第31話 竜見物、山道を詰まらせる
山の竜さまがルカの守護神になった、ということになってから数日。
私の家の前を、朝から知らない人たちがぞろぞろ歩いていた。
手には花。背中には荷物。顔には期待。足元には、ルカの道に慣れていない感じの危うさ。
私は戸口に立ったまま、温くなりかけたお茶を両手で包んだ。
「……多くない?」
「多いですね」
隣で村長が、もう村長と呼んでいいのか分からない顔でうなずいた。
広場の向こうでは、バルトさんが荷馬車の横で人の流れを見ている。商人の目だ。混乱を見ているのに、なぜか利益の形まで見えていそうな目だ。
山道の入口には、すでに列ができていた。
列、と言えば聞こえはいい。
実際には、祈りたい人、見たい人、道を聞きたい人、戻ってきた人、途中で足をくじきかけた人、ピヨに豆をあげたい子どもが全部混ざった、ほどけた糸みたいなものだった。
「ミリィちゃん! 山道の途中で人が止まってる!」
トマが走ってきた。額に汗が浮いている。
「止まってる?」
「竜さまがまばたきしたらしくて、みんなそこで拝み始めた!」
「道で?」
「道で!」
私はお茶を飲んだ。
苦い。
お茶のせいではない。
「道で拝むと、後ろの人が通れないよね」
「うん。あと、戻ってくる人も通れない」
「つまり詰まってる」
「詰まってる」
村長が眉間を押さえた。
「……守護神さまは、ありがたいですな」
「ありがたいのと、通行の邪魔は別です」
山の上では竜が静かに座っているだけだ。
なのに、ふもとのこちら側だけが勝手に大騒ぎしている。
竜が悪いわけではない。
でも、竜がいるから起きている。
こういう時、責任の置き場がふわふわして困る。
******
山道の入口へ行くと、空気がもう違っていた。
湿った土の匂い。踏み荒らされた草の匂い。人の熱気。荷物を背負った旅人の革紐が軋む音。
そして、その全部の上から、誰かの祈りの声がかぶさっていた。
「竜さま、どうか畑をお守りください」
「うちの子の熱が下がりますように」
「商いがうまくいきますように」
「豆をください」
「それはピヨだね」
最後の声だけは、木の箱の上で胸を張っている鳥から出ていた。
ピヨは山道入口に置かれた豆箱の横で、すでに自分の役目を理解した顔をしている。
いや、たぶん理解していない。
でも、豆が集まる場所だということだけは完璧に理解している。
「ミリィ! 参拝者はよい心がけである!」
「ピヨ、そこにいると人が止まる」
「我は守護鳥である」
「守護鳥は通行の邪魔をしない」
「……では端に寄る」
ピヨが箱ごと少し横へ動こうとして、箱が動かず、羽をばたばたさせた。
子どもたちが笑う。
その笑いにつられて、大人たちの肩の力が少し抜けた。
よかった。
このまま全部が信仰の熱に包まれると、誰も「そこ危ないです」と言えなくなる。
「ミリィさん」
村長が私を見た。
「どうしましょう」
「まず、止まる場所を決めましょう」
私は山道を見上げた。
入口から少し進むと、道が細くなっている。そこから先で立ち止まられると、上りと下りがすぐぶつかる。
逆に、入口の横には少し平らな場所がある。
石工さんが置いてくれた供え物台もそこだ。
「祈るのは入口の広場。山道は歩く場所。竜を見るのは、木工職人さんたちが作ってくれた見晴らしのところだけ」
「見晴らし」
「まだないけど」
「今から作るんですね」
「作りすぎない範囲で」
トマがこちらを見た。
目が輝いている。
私は先に釘を刺した。
「大きな台はいらないよ」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってた」
トマは少しだけ口を尖らせた。
でも、すぐ山道へ目を向ける。あの子は、面白いものを作るのが好きだけど、人が転ぶのを見るのはもっと嫌いだ。
「手すりと、足場を少し直す。あと、途中で休める場所」
「うん。それでお願いします」
私がうなずくと、トマはもう走り出していた。
「木工場に声かけてくる!」
「走ると転ぶよ!」
「転ばない!」
言ったそばから石に足を引っかけて、ぎりぎりで立て直した。
周りの人が小さく笑う。
その笑いが、山道の空気を少し普通に戻してくれた。
******
昼前には、入口に簡単な板が立った。
セドさんが書いた文字は、いつも通りきれいだった。
山道は歩くところ。
祈りは入口で。
供え物は石台へ。
火は使わない。
子どもから目を離さない。
ピヨに豆をあげすぎない。
「最後、字が大きいですね」
「大事なところですので」
セドさんは筆を置きながら、まじめな顔で答えた。
横でピヨが不満そうに羽をふくらませる。
「信仰を量で測るな」
「ピヨのお腹は量で膨らむでしょ」
「それは事実である」
「なら守って」
「守護鳥、節度を覚える」
怪しい。
ものすごく怪しい。
でも、書かないよりはましだ。
バルトさんはその板を眺めて、満足げにうなずいた。
「よいですね。人は、禁止だけでは動きません。どこで祈ればよいか、どこで待てばよいか、何をすればよいかが分かると、流れます」
「流れないと詰まるからね」
「詰まりは商いにも信仰にもよくありません」
「そこ、同じ棚に置く?」
「人が集まる場所では、同じ棚に置かざるを得ません」
言い方が嫌に正しい。
遠くで、竜がゆっくり首を動かした。
山の中腹にいる黒い影が、光を受けて少しだけ輪郭を変える。
入口にいた人たちが一斉に息をのんだ。
誰かが膝をつきそうになった。
「祈りは入口で!」
私が声を上げると、その人ははっとして石台の前へ移動した。列は少し乱れたけれど、完全には崩れなかった。
小さな成功だ。小さすぎる成功だ。
でも、今のルカにはそれが必要だった。
「ミリィちゃん」
村長が隣でぽつりと言った。
「これは、今日だけでは終わりませんな」
「ですよね」
私も山を見上げた。竜は静かだった。山も静かだった。
静かではないのは、人間だけだ。
そして人間は、放っておくと道を詰まらせる。
「……まず道ですね」
「道ですな」
村長が深くうなずく。
私はため息を飲み込んだ。
竜さまの信仰は、最初に山道の整備を要求してきた。
ありがたい。
とてもありがたい。
だからこそ、少しだけ面倒だった。
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