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モブ令嬢のはずが気付けば、国一番の領地経営をしていました。  作者: 渚月(なづき)


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第三話 守る者の代償

ダリウスからの書状への返答を書いた。

 「調査は継続するが、現状報告は月内に提出する」——正確には嘘ではない言葉を、丁寧に選んで。宰相に「動きを止めた」と思わせながら、こちらも動き続ける。


 ゼファーに見せると、彼は二度読んだ。


 「従うつもりか」


 「従うつもりはありません。でも、無視もしません」


 ゼファーが眉を上げる。


 「正面から拒否すれば、もっと強い圧力が来ます。だから時間を買う形を取ります。宰相に止まったと思わせながら、こちらも動き続ける。バレントへの対応も同じです」


 ゼファーはしばらく考えて、小さくうなずいた。


 「……賢いな」


 初めての褒め言葉だった。わたしは少し手が温かくなるのを感じた。この人は言葉を無駄にしない。だから少ない言葉が重い。


 水路の修繕を続けながら、農村の観察記録も積み上げた。ガルドと話す時間が増えた。この地が荒れた本当の原因が、少しずつ見えてきた頃だった。



 水路の修繕が軌道に乗り始めた三日後、深夜に事件が起きた。


 ひどく静かな夜だった。虫の声も止まっていた。庁舎の外で物音がした。重いものが地面を踏む音だ。一人ではない。

 ゼファーが先に動いていた。わたしが廊下に出たとき、彼はすでに外に出ている。革の音が遠ざかった。


 叫び声。短い剣戟の音。それが三度。


 わたしは手帳を抱えたまま入口まで走った。


 外には男が三人いた。バレントの手の者だと顔を見ればわかった。庁舎の視察時に来た人間たちだ。顔を覚えていた。

 ゼファーはひとりで三人に対峙し、一人を退けていた。体格の差を、動きと判断で埋めていた。

 でも、一人がゼファーの背後から刃を入れた。


 血が赤黒く夜に滲んだ。


 男たちは逃げた。騎士の部下が追ったが、捕まえられたのは一人だけだ。


 ゼファーはひざをついていた。わたしは駆け寄り、彼の腕を支えた。体が、予想より重かった。


 「傷が……」


 「深くない。立てる」


 でも声がかすれていた。治療師が来るまでの間、わたしはゼファーの隣に座って観察を続けた。

 傷の深さ、男たちの動き方、使われた刃の形。感情は押さえた。今は書くことだけを考える。書いておかなければ、なかったことにされる。


 ゼファーが低く言った。


 「……鉱山の記録を、必ず残せ」


 その言葉の意味を、わたしはすぐには理解できなかった。その夜遅く、ゼファーは亡くなった。傷は深かった。彼はそれを、わかっていたと思う。


 わたしは泣かなかった。泣く間もなかった。手帳に書いた。日付、時刻、状況、ゼファーの最後の言葉。一字も落とさないように。


 〔豆知識〕中世の製鉄技術において、鉱山を「誰が管理するか」は国家財政を大きく左右した。イングランドでは13世紀に王室が鉄鉱山の所有権を宣言し、民間採掘には特許が必要になった。鉱山を私的に管理することは王権への直接的な挑戦とも見なされた。


 つまり——この鉱山の話が表に出れば、宰相は窮地に立つ。ゼファーはそれを知っていた。だから最後に、あの言葉を残した。証拠の在り処を、わたしに教えるための遺言。


 翌朝、捕まえた男から話を聞いた。騎士二名を同席させ、内容を全て記録した。

 男はバレントの名前を出し、「脅すだけのつもりだった」と言った。わたしはそれを書いた。供述の日時、証人の名前、騎士の署名も添えた。


 それから男に言った。


 「あなたが正直に話してくれたことも、記録に残ります」


 男は少しだけ、表情が変わった。


 (ゼファー。ちゃんと残す)


 翌日、ゼファーを埋葬した。騎士たちが整列し、ガルドも来ていた。

 ガルドは何も言わなかった。帽子を胸に当てて、ただ立っていた。それが、この地の人たちの弔い方だと思った。


 ゼファーの埋葬が終わった後、騎士たちがひとりひとりわたしのところに来た。

 何も言わない者もいた。ただ、頭を下げた者もいた。最後に来たのは一番若い騎士で、まだ二十歳にもなっていないと思う。


 「……隊長は、あなたのことを信頼していました」


 それだけ言って、行ってしまった。わたしはしばらく動けなかった。手帳を開けなかった。今日だけは、書かないでいることにした。


 翌朝、また書き始めた。ゼファーについての記録を。彼が言ったこと、した行動、この土地で気にかけていたものを。人の記憶は薄れる。記録は残る。


 バレントからの妨害書状がまた届いた。今度は「騎士の私的な労働使用は規程違反」という内容だった。

 わたしは法令集を確認し、「代官の判断による緊急業務への補助は認められている」と返した。根拠となる規程の番号も添えた。


 バレントはそれきり、一週間沈黙した。次の手を考えているのだろう。その一週間で、水路の修繕が半分まで進んだ。


 ガルドがその日の夕方に来て言った。


 「……騎士が死んだのは、この土地のためだ。村は覚えている」


 それ以上は言わなかった。それ以上は言わなくていい、という言い方だった。わたしは手帳に書いた。「ガルドの言葉。村は覚えている」と。


 その夜、オルフェウスへの報告書を書いた。事実だけを、起きた順番に。感情は入れない。でも、最後の一行だけは書いた。


 「騎士隊長ゼファーの死は、この土地で起きていることの重さを示しています。調査を続ける根拠が、ここにあります」


 ——王都から、返事はまだ来なかった。


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