第九話 証拠の行方
まず、イゾルデから聞いた書記官のもとへ向かった。王都から二日の領地で、老いた書記官は静かに余生を送っていた。書状でなく直接訪ねたのは、偽造できないものが欲しかったからだ。
「十五年前の台帳を書いたのはあなたですか」
老書記官は台帳を手に取り、しばらく無言で見た。
「……わしの字だ。間違いない」
「証言してもらえますか」
「誰に対して」
「王の前で」
沈黙があった。窓の外で鳥が鳴いた。
「……あの台帳を守れなかったことが、ずっと悔しかった。辞職させられた日から」
「証言する。書面でもいい」
これで台帳の出所が確認できた。証拠の根拠が固まった。
王都に戻ると、オルフェウスから使いが来ていた。「シオンと話した。三日後に動く」と。
◇
オルフェウスが来たのは、日が暮れてからだった。随行なし、ひとりで。旅装のまま部屋に入ってきた彼は、広げられた書類を一瞥して、何も言わずに椅子を引いた。
わたしは書類を全て並べていた。東辺境での記録、書類の改竄比較、坑道の観察記録、荷車の記録、そしてイゾルデから受け取った古い台帳。それぞれに見出しをつけ、日付順に並べてある。
オルフェウスは無言で、順番に見ていった。わたしは何も言わなかった。書類が語る。読む人間が読めば、全てわかる。
三十分後、オルフェウスが顔を上げた。
「ダリウスを動かすなら、王の裁可が必要だ。だが——」
少し止まった。「父上は宰相を信頼している。この証拠を見せても、動くかどうかはわからない」
わたしは手帳を開いた。
「古い台帳の差分を計算しました。十五年分の横領額は、東辺境三年分の税収に相当します。これが王国の収支報告書と照合できれば——宰相が「王国財政を改善した」と評価されている根拠が、全て崩れます」
オルフェウスが目を細めた。
「……それは財務長官室の書類が必要だ」
「わかっています。だから殿下に来ていただいた」
沈黙が続いた。夜の庭で風が動いた。わたしは動かなかった。動く必要がない。証拠は出した。判断はあの方が下す。
オルフェウスが静かに言った。
「三日くれ」
三日間、待った。待ちながら記録した。王都の空気の変化、宰相府の人の出入り、オルフェウスの使いが来た時刻。待つことも、観察だ。
一日目の夜、エリナが言った。「……宰相府の人間が、お嬢様の様子を探っているようです」
「わかった。ありがとう」
エリナは少しだけ、表情を崩した。謝罪かもしれない。感謝かもしれない。どちらでもいい。今は動く時ではない。
二日目の夜、宰相から呼び出しが来た。ダリウスはいつもの笑顔で座っていた。でも、指輪を一本外していた。焦っている。
「エリス嬢。少し話し合おうではないか。辺境での苦労は報われるべきだ。望むものを言ってみろ」
懐柔だ。わかりやすい。
「記録を残すこと以外に、望みはありません」
ダリウスの笑顔が、わずかに固まった。わたしはそのまま一礼して出た。廊下を歩きながら、手帳に書いた。呼び出しの時刻、ダリウスの言葉、外した指輪のこと。緊張している。それが証拠だ。
出発の準備として、証拠書類を最終確認した。一枚ずつ手に取って、内容を確認して、番号が合っているか確かめた。目次を作った。目次のある証拠書類は、ない場合より格段に読みやすい。だから、読まれる。
三日目の朝、オルフェウスから一行が届いた。
「——動く。共に来てくれ」
わたしは書類を全て揃えた。革の鞄に入れて、肩にかけた。
エリナが玄関で待っていた。
「……行ってらっしゃいませ。ゼファー隊長も、喜んでると思います」
わたしは少しの間、答えなかった。
「そうだといいですね」
そう言って、外に出た。革の鞄が、肩に重い。でも今は、その重さが頼もしかった。
王宮の正面扉が、重く開いた。
——決着をつけに行く。




