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楓は、三人姉妹の末っ子として生まれた。

母の体が弱くて、世話をしてくれたのはもっぱら乳母と、遊び相手の乳兄弟の(しおり)だった。すぐ上の姉、桜は楓より50年ほど年上で、一番上の椿とは更に50年離れていた。なので、幼い楓と庭を駆け回って遊ぶ歳ではなかったのだ。

幼いと言っても、楓は10歳、見た目は人でいう5歳ぐらいの大きさだった。父が楓をとても可愛がっていて、よく抱いては軍の訓練場や、領地の見回りにつれて行ってくれた。楓は活発な少女であったので、父とそうやってあちこちに行くのがとても好きだった。

訓練場が殺風景だと花でいっぱいにしてしまった時も、父は笑って、そこまでたくさんの気を発することが出来るとはと、楓を褒めた。軍神達は必死に草ぬきをせねばならず、その日は訓練にならなかったが、父は楓を叱ることはなかった。

それほどまでに優しく快活だった父が、暗い顔をすることがあった。

母、(あかね)の容体が悪い時だった。

茜は、怜のただ一人の妃だった。しかし、嫁いで来た時から体は弱く、一人目の椿を生む時でも大丈夫かと皆が心配したものだったが、結局三人の娘を生んだ。

しかし、一人生むごとに体力は衰え、楓を生んでからは、部屋から出ることが少なくなって、部屋に居る時でも、座って外を眺めていることが多かった。

そして時々に、体調を崩しては寝込んでいた。父はそのたびに、それは心を痛めて母の傍で手を握って、じっと座っていた。

そんなある日、例によって父が、人の世の森へ行こうと楓を連れて出た時があった。

人の世の森とは言っても、本当に宮を出てすぐの所、治癒の対から出てすぐの所であった。いつものように父の首にしがみついて抱かれ、治癒の対から出た楓は、初めて見る人の世の森に目を輝かせた。

とても大きな木々…。楓が一生懸命見ているので、怜も嬉しげにその森の上を飛んで行った。

「あれは…。」

怜は、何かに気付いたようで、表情を変えた。そしてそこを凝視していたかと思うと、森の中へと降りて行った。

「お父様、お仕事?」

楓が問うと、怜は頷いた。

「そうだ。父は少し見て来るゆえ、主はここで待っておるのだ。来てはならぬぞ。」

楓は頷いた。

「はい。」

父は、森の中へ分け入って行った。楓は、父の言いつけ通り、そこでじっとしていた。何かあれば、絶対に父がすぐに来てくれるし、怖くはなかった。

そのまま、どれぐらい経ったであろう。あまりに遅い父に、楓は、父が去った方角を見た。

「お父様ー…」

楓の声が響く。すると、傍の茂みがガサガサと揺れた。楓は驚いて身を震わせ、飛び上がろうと構えると、そこに、よろよろと歩いて来る父が居た。

「お父様!」

小さいながらも楓は、何かあったのだと思った。必死に父に抱きつくと、呼んだ。

「お父様!お父様!しっかりなさって!」

父は、はっきりしないような顔をしながらも、必死に目の焦点を合わせようとしているように見えた。

「楓…、」

父は、楓を抱き上げると、力を振り絞るように飛んだ。

「お父様、どこか痛くなさった?」

楓は必死に小さな手で父を撫でた。父は必死の形相で宮の入り口を目指して飛んでいた。

「主だけは…!宮へ戻らねば…!」

宮の治癒の対へ飛び込んだその時、怜は意識を失い、そのまま三日間昏睡し続けた。


目が覚めた父を、娘達は喜んで見舞った。しかし、父の目は冷たく三人を見るばかりで、楓が抱きついて行っても、眉を寄せるだけで、抱き上げてはくれなくなった。

そして父は、皆を寄せ付けず、奥に篭って滅多に出て来ない王になってしまったのだった。

それから数十年、楓はまだ成人前だったが、桜が成人した歳のこと、母の容体が少し良かったので、四人で朝の庭を散策していた。傍には、侍女として栞が控えていた。栞は楓と一緒に育ったこともあり、皆に可愛がられていたので、楽しく笑い合って話しながら共に歩いていた。

そこへ、滅多に出て来なくなっていた父が、出て来た。

皆が頭を下げると、父は言った。

「…今宵、我が血筋に繋がる儀式の一つを行なおうと思うのだ。新月でなければならぬもので、我は今までこれを行なったことがなかった。王族に伝わるものであるゆえ、主らも参らねばならぬぞ。」

「はい。」

皆、素直に頭を下げた。新月の夜の儀式…初めて聞くこと…。

「本日、準備を整えて北の出口へ来るように。」

父王はそう言い置くと、無表情にそこを去って行った。楓は、姉たちを振り返った。

「儀式ですって、お姉様。堅苦しいことは苦手でありまするのに。」

椿が楓を咎めた。

「まあ楓…そのような事を言ってはならないわ。これも王族の務めでありまするから。」

楓は頬を膨らませた。その横で、母の茜が心配そうに父の去った後を見ていることを、椿も桜も知っていた。楓も、わかっていたが、それに気付かぬふりをした。お父様は、変わってしまわれた。でも、またいつか戻って来られるかもしれない。だから、我まで暗くなってしまってはいけないの…。

楓は栞と一緒に、わざと明るく笑って庭を歩いて話を続けた。


その日の夕刻近く、母がいつもあまり良くない顔色を、さらに青くして姉妹が寛いでいる居間へと入って来た。三人とも、父について出掛ける準備を整えて、時間を潰す為に集まってお茶を飲んでいたのだ。あまりに母の顔色が悪いので、三人は慌てて駆け寄った。

「お母様?いかがなさいましたの…もうお出かけでありましょう?」

茜は首を振った。

「椿、桜、楓。行ってはならないのよ。お父様は、恐ろしいことをお考えであられるのよ。我は、聞いてしまった。軍神に話すところを…。」

桜が、母に詰め寄った。

「どうなさったの?お父様が何を?」

母が先を続けようとした時、入り口で侍女の気配がした。振り返ると、栞が立っていた。

「王妃様、皇女様、王が、北の出口へ参られるようにとのことでございまする。」

茜は、背筋を伸ばした。

「参る。」

三人の皇女達は、不安げな顔で目を合わせた。どうしたらいいの…。

「母が、輿の中で話しまする。」母は、青い顔をしながらも、決意に満ちた声で言った。「さあ、参りましょう。」

不安が胸いっぱいに広がる中、三人は母について、栞を供に、北の出口へと向かった。


父が、やはり無表情で迎えた。

「北の社へ参る。輿へ。」

茜と三人の皇女、そして栞は、輿に乗り込んだ。たった二人しかいない供の軍神達が、その輿を気で持ち上げるのが分かる。

そして、輿は空へと舞い上がり、北の社へ向かって飛んだ。

母は、父が遥か前方を飛んで行くのを確認すると、娘達に向かい合った。

「北の社ならば、あまり時間はありませぬ。手短に話しまする。」母は声を潜めて早口で言った。「王は、あなた達三人の力を礎に、術を掛けるおつもりでいらっしゃいます。」

三人は顔を見合わせた。

「…術を?いったいどのような…」

椿が問うのに、茜は言った。

「龍王様のお力を奪う術よ。龍王様はあれほどに強大な力をお持ちな上、命を司っておられる。その力を手にしようとなされているの。」

桜は口元を押さえた。

「そんなお力をお持ちになって…いったいどうなさるおつもりなの?」

茜は暗い顔をした。

「父上は、きっと地を統治なさることをお望みなのです。我も、以前の王であられるならそれも民を幸せに出来ようかと思うけれど、今のように変わってしまわれた王では…とても、無理だと思いまする。地が乱れ、命が散る。そのような世に、なっても良いと思いますか?」

楓は首を振った。

「強い力を持って、周囲の宮に攻め入るおつもりならば、お止めしなければなりませぬ。お母様、どうすればよろしいの?」

母は下を向いた。

「あなた達が逃げなければなりませぬ。このままでは、父上に力を吸い取られて、どうなるのか我にも分からぬ。」

椿が言った。

「でもお母様、我らが逃げても、別の者を使って術を掛けられるのではありませぬか?それでは同じでありまする。」

母は首を振った。

「そうではないのです。龍王様の命を司る力を手に入れようと思うたら、同じ命を操る力を礎にせねばならぬらしい。その力を持つものは、少数です。治癒の対の者達でも、王族のあなた達の力には敵いませぬ。」

楓がハッとしたように言った。

「…我ら、花を咲かせたり怪我を治したりできまする。その力でありまするのね。」

母は頷いた。

「そうなのです。だから、あなた達が逃げねばならぬのです。」と、母はさらに声を小さくした。「…おそらく、今この輿を運んでいる軍神達は、事が終われば消されてしまうでしょう。栞、あなたもよ。だから栞、あなたは着いたら、我らの影に居て、すぐに宮へ引き返しなさい。」

栞は首を振った。

「そのような!我は皆さまをお助け致しまする。」

茜は首を振った。

「駄目よ。これは我の命です。あなたは戻るのです。そして、このことは決して口外してはなりませぬ。あなたの命のためなのよ。」

栞は涙ぐんで、頭を下げた。

「はい、王妃様。」

楓は、身が震えて来るのを感じた。お父様から逃げ切れるというのかしら…。そんなことは、無理なのではないのかしら…。

母は、あのひ弱な母とは思えないほどしっかりとした顔つきで言った。

「機を見て、抜け出すのです。幸い、北の社は龍王様の結界の近く。龍王様ならば、事情を話せば守ってくださいます。父上も、龍王様のお力には絶対に敵いませぬ。ゆえ、このような術を掛けようとなさるほどであるのですから。結界まで、飛ぶのです。結界に近付けば、あちらの軍神が来る。龍王様にも知れまする。それで父上から逃れられまする。三人が力を合わせれば、かなりの速さで飛ぶことが出来るでしょう。」

楓が、顔色を変えた。

「そんな、お母様は?お母様はどうなさるの?」

母は、寂しげに首を振った。

「我には無理。速さではなく、飛ぶことすら危ういのです。無理に飛べば、行き着くまでに気を使いきって死するでしょう。」

桜が母にすがった。

「そのような…嫌でございまする!お母様も、ご一緒に!我らが運びまするゆえ!」

「そうですわ!」楓も言った。「我の気は強いのでありまする。お母様ぐらいお連れ出来まするゆえ!」

そこまで話した時、輿が降下し始めたのを感じて、一同は凍りついた。北の社…ここからどうやって逃げ出せば良いの…!


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