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村を少し便利にしただけなのに、魔法文明が終わりそうです   作者: Miris


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第9話 変な相談、井戸のふた

 その日の午後、私の家に老人が来た。


 背は少し曲がっているけれど、腕は太い。いかにも昔は力自慢でした、という雰囲気の人だ。ただし、腰に手を当てている。その手つきだけで、今どこがつらいのかはだいたい分かった。


「ミリィさん、相談がある」


「どうして私に」


「村長が、困ったらミリィさんに聞いてみろと」


「村長」


 私は心の中で村長の名前を石に刻んだ。


 もちろん、魔法石ではない。


 恨みの石である。


「井戸のふたが重くてな」


「井戸のふた」


「若いころは平気だったんだが、この腰ではつらい」


 老人は悔しそうに腰を叩いた。弱音というより、できていたことができなくなった悔しさが先にある顔だった。


「朝と夕方は水汲みが重なるだろう。待たせるのも悪いし、急ぐと余計に腰へ来る」


 言われて、共同井戸の様子が頭に浮かんだ。桶を持った人が並び、ふたを上げ、水を汲み、またふたを戻す。ひとつひとつは小さな動きでも、毎日となれば重い。


 私は少し考える。


 井戸のふたを軽くするだけなら、魔法で一瞬だ。でも、やらない。魔法を使えば、次から全部私に来る。井戸、扉、荷物、屋根、畑、人生。最後のは違うかもしれないが、たぶん来る。


「ふたを見せてもらえますか」


「おお、助かる」


「魔法ではやりませんよ」


「そうか。まあ、やれる範囲で頼む」


 意外とあっさりしていた。ルカ村の人たちは、魔法に頼りきっているわけではないらしい。


 井戸は村の中央近くにあった。木製の大きなふたが乗っていて、たしかに重そうだ。水を守るためには必要だが、毎回持ち上げるのは大変だろう。井戸の周りの石には、何年も人が立った跡が残っている。


 ちょうど水桶を持ったおばさんが二人、井戸のそばで順番を待っていた。片方の桶には洗ったばかりの布がかけられている。水を汲む前から、もう腕がふさがっている。


「これ、桶を持ったままだと余計につらいですね」


「そうなんだよ」


 おばさんが苦笑した。


「水は毎日いるからねえ。ふたが重いと、それだけで一仕事さ」


「これを軽くできればいいんですね」


「そうだ」


「魔法を使えば早いぞ」


 ピヨが言った。


「使わない」


「なぜだ」


「一瞬で済むことは、だいたい一瞬では済まない面倒を連れてくるから」


「深いようで、ただ面倒がっておる」


「正解」


 私は井戸の支柱を見た。上に横木がある。滑車をつければ、力を分けられる。ふたを完全に持ち上げるのではなく、支点を作って開閉式にしてもいい。


 問題は、私が詳しい設計者ではないことだ。


 でも、考え方くらいなら伝えられる。


「紐と輪を使って、引っ張る力を分ける方法があります」


「輪?」


「滑車みたいなものです」


「すべり車?」


「そういう名前でいいです」


 その場で簡単に木の枝を拾い、地面に図を描く。老人は真剣に見ていた。そこへ、たまたま通りかかったトマが足を止めた。


「何してるんだ、ミリィ」


「井戸のふたの相談です」


「叩くのか」


「叩かない」


「ふたは木だぞ」


「木でも叩けばいいと思ってるでしょ」


「だめか?」


「だめではないけど、今回は違う」


 私は滑車の説明をした。トマは腕を組み、真剣に聞く。


「つまり、力を逃がすんだな」


「近いです」


「引っ張ると、楽になる」


「そうです」


「なるほど」


 トマの目がきらりと光った。また職人の顔だ。


「それ、鍛えられるな」


「何が」


「引っ張る力」


「違う方向へ行かないで」


「村の若いやつらが使えば、腕が鍛えられる」


「井戸のふたを開ける道具で筋トレしないで」


 老人が「それも悪くないな」とつぶやいた。


「悪いです」


 私は即座に止めた。


 井戸は水を汲む場所であって、筋肉を競う場所ではない。危ない。放っておくと、この村は井戸を開けるたびに大会を始める。


 トマはその日のうちに簡単な輪と軸を作ってくれた。木と鉄の組み合わせで、見た目は素朴だが十分に使える。ふたに紐をつなぎ、支柱に取り付ける。


 老人が試しに引くと、重いふたがするりと少し浮いた。


「おお」


 老人の顔が輝いた。


「軽い」


「これなら腰に負担が少ないはずです」


「ミリィさん、すごいな」


「作ったのはトマです」


「考えたのはミリィだろ」


 トマが笑う。私は少しだけ困った。


 こういうのは、褒められると話が大きくなる。


「大したことではないです。魔法も使ってませんし」


「魔法なしで楽になるのがいいんだ」


 老人は何度もふたを上げ下げした。しまいには、近くにいた子どもたちまで集まってきて、順番に紐を引き始めた。


 待っていたおばさんも紐を引いた。重いふたがすっと開くと、水桶を置いたまま目を丸くする。


「あら、これなら水汲みの前に腰が終わらないね」


「終わってたんですか」


「終わる日もあるよ」


 笑いながら言われると、笑っていいのか迷う。


「一回だけだよ」


「次、俺!」


「私も!」


 井戸のふたが、すっかり遊具扱いである。


「……大丈夫かな」


「人気だな」


「人気になってほしいものではないんだけど」


 老人は満足そうにうなずいた。


「よし。これを使いこなす弟子を募集するか」


「弟子?」


「井戸ふた開閉術の」


「作らなくていいです、その流派」


 ピヨが私の肩で笑った。


「ミリィ、また変なものを生んだな」


「私はふたを軽くしたかっただけ」


 その日から、井戸のふたは楽に開くようになった。


 そして翌日、村の子どもたちの間で「井戸ふた引き競争」が流行った。


 私は頭を抱えた。


 魔法を使わなくても、面倒は発生するらしい。


 ******


 その夜、私は家で手を洗いながら、井戸のことを考えていた。


 ただのふた。重いふたを、少し楽に開けられるようにしただけ。それだけのはずだった。


 なのに、村の子どもたちは競争を始め、老人は流派を作りかけ、トマは滑車を見ながら筋トレ器具を考え始めている。


 小さな改善が、小さな騒動を生む。


 それがこの村の性質なのかもしれない。


「ミリィ、あの井戸ふた開閉術とやら、我も習得できるか」


 ピヨが毛布の上で言った。


「ピヨには紐を引く腕がないでしょ」


「翼がある」


「短い」


「いずれ長くなる」


「その自信はどこから来るの」


 ピヨは胸を張った。


「我は空の王である」


「まだ井戸の紐も引けない空の王」


「今は仮の姿!」


「はいはい」


 私は笑いながら、机の上に木の枝で描いた図を思い出した。


 滑車。てこ。支点。


 別に高度なものではない。でも、この村では十分に役立つ。


 現代文明の知識というと、つい大げさに聞こえる。蒸気機関とか、電気とか、そういうものを想像してしまう。でも、今のルカ村に必要なのは、そういう派手なものではない。


 重いものを少し楽に動かす。


 水を少し清潔に保つ。


 食べ物を少し長く持たせる。


 腰を少し痛めにくくする。


 その程度でいい。


 むしろ、その程度がいい。


 やりすぎれば目立つ。目立てば、面倒が来る。


「ミリィ」


「何」


「また難しい顔だ」


「考えごと」


「我の供物についてか」


「違う」


 私は窓の外を見た。井戸のほうから、まだ子どもたちの声がする。夜になる前にやめさせたほうがいいかもしれない。


 でも、笑い声だ。


 危ないわけではない。


 楽しそうだ。


 私は少しだけ迷ってから、外へ出た。


 井戸の前では、子どもたちが交代で紐を引いていた。横には老人が立っている。


「腰は大丈夫ですか」


「おお、ミリィさん。大丈夫だ。ふたを持ち上げなくてよくなったからな」


「それならよかったです」


「ただ、子どもたちが競争しすぎる」


「そこは止めてください」


「止めたいんだが、楽しそうでな」


 老人は困ったように笑った。


 その顔を見て、私は少しだけ納得した。この村では、便利になったものがそのまま遊びにもなる。不便な暮らしの中で、少し楽になったことを、みんなで面白がる。


 それは悪いことではない。


 ただ、井戸のふたで怪我をされると困る。


「競争するなら、順番と回数を決めましょう。あと、井戸の周りで押し合わないこと」


「なるほど、決まりか」


「決まりです」


 老人は子どもたちを集めて、すぐに説明した。子どもたちは少し不満そうだったが、「公式競技っぽい」と誰かが言うと、急に目を輝かせた。


「公式?」


「認定?」


「井戸ふた競技?」


「競技にしないで」


 私の突っ込みは、あまり届かなかった。


 でも、順番と回数は守られるようになった。


 まあ、いい。


 たぶん、これでいい。


 家に戻ると、ピヨが偉そうに言った。


「ミリィ、また村に決まりを作ったな」


「安全のため」


「王らしい」


「王じゃない」


「では村の母」


「もっと違う」


 私は毛布をかぶった。


 小さな便利は、小さな決まりを生む。そして小さな決まりは、たぶん暮らしを少しだけ守る。


 魔法を使うより、ずっと回り道だ。


 翌朝、私は井戸の前に貼られた木札を見て固まった。


『井戸ふた開閉術 稽古は一人三回まで』


「……稽古になってる」


 しかも、木札の下には小さくこう書いてあった。


『ミリィ監修』


「監修してない」


 老人が満足そうにうなずいた。


「決まりを作ったら、子どもたちが覚えやすいように名前をつけたほうがいいと思ってな」


「名前が悪化しています」


「悪化?」


「いいです。事故が起きなければ」


 子どもたちは木札の前で、きちんと順番を待っていた。昨日より騒がしくない。押し合いもしない。


 それなら、まあ、いい。


 そう思ったところで、トマが新しい輪を持って現れた。


「ミリィ、もう少し滑らかに回るようにした」


「仕事が早い」


「あと、紐を引く位置を低くした。小さい子でも届く」


「それは良いです」


「この仕組み、荷車にも使えそうだな」


「広げない」


「重い荷を少し楽に動かせるかもしれない」


「広げ方が正しいから余計に困る」


「ついでに、鍛錬用の重いやつも」


「それはいらない」


 トマは素直に重い輪を背中へ隠した。隠せていない。大きい。


「トマ」


「何だ」


「井戸は水を汲む場所です。鍛える場所ではありません」


「でも、少しなら」


「少しでも」


「分かった」


 老人が横からぼそっと言った。


「若いころなら、わしは重いほうを使ったな」


「誘わないでください」


 私は二人を交互に見た。


 便利な道具は、使い方を決めないと、すぐ別の遊びになる。でも、使う人が楽しそうにしているのも事実だった。


 結局、重い輪は鍛冶場に戻された。ただし、トマが「いつか何かに使える」と言ったので、私は「そのいつかは来なくていい」とだけ返しておいた。


 でも、この回り道は嫌いではなかった。


 そう思ったところで、朝にも会ったおばさんが水桶を抱えて足を止めた。


 ふたは楽に開くようになった。水を汲むところまでは、たしかに少し楽になった。


 でも、桶に入った水は軽くならない。


 おばさんの腕には、満たした水桶の重さがまっすぐ乗っていた。


「ミリィさん、そういえばうちの水桶も、もう少し楽に運べないかねえ」


 私は空を見上げた。


「聞こえません」


「聞こえておるぞ」


 ピヨが余計なことを言う。


 井戸のふたを軽くしただけなのに、次は水桶である。


 小さな不便を一つ直すと、次の不便がちゃんと順番待ちを始めるらしい。


 ******


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