【挿絵付】第7話 鍛冶屋の息子はだいたい叩く
鍛冶場の入口で、私は鍋を抱えたまま少し固まっていた。
火の赤に照らされた若い男の子が、鉄を叩いている。昨日まで静かに暮らす予定だった私には、少し眩しすぎる光景だった。
かん、かん、かん。
規則正しく、力強い音。その音だけで、鍛冶場の空気が少し熱く感じる。年は私より少し下くらいだろうか。たぶん十八歳くらい。袖をまくった腕にはしっかり筋肉がついていて、汗が首筋を伝っている。
真剣な横顔だった。鍛冶場の火の赤が、頬を照らしている。
私は一瞬、足を止めた。
うん。
これは、少し困る。
見た目が、思ったより良い。
「ミリィ、これは武器か」
「鍋」
「なるほど。かぶるのか」
「煮るの」
「煮る武器」
「武器から離れて」
ピヨは私の肩に乗っていた。本人は「高き場所こそ我にふさわしい」と言っているが、歩くのが遅いだけだと思う。
「ミリィ、顔が静かだぞ」
「うるさい」
ピヨを軽くつつくと、男の子がこちらを振り向いた。
目が合う。
「あ、客か?」
「はい。鍋を直してほしいと頼まれて」
「鍋か。見せてくれ」
私は鍋を渡した。男の子は鍋を両手で持ち、へこみを確認する。火から離れると、彼の顔は少し幼く見えた。けれど、鍋を見る目は真剣で、ただ力任せに叩く人の目ではなかった。
「ああ、これなら叩けば直る」
「鍛冶屋っぽい」
「鉄はだいたい叩けばなんとかなる」
「だいたいで大丈夫?」
男の子はにっと笑った。人懐っこい笑顔だった。
「俺はトマ。ここの鍛冶屋の息子だ」
「ミリィ・ルナベルです」
「ミリィか。よろしく」
「よろしくお願いします」
「そっちの黄色いのは?」
「我は空の王」
「ひよこか」
「空の王である!」
トマは少し考えたあと、うなずいた。
「しゃべるひよこか。すごいな」
「納得が早い」
「山奥だからな」
「またそれ」
この村の人たちは、だいたいの不思議を山奥で片づける。便利すぎる。
トマは鍋を台に置き、金槌を手に取った。
「すぐ直す。座って待っててくれ」
「ありがとうございます」
私は近くの椅子に座った。鍛冶場は暑い。けれど、不思議と嫌な暑さではない。鉄と炭と火の匂いが混ざっていて、ここにあるものは全部、誰かの手で形を変えられてきたのだと分かる場所だった。
トマは鍋を見ながら、丁寧に叩き始めた。
かん、かん、と軽い音がする。さっきまで大きな鉄を叩いていたときとは違う。力を抜き、角度を変え、少しずつへこみを戻していく。
真面目だ。
ちゃんと見ている。
「上手ですね」
「親父の仕事を見て育ったからな」
「叩けば直るだけじゃないんですね」
「まあ、叩き方は大事だ」
「それはそう」
なんだ。ちゃんとした人だ。少し抜けていそうだけど、仕事には真剣で、腕もある。
私は少しだけ感心した。
その直後、トマが言った。
「人間関係も、叩き方を間違えなければ直るのかな」
「人間関係は叩いちゃだめだからね?」
やっぱり抜けていた。
トマは本気で不思議そうな顔をした。
「そうなのか」
「そうです」
「でも、鉄は叩くと形が整うぞ」
「人は叩くとたぶん怒る」
「なるほど」
納得したらしい。
本当に大丈夫だろうか、この人。
ピヨが肩の上で小さく笑った。
「ミリィ、面白い男だな」
「黙ってて」
「気に入ったのか」
「黙ってて」
トマは鍋を直しながら、ちらりとこちらを見た。
「ミリィは旅人なんだろ? どこから来たんだ?」
「遠いところから」
「遠いところ」
「かなり遠いところです」
「海の向こうか?」
「もっと遠いかもしれません」
「空の上か」
私は少しだけ言葉に詰まった。当たらずとも遠からず。
「まあ、そんな感じです」
「すごいな」
「雑に信じないでください」
トマは笑った。その笑顔がまた素直で、少し困る。
私は視線を鍋に戻した。
「そういえば、これ、取っ手が少し緩んでますね」
「ああ。そこも後で叩く」
「留め方を少し変えたら、長持ちするかもしれません」
「変える?」
私は思わず口を開いてから、しまったと思った。
現代知識。
出しすぎると面倒になる。でも、鍋の取っ手くらいならいいだろうか。いや、こういう小さなことが後で大きくなるのだ。
私は慎重に言葉を選んだ。
「ええと、力が一か所にかからないように、少し広めに固定するとか」
トマの目が光った。
まずい。
職人の目だ。
「面白いな。それ、絵に描けるか?」
「簡単にですよ?」
「簡単でいい」
「大げさにしないでくださいね」
「しない」
トマは真剣にうなずいた。私は近くにあった木片に、炭で簡単な図を描いた。
ただの固定方法の話だ。鍋の取っ手。それだけ。それなのに、トマはまるで新しい武器を見つけたような顔をした。
「なるほど。叩く前に、形を考えるんだな」
「今まで考えてなかったんですか」
「考えてた。叩きながら」
「先に考えて」
トマは笑った。私は額を押さえた。
この人、危ない。悪い意味ではない。良い意味で、危ない。素直で、真面目で、すぐ試す。私が余計なことを言うと、きっと形にしてしまう。
気をつけよう。
「できたぞ」
トマは直した鍋を持ち上げた。へこみはきれいに戻り、取っ手も少し補強されている。
「ありがとうございます」
「礼はいらない。面白い話を聞けたしな」
「面白くないです。普通の話です」
「普通か。遠いところはすごいな」
トマはまた笑った。
私は鍋を受け取り、胸の前に抱えた。なんだか、少しだけ顔が熱い。
鍛冶場が暑いせいだ。
たぶん。
「また来てくれ。ミリィの話、もっと聞きたい」
「変なものは作らないでくださいね」
「分かった。叩いてから考える」
「だから先に考えて」
ピヨが肩の上で、楽しそうに鳴いた。
私は鍋を抱えて鍛冶屋を出た。
静かに暮らす予定だった。なのに、少し気になる男の子と出会ってしまった。
これは、魔物退治より面倒かもしれない。
鍋を持ってギルドへ戻る途中、私は何度か振り返りそうになった。
もちろん、振り返らなかった。
振り返る理由がない。ただ鍛冶屋の息子が鍋を直してくれただけだ。少し腕がよくて、少し筋肉がしっかりしていて、少し笑顔が素直で、少し発言が抜けていただけである。
少しが多い。
「ミリィ」
「何」
「顔が難しいぞ」
「考えごと」
「あの男のことか」
「違う」
「早い否定は怪しいと、ギルドの女が言っておった」
「余計なことを覚えない」
ピヨは肩の上で楽しそうに羽を揺らした。このひよこ、意外と人の痛いところを突く。
ギルドに鍋を届けると、受付さんは大げさなくらい喜んだ。
「ありがとうございます! これで今日の煮込みが作れます」
「ギルドの鍋だったんですか」
「はい。昼食用です」
「重要でしたね」
「とても」
ギルド長も奥から顔を出した。
「おお、直ったか。トマのところへ行ったんだな」
「はい」
「あいつは腕はいい。ちょっと抜けてるが」
「それは分かりました」
「悪いやつじゃない」
「それも分かりました」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。
何を分かった気になっているのか。会ったばかりなのに。
受付さんがにこにこしている。
「トマさんは村でも評判ですよ」
「そうなんですか」
「力もありますし、素直ですし、頼めばだいたい直してくれます」
「人間関係も叩こうとしてましたけど」
「そこは、まあ」
「まあなんだ」
ギルド長が笑う。
「あいつは言葉が少し足りん。悪気はない」
「分かります」
「分かるのか」
「なんとなく」
分かってしまうのが、少し困る。
トマの言葉はずれているけれど、裏がない。まっすぐすぎて、たまに変な方向へ突っ込んでいく。だから突っ込みたくなる。そして、見ていて飽きない。
危険だ。
退屈しないものは、だいたい面倒の入口である。
その夜、私は家で鍋の取っ手のことを思い出していた。正確には、トマが図を見たときの目を思い出していた。
あの目。
何かを作る人の目。
ただ言われた通りに直すのではなく、もっと良くできるかもしれないと考える目。
私は現代文明の知識を持っている。でも、全部を自分で再現できるわけではない。工具も材料も違う。社会も違う。何より、私が専門家ではない。
だから、知識はそのままでは使えない。
誰かがこの世界の形に変える必要がある。
トマは、もしかするとそれができる人なのかもしれない。
「ミリィ」
「何」
「また難しい顔だ」
「考えてるだけ」
「あの男のことか」
「違う」
「二回目の早い否定」
「ピヨ、明日の朝ごはん減らすよ」
「横暴である!」
ピヨが毛布の上で暴れた。私は笑ってしまった。
その笑いで、少しだけ胸の変な感じがほどける。
トマのことは、気にしすぎない。道具の話も、しすぎない。現代知識を出すときは、慎重に。
そう決めた。
決めたのだけれど。
翌朝、扉を開けると、トマが立っていた。
手には、昨日の取っ手の固定方法を試した小さな金具。
「ミリィ、これで合ってるか?」
私は額を押さえた。
「行動が早い」
「気になって」
「でしょうね」
慎重にしようと決めた翌朝にこれである。
やっぱり、この人は面倒かもしれない。
でも、少しだけ楽しそうだと思ってしまった。
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