第12話 商人、匂いを嗅ぎつける
月に一度の商人が来た。
村の入口に荷馬車が止まり、布、塩、針、薬草、少しだけ香辛料などが並べられる。普段は静かな村の道が、その日だけは少し色を増したように見えた。布の赤、薬草の緑、革袋の茶色。村人たちの声も、いつもより少し弾んでいる。
商人の名前はバルト。
丸い顔に、人好きのする笑み。けれど、品物を見る目と金勘定をするときの目だけは、やけに鋭い。
商人だ。
とても商人だ。
「おや、見ないお嬢さんですね」
「ミリィです。しばらく村に滞在しています」
「これはこれは。バルトと申します。山奥でも、良いものならどこへでも運ぶ男です」
「いい自己紹介ですね」
「ついでに悪いものは置いていきます」
「そこは置いていかないでください」
バルトさんは笑った。人は良さそうだ。でも油断してはいけない。こういう人は、にこにこしながら面倒を運んでくる。
「ミリィさん、例の保存食を見てもらおうと思ってね」
主婦組のおばさんが、バルトさんの前に燻製肉を並べた。
私は一歩下がった。
関係者ではありません、という顔をする。
しかし、ピヨが肩の上で言った。
「ミリィが少し口を出したやつだな」
「ピヨ」
「何だ」
「黙って」
遅かった。
バルトさんの目が光った。
「ほう。ミリィさんが?」
「少しです。本当に少し」
「少しでこれですか」
バルトさんは燻製肉を手に取り、香りを確かめ、少しだけ口にした。その瞬間、目つきが変わった。
金勘定の目だ。
私は後ずさった。
「これはいい」
「普通の保存食です」
「普通より香りがいい。日持ちも見込める。山道でも運びやすい」
「そこまで考えなくても」
「売れますね」
「言い切った」
バルトさんはもう止まらなかった。
次に干し魚を見る。塩漬け野菜を見る。硬いパンを見る。主婦組が出すたびに、商人の目が輝く。食べているというより、荷馬車に積んだ先の景色を見ている顔だった。
「冬越しの知恵、山の味、魔法石なしの保存食」
「宣伝文句を作らないでください」
「旅人向けにもいい。兵糧にもなる。町の食堂も欲しがるでしょう」
「広げないで」
「しかも、ここでしか作れないという希少性」
「ここ以外でも作れます」
「そう言えるのがまた強い」
「どうして?」
バルトさんは楽しそうに笑った。主婦組も嬉しそうだ。
村のものに価値があると言われるのは、悪い気はしないのだろう。それは分かる。分かるけれど、私の名前は出してほしくない。
「これ、私は関係ない方向でお願いします」
「もちろんです」
「本当ですね」
「ええ。ルカ村の冬越し保存食、という形で」
「それなら」
「監修、謎の旅人ミリィ」
「言わないで」
バルトさんは笑いながら手を振った。
「冗談ですよ」
「商人の冗談は怖い」
「よく言われます」
そこで、バルトさんは木箱の横に置かれていた一枚の紙に目を留めた。セドさんが清書した保存食分類表である。
赤は濃い味。青はそのまま用。緑は煮込み向き。下のほうには、なぜか小さく『ピヨ禁止』まで書いてある。
「これは?」
「ただの整理表です」
「素晴らしい」
「素晴らしくないです」
「売る側にも、買う側にも分かりやすい。味の説明が早い。旅人にも食堂にも勧めやすい」
「広げる材料を見つけないでください」
バルトさんは分類表を持ち上げ、主婦組を見る。
「これも一枚、写しをいただけますか」
「もちろんだよ」
「もちろんじゃない」
止める前に、おばさんが予備の紙を差し出した。早い。準備がよすぎる。
私は頭を抱えた。
味だけなら、まだよかった。
分類表がつくと、商品になる。
すごく、商品になる。
ピヨが燻製肉に顔を近づけた。
「これは我の審査を通った」
「食べただけでしょ」
「厳正な審査である」
「食べただけ」
バルトさんはピヨをじっと見た。
「しゃべるひよこですか」
「山奥ですから」
「なるほど」
「納得した」
商人、強い。メイジのリオルさんより納得が早い。
「これは客寄せにも」
「使わないで」
「もちろんです」
「本当ですね」
「ええ。今は」
「今は?」
この人、危ない。
私は改めてそう思った。
その日の夕方、バルトさんはかなりの量の保存食を買っていった。村人たちは喜んでいた。主婦組は次回までに改良すると燃えていた。トマは保存用の棚を作れないか相談されていた。
私は関係ない顔をして、家に帰ろうとした。
そこへ、バルトさんが追いかけてきた。
「ミリィさん」
「何でしょう」
「来月も来ます」
「商人ですからね」
「いえ、半月後に来ます」
「早くないですか」
「商機は逃すな、と祖父の遺言で」
「お元気ですか、お祖父さん」
「とても元気です」
「遺言じゃない」
バルトさんはにこにこしている。
面倒が、荷馬車に乗って近づいている音がする。
「ミリィさん、ルカ村は面白いですね」
「平凡な村です」
「平凡な村は、しゃべるひよこと変わった保存食を同時に出しませんよ」
「それは、まあ」
「また来ます」
「ほどほどに」
バルトさんは笑って去っていった。
私は肩を落とした。
「ミリィ」
「何」
「あの男、食い物を運んでくるなら悪くない」
「ピヨの判断基準は食べ物だけ?」
「重要である」
否定はできなかった。
でも、半月後。
嫌な予感しかしない。
******
その嫌な予感は、夕食の時間になっても消えなかった。
私は家で、バルトさんが残していった小さな布袋を眺めていた。中には、保存食の代金の一部として渡された銅貨が入っている。
私のものではない。主婦組が「ミリィさんがきっかけだから」と言って、少し持たせてきたのだ。
断った。かなり断った。でも、最終的に「ピヨの食費に」と言われて受け取ってしまった。
ピヨの食費。
それは現実的な問題である。
「ミリィ、我は稼いだのか」
「ピヨは食べただけ」
「審査した」
「食べただけ」
ピヨは不満そうだったが、銅貨にはあまり興味を示さなかった。食べられないからだろう。
私は銅貨を袋に戻した。
お金が動いた。
それは、村の人たちにとって良いことだ。保存食が外で売れれば、塩や布や薬を買いやすくなる。冬に備える余裕も増える。
でも、お金が動くと人も動く。商人が増える。職人が来る。話が広がる。そしてたぶん、偉い人も来る。
「面倒の匂いがする」
「燻製の匂いではないのか」
「それならよかったんだけど」
翌日、バルトさんはまだ村にいた。荷馬車の修理をしているという理由だったが、明らかに追加の商談をしている。
主婦組とは保存食の量。トマとは箱の金具。村長とは取引の頻度。
私とは。
「関係ないです」
「まだ何も言ってません」
「言いそうだったので」
バルトさんは楽しそうに笑った。
「ミリィさんは勘がいい」
「商人に褒められると不安です」
「よく言われます」
バルトさんは荷馬車の横に腰かけ、外の町の話をしてくれた。魔法石を使った調理台。メイジが管理する街灯。商人組合。税。冬でも道が開いている町。
そして、物を売るには印が大事だという話。
「印?」
「どこの品か分かる目印です」
「まだ早いです」
「まだ何も提案していません」
「提案しそうだった」
「本当に勘がいい」
私は腕を組んだ。この人を止めるには、先回りが必要だ。
「ルカ村の名前を大きく出すのはやめてください」
「なぜです」
「人が来ます」
「来ますね」
「面倒です」
「ですが、人が来れば物も動きます」
「面倒です」
「雇用も増えます」
「面倒です」
「ミリィさん、面倒で全部片づけようとしていませんか」
「はい」
バルトさんは笑った。
少しして、真面目な顔になる。
「でも、村の人たちは喜んでいましたよ」
「それは、分かっています」
「なら、全部止める必要はないのでは」
正論だった。商人なのに。いや、商人だからこそか。
私は少し黙った。
全部止めたいわけではない。主婦組が嬉しそうにしていたのも、トマが箱の金具を考えていたのも、村長が少し安心した顔をしていたのも見た。
それは悪くない。
ただ、私が中心になりたくない。
「私の名前を出さない。魔法の話にしない。魔法石を使っているように見せない。無理な量を作らせない」
私は指を折りながら言った。バルトさんは真剣に聞いていた。
「分かりました」
「本当に?」
「商売は信用が大事です」
「そこは信じます」
「ただし、良いものは広がります」
「でしょうね」
「ですので、名前はこうしましょう」
バルトさんは木箱の側面を指でなぞった。
「ルカ村冬越し保存食」
「地味」
「地味で強いです。魔法も奇跡も言わない。山奥の村が冬を越すために作った、本当に使える保存食。そういう品は信用されます」
「商人っぽい正論を言わないでください」
「商人ですので」
確かに、ミリィ式よりはずっとましだ。ましなのに、村の名前は残る。
私の名前は隠れても、ルカ村の名前は荷馬車に乗る。
それはそれで、かなり面倒だった。
結局、完全には止められない。なら、せめてゆっくりにしてほしい。
そう思ったのに。
バルトさんは帰り際、こう言った。
「では、半月後に」
「やっぱり早い」
「ゆっくりですよ」
「商人基準で」
私はため息をついた。
商人のゆっくりも、女神さまの少しも、信用できない。
バルトさんが村を出たあとも、広場の空気は落ち着かなかった。主婦組は売れた量を何度も数え直し、村長は銅貨の使い道を考え、トマは箱の金具を手にして首をひねっている。
「この金具、もう少し薄くしたら軽くなるな」
「重くしない方向なら賛成です」
「でも薄くしすぎると弱い」
「そこはトマに任せます」
「任された」
「ただし、武器にしないでください」
「箱の金具を?」
「トマならやりかねないので」
トマは少し考えた。
「箱で殴るなら、角は強いほうが」
「考えない」
私は即座に止めた。
その横で、ピヨが銅貨の袋をつついている。
「光るが食えぬ」
「食べ物ではないからね」
「これが増えると食い物が増えるのか」
「たぶん」
「では増やせ」
「簡単に言わない」
村長が笑った。
「ですが、確かに余裕はできますな。塩を多めに買えますし、薬も備えられる」
「それは良いことです」
「ええ。ありがたいことです」
その穏やかな声を聞くと、私は何も言えなくなる。
面倒は嫌だ。
でも、村が少し楽になるのは嫌ではない。
問題は、その境目がとても見えにくいことだった。
「ミリィさん」
村長が言った。
「次にバルトさんが来るまでに、無理のない量だけ用意することにしましょう」
「それがいいです。無理したら冬支度の意味がなくなります」
「では、そう伝えておきます」
村長がすぐに主婦組へ声をかける。主婦組は少し残念そうにしながらも、ちゃんとうなずいた。
勢いだけではない。
この村の人たちは、楽しみながらも冬の怖さを忘れてはいない。
そこは少し、安心できた。
ただし、ピヨだけは最後まで銅貨の袋をつついていた。
「これを温めれば孵るか」
「孵らない」
「光る鳥が」
「出ない」
そこへ、セドさんが通りかかった。手には、例の保存食分類表の控えがある。
「バルトさんが持っていったものと同じ内容を、村の控えとして残しておきます」
「残さなくていいです」
「取引が続くなら、記録は必要です」
「正しいことを言われると止めにくい」
セドさんは真面目にうなずいた。
「それと、名称は『ルカ村冬越し保存食』でよろしいですね」
「もう決定してる」
「はい。バルトさんがそう書いていました」
私は空を見上げた。
私の名前は消えた。
代わりに、村の名前が残った。
静かな山奥の村は、荷馬車の中で小さな札になって揺れている。
たぶん、半月後には戻ってくる。
何かを連れて。
面倒は、まだ卵にもなっていない。
でも、確実に温められ始めていた。
******
この話が良かった、参考になったと思ったらお好きな数だけつけてください!
また見たい!と思ったらブックマークもお願いします!




