想い
龍王は空を眺めていた。
その深い青い瞳は厳しく何かを読むようにじっと南西の方角の空を凝視している。傍らに軍神が近付いて来て、膝を付いた。
「王、お呼びでしょうか。」
龍王は傍らの軍神をちらりと見た。
「怜が動くの。」龍王は、まるで何でもないことのような口調で言った。「懲りないヤツよ。此度はしっかり尻尾を掴まねばならぬ。次の新月を警戒せよ。」
軍神は頭を下げて答えた。
「は!」
龍王は、また空に目を戻した。この100年ばかり、時々にこんなことを起こしてくれるが、これを最後にさせねばならぬ。
夕暮れの空には、月が現れた。龍王は月に向かって言った。
「おそらく、主の出番よの。」
《出来ることはする。》
月は、深い声で答えた。
蓮は、利泉と共に明進の元へと呼ばれていた。
利泉と一緒に呼ばれる時は、大概皇女の問題が関わっている時…。蓮はそれを知っていたので、椿が見つかったのかと緊張気味に明進の前に立った。
執務室の椅子に腰掛け、明進は振り返った。
「二人共、ご苦労であるな。王からの命が降りた。皇女のことであるので、主らにも早めに話しておかねばと思うての。」
蓮と利泉は頷いた。じっと明進を見ていると、明進は窓の外を見てしばらく黙った後、まるで思い切るかのように言った。
「…次の新月の時、桜様と楓様を北の社へお連れすることになった。詳しいことは我にもお話し下さらないが、王がお力をお持ちになるのに大層重要なことであるのだそうで、その際に連れて参る軍神は、我を入れて三人。つまり、我と、ずっとお二人を監視させていた主ら二人のみにせよとのことだ。」
蓮と利泉は身を固くした。それは、極秘に皇女をお連れするということか。
「は!」
二人が答えると、明進はじっと二人を見つめた。
「桜様は、ついに完全に覚醒なされて、情緒が不安定になっておられるとのことで、王のお力で眠らされておる。どうやら、前世のご記憶を戻されて、混乱なさっておいでのようだ。ゆえ、利泉の任は解く。もう、桜様を探る必要はない。楓様も、もう必要はないと王は言っておられた。」
利泉は少しためらったようだったが、黙って頭を下げた。利泉に、あの二人が記憶を戻したり、有らぬことを考えておらぬか探れと命じていたのは、王だった。その際、一人では警戒もされようと蓮も共に行くことが多かった。しかし利泉は、最近ではその任務が辛そうで、蓮は見ていて居たたまれなかった。手助けが出来ればと、楓の生まれ変わりの悠美のほうは時に、代わって引き受けていたが、自分にもあれは向いてはいないと思った。まるで騙しているような気がする…一言も、任務で来ているとは告げていなかったからだ。
「楓様は未だ完全には覚醒なさっておられないが、力が満ち始めて居られる。お二人とも極めて珍しい気をお持ちでいらして、前世のあの方達も我は知っておるが、花を咲かせたり、けがを治したりといったことに大変な力を発揮なさる方達だった。ゆえ、あの方達の回りには、いつも花がたくさん咲いておったわ。」
懐かしむように遠くを見ていた明進は、二人を見た。
「主ら、我の命に従うことは重要であるが、時に己で考えよ。不測の事態が起こった時なんとする。皇女達と話し、その気質を知る主らにこそ出来る対処もあろうほどに。新月の日、間違いなく皇女を北の社へお連れするのだ。」
蓮は戸惑った。明進様は、何を言っておられる。命に従えと?違えよと?己の意思とは…意味が分からない。話では、北の社へお連れすること自体が、警戒すべきことなのではないのか。極秘で連れて行くということで、王が他に知られたくないと思っていらっしゃると分かる。もしや皇女達に危害を加えるおつもりなのか。
蓮達の戸惑いが伝わったのか、明進はクルリと椅子を回して庭の方を向いた。
「…自分の目で見て、知ったことこそ全て。それをゆめ、忘れるでないぞ。そして我がここに主らに命じるが、皇女達を社へ連れて参ったら、すぐに王に気取られぬよう立ち去れ。」
蓮と利泉は衝撃を受けたような顔をした。それは…。
「明進様、しかしそれでは、明進様が…、」
「我は大丈夫よ。」明進は笑った。「今我が言ったこと、肝に銘じよ。」
二人は、頭を深々と下げてその場を辞した。
王は、本当に何かをしようとなさっている…明進様には、それがわかっているのだ。そして王が策すほどの事柄を隠すためには、我らのような下っ端の軍神など、使い捨てにされるのは常識。それを気取って、あのようにおっしゃっている。しかし、考えよと。何を考えれば良いのだ。
傍らの利泉は、じっと黙っている。最近、あれほどによく話した利泉が、無口になって、表情も暗くなった。笑っていることも少なくなった。
「…利泉?」
蓮が気遣って声を掛けると、利泉は我に返ったように蓮を見た。
「蓮?いや…別に何もない。とにもかくにも、気の重い任務から解放されたのだ。よかった。」
とても安堵しているような表情ではない。しかし、蓮は多くは聞かなかった。
「そうよの。もう二人に会いに行かずとも良い。」
利泉は無理に笑っているようだった。そして踵を返すと、宿舎のほうへと消えて行った。蓮は釈然としない思いを抱えたまま、どこへともなく飛んだ。
悠美は、日など決めず、気ままに訪ねてくれる蓮を待つのが楽しかった。棗は、頻繁に現れては庭で楽しげに話す二人にとっくに気付いていたが、困った事と笑うだけで、咎めることはしなかった。
悠美は、棗を相手に蓮の話をすることが多かった。利泉に対して持った、憧れのような気持ちとは違う、もっと深い所が震えるような感覚に、悠美は戸惑いながらも酔っていた。
この待ち遠しい気持ちは何だろう…。ただの暇潰しではないことは、確かだった。
今日も棗と二人で、他の侍女達が辞した庭に出て、神の力を使ってみていた。
驚くべきことに、自分は花を咲かせる事が出来るのだ。嬉しくて手を翳しているうちに、回りは花でいっぱいになっていた。
「ねえ棗、よく考えたら、私は神なんて嫌だと思っていたというのに、今ではこうして楽しんでいるわ。おかしなことね。」
棗は微笑んだ。
「そうやってご自分を受け入れる強さを、楓様はお持ちなのですわ。」
悠美は黙った。そうだろうか。自分は、人の頃は弱かった。現実が辛くて、しばらくは引きこもってしまっていた。父や母はそれを見守ってくれていはいたが、それでも心から何でも打ち明けて、聞いてもらえるような友達はいなかった。たまにメールをするぐらいの友達は居たが、それでも鬱病と診断された時はそれすらも言い出すことは出来なかった…会社を辞めたと知らせた時、友達に言われたものだ。
簡単に辞めれるなんて、恵まれてるわよ…。
それでも、本当の気持ちを話すことは出来なかった。だが、今は違う。棗は自分を気遣って、本当の姉妹のようにこちらを心配してくれる。そして蓮は、文字通り何でも聞いてくれた。こちらが何を言っても、確かに怒りはするが、ここへ来てまた話を聞いてくれた。
「友達が居るからかしら。」悠美は考え込むように言った。「人の頃は、何でも話せる友達なんて居なかったの。でも、今は蓮に何でも話せるわ。」
棗はフッと笑った。
「まあ、楓様、友だなどと。」悠美が戸惑ったような顔をしていると、棗は続けた。「楓様は、蓮殿に恋していらっしゃるのでありましょう。今日もこのように侍女達も辞しておるような時間に外へ出て気を発してみたいなどと…蓮殿をお待ちなのではありませぬか?」
悠美は、不意打ちを食らったような顔をした。恋…恋ですって?
「棗…それはないわ。だって、蓮は最初からとても無愛想で、無遠慮で、私も本気で腹が立ったものなの。ここへ来るのだって、きっと暇潰しに過ぎないのよ。」
棗は微笑ましい表情で悠美を見た。
「でも、その暇潰しに付き合っておあげになるのでしょう?我から見たら、それは立派に恋でありまする。蓮殿とて、ああも頻繁にこちらへ来られるなど…有り得ぬことでありましょうし。」
悠美は赤くなった。胸が熱くなって来る。本当に、そうだわ。きっと、私は蓮を待っている。毎日、ただ、好きだから…。
悠美が黙ってそこに立っていると、棗がハッとしたような顔をして深く頭を下げた。何事だろうと悠美が振り返ったそこには、前世の自分の父である、怜が立っていた。




