儀式
蓮は利泉と並んで飛びながら、その話を聞いていた。では、あの後利泉が沈んだ様子だったのも、皆そのせいだったのか。蓮は今更に思いながら、利泉を見た。
「我も、悠美を失いとうない。なので利泉、我と主は同じよの。互いに守ろうぞ。己の大切なものを。」
利泉は頷いた。
「しかし蓮、主はあれほどに人の女嫌いだったのに、なぜ?確かに、悠美は美しい神になったがの。」
蓮は笑った。
「見かけではないのよ。我はあの、真っ直ぐで暖かい気に惹かれた。」そして、ふと、何かを思い出したようにため息を付いた。「…だがしかし、あのように叫んで我を捕えさせて宮へ留めるなど。よくもまああのような事を思いつく事ぞ…神の女であれば、まずは有り得まいに。」
利泉はくっくっと笑った。
「それでこそ悠美よ。はなっからおとなしくしておるような女ではなかったではないか。」
蓮は、最初あの門の所で連れ去ろうとした時に、悠美が激しく暴れたのを思い出した。終いには、木の枝にしがみついて。あのような女、初めてだった。
蓮は表情を引き締めた。だからこそ、何者にも奪わせはせぬ!
「急ぐぞ、利泉。」
蓮はさらにスピードを上げた。
北の社は、木造の平屋だった。
昔の書院造りのような感じで、しかし奥に行くと、庭があり、その庭には十階建のビルぐらいの高さの、岩の小山があった。
その小山には、不釣合いに大きな洞窟があった。その洞窟の前で怜は立ち止まると、振り返った。
「あとは我が運ぶ。主らはここで待て。」
輿を運んで来た軍神二人は、二つの輿をそっと降ろすと膝を付いて頭を下げた。
怜は桜の輿を気で持ち上げると、悠美を見た。
「参るぞ。こちらだ。」
悠美はためらいがちに輿を降りると、父王に付いてその洞窟へ入って行った。
後ろから、明進という軍神が付いて来る。少し登り気味の洞窟の中を、ただ黙って怜について歩いて行った。慣れない着物に足を取られそうになると、後ろの明進がそっと手を貸してくれた。だが、父王はお構いなしに歩いて行く。
そうして五分ほど歩いた所で、急に足元が滑らかな床になり、一番奥に、広くホールのほうに開けた場所があった。そこの天井は開かれて無く、夕焼けに染まりつつある空が見えた。正面に台のようなものがあり、それ以外は何もない。そこに桜の乗っている輿は降ろされた。
「さ、主もそこへ。」
怜は、悠美に言った。悠美は、自分の足が、いう事を聞かないことを感じていた。怖い…なんだか分からないけど、あの台には、乗ってはいけないような気がする…。
悠美がためらっていると、怜の声がさらに急かすように言った。
「何をしておる!台へ乗らぬか!」
その威圧的な声に、悠美はビクッとして、桜の横へと座った。桜は額に玉の汗を浮かべている。悠美は懐から懐紙を出して、その汗を拭ってやった。どうしてこんなことに…。
怜の声が低く告げた。
「台から離れるでない。始める。」
何かの呪文が唱えられ始める。その途端に、怜の回りには、光の膜のようなものが渦巻いて囲んだ。悠美は背筋が凍るのを感じた…嫌。なんだか知らないけど、嫌な波動…。
そうして小刻みに震えていると、自分の体から、何かの光が立ち上るのが見えた。桜の体も、封じられていたかのような膜が消え去るのが見てとれて、悠美と同じように光が立ち上り始めた。
桜が薄っすらと目を開けた。
「ああ…楓。」桜は悠美を見て言った。「ここから逃げなければ…お姉様と、お母様はどこ?」
悠美は桜を見た。
「桜様…お父様が儀式をなさるとおっしゃって…」
桜は、まだふらふらとしているにも関わらず、ガバッと起き上がった。
「楓!」と桜は悠美の手を握った。「早く逃げるのです!あのような恐ろしい力を、手にされてはいけませぬ!」
悠美は、何かが頭の中で弾けた気がした。
「あ…あ、お姉様!」悠美は叫んだ。「お早く!お早くこちらへ!」
悠美は、桜と手を握り合って、天上に開いた穴から飛んだ。
そう、思い出した。私は楓だった。そして、お姉様二人とお母様と一緒に、崖から飛び降りたのだ。もう決して、神には生まれないと言い置いて…。
「思い出しおったか!」怜は叫んで、明進を振り返った。「連れ戻せ!」
明進はすぐに飛び上がって後を追う。
怜はそれを見上げて呟いた。
「…なに、夜が明けるまでに術を掛ければ済む事であるしな。」
空は、やっと暗くなり始めたばかりであった。
一方悠美はすぐ裏の木々の間を縫うように、桜の手を引いて必死に飛んだ。あの時…龍王様の結界へと、必死にここを飛んだ。助けて頂く為に。思い出した…私は、あの時、死んだのだ。もう父から逃れられないと、母も共に…。
明進は、皇女達を追った。
本気で追えば一瞬で方をつける事が出来る。だが、明進はそれをしなかった。王は、あの術をもって龍王の力を手に入れると言った。だが、龍王が少なからず干渉して来ているということは、相手は気取っているということだ。ただで済む訳はなかった。それに、三人居るからこそ成功すると言っていた術を、二人で強行されると言う。そんな成功するのか分からない無謀なことに、あの皇女達の命を犠牲にするのは忍びなかった。
なぜか、王は焦っておられる。
明進はそう思いながら、王に手を抜いていると気取られない程度のスピードで、皇女達を追った。
二人は必死に飛んでいるのだろう。
明進はそれを思うと居たたまれなかった。
あの時と同じように、悠美と桜は龍王の結界を目指して必死に飛んだ。優秀な筆頭軍神である明進が追って来るはず。しかし、どうしたことか、二人はまだ追い付かれては居なかった。
あの時もそうだった…。
悠美は思っていた。明進ではない軍神達が追って来ていたが、皆すぐに追い付いて来るはずが、来なかった。伝わって来る気は戸惑っていて、何の罪もない、今まで守って来た皇女達を捕らえることに、抵抗を感じていたようだった。
おそらく、明進もそうなのだろう…。
悠美は思っていた。神々はとても純粋で慈悲深い。本来なら、お父様もそうであったはずなのに。
悠美は、そんなことを考えながら飛んでいて、桜がふらつくのを感じた。慌てて悠美は、桜の肩に手を回した。
「お姉様、大丈夫ですか?」
桜は頷いた。
「ごめんなさい、楓。少し降りましょう。このままではあなたまで落ちてしまうわ。」
低空を飛んでいた二人は、スッと木々の間に着地した。
手近な木の根の穴を見付けて、悠美は桜を助けて入った。気を読める神に、これがそれほど有効でない隠れ家であることはわかっていたが、桜の弱り方は普通ではない。それでも悠美は、桜を安心させようと、明るく言った。
「お姉様、後少しで龍王様の結界も見えて参りまする。大丈夫ですわ。」
桜は薄く微笑んだ。
「楓…あなたは変わらないわ。誰よりも強い気で、お転婆だけど優しくて。お父様にそっくりだと、お母様はいつも…。」
桜は、そこで言葉を切った。そう、父はとても優しく、強い素晴らしい王だった。それが、どうしてこんなことになってしまったのか…。
それを悟ったかのように、桜が言った。
「あれは、楓がお父様に抱かれて出掛けた結界外の森から、帰って来た時のことだったわ。」桜は、遠い目をした。「お父様は意識を失われ掛けて居られたにもかかわらず、楓だけは手離さずに必死に抱いて宮へと帰って来られた。着いた途端に倒れられて、気を失われたの。それから三日の間意識を取り戻されず、意識が戻った時には、あのようになっておられた…我の記憶は、それだけよ。」
悠美は、前世のまだ小さかった頃の記憶が戻って来るのを感じた。そう、確かお父様に珍しいものを見せてやろうと、結界外の人の世へ行った時…。
「覚えておりますわ、お姉様。」悠美は、今は完全に戻った記憶をたどって言った。「私は…我は、お父様と一緒に確かに人の世の森へ参りましたわ。」
悠美は、新月なので見えないが、あるはずの月を見上げた。父が満月を嫌うようになったのは、あの後からだった…。




