十八話 分断された世界と、夏の終わりの告白
世界は、急速に変貌を遂げていた。
「分断」――人々がそう呼ぶようになった超常現象が発生し、地球の各地で「異界の領土」が突如として出現し、現代社会の常識と秩序は音を立てて崩壊し始めていた。謎のモンスターの出現、物理法則の歪み。テレビは連日、終末的なニュースを報道し、人々の心には底知れぬ不安が蔓延していた。
しかし、そんな激動の中でも、栄学高校という狭い鳥籠の中は、奇妙なほどに「普段通り」の日常を維持しようとしていた。受験を控えた生徒たちにとって、世界の危機よりも、目の前の「大学受験」の方が、現実的な問題として重くのしかかっていたのだ。
高校3年の、うだるような暑さが残る夏休みの終わり。
蓮、綾、そして大輝の3人は、地域の図書館の自習室で勉強することが多くなっていた。
もちろん、大輝は蓮を徹底的に監視し、綾と2人きりにさせないために同席しているに過ぎない。大輝は地元地主の推薦枠で早々に大学進学を決めていたため、実質的に受験勉強など必要なかったが、歪んだ独占欲だけでそこに居座っていた。
しかし、その日は違った。
大輝が急な用事で自習室を後にした夕暮れ時。
蓮は、帰り道の公園のベンチに綾を誘った。
「綾。少し、話をしませんか」
「え……? うん、ええよ。どうしたん、蓮くん。改まって」
茜色に染まる空の下、綾は少し緊張した様子で、蓮の隣に腰掛けた。
彼女の黒髪が、夏の終わりの涼しい風に揺れている。
「綾。私は、大学には進学しません」
「えっ……!? なんで? 蓮くん、あんなに成績いいのに……」
綾は驚き、色素の薄い茶色の瞳を大きく見開いた。
「この世界は、もうじき完全に『分断』され、既存の社会システムは機能しなくなります。大学の学位など、これからの世界では何の価値も持たなくなる。私は、分断された世界を生き抜くために、別の道を進むことを決めました」
蓮の言葉は静かだったが、そこには絶対的な確信が宿っていた。
綾は、その強い瞳に見つめられ、息を呑んだ。
「……蓮くんがそう言うなら、本当にそうなるんやね。うち、蓮くんの言葉なら信じられる」
「そして、もう一つ、君に伝えなければならないことがあります」
蓮は、ベンチから立ち上がり、綾の正面に向き合った。
夕日に照らされた彼の横顔は、神聖なほどに美しく、しかしどこか人間離れした決意に満ちていた。
「私は今まで、数々の理不尽なイジメに耐えてきました。それを君は、いつも傍で心配してくれていた。……ですが、私は決して『無抵抗な弱者』として耐えていたわけではありません」
「蓮くん……?」
「私には、普通の人にはない……特別な力、そして前世の記憶があります。私を虐げてきた堂島大輝たち、そして私の生みの母である雫さんを騙し、どん底に突き落とした親族ども。彼らに対する『復讐』の準備は、すでにすべて整っています」
普通なら、頭がおかしくなったと思われるような告白。
しかし、蓮から放たれる圧倒的な存在感と、周囲の空気が一瞬で張り詰めるほどの魔術的な気配が、それが「真実」であることを綾に理解させた。
「私は、彼らを社会的に、そして徹底的に破滅させます。それを行う私は、君の目には……冷酷で、恐ろしい怪物に映るかもしれない」
蓮は、一歩綾に近づき、彼女の目を見つめた。
「ですが、私は……綾。君のことが好きです。この世界で唯一、私を信じ、光であり続けてくれた君を、私の未来の隣に置きたい。……これが、私の偽らざる本心です」
綾の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
恐怖からではない。
ずっと、どこか遠くの世界を見つめていた蓮が、初めて自分にその「心の内」を曝け出し、まっすぐに想いを伝えてくれたことへの、深い感動と喜びだった。
「な、何言うてんの、蓮くん……。遅いよ、言うのが」
綾は立ち上がり、蓮の胸に強く飛び込んだ。
豊かな胸の温もりが、蓮の体に伝わる。
「うちが、蓮くんのことを怖いと思うわけないやん! どんな蓮くんでも、うちが好きなのは、うちをずっと守ろうとしてくれた高梨蓮くんだよ。……蓮くんが戦うなら、うちも一緒に戦う。絶対に、離れへんから」
蓮は、愛おしそうに綾の体を抱きしめた。
胸の奥が、温かい光で満たされていく。
(ああ、雫。私は、この世界で新たな大切な存在を見つけました。あなたを救い出し、そしてこの少女と共に、私は新世界を支配してみせましょう)
夏の終わりの公園で、二人の魂は、分断される世界の運命よりも強く、深く結ばれたのだった。




