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蓮の兄

今より30年ほど前、蓮は兄と共に軍神の家系を支える若き神だった。

神の寿命は人の10倍と換算すると分かりやすく、その頃の蓮は220歳、兄は300歳だった。成人して間もなかった蓮は、少し年上の兄に倣い、毎日任務にいそしんでいた。何事も一生懸命で優しい兄は、蓮の憧れだった。人望も厚く、技術も優れ、父もよく自慢していたほどの神だった。

なので蓮は、幼い時から、兄のようになるのだと心に命じて精進していた。

そんなある日、王からの命を受けていた、皇女が転生した姿を探すという任務中、ある人の女を発見した。

悠美が見つかったのと同じ、あの仁王像のある門の近くで、兄が椿に話し掛けてそれに椿が答えたことから判明した。あの門はちょうど王の領地の結界の境目辺りで、軍神がよく巡回する位置なのだ。

最初、椿は神の世に来ることに大変に抵抗した。人の世で幸せに暮らしていた彼女にとって、家族を捨てて神の世へ来るなど、考えたくもないことだったらしい。しかし、兄は無理にさらおうとはせず、辛抱強く説得した。そして椿は、ついに宮へ来る事になった。

皆が感動の再会かと思いながら見つめる中、謁見の間で椿と対面した王は、一目見ただけで、間違いなく椿であるとすぐに言い切り、そしてその後は特に何の感慨もなく、連れて来ただけで終わりといった感じだった。臣下達は戸惑ったが、椿は、悠美と同じように覚醒を待ち、宮へ留められた。

やはり神の世と人の世は全く違うらしい。考え方も何もかもが違う中で、唯一の頼りであるはずの父王は意外にも椿に無関心で、椿はとても孤独だった。人の世を恋しがる椿を、兄はずっと気に掛けていて、話しに通っていた。兄は、見つけてしまった自分に責任があるといつも言っていた。しかし、蓮には、それが責任感だけではないと思っていた。兄は椿に会いに行くことを楽しみにしている風であり、どんなに任務が忙しくとも必ず毎夜通っていたからだ。

思った通り、椿と兄は恋に落ちていた。それは仲睦まじく幸せに過ごす二人を見ていた蓮は、二人を祝福する気持ちで見守っていた。何より、兄が今までにないほど幸せそうなのが嬉しかったのだ。

そんなある日、ついに椿が覚醒する朝がやって来た。

目覚めた椿の目は、真っ青に変わっていた。それは前世の椿の姿そのものであった。そして姿は元より、気も大きく神として成長し、そして何より、椿は一気にその前世の記憶をも戻した。

しかし、なぜか椿が前世の記憶を戻したことを言ったのは、兄のみであった。兄は、椿の話を聞いたその夜遅く、蓮に会いに来て言った。

「蓮、我は行く。詳しいことは主のために言えぬ。しかし、椿は前世の記憶を戻したことは伝えておこう。これは、誰にも言ってはならぬ。椿も…我にしか言わなんだゆえ。」

蓮は何事かと兄に向き合った。

「兄上、行くとはどこへ?椿殿は一体、何を思い出されたのですか。」

兄は首を振った。

「主は、知らぬ方が良い。蓮、我は椿を愛している。椿も我を愛しておると言ってくれる…我らは、共に逃れようと思う。椿も、我と共に生きたいと言ってくれておるのだ。必ず、我は椿を連れ出して見せる。」

蓮は必死に止めた。そのようなこと、王がお許しになるはずはない!我らは、王の前にはなす術もないのに…!王の結界は、人の世の次元に向けては特に強く破るのは困難なのだ。

「兄上!そのようなことはおやめくださいませ!なぜにここで妻に迎える訳には行かぬのでしょうか。王の許しなく、結界を抜けることは叶いませぬ!」

兄は困ったように微笑んだ。

「時が来れば、主にも分かる。主は、詳しいことを知ってはならぬのだ。さらばだ、蓮。父上を頼んだぞ。」

兄は、じっと蓮を見つめると、振り切るようにサッとそこを飛び去った。蓮は、その後ろ姿を断腸の思いで見送った…そして、それが兄の生きている姿を見る、最後だった。


蓮は王の命を受けて、王と共に、人の世とのつなぎ目と、王の結界の端、龍の領地の龍王の結界の端と隣接した場所へ他の軍神を連れて向かった。椿の気を追った蓮は、龍の領地との境界近くの山の上で、既に命を亡くして倒れた兄を発見した。共に追って来ていた王が歯ぎしりした。

「なぜにこやつが倒れておる!椿はどこへ行った!」

蓮は、咄嗟に叫んだ。

「兄は、椿様を追って、真っ先に飛んで行った由!おそらくは何らかの力で倒され、椿様は出て行かれたかと…!」

王は舌打ちをすると、龍の領地のほうを見やった。蓮は同じ方向へ意識を向けて、一気に鳥肌が立つのを感じた…物凄い大きさの気が、あちらからやって来る。今まで感じたことがないほどの大きさで、思わず知らず身が震えて来るのを感じた。

「…龍王の気がする。あやつがここへ来る!」と、王は連れて来た軍神を振り返った。「すぐに戻れ!龍王が来る!闘気が出ておる…殺られる!」

軍神達もその尋常でない大きさの気を感じ取り、慌てて踵を返して飛ぶ。龍王のスピードは並ではない。皆必死だった。蓮は叫んだ。

「王!兄を連れに参らせてください!」

怜は首を振った。

「ならぬ!そのような暇はない!」

蓮は兄の亡骸を振り返った。あんなところに、兄を置いては行けない。

「父上!兄上を…!」

父は蓮を掴んで飛んだ。

「王の命ぞ!今は退くのだ!」

蓮は父に引きずられながら、倒れた兄を見た。

「兄上ー!!」

抗えない父の力に抑えつけられてそこから離れながら、蓮はどんどん小さくなって行く兄の亡骸を見ていた。

兄上は、椿と共にと言っておられたのに。あの女は、兄上を謀ったのか。逃がすためにと王を裏切り、ここまで連れて来た兄上を置いて、あまつさえ殺しまでして、己は逃げたのか。人とは、かくも残酷な偽りを申すのか…!!

蓮は涙を流しながら、父に掴まれて飛んだ。

遠く、龍の軍が大きな気と共に近付いて来るのが垣間見えた気がした。


龍が去ったのを確認した蓮は、父と共に一目散に兄を連れ戻しにあの現場へ飛んだ。

しかし、そこには兄の姿はなく、あの後来た龍軍が、いったい兄をどうしたのか分からなかった。ただ、龍は己が攻め滅ぼした宮の者でも、きちんと葬る種族だという。ならば、兄を見つけた龍は兄を葬ったのか。だが、どこに葬られたのかも分からぬ…。

蓮は、兄の倒れていた場所に膝を付いた。兄上、どれほどに無念であったろうか。あのような人の女に騙され、死んで逝かねばならなかった。そして、己の家系の墓に入ることも叶わず…跡取りの息子であったにも関わらず、どこかの草の下で、ひっそりと一人眠っておられるのか。

蓮は、決して人は信じないと心に決めた。兄を失ったこの悲しみは、終生忘れるものではない…!


「…そして、我は人を嫌悪するようになった。」蓮は言った。「いや、避けるようにと言うべきか。関わってろくなことがないゆえ。嘘という言葉にあのように過剰に反応したのもそのためぞ。事実、あの場所で何があったのかは我にはわからぬ。だが、忘れることが出来ない…我は、大切な兄を失ってしもうたからの。」

悠美は、また涙が溢れて来るのを感じた。まだ思い出すことのない、一番上のお姉様、椿。いったい何を思い出し、何を恐れてそこまでして神の世を出て行ったのか。己の愛しておった男さえ、踏み台にして行くほど、それほどにとは…。

蓮は悠美の涙を拭うと、フッと笑った。

「主は、椿殿とは違うのにの。」蓮は悠美を見つめて言った。「すまぬ。つらく当たってしもうた。主には何も罪はない。我が主に八つ当たっていただけなのだ。」

悠美は首を振った。

「いいえ…!」悠美は湧きあがる嗚咽を押さえて言った。「それほどの事を抱えながら、あのような任務に就いて、その上ああやって夜の池で我らを元気づけてくれておったなんて…!私はなんてバカだったの。蓮、本当にごめんなさい…!私が悪かったの…!」

抱きつく悠美を、蓮はためらいがちに抱き締めた。

「良い。」蓮はその髪に頬を寄せた。「もう良い…。」

二人はそのまま、しばらく抱き合っていた。

お互いの心に湧き上る気持ちが何なのかは、まだはっきりとわからなかった。

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