第26話:権威の参入と格式の定義
ゼクス魔導工房の最深部。幾重にも展開された受像水晶の群れは、王都アステリアの広場に渦巻く熱狂と、それとは対照的な王宮内部の「凍りついた不快感」を同時に映し出していた。
ゼクスは椅子に深く腰掛け、手元のコンソールを指先で弄んだ。画面の中では、泥にまみれた労働者が、的中させた銀貨の山を抱えて狂喜乱舞している。
「……耐え難い。実になんとも耐え難い光景だ」
王宮の一角、重厚な石造りの円卓を囲む重鎮たちの声が、隠し集音素子を通じてゼクスの耳に届く。アステリア王国の馬政を司る老貴族たちは、広場の中継映像を苦々しく見つめていた。彼らにとって、馬とは数千年の時間をかけて磨き上げられた伝統と格式の結晶だ。
「どこの馬の骨とも知れぬ野良馬の走りに、平民どもが小銭を投じて一喜一憂するなど。これはアステリアの誇りに対する冒涜ではないか。馬の優劣とは、血統書という名の理によってあらかじめ確定しているべきものだ」
重鎮たちの言い分は、ゼクスにとって極めて予測通りの正論だった。彼らにとって、名もなき若駒が王者をまくるという不条理は、世界の美しさを損なうノイズに等しい。
「いいですよ、そのプライド。実に美しく、そして利用しがいがある」
ゼクスは不敵に口角を上げ、草原に突き立てられた魔導杭からの信号を確認した。
重鎮たちの憤りは、単なる感情論では終わらなかった。彼らは自分たちの審美眼と血統の正しさを証明するため、王室厩舎で大切に育てられた最高傑作たちをアグライアの地へ送り込むことを正式に決定した。
それは、アステリア王家の威信を懸けた侵略だった。
ゼクスはこの動きを、システムの格を上げるための最良の触媒として受け入れた。彼は工房のコンソールを叩き、全土の鉄箱に新たな定義を上書きしていく。
「さて、ただの博打を儀式に昇華させてあげましょうか」
鉄箱の内部、多層化された魔導回路が激しく明滅し、新たな術式が組み込まれていく。王都の広場に並ぶ鉄箱の画面が一斉に暗転し、次の瞬間に重厚な金色の装飾を纏った文字が浮かび上がった。
『特別格定義:重賞』
その告知が流れると、広場の空気は一変した。それまで平民の遊びとして距離を置いていた富裕層や貴族たちが、従者を引き連れて続々と鉄箱の前に姿を現し始めたのだ。
「皆さん、お待たせしました。これまでの競走は、あくまで予行演習に過ぎません」
ゼクスの声が、拡声術式を通じて王都全域に響き渡る。
「これより、アステリア王家公認、血統の理を証明するための『王立特別格競走』を開催します。出走するのは、歴史に名を刻むことを許された選ばれし名馬たちのみ。……さあ、本物の格式に、あなたの運命を預ける準備はできていますか?」
ゼクスの告知は、人々の脳内に眠っていた「正解への渇望」を鋭く突いた。
「フン、ようやくまともな知恵比べになったか。血統も分からぬ野良馬に金を投じるなど、野蛮人のすることだ」
高価な絹の服を纏った貴族が、鉄箱の前に立つと、躊躇なく金貨5枚を投入口へ滑り込ませた。彼らにとって、この『重賞』は単なる賭け事ではなかった。自らの審美眼が、そして王家が守り抜いてきた血統の理が、正解であることを証明するための儀式。だからこそ、負けるという選択肢は存在しない。
「血統とは、過去から未来へと繋がる確定した術式だ。王室の馬が勝つのは、太陽が東から昇るのと同じくらい当然のこと。……この馬に、白金貨1枚を賭けよう」
さらに上位の貴族が、普段は国を動かすための資産である白金貨を、無造作に鉄箱へと吸い込ませていく。
ゼクスは、その全能感が数値化されていく様を、無機質なスコアとして眺めていた。
「いいですね。自分が愛で、磨き上げたものが負けるはずがないという自尊心。それが、そのまま『正しい馬を選べる』という傲慢な全能感に直結している。……これこそが、この盤面を真の魔境に変えるための、最高の燃料ですよ」
鉄箱の画面上で、王室の名馬たちの支持率が異常な数値まで跳ね上がっていく。的中した際の配当は極めて低くなるが、彼らにとってそんなことは些事だった。重要なのは、自分たちが正解の側に立っているという優越感。
だが、ゼクスは知っている。アステリアのこの動きが、他国の自尊心にどのような火をつけるかを。
「さあ、1カ国だけでは祭りは成立しません。次はどこの『正義』がこの泥沼に飛び込んできてくれるかな?」
ゼクスの視線の先、受像水晶の端には、ヴァルガ帝国の国境付近で動き始めた軍用魔導通信のノイズが映り込んでいた。
アステリアの「格式」が投下されたことで、この遊戯は国家間の威信を懸けた、引き返せない代理戦争へと変貌し始めていた。
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