第一章:籠の中の鳥
横浜の夏は訪れが早く、ねっとりとした湿気をまとっている。まだ五月の下旬だというのに、神奈川区の空気はもう絞れば水が滴るんじゃないかと思うほど湿っている。古びた商店街の脇、昭和の時代から建っている木造アパートの軒下には、いつもまとわりつくような暑気がたまっていて、まるで永遠に乾かない雑巾みたいに肌に張りつく。俺はこの空気の中で十一年間生きてきて、それが良いと思ったことなんて一度もなかった——離れてから初めて、そのねっとり感が恋しくなった。体にまとわりつく重みが。まるで分厚すぎる浴衣みたいに、蒸すけど、でも、慣れ親しんだ感覚。
俺の名前は朝倉陽葵。朝日が昇る時の向日葵。祖母がつけてくれた名前だ。「陽葵」は早朝の陽射しで、人の顔に当たっても、熱くなく、ちょうど良い温かさなんだよ、と祖母は言った。意味が良すぎて、自己紹介をするたびに、自分の存在がこの名前に釣り合わない気がしてならなかった——画数が多すぎるのだ。「陽」のこざとへん、「葵」のくさかんむり、横棒、縦棒、はらい、点……。テストのたびに、周りはもう二問目に取り掛かっているのに、俺はまだ解答用紙にせっせと名前を書いている。一時期はこの名前に微妙な恨みを抱いたけれど、そのうち考えが変わった。祖母は、テストの時に早く書けるようにとこの名前をつけたわけじゃない。きっと、誰かを温められるような光になってほしいと願ったのだ。
でも、俺は光じゃない。少なくとも、あの頃はまだ。
小学校四年生の始業式は、体育館で行われた。校長先生が「立派な大人になるために」と話している。マイクを通した声は、かすかに耳障りなハウリングを伴っていた。でも、本当に俺の記憶に刻まれたのは、式の後に教室に戻ってきて、担任だと紹介された田中先生だった。紺色のスーツのジャケットを着て、ボタンを一番上まできっちりと留めている。襟元が首にぴったりと巻き付いて、それはある種の、揺るぎない信念みたいだった——彼女のクラスでは、規律と集団こそが最高の信条なのだ。彼女は教科書を教壇にそっと置くと、教室を見渡した。
「今日からお前たちは高学年だ。高学年ということはどういうことか。下級生の模範とならなければならないということだ。私のクラスに、だらけた生徒はいらない。ついてこられない生徒もいらない。努力しない生徒だけが残る。お前たちの一挙手一投足が、四年三組を代表している」
教室は、締め上げられるネジのように静まり返った。俺は窓側の後ろから二番目の席に座っていた。窓の外の校庭の桜はすっかり散って、重たげな緑だけが残っている。ふと、季節外れの落ち葉が一枚、風に巻かれて窓から教室に入ってきて、俺の国語の教科書の上にひらりと落ちた。手を伸ばして拾い上げ、指先に乗せる。すごく軽い。重さを感じないくらいだ。
「朝倉!」
びくっとして、葉っぱが床に落ちた。
「窓の外に何か面白いものでもあるのか?」田中先生が顎を上げて俺を睨んでいた。レンズの奥の目が、蛍光灯の下で薄く光っている。
「何もありません」
「何もないなら、私を見なさい」
俺は黒板を見つめた。黒板にはチョークで几帳面に「四年三組 学級目標」と書いてある。第一条、絶対服従。第二条、口答えをしない。第三条、廊下は走らない。第四条、宿題は当日中に提出。遅れた者は反省文。第五条、テストで八十点以下の者は、保護者のサインと反省文。六条目のチョークの字はまだ乾いていない——授業中はよそ見をしない。
田中先生は国語を教えている。彼女の授業は本当に巧かった。すごく、巧いのだ——何の変哲もない説明文を、まるで物語のような味わいで読ませ、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を、教室中の息遣いが止まるほどに講じてみせた。でも、彼女の言葉に含まれるあの目に見えない重圧は、常に空中にぶら下がっていて、いつ落ちてくるかわからない。本当に叱られるわけじゃない——彼女は決して大声で罵倒したりはしない。彼女は目を使うのだ。見下すような、不良品を審査するかのような目を向けられると、自分が何かとんでもないことをした気分になる。窓の外の鳥の声に、ちょっと顔を向けただけだとしても。
田中先生よりも俺を緊張させたのは、算数を教える佐藤先生だった。彼女は三十代前半で、田中先生よりずっと若いが、もっと厳しいエリート教育を受けてきた。良い成績は「訓練」でできていると信じている——計算問題を一つ間違えたら二十回の書き取り、文章題の読み間違いなら問題文と解答手順の丸写し十回。「手が間違いを覚えるんです」と彼女は言った。教育学の観点からすれば一理あるのかもしれないが、十歳にもならない子供にとっては、それは毎晩、机の前で続く長くて機械的で全く無意味な苦役を意味した。
俺の右手の人差し指の外側には、小さなタコがある。それは今でもあって、触ると硬く、こすると皮膚の表面が少しだけ盛り上がっているのがわかる。四年生のあの年にできたものだ。あの頃は毎晩九時になっても、まだ問題を書き写していた。スタンドは母がドン・キホーテで買ってきたもので、白いアームは自由に曲げられ、電球は暖色の黄色だった。俺はランプをすごく低くして、鼻先がノートにつきそうなほどにした。ノートの紙は薄く、表一面に字が書いてあると、裏の文字が透けて見え、灯りの下でぼんやりとした灰色の影を作る。時々、手を止めて、その影をぼんやりと見つめた。紙の裏の文字は反転していて、まるで別の言語だ。もしあの言葉で話せたら、罰の書き取りなんてしなくて済むのかな——なんて考えていた。
母が部屋の戸を開けて入ってきた時、俺は机に突っ伏していた。彼女は小さなお盆を持っていて、その上には温かい麦茶が乗っている。コップの底が机の上でくぐもった音を立てた。
「まだ終わらないの、陽葵?」
「もうちょっと」
「また何問間違えたの?」
「……三問」
「三問の二十回で六十回か」母は隣に正座して、小さくため息をついた。「次はもっと集中してくれない?こんなに間違えるってことは、ちゃんと心に入ってない証拠よ」
俺は言いたかった——集中してたよ。文章題の意味がわからなかっただけだ。「ある浴槽に、水を入れながら同時に栓を抜くと、何分で満水になりますか」——俺は毎回、なぜ水を入れながら抜くのか、そして出題者は一体、浴槽を満たしたいのか、満たしたくないのか、どっちなんだ、と思っていた。でも口には出さなかった。母の目つきは田中先生の冷たい視線とは違ったからだ。それはとても疲れていて、深い優しさだった。その優しさは、叱責よりももっと反論しにくい。叱責が剣なら、剣を抜いて向かっていける。優しさは水だ。叩いても壊せないし、押しのけることもできない。ただ沈むしかない。
書き終えたノートをランドセルに入れて、チャックを閉める。ランドセルは紺色で、俺の知らないゲームのキャラクターがプリントされていた——盾を掲げた黄色いスライムみたいな、多分、少年漫画雑誌の付録か何かだろう。俺はその絵が好きじゃなかったけれど、母には一度も言わなかった。どうせランドセルなんて、ものが入ればそれでいいのだ。
「おやすみ」
母が襖を閉めると、スタンドを消した。六畳の和室が暗くなり、窓の外の街灯の明かりだけがカーテンを通して薄く差し込んでくる。オレンジ色の、きな粉をふりかけたみたいな光。布団の上に寝転がったままぴくりとも動かずにいると、隣の部屋からテレビの音が聞こえてきた——父が夜のニュースを見ている。アナウンサーが、みなとみらいの新しい地下鉄の駅が開通したというニュースを、落ち着いた口調で伝えている。父の息づかいは静かで、時々何かの内容に軽く「ふん」と笑っている。
俺は天井の細いひび割れをじっと見た。物心ついた時からそれはあった。細く曲がりくねって、干上がった川みたいだった。毎晩寝る前にそれを見て、何年も見てきたけれど、長くなってはいない。でも今夜、それはある俳句を思い出させた——「古池や 蛙飛びこむ 水の音」。松尾芭蕉の句だ。祖母の家の古い本で読んだ。その句の蛙が飛び込んだ時の気持ちはわからないけど、ずっと考えていたんだ。あの池の水はきっと、すごく冷たいんだろうな。夏のむし暑さを忘れられるくらいに。祖母の家は静岡の田舎にある。夏休みにはいつもそこに遊びに行った。古い日本家屋で、縁側の障子を開け放つと、庭の鹿おどしが時折「こーん」と石を叩く音がして、空気には畳と干したての布団の匂いが混ざっている。祖母は井戸で冷やした西瓜を出してくれて、「夏のお裾分けだよ」と言う。
寝返りを打って、枕に顔を埋めた。枕カバーは母が替えたばかりで、ほのかな洗剤と、陽に干した後のような匂いがする。
明日も学校か。俺はそう思って、目を閉じた。
学校には友達がいる。
一緒に宿題をしたり、テストの傾向を話し合ったりするような「学習仲間」じゃない——それは田中先生が推奨するには値するが、それが行き過ぎると互いに依存し合っている証拠だと見なされる種類のものだ。翔太という隣の席のやつがいる。こいつは鉛筆みたいに痩せていて、腕なんか俺の手首より細いくらいだけど、走らせたらクラスで一番だ。サッカーが好きで、ランドセルの中にはいつも、空気の抜けたボールと、砕けかけのポテトチップスが入っている。彼が宿題のノートを探そうとランドセルをまさぐるたびに、ポテトチップスの粉が底からぼろぼろとこぼれ落ちて、机の上にミニチュアの金色の雪を降らせる。
翔太はすごく口が悪い。一度、佐藤先生に問題の書き取りをさせられたことがあった。放課後、暗くなるまで机にかじりついて書き写していると、翔太は隣で黙って待っていてくれた。俺が最後の問題を書き終えて、ペンを放り投げた瞬間、彼は突然言った。「なあ、お前さっき書き写してた八番の問題、あれ問題自体が間違ってるよ。条件が足りなくて答えが出ないんだ」
俺は十秒間、彼をじっと見つめた。「なんでそれを早く言わないんだよ」
「だって、お前が書き取りしてる姿、習字の練習してるみたいで面白かったから」
俺はノートを彼の顔に投げつけた。彼はそれを受け止めて、大笑いした。笑い声は空っぽの教室でビー玉みたいに跳ね返っていた。
それから、大樹。大樹は俺たちのクラスじゃなくて、隣の四組だ。苗字は木下で、学年で一番背が高い。そののんびりした性格のために、一番後ろのドアの近くの席に追いやられていて、「大樹」というあだ名で呼ばれている。大樹はサッカーをしない。汗をかくようないかなるスポーツも好きじゃない。彼が好きなのは鉄道模型だ。Nゲージの精巧な車両やレールを、お年玉を貯めて少しずつ買い集め、家の空き部屋に小さな鉄道王国を作り上げている——新幹線は想像上のアルプスの雪山を越え、江ノ電は紫陽花の咲き誇る古都鎌倉を走り抜ける。彼は俺に言った。いつか電車に乗って、いろんな場所へ行き、模型カタログの風景を一つ一つ、この目で見てみたいんだと。それを言う彼の目はすごく輝いていた。夏祭りの夜店で掬った金魚が、打ち上げ花火に照らされた一瞬みたいな輝きだった。
俺たち三人は混ざり合って、ごちゃ混ぜのおでんみたいなものだった。翔太が騒ぎを担当し、大樹が落ち着きを担当し、俺はその中間でどっちについていいかわからない係だ。放課後、たまに校門の前の駄菓子屋でアイスキャンディーを買う——一本五十円のソーダ味のアイスで、かじると舌が青くなる。それから公園のブランコに座って、それぞれアイスをしゃぶりながら、部活終わりの生徒たちが少しずついなくなるのを眺める。翔太が遠くでジョギングしている人を指さして、「社会の教科書に載ってる将軍の肖像に似てる」なんて言うものだから、俺と大樹は同時に「言い過ぎだ」って言って、三人でくしゃくしゃになって笑った。
あの頃は、自分が何者かなんてまだ考えたこともなかった。まだはっきりと浮かび上がっていない問題もある。それは土に埋められた種みたいなもので、芽を出すかどうかすらまだ決めていないのだ。
でも、見えないところで、何かが静かに目覚め始めていた。
例えば、三年生のある日、放課後に翔太と大樹が校庭の端で、ある女の子の話をしていた——隣のクラスの、ツインテールで笑うとえくぼができる子だ。翔太はその子が誰それにすごく優しい、多分、その誰それに「好意」があるんだろうって言った。大樹が「なんでお前にわかるんだよ」って訊くと、翔太は「俺にはわかるんだよ」と言う。それから翔太はこっちを向いて訊いてきた。「陽葵はどうなんだよ。好きな女子、いんのか?」
俺は考えた。クラスの女子で、特に気になっている子なんていなかった。でも、口に出せなかった——翔太と大樹の表情が、そういう答えは普通じゃない、一人前の「男子」の輪からはじき出されてしまうものだと言っていたからだ。だから、適当に名前を一つ言った。その名前は、もう忘れてしまった。
でも、あの時の翔太の視線は覚えている——仲間だと確認するような目つきだった。確認された瞬間、ほっと胸をなで下ろす自分がいた。でも、胸の奥の何かが、その視線によってもっと奥に押し込められて、自分でももう見つけられない場所に押しやられたような気もした。
二学期になって、席替えがあった。先生が俺たちを引き離したのだ。「私語が多すぎる」という理由で。俺は物静かな女の子の隣になった。佐々木さんというその子は、ポニーテールでピンクのフレームの眼鏡をかけていて、机の上はいつも一ミリの乱れもなく片付いている。彼女は話さない。俺も話さない。俺たちの間には、目に見えない透明な壁があった。どんな三八度線よりも頑丈で、乗り越えられないものだった。
五年生に上がると、佐藤先生の算数はさらにエスカレートした——毎週「思考力テスト」のプリントが追加された。終わったら見直しもさせずに即回収。三問以上間違えたら居残り指導だ。四年生だけでもう十分きついと思っていたが、五年生に比べたら四年生なんて保育園みたいなものだった。文章題はどんどん長くなり、問題に出てくる人の名前も増えた——「太郎、花子、次郎の三人で一緒にある仕事をします。太郎一人だと十二日、花子だと十五日、次郎だと二十日かかります。今、三人が同時に作業を始めて……」こんな問題を見るたびに、頭の中には現場でお互いに押し付け合って、本当は誰も働きたくない三人の姿が浮かんで、このプリントを紙飛行機にして窓からプールに飛ばせたらどんなにいいだろうと思った。
でも、俺はしなかった。俺はいつだって、ちゃんとルールを守る「良い子」だった。
母が一度、俺に言ったことがある。「陽葵、男の子は強くならなきゃダメよ。苦労しなきゃ、一人前の人間になれないんだから」そう言った時、彼女は台所の流しで秋刀魚をさばいていた。魚の内臓が手際よく取り出され、あたりには生臭さと醤油の匂いが漂っている。水道の水がジャージャーと流れ、彼女は魚をパッと振った。水滴が窓に飛び散る。彼女の指は冷たい水で真っ赤になっていて、爪の縁の硬い皮が灯りの下でかすかに光っている。その秋刀魚は彼女によって丁寧に塩を振られ、キッチンペーパーで水分を拭き取られ、そして整然と皿に載せられた。まるで、まな板の上に整列した兵隊のように。
「うん」と俺は言った。
でも、心の中では思っていた。強さって、性別と関係あるの?女の子は強くちゃいけないの?男の子は悲しんじゃいけないの?翔太は運動会で膝を擦りむいて大声で泣いた。彼は男の子だ。大樹は飼っていた金魚が死んで、午後いっぱい泣いた。彼も男の子だ。他の男の子が泣くと人情味があるのに、俺がちょっと目を赤くすると「男の子らしくない」ってことになるんだろうか?
でも、俺はそういう言葉を飲み込んだ。言うのが怖かったからじゃない。言っても無駄だと思ったからだ。母にとって、これは議論の余地のある問題じゃない。彼女は悪い人じゃない——それどころか、この世で一番俺のことを気にかけてくれている人だ。ただ彼女は、体が男の子でも心はそうじゃない人がいるかもしれないなんて、考えたこともなかっただけだ。その可能性は、彼女が子供たちのために思い描く未来の青写真には全くない。そして俺には、彼女のその優しくて疲れた想像を打ち壊す勇気がなかった。
誰も俺に「性自認」が何かなんて教えてくれなかったし、ましてや十歳の子供の本棚にそんな概念のハンドブックがあるわけもなかった。俺はただ、自分の何かがずれているとしかわからなかった——病気とかそういう種類のずれじゃなくて、まるで他人がくれた新しい靴を履いた時のような感じ。靴はすごくきれいで、サイズもぴったりだ。でも、この靴は自分のものじゃないってわかっている。それを履いて遠くまで歩けるし、他の人には見抜けない。でも自分の足の指は、靴の中でずっと丸まったままだ。
自分の「魂が女性である」ということに本当に気づいたのは、オーストラリアに引っ越してきてからのことだ。なぜなら、そうした目に見えない重圧から遠く離れて初めて、心の底に押し込められていたものが、ゆっくりと浮かび上がる余裕を得たからだ——まるで水底に沈んだ石みたいに。水が濁っている時は見えないけれど、水面が完全に静まると、それははっきりと水底に横たわり、無視できなくなる。
そして横浜を離れる前の俺は、田中先生の言う「男子たるもの」になりたくなかっただけだった。その要求は、自分とは別の世界の人間に話しかけているように聞こえた。佐藤先生が「男の子は理科に天性の優位性がある」とか何の考えもなしに当然のように言うのが嫌いだった。体育の時間にチーム分けでサッカーをする時、体育委員が顎で横を指して「女子はあっち、男子はこっち」と言うのが嫌いだった——その言葉が響くたびに、反対側に行きたい衝動を必死に抑えなければならなかった。
唯一、楽だったのは、翔太や大樹と公園にしゃがみ込んでソーダアイスをしゃぶる夕暮れだった。俺たち三人はぴったりくっつき合って、たまに肘が触れても気まずくなくて、唇をソーダ味の蛍光ブルーに染めて、オレンジ色の夕日がアパートの隙間に少しずつ沈んでいくのを見ていた。誰も俺に何も求めなかった。誰も、お前は男の子だからこうすべきだなんて言わなかった。溶けたアイスが指にべたべたとつく。風に乗って、街角のパン屋からのカレーパンの香りと、遠くの駅の発車ベルが聞こえてくる。俺は俺だった。成績は中の上で、真面目だけが取り柄の普通の生徒。口数は多くないけど、頭の中はとりとめのない考えでいっぱいの子供。自分が陽葵だとまだ知らなくて、でも、すでに暗がりの中で自分の影を静かに見つめている、そんな人間。
ただ、その時は口に出せなかった。口に出せなかった言葉は、ゆっくりと積もり積もって、舌の根の下に重くのしかかり、ますます本音を言うのが難しくなる。
五年生の最後のほうになって、朝にお腹が痛くなることが頻繁に起きるようになった。食あたりの痛みじゃない——なんだかはっきりしない、鈍い痛みで、おへそから周りに広がっていき、誰かが掌でそっと押し続けているみたいだった。特に朝、学校に行く前がひどくて、洗面所の手洗い台にしがみついて一分ほど立っていないといけないほどだった。タイルは冷たく、その冷たさが掌からしみ込んで、お腹の中の熱を抑え込んでくれる。母は三度、俺を医者に連れて行ったが、どこも異常は見つからなかった。最後に、年配の医者が診察室で老眼鏡を外し、母に優しく言った。「もしかすると、心からくる緊張かもしれませんね」。帰りのバスで、母は一言も口をきかず、ただ俺の手を握って自分の膝の上に置いた。彼女の手はとても温かく、手のひらには長年の家事でできた硬いタコがあった。彼女の親指が、俺の手の甲をゆっくりと円を描くように何度もなぞった。言葉はなく、ただその動きだけが繰り返された。
数日後、居間で母が古いノートパソコンで何かを調べているのを見た。彼女はタイピングが速くなく、人差し指でキーボードをつついていた。お茶を注ぎに行った時、画面をちらりと見た——オーストラリアの教育関連の政府機関のウェブサイトで、英語は一言もわからなかったけど、ページ上部のカンガルーのマークはあまりにも目立っていた。彼女はあちこちクリックして、結局そのページを閉じ、画面をじっと見つめて長いことぼんやりしていた。
その時は、深く考えもしなかった。後になってわかったのは、彼女がもうブリスベンの学校の情報を調べ始めていたということだ。おそらく、彼女はそのページで何度も立ち止まり、「申請」ボタンを押そうとしては、怖くなったのだろう。英語も堪能じゃなく、海外になんて一度も出たことがない女性にとって、そのボタンは想像を絶する未知を意味していた。
一学期が終わる一週間前、田中先生は黒板に大きく「克己」と書いた。あの日はやけにチョークの粉が多くて、文字の端からぼろぼろと落ち、彼女の濃紺のスーツの肩に薄い霜のように積もった。六年生はみんなの中学受験の最終決戦であり、今、命がけでやらなければ、後で泣いても遅い、と彼女は言った。
チョークが折れた。折れた半分は床を半回転して、教壇の脚のそばで止まった。誰もそれを拾おうとはしなかった。
俺は窓際の後ろから二番目の席に座っている。窓の外の桜はすっかり深い緑になり、ずっしりと重たく垂れ込めて、刺すような日差しを全部遮っている。その緑は初夏と同じで、もう重みを持っていた。風はそれを抜けられない。校庭では低学年の子たちが運動会の入場行進の練習をしていて、掛け声がガラス越しに濾過されて、別の世界の音みたいに聞こえる。
俺は田中先生を見て、あの「克」の字を見つめた——己に克つ。でも俺は、自分が何者かもまだ見つけていないのに、それに打ち勝とうとしている。
もしかしたら、遠くへ、ずっと遠くへ行ったら、全てが変わるのかもしれない。その考えが、その日初めて、流れ星のように頭の中を横切った。すごくかすかで、折れたチョークが起こした小さな空気の動きに乗って、日差しの柱に舞い込んで、最後に俺の筆箱の隣に落ちた。
母にオーストラリアに行きたいと言った時、彼女はちょうど野菜を切っていた。コンロでは味噌汁が煮えていて、換気扇がブンブンと熱気を吸い出している。台所には昆布だしと豆腐の香りが満ちていた。彼女の手元の包丁が一瞬止まった。まな板の上には、半分だけ切られた鯖があった。
とても長い沈黙が続いた。居間の時計の秒針の音が聞こえるくらいに。
それから彼女はエプロンで手を拭き、火を止めて、振り返って俺を見た。
「旅行じゃないんだよ。家の貯金にはそんな余裕はない。陽葵、もし本当に行くと決めたなら、もう後戻りできないと思っておきなさい」
彼女がそう言った時、その口調に迷いはなかった。眼差しは深くて底の見えない井戸のように静かだった。後に俺は知った。彼女は父に内緒で、すでにブリスベンの学校のリストを隅々まで調べ、一軒一軒ウェブサイトを開き、翻訳ソフトを使って一行一行、入学要項を読み解いていたのだと。深夜まで、スタンドの明かりが彼女の影を居間の壁に映し出して、それはまるで、家全体を抱えて海を渡れる、翼を広げた鳥のようだった。
「行きたい」
その三文字はすごく小さな声だった。でも、それは俺の十一年間で一番、力強い言葉だった。
五年生の最終日は、とても穏やかにやってきた。朝、俺は校門の前に立って、長いこと立ち止まっていた。あの桜の木の緑の葉が風にざわめき、木の下の影はまだらで、葉の隙間からこぼれる日差しは、まるで粉々に割れたガラスみたいに地面に散らばっていた。翔太が後ろから走ってきて、ランドセルのチャックが閉まってなくて、サッカーボールがサイドポケットから転がり出て俺の足元に落ちた。
「朝倉!」彼はかがんでボールを拾い、埃をはたいた。「今日はあんまり早く帰るなよ。放課後、駄菓子屋行こうぜ。俺のおごり。ソーダアイス、この前みたいにさ」
俺はいいよ、と言った。
でも、俺は行かなかった。放課後すぐに母の迎えが来て、そのまま病院の健康診断に連れて行かれた——ビザの申請に必要な診断書だ。診察室の外で順番を待っている間、俺は廊下の長椅子で翔太の「ソーダアイス」という言葉を思い出していた。それを言う時、こいつの歯には給食の海苔弁当のカスがついていたっけ。ボールの埃をはたく時、掌がインクで真っ黒だったことも。大樹が前に、オーストラリアのゴールドコーストの砂浜を見に行きたい、あそこの海は湘南よりも青いんだ、って言ってたことも。
俺は翔太に、アイス一本分の借りがある。大樹には、彼が想像する、もっと青い海の景色を。
後に2024年、一度帰国して、翔太と大樹と再会した。ちょうど梅雨の時期で、小雨が降っていて、横浜駅西口のファミレスで待ち合わせた。テーブルにはアイスコーヒーとフライドポテト、窓の外では透明のビニール傘を差した人たちがネオンの下を行き交っていた。翔太はすごく背が伸びて、声も低くなっていた。でも相変わらず痩せていて、笑うと歯がきれいに並んでいて、サッカーボールは一眼レフカメラに変わっていた。大樹はあまり変わってなかったけど、髪のくせがちょっと強くなったのと、相変わらず鉄道と電車に夢中で、新しい部屋の写真を見せてくれた——壁には巨大なJR路線図が掛かっていた。彼らはアイスコーヒーを飲み、俺もアイスコーヒーを飲んだ。受験のプレッシャーの話になって、オーストラリアの先生は発音がちょっと変だよ、なんて言った。俺たちはみんな、あの日俺が駄菓子屋に行かなかったことには、慎重に触れなかった。別れ際には雨が止んでいて、駅前広場の時計が夜の九時を指そうかという時、翔太が突然言った。「次に帰ってきたら、俺にアイスおごれよ。一番高いやつ、ハーゲンダッツな。何年分かの利息をチャラにしてやる」。俺は笑って、いいよ、と言った。大樹は改札口まで送ってくれて、「次に帰ってきたら、新しくできた東急新横浜線に乗せてやるよ。昔の小学校の近くまで直通で行けるんだぜ」と言った。
俺はまた次があると思ってた。
でも2025年、携帯を変えたらLINEアカウントの認証が失敗して、ロックされてしまった。すべてのチャット履歴、友達リスト、バックアップもろとも、全部消えた。異議申し立てを試みて、三度も情報を入力したけど「情報が一致しません」と出た。翔太と大樹の連絡先は、みんなそのアカウントの中にあった。今の彼らの電話番号は知らない。翔太はサッカーの強い私立高校に入れたんだろうか。大樹はあの新路線に本当に乗りに行ったんだろうか。
もう二度と見つけられない。
俺は彼らに、ソーダアイス味の夕暮れを借りたままだ。この借りはもう返せない。でも、彼らの名前はここにずっと残り続ける——俺の日記の中に、俺の横浜での最後の数年間の記憶の中に。彼らは、あの透明な檻の中で、俺が足の指を丸めなくてもよくて、自由に呼吸して笑うことができた人たちだから。
出発の日は、五月のある朝だった。九時過ぎの飛行機。便名は覚えていない。母が俺の手を引いていた。俺は自分のランドセルと小さなスーツケースを背負っていた。保安検査場の前で、母は一度だけ後ろの空港ロビーを振り返った。彼女の目尻がかすかに赤くなったけど、すぐに顔を戻し、そっと俺の背中を押して、「行こう」とだけ言った。
俺は搭乗口へ向かい、振り返らなかった。
飛行機が離陸した時、俺は窓に寄りかかって外を見ていた。横浜が翼の下でどんどん小さくなっていく。みなとみらいの観覧車、横浜ベイブリッジ、埋め立てられた整然とした大地。遠くの東京湾が灰色の絹の帯みたいに街を取り巻いている。自分の学校を見つけようとしたけど、見えなかった。何もかも見えなかった。飛行機が雲の層を抜けると、全てが白い雲で覆われて、どこまでも続く平坦な白だけが残った。シートの背にもたれて、目を閉じた。心の中で何かをそっと唱えた。それは別れの言葉じゃない。俺が過ごした十一年への、一つの誓いだった。
あの日、背負っていた紺色のランドセルには、新しく買ってもらったNintendo Switchと、数ページだけ読んだ『銀河鉄道の夜』の文庫本、それから着替えのTシャツが入っていた。文庫本は母が俺の荷物にねじ込んだものだ。「国語だけはちゃんと勉強しておきなさい」と言って。俺は本当は宮沢賢治のほうが好きだった——夏目漱石は重すぎる。すぐに人間の心の闇を描こうとする。宮沢賢治は、猫と一緒に散歩して、星の話を聞けるような人だ。でも、それは言わなかった。
俺は見知らぬ国へ行く。誰も知っている人はいないし、言葉も話せない。夜空の星座さえも、全く違う国だ。
でも、不思議と怖くはなかった。
だって、もう一つの半球で、南十字星が輝き始めるブリスベンの春の風の中に、本当の自分の名前が待っていることを知っていたから。
その時はまだ、その名前を知らなかった。でも、船はもう岸を離れた。ずっとそこにあって、海風が帆に積もった古い埃を吹き払うのを待っていただけなのだ。




