利泉と桜
次の日の夕方、悠美は美しく飾られ、その上にベールを掛けられて、父王の待つ宮の北の出入口に連れて来られた。
この北の出入口は小さく、召し使い達が使う程度で王族が通る事などない場所。何も知らない侍女達は戸惑いがちに悠美の手を取っている。
そして、同じように着替えさせられた桜が、意識のないまま輿に乗せられて連れて来られていた。そちらの侍女達も、不安そうに桜を囲んでいた。
二人が到着したのを見て、怜は言った。
「では、参る。明進。」
傍らの軍神が膝を付いたまま頭を下げた。
「は!」
さっと合図をすると、見たことのない軍神達二人が、頭を下げてまず悠美を、用意してあった輿に乗せ、そして、桜の乗る輿と共に気で持ち上げる。
蓮がついて来れない今、利泉だけでも一緒に来るかと思っていた悠美は、少し不安になった。
そういえば、蓮は二人で一組と言っていた。蓮が牢に居る二日間は、利泉も外向きの仕事は出来ないのね…。
悠美は棗を振り返った。棗は目に涙をためてこちらを見ている。悠美はそんな棗にベールの中から微笑み掛けると、そのまま軍神達に運ばれて、父王と共に北の社へ向けて飛び立った。
上空から見る宮は、とても大きく美しかった。山の中に隠れるようにある白い建物は、懐かしいような、でも寂しいような気がした。
いつか、私はこの様子を空から見た。側に居たのは、誰だったのかしら…。
どんどんと遠のいて行く宮に、あれだけ出たかったはずなのに、悠美は寂しさを感じて、涙が込み上げて来た。私は何をしていたの?何を思って生きていたの?そして、何を望んで転生したのかしら…。
蓮は、宮の地下にある独房で、どうにかして外へ出られないものかと考えていた。
正面の格子には、王の戒めがあるので絶対に出られない。そして、上にある窓の格子には、わざと蓮の力の周波数では破れない結界が張られてあった。
…壁を破るしかないのか…。
蓮は軽く横の岩壁を触った。しかし、破られないように数メートルの岩の中をくり抜くようになっているはず。ここを貫いたら、嫌でも大きな音がなる。すると、追っ手が四方に飛び、とても北の社まで行き着く事は出来ない。
蓮が音を立てずにこの岩を堀抜く方法を考えていると、上の窓に、気配がした。
「…蓮。」
辛うじて聞き取れるほどの小さな声が、蓮を呼んだ。蓮はそこを見上げた。
「利泉か?」
相手は顔を出した。
「蓮…我もしくじったが、主が見付かったお陰で逃げおおせた。」
蓮は眉を寄せた。
「しくじった?何の話ぞ。」
利泉は下を向いた。
「我は、慶子に会うために奥宮へ入った。慶子の侍女がどうしても申すので、様子を見に参ったのだ。そうして…思ったより慶子が重篤な状態にあるのを知った。我が慶子を連れ出そうと画策しておる所へ、軍神達が踏み込もうとしておったのだ。もう少しで見つかる所であったが、悠美の声が聞こえ、皆そちらへ急行したので、我は逃げられた。我と主が逆になっておってもおかしくはなかったのだ。」
蓮はそれよりも、重篤な状態というのが気に掛かった。
「慶子はそれほどに悪いのか?」
利泉は頷いた。
「あれは、覚醒しそうになっておったのを、己の力で抑えつけておったのだ。それを王が無理に引き出し、その上力を少しでも温存させようと体を覆った上、意識を奪った。つまりは王は、そうまでしてあの体に溜め込ませた力を、何かに利用しようとなさっておるのだ。慶子はもはや、あの体にいっぱいに溜まった己の力に殺されようとしておる…何とかしようと思うておったのに、先ほど王は密かに皇女二人を連れ出して、北の社へ向かったと聞いた。」
蓮は体を強張らせた。では…もう、時はない。
「利泉、我をここから出してくれ。共に参ろうぞ。我は悠美を助けねばならぬ。王は、二人の力を礎に、龍王の力を奪う術を掛けるおつもりだ。力の一滴まで絞り取られるやもしれぬ…早ようせねば、助からぬ。」
利泉は顔色を変えた。龍王の力?!
「そのような」利泉は小刻みに震えた。「そんな事をしたら、慶子は…」
「とにかく、行くのだ!」蓮は利泉を急がせた。「間に合わぬようになる!」
利泉は青い顔をして頷くと、手を翳して格子の結界を解いた。待っていた蓮は、もはやただの鉄の棒でしかない格子を気で折ると、そこを抜け出て、利泉と二人、必死に北の社へと飛んだ。
利泉は、桜と会えるのを、それは楽しみにしていた。
任務とはいえ、あの明るく優しい笑顔を見ていたら、こちらも自然と笑顔になった。蓮が気紛れなので、気が向かない時は一緒に来てくれなかったが、いつしか蓮が来ない時が、二人にとって待ち遠しい夜に変わって行った…利泉は、桜を愛していたのだ。
だが、それを口にすることはなかった。桜は屈託なく自分を愛していると言ってくれる。だが、利泉はまだ、これが任務だと桜に言っていなかった。それを口にしてしまえば、桜はきっと自分と会ってはくれなくなる。それに、偵察する任務であるのに、己の正体を知らせる訳には行かなかった。
いつものように、池で会っていると、桜が言った。
「利泉…なんだかおかしいのです。」桜は思い詰めたような顔をした。「何か思い出しそう…5年も思い出さなかったのに。やっぱり、楓様と接するようになったからなのかしら。でも、なぜだか、とても思い出したくなくて…不安で仕方がなくて。」
利泉は、桜を見た。
「知らぬものを受け入れるのは、難しかろう。」利泉は言った。「案ずるでない。気が乱れておるぞ?」
桜は寂しげに笑って、利泉を見た。
「利泉、違うのよ。思い出してはいけないことなのだと思う。我は、頑張って抑えますわ。」
利泉は下を向いた。記憶を戻すことを促すのも、自分の任務。だが、これほどに不安がるのに、無理強いしようとは思えない…。
利泉は、正直に全て話す時が来たのだと思った。
「慶子、我は今まで主に気持ちを言えずに来た。なぜなら全て、嘘だと思われると思ったからだ。だが、今から申すことは何もかも、嘘偽りのないこと。慶子、愛している。」
桜は驚いた顔をしたが、恥ずかしそうに笑った。
「利泉…我も愛しておりまする。」
利泉は頷き、視線を逸らした。
「…それから、ここへ参っておったのは、王の命があったため。我は主らを監視する命を受けておったのだ。蓮は、一人では怪しまれようと言って、我の手伝いに時々に来ておっただけ。なので、ここへ我が来ておったのは、任務のためであったのよ。」
桜は、明らかに衝撃を受けた顔をした。
「では…最初から、我を気遣ってくださってのことではなかったのですか。」
利泉は頷いた。
「元より、奥宮へは誰も入り込むことは出来ぬ。王の許可なくしてはの。」
桜は涙ぐんだ。では、全てうそだったというの?いえ、このかたは一言も任務ではないとは言わなかった。これが任務であったことを、ただ言わなかっただけ。
「…では…我の勘違いであったのですね。」
涙を袖で押さえる桜に、利泉は言った。
「最初にも言った。我は主を愛している。最初は任務だからと来ておった。だが、今ではこれがなくては寂しくて仕方がないのだ。慶子、我は偽りは申しておらぬ。」
しかし、桜はそれを聞いているのかどうか分からなかった。顔を逸らして嗚咽を漏らし、こちらを見ない。利泉は胸を締め付けられるような気がして、桜をこちらへ向けた。
「慶子…我を信じよ。」
桜は涙を流して無理に微笑んだ。
「信じておりましたわ。」桜の声は震えている。「本当にずっと5年間、信じておりましたのに!」
桜はくるりと踵を返すと、宮へと走って行った。
「慶子!」
利泉は叫んだが、桜はこちらを振り返ることはなかった。
そして、桜は池には来なくなり、覚醒しそうなのだと回りから聞いた。
何度か部屋の外まで出掛けて行って、窓から中を覗いたが、桜が出て来ることはなかった。




