かな税は整理され、商人が理解しやすい形へまとめられていく。
流民への徴収は廃止され、生活に必要な物資を運ぶ商人には優遇措置が用意された。
すぐに結果が出るわけではない。
だが、噂は商人から商人へ少しずつ広がっていく。
ヴァルディアでは、以前より金を取られないらしい。
街道も直し始めている。
そして、領主代理は商人の荷車まで気にする変わり者だと。
後に周辺領の商人たちから、
“税の軽い妙な領地”
と半ば呆れ、半ば羨ましがられることになる改革は、こうして一冊の滅茶苦茶な帳簿から始まった。




