おじさん、志希相手に事故る
志希「……撮影するなら、ストロボとレフ板は当たり前だよね?」
その言葉を聞いた瞬間──
フォトン田中の脳裏に、
かつてのコスプレイベントでの地獄の日々が蘇った。
──真夏。
──灼熱の炎天下。
──汗と湿気とカメラマンの行列。
有名コスプレイヤーは、
取り巻きを従えて会場に現れる。
当然、いつ来るかはわからない。
だから彼はSNSを常に監視し、通知が鳴るたびに会場を走り回った。
「ひなこさん、東の広場向かってます!」
「ねむこさん、西に移動しました!」
「囲み撮影始まってます!」
走る。
さらに走る。
ひたすら走る。
お目当てのレイヤーの前には長蛇の列。
1回につき、撮影時間はせいぜい30秒から1分。
熟練したカメラマンでも、シャッターを切れるのは5〜10枚程度。
そのわずかな時間で、
自分の名前を覚えてもらうために、
名刺を差し出し、お菓子を配り、笑顔を作る。
だが──
レイヤー「DM送っといてください!絶対返信しますから!」
撮影後に送ったDMは、
既読がつく前に消える。
たまに返事が来たと思えば、
「レタッチ甘いです」
「肌の処理が雑です」
「この角度、盛れてないです」
そしてSNSにアップされるのは、
モデル自身が加工した“原型のない別人の写真”。
田中の撮った写真は、ほぼ使われることはない。
さらに──
「ここからは身内撮りしますので、列はここで終了でーす」
何度も、
何度も言われた。
フォトン田中は、
そんな地獄を数十年間続けてきた。
──────────────────────────────
そして現在。
再びカードショップ店内。
志希「……RAWで撮って、レタッチして即DMで送って。
肌、飛ばさないで」
田中「……はい……」
志希「目の下のクマも消して。
でも涙袋は消さないで盛って」
田中「…………」
志希「眉毛は……
“描いてるけど描いてないように見える感じ”で。
眉尻は細くしすぎないで。
でも太眉に見えたら殺す」
弟「……痛い自称モデルみたいになってる……」
志希は気づかない。
だが田中は、
完全に駆け出しカメラマンだった“あの頃”と同じ要求をされていた。
(……あ……これ……
この注文……あの時の……
“レイヤー様”と同じだ……)
周囲のプレイヤーはざわつく。
「フォトンさん……トラウマ刺激されてる?」
「志希ちゃん、完全にレイヤーの要求だよ……」
「試合中にレフ板出すカードゲーマー初めて見た」
志希は前髪を整えながら、
事故ってる手札を見てさらにテンションが下がる。
「……最悪……今日……手札盛れてないんだけど……」
そのとき、志希のスマホが震えた。
───ピコン。
「あ、BeRealきた」
試合中にもかかわらず、
志希はカード片手にスマホを取り出す。
弟「志希……試合中だぞ……」
BeRealは、若者に人気の“リアルSNS”。
前面カメラと背面カメラを同時に撮影する仕様で、
今この瞬間の自分と周囲がそのまま写る。
・盛れない
・加工できない
・ごまかせない
・逃げられない
だからこそ、
「リアルで面白い」と若者にウケている。
そして最大の特徴は──
通知が来たら、“すぐ撮らないといけない”。
つまり──
隣に誰がいようが、逃げられない。
志希は画面を見て、
露骨に顔をしかめた。
「……おじさんじゃん……」
志希は悪態をつきながらも、
淡々とシャッターを押す。
カシャ。
「……うわ……絵面最悪……」
スマホ画面には、
・床に置かれた折りたたみレフ板
・満面の笑みでカメラを構えるフォトン田中
・手札事故でテンション激萎えの志希
という地獄の三点セットが映っていた。
「……最悪……なんで今……」
志希は仕方なくBeRealに投稿する。
数分後。
……完全に沈黙。
通知は来ない。
「……リアクション……ゼロ……」
弟「そりゃそうだろ……」
志希はスマホを伏せ、
深いため息をつく。
そのまま、手札のカードを触り始める。
志希は事故っていた。
事故っているのに、
事故ってることに飽きてきている。
(……この手札……どうしようもない……
でも……このまま負けるのも……ムカつく……)
そして──
志希は無表情のまま、盤面をじっと見つめる。
田中はその視線の変化に気づく。
(……あ……これ……
レイヤー様が“気に入らない構図”を見つけた時の目だ……)
志希はゆっくりと口を開く。
「……ねぇ」
「ひっ」
「この盤面……絵面悪い」
「えっ」
「……このままじゃ……
BeRealの続きに載せられない」
「載せるの……?」
志希は盤面の“映え”を気にし始めた。
「……手札のカード……全部出して」
「えっ、俺が……?」
「絵面が悪い。バトルしてる感が出ない。
あと……あなたのカード、曲がってる」
「す、すみません……!」
田中は震える手でカードの角度を直す。
弟「……おじさんを完全にアシスタント扱いしてる……」
志希はさらに続ける。
「……あと……レフ板……位置悪い」
「えっ」
「光が……足りてない。
顔が……盛れない」
「は、はい……!」
田中は床に置いたレフ板の角度を調整する。
カードゲームではなく、
完全に撮影現場の空気。
そして、BeReal投稿からさらに数分後。
ピコン。
ピコンピコン。
ピコンピコンピコンピコンピコン。
突然、通知が止まらなくなる。
「……なにこれ……」
志希のBeRealは、普段はリアクションが10件つけばいいほう。
だが今日は──
異常な量のリアクションが返ってきている。
志希はBeRealを開き、
投稿画像を拡大して隅々まで見回す。
そこには──
レフ板に反射して見える志希の手札
が、はっきり写っていた。
コメント欄はすでに燃え始めている。
「手札映ってね?」
「対戦中にこれは草」
「情報漏洩やば」
「なんでレフ板あるんだよ」
「これ炎上案件では?」
志希はゆっくりと顔を上げ、田中を見る。
「ねえ……あなた……」
「ひっ」
「……私の手札、見たよね?」
その声は低く、静かで、
完全に地雷を踏んだ時の声。
「み、見てない! 見てないです!
レフ板が勝手に反射しただけで……!」
「……でも、レフ板置いたのあなたでしょ?」
「そ、それは……志希ちゃんが“置け”って……」
「は?」
「い、いや違う違う違う!
確かに置いたのは俺だけど!
でも!指示したのは志希ちゃんで!
だから、その……えっと……」
「……黙って」
「はい」
その時だった。
──プルルルルルルルルルル。
店の固定電話が鳴り響く。
「はい、熱血カードショップです……え?
……はい……はい……確認します……」
電話を切った店長の顔がみるみる険しくなる。
「……志希ちゃん、田中さん。
ちょっとストップ」
店長は志希のスマホを確認する。
画面には──
レフ板に志希の手札が映っている拡大画像。
「フォロワーさんから“重大な不正行為の可能性”って連絡が来た。
手札情報の漏洩……だよね?」
周囲のプレイヤーがざわつく。
「マジかよ……」
「レフ板で手札映るとか初めて見た」
「これジャッジキルじゃね?」
店長は深く息を吸い、
ルールに沿って裁定を下す。
「……この試合、田中さんの失格とします」
志希「…………」
田中「…………」
店内が静まり返る。
「非公開の手札情報が相手プレイヤーに漏れた可能性がある以上、
試合続行はできない。
大会ルール上、仕方ない」
店長の裁定が下った瞬間、
店内は一気にざわつき始めた。
「マジでジャッジキルかよ……」
「BeReal怖すぎる」
「てか志希ちゃん炎上してね?」
「フォトンさん……終わったな……」
志希はスマホを握りしめたまま、
完全にテンションが死んでいる。
「……最悪……」
田中は震えながら、
周囲の視線に耐えていた。
「……す、すみません……本当に……」
店長「いや、謝る相手は俺じゃなくて……」
志希「謝らないで。余計にムカつく」
田中「はい……」
周囲の観客は、
“あの志希ちゃんが怒ってる”
という珍しい光景にさらにざわつく。
「志希ちゃん、怒ると怖いな……」
「フォトンさん、今日で引退じゃね?」
「レフ板持ってきたのが運の尽き」
フォトン田中は震える指でスマホを操作し、
炎上を抑えるために必死で文章を打ち込んだ。
そして投稿された文章が──
「本日の大会にて、
私の不注意により、
対戦相手様にご迷惑をおかけしました……(;;)
本当に申し訳ありませんでした……m(_ _)m
二度とこのようなことがないよう、
気をつけます……(>人<;)
ですが、カードゲームも撮影も、
私の大切な趣味ですので、
これからも精進しつつ続けていきたいと思います……!
お互い楽しく対戦できる環境を
作っていけたら嬉しいです……(´ω`)
フォトン田中」
SNSを見た観客は完全に引いていた。
「顔文字多すぎる」
「逆に燃えるやつじゃん」
「おじさんの謝罪文ってなんでこうなるんだろうな……」
そして、謝罪文とともに投稿された写真は──
ありえないほど美しく加工された志希。
・肌は陶器のように白く
・目は2割増しで大きく
・輪郭は自然にシャープ
・光は柔らかく補正
・背景のノイズは完全除去
・もはや別人レベルの仕上がり
「さすがに盛りすぎだろ」
「誰?」
「志希ちゃん……こんな顔じゃないよな……?」
「いや可愛いけど……可愛いけど……」
志希は投稿された写真を確認し、
ゆっくりと田中を見た。
「……やり直して」
「はい……」
──────────────────────────────
ジャッジキルで試合は終わった。
店内のざわつきも落ち着いてきた中、
フォトン田中は隅の席でノートPCを開き、
必死にレタッチ作業を続けていた。
「……肌の明るさ……もう少し下げて……
輪郭は自然に……眉毛は……」
志希はその横で、
椅子に座りながら紙パックのジュースを飲みつつ、
テンション最低のまま愚痴をこぼす。
「……はぁ……最悪……
今日、顔も手札も盛れてないのに……
炎上とか……ほんと最悪……」
志希は再び田中のSNSを開き、スクロールする。
過去の投稿には──
田中が撮った“自分より可愛い女の子”の写真が大量に並んでいた。
・コスプレイヤー
・アイドルの卵
・イベントのコンパニオン
・レースクイーン
・謎の美少女
志希「…………」
田中「……あの……?」
志希は画面を見せつけるように田中へ向ける。
「ねえ……これ消して?」
志希は笑っている。
だがその笑顔は、
完全に“刺す側の笑顔” だった。
「だって……
私より可愛い子ばっかじゃん。
ねぇ……これ消して?」
「…………」
田中は悟った。
あ、終わった。
「……はい……消します……全部……」
「全部ね」
「はい……」
田中は震える指で、
過去の写真をひとつひとつ削除していく。
(削除)
(削除)
(削除)
(削除)
(削除)
志希はその横で、
ストローを噛みながら淡々と続ける。
「……ねぇ、田中さん」
「私の写真……
“盛れてるやつだけ”残して」
「盛れてないやつは……消して」
「……あとでDMで送って」
田中は悟った。
今日という日は、
自分のカメコ人生の“終わり”であり、
志希の“地雷化の始まり”だった。




