第28話 いい雰囲気は鳥が壊す
夕方、小旅行の帰り道で、私はピヨの背に揺られながら、トマと並んで山の夕日を見ていた。近隣の町を出て、ルカへ戻る途中である。ピヨの飛び方は、今日は珍しく安定していた。風がやわらかい。山の稜線が赤く光っている。下を流れる森は、深い緑から少しずつ黒へ変わっていく。
「静かだね」
私が言うと、トマがうなずいた。
「ああ」
それだけだった。でも、悪くない沈黙だった。トマは外の鍛冶屋で見た工具を、布に包んで大事そうに抱えている。ゲイルさんが貸してくれたものだ。次に来るまでに使ってみろ、と。不器用な言い方だったけれど、認められた証みたいなものだと思う。
「嬉しそう」
「そう見えるか」
「見える」
「嬉しい」
素直だった。いつも通り。でも、その素直さが今日は少しだけ胸に響いた。
「外へ行ってよかった?」
「よかった。知らない道具があった。知らない考え方もあった」
「うん」
「でも、ルカの道具も悪くないって分かった」
トマは少し考えながら言った。
「魔法石がないから、不便だと思われる。でも、直せる。不便なぶん、触れる」
「いい言い方」
「ミリィが言いそうだと思った」
「私、そんなに格好いいこと言ってる?」
「たまに」
たまに。変に褒められるより、少し効く。私は視線をそらした。
「たまにですか」
「いつもは突っ込んでる」
「それはそう」
トマが笑った。風が髪を揺らす。空の上は少し寒い。でも、ピヨの背中は温かい。隣にはトマがいる。不思議な状況だ。転生した日には、こんな帰り道を想像もしなかった。
******
ピヨはしばらく黙って飛んでいた。珍しい。本当に珍しい。もしかして空気を読んでいるのかと思った。私は少し感心しかけた。その瞬間。
「いい雰囲気であるな」
「黙ってて」
やっぱり読んでいなかった。いや、読んだうえで壊した。最悪である。トマが首をかしげる。
「いい雰囲気?」
「違う」
「そうなのか」
「そう」
「でも、夕日がきれいだから、いい雰囲気ではあるな」
「そういう意味なら、まあ」
トマは真面目に夕日を見ていた。この人の素直さは、時々私を助け、時々追い詰める。ピヨがさらに言った。
「トマよ、今こそ言うがよい」
「何を?」
「我への感謝を」
「そっち?」
「我が空を飛ばねば、この時間はなかった」
確かに。それはそうだ。とても悔しいが、そうだ。トマは真面目にうなずいた。
「ありがとう、ピヨ」
「よい」
ピヨが得意げに鳴いた。
「では供物を」
「調子に乗らない」
「感謝には形が必要である」
「帰ったら穀物ね」
「肉も」
「穀物」
トマが小さく笑った。
「ミリィとピヨは、家族みたいだな」
「え」
思わず声が出た。家族。その言葉は、軽く出たわりに、胸の奥へすっと入ってきた。私はピヨを見る。偉そうで、食いしん坊で、すぐ余計なことを言って、よく落ちて、最近大きくなってきた不思議な鳥。家族。そう言われると、少し困る。
「……面倒な家族だね」
「我は誇り高き家族である」
「自分で言わない」
トマは私を見て、少しだけ柔らかく笑った。
「ミリィがそう言うなら、そうなんだな」
「何を納得したの」
「大事にしてるんだなって」
私は言葉に詰まった。風が吹く。夕日が近い。ピヨが、珍しく何も言わなかった。本当に珍しく。だから、余計に困った。
******
ルカの町が見えてきた。看板の鳥。広がった道。増えた家。荷馬車の列。鍛冶場から上がる煙。前より大きくなったルカ。私はそれを空から見下ろして、少しだけ息を呑んだ。
「……大きくなったね」
「そうだな」
トマがうなずく。
「ミリィが来てからだ」
「私は何もしてない」
「そう言うと思った」
「本当に」
「うん。でも、ミリィがいなかったら、俺は箱の金具を考えなかった。雪かき道具も、滑車も、外の鍛冶屋に行くこともなかった」
「それは、トマが作ったから」
「ミリィが止めてくれたから、使える形になった」
また、まっすぐ言う。空の上で逃げ場がない。私は視線を足元の町へ落とした。
「褒めても何も出ません」
「そうか」
「本当に何も」
「じゃあ、帰ったら小屋の金具を直す」
「それはピヨの仕事では?」
「ピヨは金具を直せない」
「我は監督する」
「ほら、面倒が増えた」
トマが笑う。私も少し笑ってしまった。良い雰囲気は鳥が壊す。でも、壊された後の空気も、嫌いではなかった。
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帰り道の空は、行きよりもずっと穏やかだった。ピヨの飛び方も少し安定している。たぶん、外の町で散々見られたせいで、本人なりに格好をつけているのだと思う。格好をつける理由があると、ピヨは意外と頑張る。問題は、格好をつけすぎると変な方向へ行くことだ。
「ミリィ」
トマが、風の音に負けないよう少し近くで言った。
「何?」
「外の鍛冶屋、すごかった」
「うん」
「でも、ルカでやってきたことも、悪くないと思った」
「そうだね」
トマは前を向いたまま、少し照れたように笑った。
「俺、もっと作れるようになりたい。ルカの人が使えるものを。外の人にも、使えるものを」
その声はまっすぐだった。私は返事に迷う。茶化すのは簡単だ。でも、今のトマの言葉は、茶化すには少し大事だった。
「作れるよ」
そう言うと、トマがこちらを見た。
「本当に?」
「うん。もう作ってる。大きすぎることもあるけど」
「そこは直す」
「ぜひ」
トマは笑った。私も少し笑った。風が頬を撫でる。山の稜線が夕日に染まっている。空を飛んでいるのに、地に足がついた話をしている。変な感じだ。でも、悪くない。
「良い話をしているな」
ピヨが突然言った。
「聞いてたの?」
「我は全方位を見ている」
「前を見て」
「心配するな。だいたい前である」
「だいたいで飛ばないで」
私は革帯を握り直した。行きは怖さのほうが大きかったけれど、帰りは少しだけ景色を見る余裕がある。外の町の屋根。細い道。魔法石の灯りが、まだ明るい時間なのにちらちら光っている通り。そして、その先にあるルカの山。あそこが、私の帰る場所になっている。不思議だった。
転生したときは、ただ静かに暮らせる場所があればいいと思っていた。今は、うるさくて、変な鳥がいて、素直すぎる鍛冶屋の息子がいて、商人が匂いを嗅ぎつけて、職人が増えて、相談が増えている。静かではない。でも、帰る場所と言われれば、たぶんあそこだ。
「ミリィ」
トマが言った。
「うん」
「帰ったら、今日見た金具を試してみたい」
「休んでからね」
「少しだけ」
「その少しだけが夜まで続くでしょ」
トマは否定しなかった。素直すぎる。私はため息をついたけれど、嫌ではなかった。新しいものを見て、作りたくなる。そういう顔は、悪くない。ただ、その顔を見ていると、私まで何かを期待してしまう。トマが作る次の道具。それを使う村の人たち。外の町の職人との交流。魔法石がなくても、少しずつ便利になっていく暮らし。どれも面倒だ。間違いなく面倒だ。でも、全部が嫌かと言われると、そうでもない。
「ミリィ、今また変な顔をしている」
「どんな顔」
「面倒と言いながら逃げない顔」
「それ、かなり嫌な顔では?」
トマは笑った。
「俺は好きだ」
風のせいにしたいくらい、頬が熱くなった。空の上で逃げ場がないのは、こういうとき非常に困る。しかも操縦役がピヨである。信用できる逃げ場が一つもない。恋愛より先に、安全確認が必要だった。順番としては非常に正しい。悲しいくらいに。そのとき、ピヨが翼を大きく広げた。
「見よ、我の着地を!」
「普通に!」
「華麗に!」
「普通に!」
ルカの外れの草地が近づく。風が強くなる。ピヨの体が少し揺れた。私は革帯を握る。トマが私の肩を支えた。
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない予感」
どすん。ピヨは着地した。今までで一番まともだった。ただし、最後に足がもつれて、三人まとめて草地へ転がった。
「完成である」
「未完成」
「でも、前よりましだ」
トマが草の上で笑った。私は空を見上げた。夕焼けがきれいだった。草まみれだけど。少しだけ、こういう日も悪くないと思った。そして、悪くないと思った瞬間に、遠くの山から低い音が響いた。ごう、と。風ではない。獣でもない。山全体が、深く息をしたような音だった。ピヨが体を起こし、珍しく黙った。トマも山を見る。私の背中に、ぞわりとした感覚が走った。何かがいる。山の空気が、変わった。
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