第16話 帰れない旅人、住み始める
雪で足止めされた旅人の一人は、日記を書く人だった。名前はセド。細身で、眼鏡をかけていて、何かあるたびに小さな革の手帳を取り出す。
「なるほど。山奥の村。冬の閉鎖。住民の協力体制。しゃべるひよこ」
「最後のは書かなくていいです」
「重要な観察対象です」
「重要にしないで」
セドさんは、私の言葉を聞いているのかいないのか、さらさらとペンを走らせた。旅人といっても、商人ではないらしい。各地を歩き、村や町の暮らしを書き残しているという。つまり、記録魔である。
「ミリィさん、今の発言をもう一度」
「嫌です」
「なぜです」
「日記に残されるから」
「残すために聞いています」
「なおさら嫌です」
セドさんは不思議そうに首をかしげた。悪気はない。たぶん、本当に何でも記録したいだけだ。しかし、私としては困る。目立ちたくない。記録に残りたくない。特に「謎の魔女ミリィ、雪の村に降臨」みたいな書き方は絶対に避けたい。
「私はただの旅人です」
「ただの旅人は空から来ません」
「見たんですか」
「村人から聞きました」
「村人」
私は頭を抱えた。誰だ。誰が話した。いや、たぶん全員だ。
「我は空の王である」
ピヨが机の上で胸を張った。セドさんの目が輝く。
「発言記録。自称、空の王」
「自称ではない!」
「現状、飛行能力は?」
「仮の姿ゆえ、まだ温存しておる」
「つまり飛べない」
「温存だ!」
ピヨが怒った。セドさんは満足そうに書く。相性が悪い。いや、良すぎるのかもしれない。その日の午後、セドさんは村を歩き回った。保存食作りを見る。雪かき道具を見る。井戸の滑車を見る。主婦組の冬越し棚を見る。そして、いちいち感動する。
「魔法石を使っていないのですか」
「使ってませんね」
「それでこれほど?」
「これほど、というほどでも」
「いや、興味深い。魔法に頼らぬ生活改善。雪に閉ざされる地域での自立性。これは貴重な記録になる」
「貴重にしないで」
止めても書く。セドさんの手帳は、夕方にはかなり厚くなっていた。物理的に厚くなったわけではないけれど、そう見えるくらい書いていた。そして問題は、その記録の中に私が含まれていることだ。
「ミリィさんの昼寝の習慣についても」
「書かないで」
「しかし、村人によれば毎日決まった時間に」
「それは偉業ではないです」
「規則正しい生活は文化を語る上で」
「文化にしないで」
セドさんは真面目だった。真面目に変だった。夜、村の集会所で旅人たちを囲む食事会が開かれた。保存食の試作品が並び、温かいスープが配られる。外は雪。中は火の明かりと人の声で暖かい。セドさんは、その光景を静かに見ていた。
「いい村ですね」
「そうですね」
私は素直にうなずいた。平和で、不便で、変な人が多い。でも、いい村だ。
「春になったら、外へ出られますよ」
「はい」
セドさんは少し考えた。
「でも、少し残ってもいいでしょうか」
「……はい?」
「この村の冬を、最後まで記録したいのです」
「記録」
「それに、春の変化も見たい」
私は嫌な予感がした。こういう人は、少しと言って長くいる。そして記録する。何でも。
「村長に相談してください」
「もちろんです」
セドさんは嬉しそうだった。ピヨがスープ皿をのぞき込みながら言った。
「ミリィ、また住人が増えるぞ」
「まだ決まってない」
「決まった顔をしておる」
「やめて」
私はスープを飲んだ。温かい。とても温かい。でも、胸の中には少しだけ冷たい予感があった。冬が明けたら、村が少し変わっているかもしれない。
******
翌日から、セドさんの記録はさらに細かくなった。朝、井戸までの道を誰が開けたか。昼、どの家に人が集まって保存食を分けたか。夕方、子どもたちがピヨを雪に埋めようとして誰に怒られたか。
最後は記録しなくていい。
「山村における冬季共同生活の実例」
セドさんはそう言いながら、手帳に題名らしきものを書いていた。
「題名が硬いですね」
「では、雪に閉ざされた村で見た工夫とひよこ」
「ひよこを題名に入れないで」
「重要な観察対象です」
「重要にしないで」
私は手帳をのぞこうとした。セドさんはすっと胸元へ戻す。
「記録者の独立性は守られるべきです」
「都合のいいときだけ立派なことを言う」
「ミリィさんについては、村人たちの証言が多いので」
「そこを減らしましょう」
「なぜです」
「私が静かに暮らしたいから」
セドさんは本気で悩んだ。悩まなくていい。消せばいい。しかし、彼にとっては事実を減らすことが苦痛らしい。
「では、表現を調整します」
「どう調整しますか」
「村に滞在する若い女性の助言により」
「ほぼ私」
「謎の」
「悪化」
「では、名前は伏せます」
「それでお願いします」
ひとまず勝った。たぶん。昼になると、雪で足止めされた旅人たちも村の仕事に混ざり始めた。一人は薪割り。一人は倉庫の整理。セドさんは記録係。ただし、記録係は働いたことになるのか少し怪しい。
「セドさん、手を動かしましょう」
「動かしています。ペンを」
「薪も動かしましょう」
「なるほど」
セドさんは素直に薪を持った。しかし、細身なので運ぶ量は少ない。それでも村人たちは笑って受け入れた。
「少しでも助かるよ」
「記録だけじゃ腹はふくれないからね」
「そうですね」
セドさんは真面目にうなずき、また何かを書いた。
「労働と食事の関係」
「それ、書かないと分からないことですか」
「体験すると言葉が変わります」
「急に記録者っぽい」
ピヨは雪道の端で偉そうに指揮をしていた。
「そこだ。薪を右へ運べ」
「ピヨ、邪魔」
「我は監督である」
「監督なら雪に足を取られないで」
言った瞬間、ピヨは雪に沈んだ。
「戦略的現場確認」
「救出待ちでしょ」
旅人の一人が笑いながらピヨを引き抜いた。
「この村は退屈しないな」
「退屈でいいんですけど」
「いや、いい村だ」
素直に言われると、また困る。夕方、私は集会所で村長と話した。旅人たちの食料のこと。働き口のこと。春になったら出ていくか、残るか。村長は穏やかに言った。
「残りたい者がいれば、相談に乗りましょう」
「簡単に増やして大丈夫ですか」
「簡単ではありませんな。ですが、人手はあります。畑も最低限は余裕がある。冬を一緒に越した者なら、村のことも分かります」
「それは、まあ」
「それに、ミリィさんの周りには人が集まります」
「その結論は違います」
「違いますかな」
「違います」
村長は笑った。どうして誰も信じてくれないのか。私は何もしていない。少し口を出して、少し突っ込んで、少し逃げ遅れているだけだ。その夜、セドさんがまた私に近づいてきた。
「ミリィさん」
「今度は何を書きましたか」
「冬の村では、余所者も働けば居場所を得る、と」
「それはいい記録ですね」
「その中心に」
「私を置かない」
「では、中心不明のままに」
「不明にもしないで」
セドさんは珍しく笑った。少しだけ、村に馴染み始めている顔だった。ああ、これは残るかもしれない。私はそう思った。そして、その予感はたぶん当たる。数日後、セドさんは集会所に一枚の紙を貼った。
『冬季滞在者一覧』
「一覧を作ったんですか」
「食事、寝床、仕事の分担を確認しやすくするためです」
「それは便利ですね」
「ミリィさんの名前も」
「なぜ」
「滞在者なので」
「村に滞在しているのはそうですけど、冬に捕まったわけでは」
「空から来たので、分類上は特殊滞在者です」
「分類しないで」
紙には、旅人たちの名前、得意な仕事、泊まっている場所が書かれていた。その一番下に、小さく『ピヨ 自称空の王 火の前』とある。
「ピヨまで」
「重要なので」
「重要ではないです」
ピヨはその紙を見て満足そうだった。
「我の肩書きが記された」
「自称って書いてあるよ」
「肩書きは肩書きだ」
村人たちは一覧を見て、すぐに使い始めた。
「薪割りはあの人だね」
「セドさんは字が書けるから、札を頼もう」
「ピヨは火の前から動かないね」
「その情報いる?」
いるらしい。紙一枚で、人の動きが少し分かりやすくなる。便利だ。魔法ではない。ただ、書いただけ。それでも暮らしは少し整う。私はその事実を見て、また余計なことを覚えてしまった気がした。その日の夜、一覧の前で村人たちが話していた。
「これ、春になっても使えるね」
「畑の手伝いも分かりやすい」
「道具の貸し借りにもいいかもしれない」
「待って。発展させないで」
私が止めると、みんな笑った。笑っているが、たぶんやる。セドさんはすでに紙を一枚追加していた。
『春以降の検討』
「検討しないで」
「検討だけです」
検討という言葉も、信用できない。私は何もしていない。たぶん。
******
この話が良かった、参考になったと思ったらお好きな数だけつけてください!
また見たい!と思ったらブックマークもお願いします!




