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帰る空~桜舞う記憶~  作者: 雨宮ぐみ


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3/20

未来を知る少女


――あの日、私は知らない青年に「帰ってきて」と願った。

十七歳の夏。

家族旅行で訪れた鹿児島・知覧。

そこで私は、一枚の写真に出会った。

写真の中にいたのは、まだ少年の面影を残した十八歳の青年だった。

知らない人のはずなのに、なぜか懐かしい。

初めて見る写真なのに、ずっと昔から知っているような気がする。

そして、その青年が家族に残した一通の手紙を読んだとき、理由も分からないまま涙があふれた。

――帰ってきて。

心の中で、そう願っていた。

その夜、私は不思議な夢を見る。

戦争の時代。

一つの家族。

そして、幼い少女を抱きしめる青年。

少女の名前は、桜子。

青年は、誠司。

けれど私は知らなかった。

その少女が、かつての私自身だったことを。

そして――

この家族が、もう一度私を必要としていることを。

時代を越えて与えられた、小さな命。

見えるのは、人の心。

そして、まだ決まっていない未来。

けれど、未来を変えるということは、誰か一人を救えば終わることではなかった。

父の葛藤。

母の祈り。

兄の恐怖と覚悟。

そして、幼い妹の「生きてほしい」という願い。

戦争によって引き裂かれようとする家族を前に、桜子は何度も未来を見る。

何度も迷い、何度も涙を流す。

それでも――

「みんな一緒に生きてほしい」

その願いだけは、決して手放さなかった。

これは、過去に生きた一つの家族と、未来から戻ってきた一人の少女の物語。

そして、

「もし、あの時代にもう一度戻ることができたなら――」

そんな問いから始まる、家族と平和の物語です。

過去を変えることはできない。

けれど、過去から受け取った想いを、未来へつなぐことはできる。

この物語を読んでくださるあなたの心に、桜子たちの願いが届きますように。

そして、二度と同じ悲しみを繰り返さない未来を、私たち一人ひとりが願い続けられますように。


昭和二十年四月。


桐生家の朝は、いつもと変わらず始まった。


薪で炊いたご飯の湯気。


味噌汁の香り。


庭先では鶏が鳴いている。


けれど、桜子の世界だけは昨日までとは違っていた。


(あと一か月。)


(飛行学校の適性試験。)


幼い指で茶碗を握りながら、桜子は兄・誠司の横顔を見つめた。


笑っている。


何も知らない笑顔。


写真で見た最後の笑顔になるはずだった顔。


(絶対にさせない。)


食後、父・勝は誠司を呼んだ。


「試験の日程が正式に決まった。」


机の上に一枚の通知書が置かれる。


誠司は背筋を伸ばし、静かに受け取った。


「ありがとうございます。」


その姿は誇らしかった。


父もまた軍人として息子を誇りに思っている。


だからこそ桜子は苦しかった。


(お父さんは悪い人じゃない。)


(国を守ると信じてるだけ。)


(でも、このままだと二人とも傷つく。)


その夜。


桜子は初めて「未来」を変える作戦を考えた。


三歳の子どもにできることは限られている。


大人に「戦争は終わる」と言っても信じてもらえない。


(じゃあ。)


(証拠を積み重ねる。)


小さな成功を何度も作る。


家族に「桜子の言葉は当たる」と思ってもらう。


それしかなかった。


翌朝。


近所の農家へ向かう途中、桜子は立ち止まった。


一本の大きな柿の木。


(ここ。)


令和の記憶がよみがえる。


(今日の夕方、この枝が折れる。)


桜子は慌てて叫んだ。


「だめ!」


近所のおじさんが笑う。


「なんだ桜子。」


「木さん、いたい!」


枝を指差す。


「おちる!」


大人たちは顔を見合わせた。


「また始まった。」


そう笑っていた。


しかし夕方。


バキッ。


太い枝が折れ、大きな音を立てて落ちた。


もし子どもたちが遊んでいたら危なかった場所だった。


村中がざわついた。


「また当たった。」


「あの子、本当に……。」


数日後。


今度は井戸だった。


桜子は井戸の縄を見て青ざめる。


(切れる。)


「さわっちゃだめ!」


母・千代美は首を傾げながらも娘を信じ、縄を調べた。


繊維はほとんど切れかけていた。


勝は黙って縄を交換した。


夜。


父がぽつりと言った。


「偶然とは思えんな。」


母も頷く。


「桜子には何かあるのかもしれない。」


障子の向こうで聞いていた桜子は目を閉じた。


(信じ始めてる。)


そんなある日。


誠司が飛行機の本を読んでいた。


翼の仕組み。


エンジン。


操縦法。


目を輝かせてページをめくる。


「空ってさ。」


「自由なんだ。」


桜子は隣へ座った。


「自由?」


「うん。」


「鳥みたいに飛べる。」


その笑顔は純粋だった。


特攻を望んでいるわけではない。


飛ぶことが好きなのだ。


(そうだ。)


(飛ぶ夢を消すんじゃない。)


(生きて飛ぶ未来に変える。)


桜子は真剣な顔で言った。


「お兄ちゃん。」


「戦争おわったら。」


誠司が笑う。


「終わったら?」


「みんなを乗せる飛行機。」


誠司は目を丸くした。


「旅する。」


「お空。」


その言葉に誠司は少し考え込んだ。


「そういう飛行機もあるな。」


「人を運ぶ飛行機。」


初めてだった。


誠司が軍以外の空を想像したのは。


その日の夜。


誠司は父へ尋ねた。


「父さん。」


「戦争が終わったら飛行機はどうなるんでしょう。」


勝は少し黙った。


「……考えたことはなかった。」


「でも空はなくならない。」


その一言を桜子は聞き逃さなかった。


(芽が出た。)


未来の選択肢が。


しかし、その希望を打ち消す知らせが届く。


翌週。


飛行学校から担当将校が桐生家を訪れた。


玄関先。


軍服姿の男は誠司を見て満足そうに頷いた。


「桐生誠司。」


「優秀だと聞いている。」


「国には君のような青年が必要だ。」


誠司は姿勢を正した。


「はい。」


桜子はその男を見た瞬間、全身が凍りついた。


(この人。)


知覧で見た写真。


兄の教官として写っていた人物だった。


記憶の断片がよみがえる。


あの日。


出撃前。


「誠司、頼む。」


教官の声。


(ここが分岐点。)


桜子は震える足で玄関へ走った。


そして教官の軍靴を見つめながら、小さな声で言った。


「お兄ちゃん。」


「帰って。」


教官は驚いたように桜子を見下ろした。


「変わった子だな。」


その一言で済んだ。


けれど桜子には分かった。


運命はもう目の前まで来ている。


試験まで、あと二十一日。


家族を救うための時間は、確実に減っていた。


桜子は心の中で静かに誓う。


(今度こそ。)


(約束を守る。)


(お兄ちゃんを、生きて帰らせる。)


第三話 終。



この物語を書き終えて、最後に残ったのは、一つの問いでした。

「命を守るとは、どういうことなのだろう。」

戦争の時代には、多くの人が自分の大切な人を残して、戦地へ向かいました。

そこには、それぞれの覚悟があり、家族への愛があり、そして言葉にできない恐怖もあったのだと思います。

私たちが今、当たり前のように過ごしている日常。

家族と食卓を囲むこと。

「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えること。

好きな人と笑うこと。

明日の予定を考えること。

将来の夢を語ること。

それらは決して当たり前のものではありません。

この物語の中で、桜子は過去へ転生し、未来を変えようとします。

けれど、本当に変えたかったのは、一人の人間の運命だけではありません。

「誰かが犠牲にならなければならない」という未来そのものでした。

兄を救うために父が犠牲になる。

父を救うために兄が犠牲になる。

そんな未来ではなく、

父も、母も、兄も、妹も――

家族全員が生きて、笑って、未来を迎える。

桜子が最後まで願ったのは、そんな未来でした。

そして、物語の中で桜子が持つ「人の心が見える力」と「未来を見る力」は、特別な力でありながら、実は私たちにもあるものなのかもしれません。

誰かの悲しみに気づくこと。

誰かの苦しみに寄り添うこと。

大切な人を失いたくないと思うこと。

そして、

「明日は今日より平和であってほしい」

と願うこと。

それもまた、未来を変える小さな力なのだと思います。

知覧で残された写真や手紙は、過去から未来へ届けられた言葉です。

その言葉を受け取った私たちが、何を感じ、何を未来へ残していくのか。

それは、この物語を読んでくださった皆さん一人ひとりに託されているのだと思います。

最後に。

桜子が願った、

「みんな一緒に生きてほしい」

という言葉が、どうか物語の中だけの願いになりませんように。

戦争を知らない世代から、また次の世代へ。

家族を想う気持ちを。

平和を願う心を。

そして、かけがえのない命の大切さを。

この物語が、ほんの少しでも未来へつなぐ橋になれば幸いです。

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