蓮だけは
棗は、毎日悠美を見ていた。
悠美は、努めて明るく振る舞い、新たに発現した治癒の能力を使って、宮で出た病人達をたちどころに治し、皆に感謝されては嬉しそうにしていた。
しかし、夜になると庭へ出て、一人涙ぐんでいるのも知っていた。きっと、蓮のことを想っているのだろう。蓮は、あれから一度もここへは来ていなかった。元より、この奥の庭には、王の許しなく他の軍神どころか、召使いの男すら入ることは出来ない。それを知っていはいたが、棗は悠美があまりに嬉しそうにしていて、それにあれほどに塞ぎ込んでいたにも関わらず明るくなったので、何も言わずにいたのだ。
棗は、何も言わずにおこうと思っていた。しかし、自分の知っている事実は、とても重く暗いものだった。蓮のことで無理をしている悠美を、これ以上煩わせたくはない。何より、ここまで世話をして、まるで妹のように大切にして来た皇女なのだ。悲しむ様を見るのはつらい…。
「棗?」
棗はハッとした。悠美がこちらを見ている。棗は仕事の最中にぼうっとしてしまっていた自分に驚き、慌てて頭を下げた。
「楓様。何かご用でしょうか。」
悠美は首を振った。
「違うの。最近、棗の元気がないと思って…疲れているのではない?」
棗は驚いた。自分は一介の侍女でしかないのに。今はご自分のことで心の中はいっぱいいっぱいのはず。それなのに自分を気遣ってくださるというのか。
「いえ、大丈夫でございます。ご心配をお掛けして申し訳ございませぬ。」
悠美は、それでも心配そうに棗を見て、手を翳した。
「楓様?」
棗が驚いていると、悠美からふんわりと白い光が流れ出て、それは棗を包んで癒していった。温かい光…。棗が思っていると、その光は止まった。
「やっぱり、少し疲れていたわよ?疲れなんて取っても、また溜まって来るものだから、あまり無理はせず、もう休みなさいな。」
棗は悠美をじっと見た。楓様…前世より少しもお変わりになっておらぬ。
棗は決心した。
「では、我はもう戻りまする。おやすみなさいませ、楓様。」
悠美は柔らかく微笑んだ。
「おやすみ、棗。まだ夕方だけど。」
冗談めかして言う悠美は、とても美しく笑った。棗はそんな悠美に頭を下げて、自分の部屋ではなく、宮から出て外へと向かって行った。
夕暮れの宮の外は、人通りも少ない。
そんな中、目立たないようにすっぽりと布をまとった棗は、すっすと歩いて行った。向かった先は、軍宿舎だった。
ここに来るのは、軍神達に忍んで行く侍女ぐらいのものだった。もちろん、棗は一度も来たことがない。少し怖かったが、目指す「気」を辿って、棗はひたすらに布に隠れて足を急がせた。
その「気」は、意外なことに部屋の中にはなかった。外の、軍宿舎前にある、森の中から発しられている。暗い森の中をさらに進んで行くと、奥の開けた場所で、じっと宙に浮いたまま、空を眺めている軍神を見つけた。棗は息を飲んだが、意を決して足を進めた。
「蓮殿。」
蓮は、びっくりしたように振り返った。こんな場所で、こんな時間に、女の声で呼びかけられたので驚いたのだろう。蓮は言った。
「…誰だ?」
棗は、被っていた布を降ろした。
「我でございまする。折り入って、お話があって参りました。」
蓮は棗の顔を見て、さらに驚いた顔をしたが、黙って降りて来た。そして、言った。
「何の用か?このような時間に、女一人でこのような場所へ。」
棗は早口に言った。
「楓様のことでございます。」
蓮はそれを聞いて、戸惑ったように顔を背けた。
「我はもう任務を離れたのだ。今更に我に何を申すというのか。」
棗は声を鋭くして言った。
「本当にそうでございまするか?」必死の顔だ。「蓮殿、新月の夜、楓様がどうなっても良いとおっしゃいまするのか。」
蓮は勢い良く振り返った。
「何と申した?」
棗は、その目に見る見るうちに涙を溜めると、急に力なくその場にへたり込んだ。
「蓮殿…どうか、楓様をお救いくださいませ。」その目からは、大粒の涙がこぼれ落ちた。「我は知っておるのでございます。100年前のあの事故を。前世の楓様は、我と、そして姉の乳兄弟であられた。我は、幼い頃から、前世の楓様を存じておった。我の姉は、あの事故の折、お傍に居りました。しかし、楓様の母上であられる王妃様に密かに帰され、姉は命を長らえました。蓮殿…あれは事故ではありませぬ。椿様はおそらくその記憶を戻され、宮を出られたのでありまする。」
蓮はしばらく、動けなかった。それは、兄が知ったという事実か。兄はそれゆえに、椿様と共に逃げる決心をした。ずっと、知りたいと思っていた。その事実を、棗は知っているというのか。
「申せ。棗、話しを聞こうぞ。」
棗は頷くと、回りに他に誰も居ないことを確認したのち、小さな声で早口に語り始めた。
蓮は、その事実に拳を震わせた…悠美。新月の夜に、主はそんな目に合うというのか!
悠美は何も知らずに、部屋で星を眺めていた。明日は新月…お父様が、儀式をなさるという日。供の軍神は、ほんの僅かであるのだという。その中に、蓮が居るのならいいな…。
背後に、大きな気を感じた。軍神レベル…
「誰?!」
悠美は、慌てて立ち上がって言った。神の世は略奪もあるのだと聞いた。でもこんな所にまで、誰かの手引きがなければ、絶対に来れないのに!
「悠美!」
悠美は、ぽかんとした。目の前に立っていたのは、蓮だったからだ。
「蓮…?い、いったい、どうしてここに…、」
「話しは後ぞ!」と、蓮は悠美の腕をガッツリと掴んだ。「ここを出る!」
グイグイと手を引かれて部屋の中を歩かされながら、悠美は蓮に問うた。
「出るって、急にどうしたの?明日は儀式があるのよ、お父様に言われて…」
蓮は振り返った。
「儀式に出てはならぬのだ。」蓮は急いで言った。「悠美、前世と同じぞ!主らは王に利用されようとしておるのだ!だから椿様はここを出られた。思い出したからだ。」
悠美は首を振った。
「蓮、では尚の事よ。」悠美は蓮の手を振り払った。「お兄様と同じになりたいの?お父様に逆らえば、あなたの命はない。結界を出ようとしたら、あれを破るためにどれほどの力が必要になるのか。それで死んでしまうかもしれないのよ。」
蓮はまた悠美の腕を掴んだ。
「だが、ここに居ては、主が命を落とすやもしれぬ!分からぬのか、王はそのために主らを探させておったのだぞ!悠美、共にここを出るのだ。結界の事は、また考えれば良い。とにかく、王から逃れなければ!」
悠美はじっと黙って蓮を見た。そして再び、手を離すと、椅子に座った。
「座って、蓮。」
蓮は憤った。
「そのような!ゆっくりとしている暇などないのに!」
悠美は、もう一度言った。
「座って。」悠美は言った。そして、背後の棗に言った。「棗…ありがとう。私は蓮と話すわ。」
棗は、じっと佇んでいたが、頭を下げて出て行った。蓮はそれを見て、仕方なく椅子に座った。
「悠美…主は事態が分かっておらぬのだ。」蓮はいらいらと言った。「棗の姉は、前世の楓様の乳兄弟だった。ゆえに何もかも知っておったのだ。まさか王が転生して来た皇女達までも利用するとは思わず…じっと黙っていたのだそうだ。それが、主から新月の日、北の宮での儀式と聞いて、王がまたしても皇女達を利用する気でおられると悟り、我に話しに参った。」
悠美はそれを聞いて、何かを思い出しそうな気がした。しかし、何も出て来なかった。悠美が黙っているので、蓮は続けた。
「王は、その古くからあったらしい儀式とやらで主らの力を礎に術を掛け、龍王を滅してその力を吸収しようと思うておる。龍王の力は、神世最大最強だ。しかも、命を司っておる。その能力を手にしようと思うておるのだ。」
悠美は口を押えた。なんですって…龍王様の力?
「そんな…お父様は、神世を制圧するつもりで居るの?」
蓮は頷いた。
「そうでなければ、龍王の力を奪おうなどとは考えぬであろう。だからこそ、龍王は椿様の時も出て参った…何かの力の波動を感じたのであろうな。」
悠美は、微かに震えた。父王の力であっても、身が震えるのに。龍王の力とは、いったいどれほどのものなのだろう…。
「でも…なぜ、私達でなければならないのかしら…。」
蓮は、それを聞いて下を向いた。
「棗が姉から聞いた話によると、命を司る神の力を吸収するには、同じように命を操る力が要るのだそうだ。主らが持つ花を咲かせたり、病を治したりするその力が、まさにそうよ。そんな力は滅多に発現しない。なのに、娘達三人がそうだった。だが、一人の力だけでは少ない。なので、三人分の力で行おうと思っておったのであろうな。だが、此度は椿様が居らぬ。どうあっても見つからないので、痺れを切らして、主の力の強さに賭けて、二人分の力で行うことにしたのだろう。」
悠美は今度こそ身震いした。力を礎にされるってどんな感じなのだろう。でも、蓮とこのままここを出たとしても、無事に逃げ遂せる保障はない。それどころか、蓮の命まで、危険に晒すことになる…。
悠美は、蓮を見た。
「蓮…ありがとう。私を守ろうとしてくれて。でも、私は蓮を死なせたくないの。だから、どうかもうこのまま帰って。」
蓮は悠美をキッと見た。
「何を言う!我は軍神ぞ。守れないものなどないわ!」
悠美は首を振った。
「お兄様のことを思い出して。」悠美は、悲しげに蓮を見た。「私は、あなたまで死なせたくない。分かって欲しいの、蓮。私、今なら分かる。きっと椿様も、お兄様を死なせたくなかったはずだわ。でも、きっとお兄様は椿様を守ろうとして、命を落としたのよ。きっと、最後の力を振り絞って椿様を逃がしたのだわ。どれほどに悲しかったことか。私はそんな思いはしたくない。蓮、覚えてないけど、私は転生したの。だから、きっともし、それで命を落としても、また転生して来るわ。だから安心して。」
蓮は険しい顔をした。
「そのようなこと、聞けぬわ!」
横を向いた蓮の手を、悠美はソッと触った。今言わなければ、きっともう、言えない。
「蓮…愛してるわ。」蓮がびっくりして弾かれたように悠美を見た。悠美は涙で潤んだ目で、蓮を見上げた。「分かって。だから、あなたに生きて欲しいのよ。私のワガママなの。分かっているけど、お願い、私をこのまま行かせて。私はあなたの命と引き換えになんて、生きていたくはないの。」
蓮は、じっと悠美の目を見つめていた。その目は、同じように涙で潤んでいた。
「悠美。」蓮は、声を出すのに苦労した。「我だってどれほどに主に惹かれておるものか。初めは任務だった。任務だから通うておるのだと己に言い聞かせておった。だが、違う。我が、ここへ来たかったのだ。我は楓様ではなく、悠美を愛している。」
「蓮…!」
悠美は、急に力強く引き寄せられた胸の中で、涙を流した。蓮を愛している。蓮さえ無事ならば、私は大丈夫…。
蓮は悠美を抱き締めながら、言った。
「ゆえに、我とて主を失いとうはないのだ。分かって欲しい。共に逃げようぞ。我は今、やっと兄の気持ちが分かる。主さえ無事であるならば、我は何も…。」
悠美は、蓮の性格は知っていた。きっと、おとなしくこのまま私を置いて帰るはずはない。
悠美は、決心して蓮を見上げた。蓮は、悠美の目をじっと見ていたが、そっと悠美に唇を寄せた。悠美はそれを受けて、その優しく不器用な口付けに、本当に幸せだと思った。私は、この神の命を守りたい!そのためなら、命だって…。
唇が離れた時、悠美はそっと言った。
「蓮…ここに忍び込んだのが分かっても、きっと二、三日で牢から出られるわ。」
蓮はハッとして、悠美を見た。
「悠美、駄目だ、やめよ!」
悠美は立ち上がって、叫んだ。
「誰かある!ここに軍神が居る!」
寝静まり掛けていた宮が、騒がしくなった。こちらへ来る大勢の気配がする。
「悠美…!なんということを!」
悠美は涙を拭いた。
「蓮…愛してるわ。あなたはここに残って、生きて。」
「悠美…!」
軍神達が踏み込んで来る。
蓮は捕えられて、牢へと繋がれた。
沙汰は悠美が思った通り、二日間の牢での謹慎だった。
そして、明日は新月だった。




