第19話 商人、月一をやめる
バルトさんは、荷馬車を三台連れて来た。三台である。冬前までは一台だった。月に一度、必要なものを積んで来るだけの商人だったはずだ。それが今、三台。しかも、荷台には布や塩だけでなく、木材、空の樽、空の箱、見知らぬ道具まで積まれている。
「少しだけ増やしました」
「少しの意味を辞書で確認してください」
村の入り口でバルトさんはにこにこしていた。商人の笑顔だ。いい笑顔なのに、なぜか逃げたくなる。
「ルカ村の保存食、評判が良くてですね」
「もう売ったんですか」
「試しに少し」
「少し」
「荷馬車一台分ほど」
「それは少しではない」
主婦組が後ろで歓声を上げた。売れた。褒められた。もっと作れる。その三つがそろったおばさんたちは強い。
「次は香りを三種類にしよう」
「箱も分けよう」
「名前をつけよう」
「名前は危険です」
私は反射的に止めた。名前がつくと、商品になる。商品になると、広がる。広がると、面倒になる。
「では、ひとまず仮名で」
バルトさんが言った。
「仮名なら」
「ルカの冬越しセット」
「もう売る気満々」
「名前は大事です」
「だから危険なんです」
バルトさんは楽しそうだ。この人は、面倒を商機と呼ぶタイプだ。
「ミリィさんにも相談したいことが」
「嫌な予感がします」
「保存食を運ぶ箱です。湿気に強く、積みやすく、見栄えも良い形にしたい」
「私は箱職人ではありません」
「でも、何か思いつくでしょう?」
「思いつきません」
「今、目が少し動きました」
「商人こわい」
実際、少し思いついた。箱の大きさをそろえれば積みやすい。湿気を避けるには底を少し上げる。中身を分けるなら簡単な印をつける。でも言いたくない。言うと、また広がる。トマが横から顔を出した。
「箱なら作れるぞ」
「トマ」
「大きさをそろえればいいんだろ?」
「なぜ分かった」
「ミリィが前に、道具は形を考えてから作るって言ってたから」
「覚えてた」
バルトさんの目が光った。
「なるほど。規格ですか」
「言葉にしないで」
「面白い」
「面白くないです」
「いや、商売としては非常に」
「だから面白くないです」
ピヨが荷馬車の上に乗っていた。
「この箱に我の絵を入れよ」
「入れない」
「売れるぞ」
「たぶん売れない」
バルトさんが少し考えた。
「意外と、看板には」
「考えないで」
その日、バルトさんは村の人たちと次々に話をしていった。保存食。箱。棚。道具。道の状態。商売の話は、私が止めても勝手に進んだ。というより、村人たちも楽しそうだった。
外の町で自分たちの作ったものが喜ばれた。それが嬉しいのだ。私はそれを否定したいわけではない。だから困る。困ったので、私は村長とバルトさんを集会所へ呼んだ。
正確には、逃げようとしたところを村長に見つかり、ついでにバルトさんが「ちょうど相談が」と言ってついてきた。逃げ道が商人に塞がれている。
「条件を決めましょう」
私は机の前に座って言った。
「条件ですか」
バルトさんはにこにこしている。商談の顔だ。村長は穏やかにうなずいた。
「必要ですな」
「まず、無理な量は作らない。冬支度と普段の生活が優先です」
「もちろんです」
「本当に?」
「商売は続くことが大事ですから」
そこは信じてもよさそうだった。
「次に、私の名前は出さない」
「はい」
「謎の助言者とかもなし」
「残念です」
「残念がらない」
「では、ルカ村の冬越し保存食として」
「それなら」
村長がうなずく。
「村の名前なら、みなで責任を持てますな」
「責任という言葉も重いですが、まあ」
私は三つ目の指を立てた。
「魔法石を使っているように見せない。魔法の保存食みたいな宣伝もしない」
バルトさんは少しだけ目を細めた。
「それは、売り文句としては強いのですが」
「だめです」
「分かりました」
「本当に?」
「信用を失うほうが高くつきます」
「商人らしい納得の仕方」
最後に、私は一番大事なことを言った。
「村の人を勝手に連れていかない。職人や働き手の話も、本人と村長を通す」
バルトさんは今度はすぐにうなずいた。
「それは当然です。人を物のようには扱いません」
その言い方は、少し意外だった。商人だから油断はできない。でも、線を引けば守る人なのかもしれない。
「ミリィさん」
バルトさんが言った。
「あなたは商売を嫌がっているようで、村の利益は見ていますね」
「面倒が嫌なだけです」
「面倒を避けるために条件を整える。よい商人の素質があります」
「いりません」
「残念です」
村長が楽しそうに笑った。ピヨは机の上で銅貨の袋を眺めている。
「我の取り分は」
「ない」
「看板になるぞ」
「ならない」
バルトさんが少し考えた。
「看板鳥というのは、意外と」
「考えないで」
その一言は、たぶん少し遅かった。商人の目が、何かを見つけた目になっていた。私は嫌な予感を胸の奥へ押し込めた。今は保存食の話だ。看板鳥は関係ない。関係ないはずだ。
「月に一度では足りませんね」
夕方、バルトさんが言った。
「足りてください」
「月に二度来ます」
「相談ではなく報告」
「商機は待ってくれません」
「私の平穏も待ってくれません」
バルトさんは深くうなずいた。
「平穏も大事です」
「分かってくれますか」
「だから、ミリィさんにはなるべく表に出ない形で」
「そういう問題でもないけど、そこは助かります」
完全には信用できない。でも、バルトさんは私の名前を売るつもりではないらしい。少なくとも今は。
「次は職人を連れてきます」
「どうして」
「箱と棚と道具が必要ですから」
「トマがいます」
「トマさん一人では足りません」
「足りて」
「無理ですね」
また認めた。私は空を見上げた。春の空は青い。村は暖かい。荷馬車は三台。次は職人。月に二度の定期便が決まると、村の側にも準備が必要になった。
保存食を置く場所。空箱を戻す場所。受け取った塩や布を分ける場所。荷馬車が止まる場所。私はまた集会所に座らされていた。なぜだ。
「ミリィさん、荷馬車は広場の端でよいですかな」
村長が聞く。
「道をふさがなければ」
「雨の日は?」
「ぬかるむので、板か石を敷いたほうがいいかも」
「なるほど」
トマがうなずく。
「石なら運ぶ」
「大きすぎる石はだめです」
「分かった。ほどほどの石」
「トマのほどほどが少し不安」
バルトさんは紙に何かを書いている。
「荷下ろし場ですね」
「名前をつけないで」
「必要な機能です」
「機能名がまた残る」
でも、名前があると話は早い。そこが悔しい。主婦組は保存食の数を管理する札を作り始めた。木工職人が来る前から、もう仕事が生まれている。
「ミリィさん、売る分と冬用を分ける札は何色がいい?」
「売る分は茶色、冬用は白とか」
「分かりやすいね」
「今のはただの思いつきです」
「思いつきが大事だよ」
また広がる。私は頭を抱えた。ピヨは机の上で銅貨の袋を見張っている。
「我が財を守る」
「村のお金です」
「我の食費になる」
「一部だけね」
「ならば我の財でもある」
「雑な理論」
バルトさんが笑いながら言った。
「ピヨさん用の穀物も、次から少し多めに持ってきましょう」
「買収しないで」
「商談です」
「なお悪い」
ピヨは完全にバルトさんを見る目を変えた。
「商人、悪くない」
「簡単に懐かない」
定期便。荷下ろし場。保存食の札。少し前まで、月一回の商人を待つだけだった村が、商人を迎える準備をし始めている。道が変わる。物が動く。人が動く。それは、村が大きくなる音だった。聞こえないふりをしたい。でも、荷馬車の車輪の音は、もうかなり大きかった。
「ピヨ」
「何だ」
「静かな暮らしって何だっけ」
「食えるものがある暮らしだ」
「ピヨに聞いた私が悪かった」
バルトさんは帰り際、荷馬車の車輪を指で叩いた。
「道がよくなれば、もっと安定して来られます」
「もっと」
「雪の季節以外なら、荷も増やせます」
「増やさない方向で」
「村が望めば、です」
その言い方はずるい。村人たちはきっと望む。塩も布も薬も、外の情報も、あれば助かるものばかりだ。私は止めたいのではなく、速すぎるのが怖いのだと気づいた。気づきたくなかった。
「ミリィ」
「何」
「ゆっくり増える食べ物ならよいのでは」
「ピヨにしてはまとも」
「食べ物の話だからな」
納得したくないのに、少し納得してしまった。食べ物の話だけで、村の未来を語らないでほしい。ルカ村は、少しずつ大きくなっている。私は何もしていない。……と言い切るには、少し苦しくなってきた。
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