【挿絵付】第4話 ルカ村、平和で不便
ルカ村は、山のふもとにちょこんと置かれたような村だった。
木の柵に囲まれ、石と土の道が細く伸びている。家は十数軒ほど。畑は思ったより広く、煙突からは白い煙が上がっていた。空気は澄んでいて、聞こえるのは風と、遠くの鍬の音くらいだ。
のどか。
静か。
そして、かなり不便そう。
「ふむ。なかなか小さき集落だな」
「初対面の村を見下ろさない」
私の腕の中で、ピヨが偉そうに村を眺めている。
私は村の少し手前に降りた。いきなり空から村の真ん中へ降り立つのは、どう考えても目立つ。目立つのはよくない。私は静かに暮らしたいのだ。
だから、普通に道を歩く。
腕にしゃべるひよこを抱えている時点で、普通とはかなり遠い気もするけれど。
「ミリィ、なぜ地を歩く」
「目立たないため」
「我を掲げれば、皆がひれ伏すぞ」
「それが目立つって言ってるの」
村の門らしき場所に近づくと、畑仕事をしていたおじさんが顔を上げた。日焼けした顔に、太い腕。手には鍬。見るからに村人で、こちらを見てもすぐに警戒するのではなく、まず目を細めて様子を確かめるような人だった。
「おや、見ない顔だな」
「こんにちは。旅の者です。少し、村で休ませてもらえませんか」
「そりゃ構わんが……嬢ちゃん一人か?」
嬢ちゃん。
やはりそう見えるらしい。女神さまの言っていた通り、私は十六歳くらいに見えるようだ。実年齢は二十一なのに。
「一人、というか」
「我もいる」
ピヨが胸を張った。
おじさんは、ぴたりと止まった。鍬を握ったまま、目だけがピヨに向く。
「……今、ひよこがしゃべったか?」
「気のせいです」
「我は空の」
「気のせいです」
私はピヨのくちばしをそっと押さえた。ふわふわの羽毛の下で、ピヨが不満そうにもぞもぞする。頼むから今は黙ってほしい。ここで「空の王」などと名乗られたら、私まで怪しい人になる。
いや、もう十分怪しいかもしれない。
おじさんは何度かまばたきしたあと、妙に納得したようにうなずいた。
「まあ、山にはいろいろいるからな」
「納得が早い」
「うちの村は山奥だからな。変わったものには慣れてる」
「それは助かりますけど、助かっていいのかな」
おじさんは笑った。悪い人ではなさそうだ。むしろ、あまりにも受け入れが早すぎて、こちらの警戒心の置き場に困る。
「村長のところへ案内しよう。旅人なら、まず話を通したほうがいい」
「ありがとうございます」
「そのひよこは?」
「拾いました」
「しゃべるのに?」
「拾ってから気づきました」
「そりゃ大変だ」
「本当に」
ピヨが私の腕の中でもぞもぞした。くちばしを押さえられて不満そうだ。でも、ここで演説を始められるよりはましである。
村の中へ入ると、何人かの村人がこちらを見た。子どもが指をさす。おばさんが目を丸くする。おじいさんが「ほう」と言う。視線は私ではなく、ほぼピヨに集中していた。
まあ、そうなる。
「かわいい鳥だねえ」
通りがかったおばさんが言った。
ピヨがくちばしを押さえられたまま、ふんぞり返る。
「ぴ、ぴよ」
「あら、鳴いた」
「鳴き声は普通だな」
「今は普通でお願いします」
私は小声でピヨに言った。ピヨは不満そうに目を細めたが、しばらくは黙ってくれた。
村長の家は、村の中央にあった。ほかの家より少し大きいだけで、豪華というほどではない。木の扉を叩くと、白髪まじりの穏やかな男性が出てきた。目元がやわらかく、こちらを見ても慌てない。長く村のことを見てきた人、という印象だった。
「おや、旅の方ですかな」
「はい。ミリィ・ルナベルといいます」
「ミリィさん。よくこんな山奥まで」
「少し道に迷いまして」
嘘ではない。人生の道にも、地理的にも、だいぶ迷っている。
村長は私を家に招き入れ、温かいお茶を出してくれた。木の椅子。古い机。壁には乾燥させた草束と、簡単な地図がある。落ち着く。すごく落ち着く。文明は中世くらいに見えるけれど、家の中は思ったより清潔だった。
「この村はルカ村と申します。山奥で不便ではありますが、平和な村です」
「魔物は出るんですか?」
「たまに。小さなギルドがありますので、大事になる前に対処しております」
「たまになら、まだ」
「冬は雪で三か月ほど閉ざされますがな」
「そこは全然まだじゃないです」
村長は朗らかに笑った。笑うところなのだろうか。三か月閉ざされるというのは、なかなか大きい問題ではないだろうか。
「商人は月に一度来ます。食料は村でまかなえますし、暮らせぬほどではありません」
「なるほど。不便だけど、成り立っているんですね」
「その通りです」
村長はうなずいた。
私はお茶を飲んだ。素朴な味だ。少し苦いけれど、悪くない。寝床があれば、ここで静かに暮らせるかもしれない。
そのとき、私の腕の中でピヨがむずむず動いた。
「もうよいか」
「何が」
「我を紹介する時間だ」
「いらない」
「なぜだ!」
ついにピヨが普通にしゃべった。
村長は湯飲みを持ったまま固まった。しばらくして、ゆっくり湯飲みを机に置く。
「……しゃべるひよこですかな」
「はい」
「空の王である」
「ひよこです」
「我は空の王である!」
「今はひよこでしょ」
村長は少しだけ考え込んだあと、深くうなずいた。
「なるほど。山奥ですからな」
「その一言で済ませていいんですか」
「山奥ですから」
「便利ですね、山奥」
私は思わず遠い目をした。ピヨは胸を張っている。村長は笑っている。この村、大丈夫だろうか。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。変なものを見ても、すぐ騒ぎ立てない。旅人にお茶を出す。しゃべるひよこにも、まあ山奥だからと納得する。
平和だ。
平和すぎて、少し心配になるくらいだ。
「しばらく滞在したいのですが、どこか泊まれる場所はありますか」
「空き家が一軒あります。古いですが、雨風はしのげます」
「十分です」
「ただ、掃除は必要ですな」
「それも大丈夫です」
魔法で一瞬、とは言わない。言ったら負けだ。掃除くらい、手でやればいい。
「では、ご案内しましょう」
村長が立ち上がる。私はピヨを抱え直した。
「ミリィ」
「何」
「我の部屋もあるか」
「まず私の寝床が先」
「空の王を床に寝かせる気か」
「ひよこは藁で寝るものじゃない?」
「扱いが雑である!」
ピヨのツッコミに村長が楽しそうに笑った。山奥は娯楽も少ないのだろうかと思ったが、これからのことを考えると私はため息をついた。
静かに暮らせそう。
そう思ったばかりなのに、もう静かではない。
でもまあ、悪くはないかもしれない。
空き家へ向かう途中、村長は村の中をゆっくり案内してくれた。ルカ村は小さい。けれど、思ったより整っていた。家は古いが、崩れかけてはいない。畑の畝もきちんと並んでいる。井戸の周りには石が敷かれ、ぬかるまないよう工夫されていた。
不便だけれど、雑ではない。
そこが少し意外だった。
「こちらが共同の井戸です」
「水はここから?」
「ええ。山の水は悪くありません。ただ、冬は凍らぬよう気をつけねばなりません」
「冬、ですよね」
「雪が深くなりますからな」
村長は当たり前のように言った。私は当たり前ではない顔をした。
でも、今は深掘りしない。今それを聞くと、寝床より先に冬の不安で頭がいっぱいになりそうだからだ。
井戸の近くでは、子どもたちが私を遠巻きに見ていた。正確には、ピヨを見ている。
「鳥だ」
「大きい」
「黄色い」
「しゃべる?」
最後の子どもの言葉に、私はピヨのくちばしを押さえた。
「ぴ」
「鳴いた!」
「かわいい!」
子どもたちは笑った。ピヨは不満そうに目を細める。屈辱らしい。
でも、ここで「我は空の王」とやられるよりずっといい。
「あちらが小さなギルドです」
村長が指さした建物には、剣と盾の看板がかかっていた。木造の小さな建物だ。強そうというより、村の集会所に少し飾りをつけたような感じである。
「魔物が出ると、あちらで対応を?」
「ええ。大きな魔物はめったに出ません。小型の獣や、畑を荒らす魔物がたまに」
「たまに」
「たまにです」
「そのたまにが怖いですね」
村長はまた笑った。笑いごとではないと思う。でも、この村では長くそうやって暮らしてきたのだろう。怖がりすぎても仕方ないのかもしれない。
「商人は月に一度ほど来ます。塩や布、針、薬などはそのときに」
「月に一度」
「はい」
「もし買い忘れたら?」
「翌月ですな」
「不便」
「不便です」
村長はあっさり認めた。その潔さは少し好きだ。便利なふりをしない。不便を不便として受け入れて、その上で暮らしている。
私は元の世界の便利さを知っている。夜でも明るく、蛇口をひねれば水が出て、店へ行けばたいていのものが手に入る世界。
この村には、そのどれもない。それでも、人の顔は暗くない。
それは、かなり大事なことに思えた。
「ミリィさんは、旅慣れておいでですかな」
「そう見えますか」
「落ち着いておられる」
「たぶん、現実味がないだけです」
「ははは。それも旅には必要です」
村長は笑った。私はピヨを抱え直す。腕の中の温かさが、妙に現実的だった。
「ところで、その鳥は何を食べるのですかな」
「私も知りたいです」
「我は上質な肉を要求する」
「ひよこは穀物では」
「我はひよこではない」
「今はひよこでしょ」
村長は楽しそうに笑い、近くの家から少し穀物を分けてもらうよう手配してくれた。ピヨは最初こそ「肉」と言い張ったが、穀物をつつき始めると黙った。
気に入ったらしい。
「食べるんだ」
「仮の姿ゆえ」
「便利すぎるよ、その言い訳」
村長が案内してくれた空き家は、村の端にあった。その道すがら、何人もの村人が声をかけてくる。知らない人に警戒するより先に、心配してくれる。そして、心配の次に、だいたいピヨを見る。
「ねえ、その鳥しゃべるの?」
小さな女の子が、私の横をちょこちょこ歩きながら聞いてきた。
「たぶん、しゃべらないほうが平和です」
「我は偉大なる空の覇者である」
「しゃべった!」
女の子が目を輝かせると、近くにいた子どもたちがわらわら集まってきた。ついでに、大人も二、三人増えた。
なぜ。
私はまだ村に着いたばかりで、自己紹介も終わっていない。それなのに、腕の中のひよこ一羽のせいで、すでに見物人ができている。
「ミリィさんは、その鳥の世話係なのかい?」
「違います」
「では家臣か」
「もっと違う」
静かに暮らす予定が、初日から少し崩れる音がした。
山奥の村。平和で、不便で、人が近い。
ここなら静かに暮らせるかもしれない。
そう思った。
腕の中のピヨがいなければ、もう少し強くそう思えた。
「ミリィ、我の家は大きいほうがよい」
「まず私の家」
「我は王である」
「私は家なしなんだけど」
「ならば、共に宮殿を求めよう」
「空き家でお願いします」
やがて着いた空き家は、たしかに空き家だった。屋根はある。壁もある。寝床を置けそうな部屋もある。
ただし、扉は少し傾いていて、押すとぎい、と嫌な音を立てた。奥のかまどには古い煤が残り、煙突は使う前に見たほうがよさそうだ。水場は家の中にはなく、少し離れた共同井戸まで行くらしい。
「住めますな」
「住めますけど、不便の詰め合わせですね」
「山奥ですからな」
「その言葉、万能すぎません?」
村長がまた笑う。
ピヨは部屋の真ん中に立ち、短い翼を広げた。
「まずは我の玉座を置く場所を決めねばならぬ」
「まず煙突」
「玉座ではなく?」
「煙突」
見物に来ていた子どもたちが、外から楽しそうにのぞいている。たぶん明日には、村中が私とピヨのことを知っている。そして明後日には、誰かがこの扉か煙突について相談に来る。
そんな予感がした。
私はため息をついた。
平和。不便。そして、騒がしい。
ルカ村の第一印象は、だいたいそんな感じだった。
静かに暮らすどころか、便利屋にされる未来が、ほんの少し見えた気がした。
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