第六話 遺言という名の鍵
古い坑道の入口は、密林の中に隠れていた。イゾルデの言う通りだった。地図にない道が、確かにあった。
入口の前の草が短い。踏まれている。最近も人が通った跡だ。
騎士二名と入ると、坑道の壁に刻み跡があった。石を定期的に削った跡、工具の傷、そして床に落ちた鉄片。空気が鉄の匂いをしている。最近まで使われていた証拠だ。
〔豆知識〕鉱山から産出された鉄鉱石は精錬されて錬鉄になる。中世ヨーロッパでは木炭を使った「ブルーム炉」が主流で、一度の精錬で得られる量は限られた。しかし継続的に採掘・精錬を行えば年間の産出量は膨大になる。記録に残さず小分けに運べば、帳面の外で富が蓄積される。
これが、ダリウスがやっていたことだ。鉱山の正規の収益を少なく記録し、余剰分を別の坑道から密かに運び出す。五年間。いや、もっと長いかもしれない。
わたしは坑道の内部を細かく記録した。刻み跡の間隔、鉄片のある場所、坑道の向きと深さ。壁の傷が新しい部分と古い部分の分布。
騎士のひとりに「この刻み跡は何年前のものか」と聞いた。彼は「五年以上は経っている」と答えた。それも書いた。
帰り道、騎士のひとりが言った。
「これ、ゼファー隊長も知ってたんですかね」
「知っていたと思う。だから「鉱山の記録を残せ」と言ったんだと思う」
ゼファーの最後の言葉が、ここでつながった。あの言葉は遺言だったのだ。証拠の在り処を、わたしに教えるための。
◇
庁舎に戻り、証拠を整理した。書類の改竄記録、水路の妨害証拠、坑道の観察記録、荷車の記録。それぞれ単体では弱い。でも積み上がれば、崩せない。
もう一つ必要なものがある。鉱山の「正規の記録」だ。正しい収益がいくらであるべきか。それと現在の記録を比較すれば、横領の「額」が出る。額が出れば、言い訳できなくなる。
オルフェウスに書状を送った。「財務長官室の古い記録を確認できますか」と。返事は二日後に来た。「動く。三日待て」と。
三日の間、わたしは坑道の観察記録を清書した。乱れた字では証拠にならない。読みやすく、順番通りに。清書した記録を一枚ずつ確認しながら、順番を考えた。最初は水路だ。農村の被害から始める。人が傷ついた話を最初に持ってくれば、読む側の感情が動く。
そこから書類の改竄につなぎ、鉱山の横領へ至る。最後に坑道の物的証拠。感情から事実へ、事実から証拠へ。この順番が一番崩れにくい。
その夜、オルフェウスへの報告書に全てを記した。添付書類は六枚。事実のみ。推測には「推測」と明記した。
書き終えて、わたしはしばらく羽根ペンを止めた。この数ヶ月で、何かが変わった気がする。領地が変わっているのではなく、わたし自身が変わっている。
バレントに妨害されても、エリナに裏切られても、ゼファーを失っても。それでも手を動かしてきた。記録してきた。父がわたしに記録を教えたのは、武器にするためだったのかもしれない。
報告書を封じたとき、外から声がした。騎士が告げる。
「第三王子殿下が、いらっしゃいました」
扉を開けると、オルフェウスが立っていた。旅装のまま、馬の息が白い。随行が最小限だ。夜の冷たい空気が、彼の後ろから入ってきた。
「報告書を受け取る前に来た。直接聞く方が早いと思ってな」
わたしは手に持ったまま封じた報告書を差し出した。
「読んでいただければ、全部書いてあります」
オルフェウスは受け取ってその場で開いた。読み進める間、表情はほとんど変わらなかった。でも最後のページで、一度だけ目が細くなった。
「……よくここまで積み上げた」
褒め言葉かどうかわからない言い方だった。でも、わたしは受け取った。
翌日、彼は地図を広げてわたしの隣に立った。坑道の場所を確認するために。それがひどく自然なことのように。肩が、ほんの少し触れていた。どちらも、動かなかった。
地図を見ながら、オルフェウスが言った。「ここの人たちは、あなたを信頼している」
「まだ完全ではありません。ガルドはまだ試している」
「でも、去年より顔が上を向いている。それは記録に出ない変化だ」
窓の外が静かだった。東辺境の夜は、王都より暗い。星が多い。ゼファーが好きだった景色かもしれない、と思った。
——それだけで、十分だった。




