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私が白鳥だった頃Ⅱ

 それは作物の狩り入れをしている時だった。


「ちょっと!トロトロしないでよっ!!」


「きゃっ!?」


 背中を押され、ニコルは数歩たたらを踏む。


「まったく……役に立たないわねぇ……」


 振り返ると、大柄な少女が憎々しげにニコルの膨らみが目立ち始めたお腹を睨み付けていた。


「ご、ごめんなさいっ……」


 その視線にニコルは怯え、背中を震わす。その少女は子供の頃からの顔見知りであった。名をミレイナと言う。幼少期は大変仲が良かったのだが、物心ついた辺りから急に避けられ、時には嫌悪を隠しもせず向けられる事もあった。

 それはある程度歳を重ねた今だって変わっていない。ニコルは現在、身重の身ながら、作物の収穫を手伝っている。アドレーを含め村の人達は大人しくしているよう言っていたが、流行病のせいで人手不足は深刻だ。年貢を納め、やがて来る冬に備えるためにも、身重といえどニコルを遊ばせておく余裕は欠片もない事をニコルは自覚していた。


「力になりたいなんて言っておいて、邪魔にしかなってないじゃない」


「…………っ」


 ニコルはミレイナの暴言に対し、顔を伏せて耐え忍ぶ。以前一度言い返した時の事は思い出したくない。


「こんな時にお腹そんな大きくしちゃってまぁ……アドレーだって迷惑がってるんじゃないの?」


「……そんな事……ないです……」


 ニコルは自分の事ならいくらでも我慢できた。だが、アドレーと自分の子が迷惑者呼ばわりされるのだけはどうしても許せなかった。


「なんですって?」


「…………あっ」


 ニコルは弾かれた様に顔を上げる。ミレイナの表情はここ数年見たこともないほどの怒りに満ちていた。ずっと何も言い返してこなかったストレス解消の玩具が突然反旗を翻したのが気に入らなかったのだろう。ニコルの脚が震える。


「なんであんたなんかとアドレーはっ……あの時貴族様の所へ大人しく行っておけばっ!」


 ミレイナが手を振り上げる。気づけばミレイナの背後には近くで同じ仕事をしていた取り巻き達が大勢集まっていた。彼女らのほとんどはミレイナの味方であり、一応に冷めた視線をニコルに送っている。今か今かとニコルが泣き出すのをじっと待っているのだ。

 ニコルは目をぎゅっと瞑り、ほぼ無意識でお腹を守る。


 ――――やめなさい!!


 ミレイナの手が振り下ろさようかという一瞬、辺りに女性にしては低く、ハスキーな制止の声が響き渡った。カツカツという力強い足音。


「一体何をしているの?」


「…………アンジェリカ様」


 ミレイナの悔しげな声。しかし、すでにニコルへの敵意はそこになかった。罰が悪そうにミレイナは目を逸らす。


「何をしていたのかと聞いているのですが?」


 ショートカットの髪に鋭い目つき、一見少年にも見える中性的な美貌だが、肉体は実に女性らしい丸みを帯びている。アンジェリカはその風貌から村の女性陣から大変人気があった。また、女性の身ながら村の自警団に所属しており、並の男より腕が立つと言われている。同年代の間ではカリスマというべきミレイナもアンジェリカの前ではただの少女にすぎない。


「ご、誤解なさらないでください!私はただニコルと少しお話をしていただけです!」


「手をあげようとしているように見えましたが?」


「そ、それこそ誤解です!軽いスキンシップをとろうとしてただけです!」


 そういいながら、ミレイナは行き場を失くした手でニコルのお腹を撫でる。ニコルは恐怖と気持ちの悪さに全身に鳥肌を立てたが、アンジェリカに見えないように睨み付けてくるミレイナの視線に悲鳴を堪える。


「私たちと同年代で彼女が最初の妊娠ですから、いろいろ聞いていただけです。ねぇ?皆さん?」


 取り巻き達はミレイナに促され、一斉に首を縦に振った。


「そうですか」


 アンジェリカは大きく息を吐きながら、頷いた。だが、すぐに表情を厳しく、ミレイナ達に忠告する。


「ですが気を付けてくださいね。ここしばらくいい知らせのなかったこの村で久々の喜ばしいことですので。あまりニコルの負担にならないように……ね?」


「アンジェリカ様が何をそんなにご心配なさっているかはまったく分かりませんが、とりあえず私たちも仕事に戻ろうと思うます。では――――」


 ミレイナ達はアンジェリカに礼をして早々に持ち場に戻っていった。


「…………」


 ニコルはミレイナ達の後姿を見ながら、ほっと息を吐く。全身が冷や汗にまみれて気持ちが悪かった。


「大丈夫?」


 そんなニコルの背後から、気づかわしげな声がかけられる。

 ニコルはゆっくりと背後を振り向いて、親しげな笑みを向けた。


「アンジェリカ様……ありがとうございました!」


「いいのよ、気にしないで。それにしても、あの子達まだやってたのね……」


 アンジェリカが形のいい眉をしかめる。


「あはは……」


 ニコルは力ない笑いを浮かべながら、小さく頷いた。ニコルは物心ついた辺りから同年代の同性との折り合いがすこぶる悪い。それはニコルも彼女らを嫌っている訳ではなく、一方的なものだった。だが、その変わりといってはなんだが、年上や年下に対しては男女問わず慕われ、可愛がられていた。アンジェリカも小さい頃からニコルを妹のように可愛がってくれるお姉さんの一人である。


「それにしても最近特に酷いわね……」


 アンジェリカが呟く。ニコルも何のことかは身をもって分かっている。ミレイナ達との対立は昔からのものである。しかし、以前はよっぽどの事がない限り、遠くから陰口を言われたり、無視される程度だった。今回みたいに直接暴力を振るわれそうになった事はそうそうない。絡まれる回数が飛躍的に増えているのだ。原因はおそらく――――


「やっぱりニコルちゃんしばらく大人しくしておいた方がいいと思うわ。ただでさえ初めての妊娠で不安なのに……」


「でも、皆がいつも以上に大変な思いをしてるのに……私だけなんて……」


「そんな事ないわよ!妊娠を甘く見ちゃだめよ!今は動けてるから大丈夫に思うかもしれないけど、何があるかなんて分からないんだから!!ミーシャさんの事覚えてるでしょ?」


「それは……」


 2年前の事だ。村人皆からお姉さんのように慕われていたミーシャさんは出産中に亡くなった。ミーシャさんは元々病弱であり、身体は触れれば折れてしまいそうな程華奢だった。そのせいか、普通の方法では主産ができなかったのだ。その結果、ミーシャさんの子を産みたいという強い要望を聞き、お腹を切開して子を取り出したのだ。あの時の村の落ち込みようはものすごく、一週間は村全体が静かになった程である。


「まぁ妊娠したことない私が言うのもなんだけど、それでも一応女なんだから分かるよ。……怖いよね?」


「…………はい」


 怖いというよりはニコルは不安だった。何十人もの赤子をとりあげているベテランの助産師からは問題ないと言われているものの、それで不安が晴れる訳もなかった。その矢先に疫病で頼りにしていた両親を亡くし、村の雰囲気はどこか違っていて、ニコルはいてもたってもいられなくなったのだ。村の役に立ちたいなんてものは言い訳で、ただじっとしていられなくなった。母に……甘えたかった。


「うぅぅ……」


 情けないと自分を自分でニコルは罵倒する。もうすぐ自分こそが母になる。それを嫌だと思ったことはない。それでも『もしかしたら……』嫌な想像がどうやってもニコルの胸中から消えてなくならないのだ。


「大丈夫よ。心配しないで。何かあったら家に来なさい?私のお母さんもいるから」


「…………はい」


 こんな事で母親としてやっていけるのか、そうニコルが思っている間もお腹の中の子はどんどん大きくなっていく。ニコルの子に対する愛情も、日に日に増していく。お腹に手を添えるだけで、幸せをニコルは感じる事ができる。ミーシャのように、この愛しい我が子のために死ねるだろうか?胸中にニコルは問いかけ、頷いた。想像しただけで震えそうになる手足を押しとどめ、小さな母親は今日も懸命に生きている。












 暴動の爪跡を残す大きな町。そこはほんの数年前まではイギリスでもそれなりに栄えていた町であった。しかし、年々高まる貴族の圧政に耐えかえた民衆が大規模な暴動を起こしたことにより、人口は激減し、今では見る影もない。暴動はなんとか貴族側が勝利したものの、私兵、民衆ともに甚大な被害を被っていた。人を呼び戻そうにも、元々税の面で不満を持っていた商人たちにも早々に見切りをつけられ、復興の道筋さえつけられない状態だ。栄枯衰退。歴史の常であるとはいえ、人のいない暗い大通りを見ると、言葉に出来ない虚しさが襲ってくる。


「……………………」


 それはこの街を納める貴族にしてみても、同じ思いだったのかもしれない。ただ、違いがあるとすれば、この男が典型的な貴族であった事だろう。今までひたすらに与えられてきた人間にいきなり他者を顧みろと言っても難しいのかもしれないが。


「あの女……何と言ったかの?」


 その声にかつての威厳はない。頭の髪は抜け落ち、見る影もないほどに老け込んでいる。


「あの女とは?」


 近くに控えていた爺が首を傾げる。この家に何代にも渡って使えている家系の男であった。今では貴族の屋敷にもそれほど人はいない。皆暴動のごたごたに紛れて、逃げ出してしまったのだ。それほど貴族に人望がないのかと哀れにすらなる。残ったのはこの爺を除けば生き残った私兵とメイドのみ。


「暴動が起きる直前にいた村の娘だ」


 爺は「……ああ」と呟き言った。


「それなら爺も覚えておりますぞ。それなりに有名でしたからな。今では村の男と婚姻し、妊娠したそうです」


「……ほう?」


 貴族の目に残忍な光が宿る。


「確かあの女は……我と婚約してなかったか?」


「そうだった……でございましょうか?」


「ああ、確かにあの女は我と婚姻することに同意した」


 爺が額の汗を拭った。風向きが変わり始めていることに気づいたのだ。それも、よくない方へ。


「…………あの女も我を裏切るのか…………」


「…………」


 貴族の目に宿っていたのは狂気だった。ほとんどのものを失い、待っているのは家の没落。男の名は未来永劫に家を没落させた無能として残るのだろう。その事実は、すべてを自分の想い通りにしてきた貴族には到底受け入れられるものではなかった。


「そういえば……暴動が起こったのは丁度あの女に会いに行った時だったな」


「え、ええ……」


「魔女……か?」


「…………」


「なぁ、爺よ。お前はどう思う?あの女は魔女だったのだろうか?」


「で、でしょうかのぉ……?」


 恐る恐る爺は答える。怒りの矛先をこちらに向けないように。


「くっくっく……。あーははははははははははははっ!!」


 爺が同意を示すと、貴族は大声で笑い出した。


「そうか!やはり爺もそう思うか!!」


 手を打ち、貴族は笑い続ける。やがてその哄笑がピタリと止まり――――


「すべて、すべて!!魔女の仕業だ!!!」


 己には何の落ち度もなかったと、すべての責任を貴族は『魔女』に押し付ける。

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