【挿絵付】第3話 しゃべるひよこ、偉そう
山の中で、大きな卵からひよこが生まれた。
そこまでは、まだいい。いや、かなりよくないけれど、百歩譲っていいことにする。私は異世界に来たばかりで、空も飛べる身体になっていて、魔法の感覚まで勝手に分かるようになっている。だから、大きな卵が割れて、何かが生まれるくらいは、ぎりぎり現実として飲み込める。
問題は、そのひよこが生まれて最初に言った言葉である。
「我を崇めよ」
「閉じていいかな、卵」
「なぜだ!」
割れた殻の中で、黄色いひよこがふんぞり返ろうとして、ころんと横に転がった。羽毛はふわふわで、くちばしは小さく、短い翼がちょこんとついている。少し大きめとはいえ、見た目は完全にひよこだ。
ただし、しゃべる。
しかも偉そう。
「待て、我は偉大なる空の覇者であるぞ」
「立てない空の覇者」
「今は仮の姿なのだ」
「便利な言葉だね、仮の姿」
ひよこは短い足で必死に立ち上がろうとした。けれど殻の内側が滑るらしく、足がつるつると空回りする。そのたびに丸い身体が揺れ、黄色い羽毛がぷるぷる震えた。
「ぬ、ぬううう」
「手伝おうか」
「いらぬ! 我は自力で立つ!」
そう言って、ひよこはまた転んだ。
私は少しだけ待った。本人の尊厳というものもある。あるはずだ。たぶん。でも、三回目に転んだところで、尊厳より安全を優先することにした。
黙って手を伸ばし、ひよこを殻の外へ出す。
軽い。羽毛は温かく、指の間に沈むほどやわらかい。抱き上げると、ひよこは一瞬だけおとなしくなった。
「……なかなかよい抱え方だ」
「どうも」
「特別に我を運ぶ栄誉を与えよう」
「置いていこうかな」
「待て!」
元気はある。態度も大きい。でも弱い。ものすごく弱い。
私はこの世界に転生してからまだ一日も経っていない。それなのに、早くも面倒な相棒を拾ってしまったのかもしれない。
「あなた、名前は?」
「我の真名は、人の身には重すぎる」
「じゃあ軽い名前にするね」
「待て。話を聞け」
「ピヨ」
「軽すぎる!」
ひよこは翼をばたつかせた。ばたつかせた結果、ふわりとも浮かず、私の腕の中でただ暴れただけだった。
「ピヨ」
「違う。我にはもっと荘厳な名が」
「ピヨ」
「せめて、ピヨ様と」
「ピヨ」
「……せめて敬意を」
「はいはい、ピヨ」
ひよこ、改めピヨは不満そうにくちばしを鳴らした。けれど、名前そのものを本気で嫌がっているわけではなさそうだった。むしろ、呼ばれるたびに少し胸を張る。
扱いやすいのか、扱いにくいのか。
判断に困る。
「それで、ピヨはどうしてあんな卵にいたの?」
「ふむ。よくぞ聞いた」
ピヨは私の腕の中で、また偉そうに胸を張った。さっきまで立てなかったくせに、説明する姿勢だけは立派である。
「我は偉大なる空の王。その眠りは長く、深く、そして尊い」
「つまり?」
「知らぬ」
「知らないんだ」
「起きたら卵だった」
「雑な伝説だね」
ピヨは堂々としていた。堂々と何も知らなかった。まあ、生まれたばかりなのだから仕方ないのかもしれない。話せる時点で、普通の生まれたばかりではないけれど。
私は周囲を見回した。壊れた殻。古い岩。倒れた木。親鳥らしき影はない。魔力の気配は卵の残り香だけで、危険なものは感じない。
たぶん、置いていけばピヨはすぐに何かに食べられる。本人は空の覇者を名乗っているが、今のところ野良猫にも勝てなさそうだ。
「……仕方ないか」
「何がだ?」
「村まで連れていく」
「当然である。我を運ぶ栄誉を」
「歩いてもらおうかな」
「抱えるがよい」
「急に弱い」
私はピヨを片腕に抱え直した。もう片方の手で、割れた卵の殻を少しだけまとめる。完全に捨てるのも気が引けたので、小さめの欠片をひとつだけ拾った。
欠片には、まだ魔力が残っている。私が触れていないのに、ほんの少しだけ温かい。まるで、卵だった時の記憶をまだ抱えているみたいだった。
あとで何か分かるかもしれない。
いや、調べすぎると面倒になるかもしれない。
でも、拾った以上、少しくらいは調べたい。
「ミリィよ」
「まだ名乗ってないんだけど」
「我には分かる」
ピヨは、さっきまでの軽い調子とは少し違う声で言った。私は殻の欠片を握ったまま、腕の中のひよこを見る。
「卵の中で、何度も聞こえていた」
「誰の声で?」
「知らぬ」
「そこで急に雑」
「その名、悪くないぞ」
「それはどうも」
女神さまが現地で自然に使えるようにした名前。ミリィ・ルナベル。ピヨが当然のように呼んだことで、少しだけその名前が自分のものになった気がした。
同時に、少しだけ嫌な予感もした。卵の中で聞こえていた声。私の名前。偶然で済ませるには、ちょっと形が整いすぎている。
「ではミリィ、我を住まわせる宮殿へ案内せよ」
「寝床もまだないって言ってるでしょ」
「なんと。空の王を野宿させる気か」
「今のところ、野宿候補は私も同じなんだけど」
ピヨは深刻そうな顔をした。ひよこの顔なので、あまり深刻には見えない。
「それは困る」
「でしょうね」
「我は柔らかな敷物と、温かな食事を要求する」
「自分の立場を考えて発言しようね」
私は空へ浮かび上がった。ピヨが小さく「おお」と声を漏らす。私の腕の中で偉そうにしているくせに、空に出ると目を輝かせた。黄色い羽毛が風に揺れる。
「飛べるのか、ミリィ」
「一応ね。緊急避難ということにしてる」
「ならば我を掲げよ。民に見せねば」
「民がいない」
「下に村があるではないか」
「まだ知り合いでもない人たちを民って呼ばない」
山のふもとに、ルカ村が見える。小さな家々。畑。煙突の煙。あそこに行けば、たぶん人がいる。寝床も、もしかしたらある。
問題は、腕の中のしゃべるひよこだ。
どう説明すればいいのだろう。拾いました。しゃべります。偉そうです。うん、怪しい。
「ミリィ」
「何」
「我は腹が減った」
「生まれてすぐ要求が多い」
「空の王だからな」
「空の王なら自分でごはんを探して」
「今は仮の姿である」
「便利だね、本当に」
私はため息をつきながら、村へ向かって降りていった。
静かに暮らす予定だった。転生して、山奥の村で、誰にも目立たず、寝床を確保して、できれば昼寝する予定だった。それなのに、腕の中にはしゃべるひよこ。しかも偉そう。
「我を崇めよ、村人たちよ!」
「まだ着いてないから黙ってて」
先が思いやられる。
村へ向かう途中、ピヨは一度も黙らなかった。正確には、私が「黙って」と言うたびに三呼吸くらいは黙った。けれど四呼吸目には、また何か言い始めた。
「ミリィ、あの木は我の止まり木にふさわしい」
「大きすぎるし、まだ登れないでしょ」
「いずれ登る」
「いずれね」
「あの岩は我の玉座に」
「苔だらけだよ」
「ならば掃除させよ」
「誰に」
「民に」
「まだ民がいない」
ピヨは世界のすべてを自分のものにする勢いで見ている。前向きというか、図々しいというか。でも、悪意はない。本人は本気でそう思っているだけだ。
それが一番面倒なのだけれど。
山道は細く、足元には木の根が多かった。私は飛んでしまえば楽だが、村の近くで飛ぶところを見られたくない。だから、できるだけ歩く。腕の中のピヨは、私が一歩進むたびに揺れた。
「ミリィ、揺れる」
「歩いてるから」
「もっと高貴に運べ」
「高貴な運び方って何」
「揺れず、優雅で、温かい」
「それは馬車では」
「馬車とは何だ」
「そのうち見ると思う」
私は枝を避けながら歩いた。森は静かだった。時々、鳥の声がする。風が葉を揺らす。遠くで小さな水音も聞こえた。
元の世界の森とは違う。似ているけれど、どこか濃い。草の匂いも、土の湿り気も、空気の重さも、少しずつ違う。
異世界に来たのだと、ようやく実感が湧いてきた。
「ミリィ」
「今度は何」
「お前は、なぜそんなに面倒を嫌う」
「急に核心」
「我には分かる。お前は力を持っている」
ピヨの声が、少しだけ低くなった。
私は足を止めた。腕の中のひよこは、いつものように偉そうだった。けれど、つぶらな目だけはまっすぐこちらを見ている。
「分かるの?」
「少しだけだ。とても大きい。山より大きい」
「それは言いすぎ」
「我の卵を割った力だ。弱いはずがない」
思ったより、ちゃんと見ている。
私は少しだけ言葉に困った。自分の力を隠したい理由を、ひよこ相手に説明することになるとは思わなかった。でも、ここで笑って流すには、ピヨの目が妙に真剣だった。
「だから困るんだよ」
「なぜだ」
「使ったら、誰かに見つかる。見つかったら、説明する。説明したら、頼まれる」
「頼まれるとどうなる」
「昼寝が減る」
「それは大事だな」
「でしょ」
私はうなずいた。ここは笑うところではない。人生、いや二周目の人生の方針である。
「力があるからって、使わなきゃいけないわけじゃないでしょ」
「そうなのか」
「そうだよ。使うと、後片づけが増える」
「後片づけ」
「壊したものを直したり、驚いた人に説明したり、偉い人が来たり、もっとやってくれって言われたり」
「それは面倒だな」
「でしょ」
ピヨは真剣にうなずいた。妙なところで理解が早い。
「ならば、我が代わりに偉大さを示そう」
「立てるようになってからね」
「そこへ戻るな」
「大事だから」
またいつもの調子に戻る。そのやり取りに、私は少しだけ安心した。
ピヨは変だ。かなり変だ。でも、ただ騒がしいだけではないのかもしれない。
森を抜けると、視界が開けた。山の斜面の下に、村が見える。木の柵、畑、煙突。小さくて、素朴で、静かそうな村。
私が求めていたものに近い。
ただし、腕の中のひよこがいなければ。
「ミリィ」
「何」
「我の第一声は重要だ」
「黙ってて」
「民の心をつかむには、威厳ある言葉が必要である」
「だから黙ってて」
「我を崇めよ、ではどうだ」
「絶対にだめ」
ピヨは不服そうにした。
私は村へ続く道を見下ろす。知らない世界。知らない村。知らない人たち。そして、しゃべるひよこ。
静かな暮らしは、始まる前から少し騒がしい。
問題は、村人たちがこのしゃべるひよこを見て、普通に受け入れてくれるかどうかだ。
いや、普通に受け入れられても、それはそれで怖い。
それでも、私は歩き出した。まずは寝床。その次に、ピヨのごはん。そしてできれば、面倒ごとを避ける方法を考えよう。
たぶん、もう遅い気もするけれど。
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