志希、一生外せない指輪
佐伯は、場に伏せられた2枚のカードのうち、
片方にゆっくりと手を伸ばす。
その瞬間──
志希が、ぽつりと言った。
「……もし、外したら……私、悲しいよ……?」
佐伯の指が止まった。
胸の奥で封じ込めていた声が、脳裏に蘇る。
『……返事遅いよ……?』
『私のこと嫌いになった……?』
『……佐伯くん……泣いちゃうかも……』
(……やめろ……その言い方は……
その空気は……“あの時”と同じ……!)
志希は動かない。
視線も揺れず、呼吸すら止めているように見える。
静かに、ただそこにいるだけ。
だが佐伯には──
地雷の完成体・美咲の再来にしか見えなかった。
(……外したら泣く……
泣かれたら……また……
俺が悪者になる……)
手が震える。呼吸が浅くなる。
(……選ばないと……
“正しい方”を……
選ばないと……)
完全ランダムのはずなのに、
佐伯は勝手に追い詰められていく。
志希は左のカードの上へ、
ほんの一瞬だけ視線を落とした。
「……選んで……?」
その声が、佐伯の理性を破壊した。
(やめろ……!その声は……!
その距離感は……!俺の……トラウマ……!)
視線誘導でも、技術でもない。
“外したら泣かれる”という圧。
佐伯の精神は、完全に“過去の地獄”に引き戻されていた。
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佐伯は震える指で、“誘導された方”のカードを取った。
「……こっち……だろ……?」
志希は微笑む。
「うん、それ“当たり”だよ」
佐伯がカードをめくる。
そのカード名は──
志希の宣言した《フレア・ショット》だった。
周囲がざわつく。
「佐伯さんが……誘導に乗った……?」
「いや、今の……完全に選ばされてた……」
弟(……志希……
完全に佐伯さんの“弱点”突いてる……)
佐伯(……俺は……“読み”じゃなく……
“感情”で選んだ……
美咲の時と……同じ……
また……同じミスを……)
志希は無意識に、
佐伯のトラウマを正確に踏み抜いていた。
志希は淡々とダメージ処理を行う。
「《死運の爆符》成功……!
800ダメージ!!」
佐伯と志希のライフが逆転する。
佐伯(……俺は……
“読み負けた”んじゃない……
“自分の過去に負けた”んだ……)
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佐伯はカードを握りしめたまま、
ほんの一瞬だけ目を閉じた。
(……俺は……
また……同じ過ちを……
繰り返すのか……?)
佐伯は思わず、
残るもう一枚のカードをめくろうとするが──
その手を、志希の声が止める。
「……だめだよ。
相手プレイヤーがもう一枚を見る権利はない」
佐伯の手が止まる。
志希は伏せられたカードを見つめながら言った。
「選ばれなかったカードは……
“このゲームでは存在しない”の」
(……存在しない……?
選ばれなかった未来は……
“なかったことになる”……?)
その瞬間──
脳裏に、美咲の声が重なる。
『佐伯くん……子供の名前、決めよ……?』
『私、信じてたのに……』
『……捨てるの……?』
佐伯の喉が鳴った。
(……あの時……
俺が“選ばなかった未来”は……
全部……消えた……)
志希はただ、ゲームのルールを説明しただけ。
だが佐伯には──
美咲との未来を“捨てた”あの日が重なった。
そして、
志希は選ばれなかったもう一枚のカードを開く。
それは──
《炎の指輪/フレイム・リング》
佐伯はカードを拾おうとしたが、
指が震えて掴めない。
(……俺は……
“選ばされた未来”に縛られた……
あの時……
選ばなかった方の未来は……
……最初から存在しなかった……?)
志希はただ、首をかしげる。
「……ねえ……
これが見たかったんでしょ?」
佐伯の鼓動が早くなる。
(……いや、違う……
“選ばなかった未来”は……
あの瞬間に……消えた……)
志希は無邪気に続ける。
「選ばれなかったカードは存在しない……
だから……選んだ方だけが“本物”になるの」
佐伯の視界が揺れた。
(……選ばなかった未来は……
存在しない……
なら……
“選んだ未来”に……
縛られなきゃいけない……)
志希は指輪のカードを指差す。
「……佐伯さん……それ……
打ち消ししないと毎ターン永続ダメージだよ……?」
佐伯は動かない。
ただ、虚ろな目で呟いた。
「……選んだ未来だけが……
“本物“だ……」
志希は困惑していた。
(……この人……
私じゃなくて……
“過去の誰か”と戦ってる……)
佐伯は震える手でテキストを確認する。
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《炎の指輪/フレイム・リング》
永続魔法(炎属性)
対象のプレイヤー1名に装備する。
装備したプレイヤーは
自分のターン開始時に300ダメージを受ける。
一度装備した場合、
プレイヤーは魔法、罠の効果では
このカードを破壊できない。
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佐伯の呼吸が止まった。
(……これは……“あの指輪”だ……)
美咲が勝手に買ってきたペアリング。
「一生一緒だよ」と言いながら押し付けられた指輪。
外そうとすると泣かれ、責められ、
逃げ場を失ったあの日。
志希は続ける。
「それね……
装備したら、毎ターン自分が削られるの。
外せないんだよ?」
(……外せない……
永続……
自分が削られる……
あの時と……同じ……)
佐伯の心が崩れた。
(……選ばなければ……
存在しない……
なら……
“選ばれなかった未来”は……
全部……俺の責任……?)
佐伯は震える手でカードを戻し──
サレンダーを宣言した。
志希は呆然とする。
店内が静まり返る。
弟「……志希……お前……
指輪で相手を殺したぞ……」
佐伯の脳内では、
どこからか、あの声が聞こえる。
『……佐伯くん……
これで……一生一緒だね』
佐伯の心臓が止まりかけた。
(……一生……外せない……指輪……
でも……美咲の時とは違う……
この子は“押し付けていない”……
……俺は……自分の心に……負けた……)
佐伯は、崩れ落ちるように椅子に沈みこむ。
志希はカードを片付けながら、
静かに佐伯を見つめた。
「……戦略は、間違ってなかったよ。
あなたはちゃんと“勝つための選択”をしてた」
佐伯は顔を上げられない。
志希は続ける。
「でもね──
あなたは私じゃなくて、ずっと“過去の誰か”と戦ってた」
佐伯の肩がわずかに震えた。
「どっちを選ぶかは、いつだって本人の選択。
きっとその人は……
あなたに振り向いてほしかっただけなんだよ」
志希は指輪のカードを指でなぞる。
「“選ばれなかった未来”は、消えたりしない。
確かにそこにあったんだよ。
あなたが見ようとしなかっただけで」
その声は優しいのに、
どこか痛いほど真っ直ぐだった。
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佐伯は、ようやく口を開いた。
「……俺は……向き合うことから逃げていたんだ」
志希は黙って聞いている。
「美咲が……俺を好きだったことくらい、
本当は気づいてた。
でも……向き合えなかった」
佐伯は苦笑する。
「優しいだけの自分に……
誰かに好かれるほどの価値があるなんて、
思えなかったんだよ」
そして、ぽつりと落とす。
「……俺は……
美咲と俺の子供達の未来を……
奪ってしまったのかもしれない」
それは、単なる仮定の話でしかない。
しかし佐伯にとっては、
“選ばなかった未来”がずっと胸に刺さっていた。
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志希はゆっくりと首を振った。
「……ねぇ、佐伯さん。
私ね、人より多くのものを失ってきたよ」
佐伯は顔を上げる。
志希は淡々と、しかし力強く言った。
「失うことに慣れ過ぎてた。
だから……“選ばれなかったこと”の重さが痛いほどわかる」
そして、まっすぐに佐伯を見る。
「それでも私は前に進むことを選んだの。
だって──
憧れの人に胸を張って会いたいから」
「……誰なんだ、その人は」
志希は少しだけ笑って、
思わせぶりに言った。
「いつか、あなたの前にも……
本当に夢中にさせる人が現れるかもしれない。
その時に教えてあげる」
その言葉は、
佐伯を突き放すのではなく、
未来を許すような優しさがあった。
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佐伯は志希を見つめた。
(……俺は、この子を“研究対象”として見ていた。
でも……違う。
この子は……俺の人生を変える存在だ)
志希がカードを続ける限り、
自分はきっと彼女を追い続けるだろう。
データではなく、
確率でもなく、
人との関わりそのものを見つめ直すために。
(……俺は、逃げない。
選ばなかった未来に怯えるんじゃなく……
“選んだことを後悔しない自分”になるために)
そして──
(……一生一緒じゃなくていい。
でも……一生大切にできる“何か”に出会うために……
俺は、もう逃げない)
佐伯は深く息を吸い、
午前の光が射す店内を歩き出した。
志希はその背中を見送りながら、
そっと自分の胸に手を当てる。
──本人は気づいていない。
彼女は今も、害悪プレイヤー寄りのまま。
勝負の場では容赦なく、
相手の心の隙を突き、
確率をねじ伏せる“地雷バーンの使い手”だ。
だが、
その勝負が、誰かの人生を動かした。
その事実だけが、
志希の背中に、ほんのわずかな変化を刻んでいた。
戦いの中で、二人の人生が交錯する。
志希はクロノ・アークを通じて、
確かに変わり始めていた。




