第七話 静かな裁き
オルフェウスは三日間、東辺境に滞在した。農村を一緒に回り、ガルドの話を聞き、坑道を確認した。何も言わず、ただ見ていた。
ガルドが帰り道に言った。
「あの王子さまは、ちゃんと土を見てた」
ガルドの評価基準は「見るかどうか」だ。それをオルフェウスが満たした。わたしはそれを手帳に書いた。
王都に戻る前日の夜、オルフェウスが言った。
「バレントを処分する。書類の改竄証拠が揃った」
「エリナは」
「情報の漏洩者だが、こちらが逆用した。今後は同行は不要だ。身の振り方は本人に任せる」
わたしはうなずいた。それ以上を望まない。
バレントへの処分は翌月に執行された。派手ではなかった。書類が揃い、手続きが進み、静かに更迭された。
彼は最後まで「伝統だから」と言い続けたという。でも伝統が証拠を偽造した事実は、変わらない。
◇
バレントの処分から二週間後、ガルドから短い手紙が来た。「今年の収穫は去年の倍になりそうだ」という一文だった。
わたしは手帳に書いた。嬉しいとは書かず、日付と事実だけを書いた。でも、手が少し早く動いた気がした。
この頃から、オルフェウスからの書状に変化が出た。報告への返答だけでなく、時折「東辺境の天候はどうか」「水路の状態は」という一行が混じるようになった。
〔豆知識〕近世ヨーロッパの外交において、書状のやり取りは信頼関係の最重要な基盤だった。手書きの書状は署名だけでなく「筆跡」そのものが信頼の証明とされ、代筆を許さない重要な通信には必ず本人が書いた。書状の頻度が信頼の深さを示す指標でもあった。
報告書には書いてあることだ。それでも、尋ねる。
(……わたしに、聞いている)
その静かな日々の中、宰相・ダリウスが動いた。王都から届いた書状に、新しい命令が書いてあった。
「東辺境の代官業務を王国直轄に移管する。エリスは王都に召還」。
体裁は整っている。正式な王命の形をしている。でも、わたしには見える。これは追い出しだ。証拠をここから遠ざけるための、巧みな手だ。
召還命令が届いた翌日、ガルドが庁舎に来た。珍しい。昼前に来た。
「王都に戻ると聞いた」
「ええ。しばらくします」
「……そうか」
ガルドはそれだけ言って、持ってきた布包みをテーブルに置いた。開けると、干し果実と小さな革袋が入っていた。
「道中に食え。革袋は土を入れてある。ここの土だ」
「……戻ってきます」
「わかってる。だから持たせる」
ガルドは何も言わずに出ていった。腰の曲がった背中が、入口に消えた。
わたしは手帳に書いた。「ガルドより、ここの土。革袋に入れて」と。事実だけを書いたが、手が少しゆっくり動いた。
出発の前日、ゼファーの後任隊長から知らせが届いた。「ゼファー隊長の剣を、妹さんに届けました。返事が来ました」と。
「兄がお世話になりました。記録も一緒にありがとうございました」。丁寧な字で、短い文だった。記録が届いた。わたしは手帳に「記録は届く」と書き加えた。
出発の朝、騎士たちが整列して見送ってくれた。若い騎士も来ていた。
「また来るときは声をかけてください。門を開けます」
「ありがとう。そのときは、水路の状態を見せてください」
若い騎士が笑った。ゼファーは笑わなかったから、それが少し眩しかった。
馬車に乗り込んで、エリナが隣に座った。無言で、でも少し距離が近かった。わたしは革袋の土を、鞄の底に入れた。
王都への道中、エリナが窓の外を見ながら言った。
「……故郷に帰りたいと思ったことはありますか」
「ありません。記録する場所が、わたしの場所だから」
エリナは少し目を細めた。それから静かに言った。「わたしは……どこに帰ればいいか、まだわからないです」
わたしは何も言わなかった。答える言葉がない。でも、その言葉を手帳に書こうとして、やめた。これはエリナだけの言葉だから。
王都の門をくぐったとき、わたしは手帳に書いた。「帰還。半年間の記録を携えて」と。それが今日の、最初の記録だった。
——記録が残れば、土地は覚えている。ガルドが言っていた言葉だ。




