志希、遺産相続狙いに切り替える
志希は今日も特訓係の男とカードゲームの勉強をしていた。
男は迷っていた。
無理もない。今回の敵は桁違いに厄介だ。
優先権──初心者が最初に心を折られる概念である。
しかも教える相手は志希だ。
“ターン”“山札”“手札”“ドロー”“墓地”を覚えるのに5週間かかる女が、
まさかこの世に存在するとは思っていなかった。
それでも覚悟を決め、男は口を開く。
「……志希ちゃん、今日は“優先権”を説明するよ──」
志希は小首をかしげた。
「……ゆうせんけん……?」
そして、ぱっと顔を明るくする。
「あ、これ知ってる!テレビで見たよ。“相続権”でしょ!」
男は即座に否定した。
「違うよ!!」
しかし志希は胸を張る。
「だって“誰が先に権利を持つか”ってことでしょ?
つまり……遺産相続の順番!」
弟が悲鳴を上げた。
「カードゲームに遺産相続はないよ!!」
志希はカードを見つめ、震える声でつぶやく。
「……じゃあ……このカードが墓地に行ったら……
誰が相続するの……?」
「カードは死なないって言ってるだろ!!」
完全に会話が成立していない。
それでも志希は前向きだった。
「私、優先権理解する!
遺産相続で土地も増えるし強くなる!」
──呪文に土地が必要なのは別のカードゲームである。
志希はまだクロノ・アークを理解していなかった。
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リビング。
ママは優雅にコーヒーを飲んでいた。
志希は正座し、深刻な顔で切り出した。
「……ママ。私……聞きたいことがあるの」
その声に、ママはカップを置いた。
「なに?」
志希は息を整え、覚悟を決める。
「……パパの遺産って……どれくらいあるの……?」
ママはコーヒーを吹き出した。
「いや、ほら、私今日“優先権”について学んだんだよね。
相続権の優先順位とか……土地の権利とか……」
「志希……何の話をしてるの……?」
ママの困惑をよそに、志希は続ける。
「私、もう子どもじゃないし……
パパのこと、理解しておかなきゃいけないと思って」
その言葉に、ママの表情が一瞬だけ曇った。
「……志希。今はまだ話せないわ」
「なんで!?
私、自分の運命と向き合いたいんだよ!!
パパのこと、ちゃんと知りたいよ!」
弟が小声で言う。
「志希……ママにも事情があるんだよ」
ママは目を伏せたまま、静かに言った。
「あなたがもっと強くなったら話すわ」
志希は拳を握りしめる。
「……じゃあ、私が世界大会に行ったら話してくれる?」
「……そうね。約束するわ」
志希は勢いよく立ち上がった。
「よし。絶対勝つ。
パパの遺産……相続するために!」
弟は震えた。
「いつのまにか運命の人よりも遺産相続が目的になってる……」
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その夜。
志希は配信をつけ、優先権の愚痴と父親の話をしていた。
コメント欄はいつも通り騒がしい。
だが、その中に──
ひとつだけ、妙に落ち着いたコメントが流れた。
《……志希ちゃん。
今すぐ全てを理解しようとする必要はない。
優先権は焦らなくていい》
見覚えのある文体だった。
画面をスクロールしていた志希の指が止まる。
「えっ……また来た……あなた……誰なの……?」
返事はすぐに返ってきた。
《君の中には……“あの人”の血が流れている。
真実は、いずれ分かる》
志希は息を呑む。
「あの人……?」
コメント欄が一気にざわついた。
《誰だよこいつ》
《語り口が完全にあの男》
《“あの人”ってしきパパ?》
《父親の話と繋がってない?》
志希は画面を見つめたまま、小さくつぶやく。
「ねぇ……“あの人”って……誰のこと……?」
しかしその人物は、それ以上答えなかった。
「また消えた……なんなの……?」
背後で弟が呆れた声を漏らす。
「志希、恋愛脳と家族ドラマが同時に走ってるぞ」
志希は返事をしなかった。
ただ、画面の光をぼんやりと見つめていた。
「……ねぇ……私のパパって……
本当は……どんな人だったんだろ……」
その声は、
いつもの明るさとは違う、
どこか遠くを見つめるような響きだった。
その時──
コメント欄の最下部に、新しいコメントが浮かび上がる。
《君と俺は近いうちに必ず会う。
その日まで……カードを磨き続けろ》
「……“その日”って……いつ……?」
返事はなかった。
そしてその人物は二度とコメントすることはなかった。
画面には、
ただ志希の困惑した顔だけが残る。
配信はそこで終わった。
──けれど、
志希の胸の奥には、
消えないざわめきだけが残った。
コメント欄の人物の正体は誰なのか。
そして“その日”とは──
物語は、静かに次の段階へ進み始めていた。




