17 : はじまりの大地に息衝いた。
少しつき合って、とユゥリアが言うから、雨で鬱屈としている王宮内をふたりで横切り、いつかふたりで並んだ、王都を見渡せる奥へと移動する。屋根のない場所へ行くので、魔導師団棟で傘を調達し、雨の中で肩を並べて歩いた。
「カヤが外に出ると空は晴れると、師団長に聞いたけれど……なかなか晴れないわね」
「今は雨季だ。この雨が、これから訪れる季節には必要だろう」
「ということは……国土の恵みに必要ない雨を、カヤは弾くことができるのね」
「この雨がなければ作物は育たない」
降り続く雨は鬱陶しいと思うが、それが必要だということはわかっている。
そもそもカヤは、確かに雨の中を歩けば晴れを呼ぶ魔導師であるが、雨が嫌いなわけではない。鬱屈とした気分にさせられても、嫌いにはなれない。たぶん、ヒューの力が水属性のものであるからだ。この雨を、恵みを、嫌うとしたらそれは、きっとヒューが拒絶したときだと思う。
「ねえ、カヤ。最近、なにか変ったことはなかったかしら」
「変わったこと……いや、守護石のこと以外ではなにもない」
「……そう、変わらないのね」
「? なにかあるのか?」
城下が見渡せるその場所まで来ると投げられたユゥリアからの問いに、意味がわからなくて首を傾げたが、なにか意図があったわけではなかったらしい。とくに表情の変化もなく、穏やかな眼差しでユゥリアは城下を眺めていた。
「変化を求めているわけではないわ。ただ、進歩していかなければならないと思っているの」
「進歩……」
「たとえばカヤが守護石を完成させたように、わたくしも努力して歩まなければならないと思うのよ」
ユゥリアのそれは、将来のことを見据えて言っているようだった。
「カヤ、わたくし、いろいろと決意したの」
「……そうか」
「それだけ?」
「きみにはきみの、歩むべき道がある。選ぶ未来がある。それは誰も口出しできない。きみが決めなければならないことだ」
カヤは、ユゥリアほど将来を考えてはいない。むしろ、目先のことばかりに囚われていると思う。それではいけないと、国を渡り歩いて、世界を見て、たくさんのことを知ろうとしても、魔導師である性なのか、気づけば目先にばかり意識が向く。
未熟だな、と思う。
同時に、今はまだそれでいいのかもしれないと、思う。
魔導師になって数年、これからも魔導師として生きていくのだから、学ぶべきことはたくさんある。
「きみの決意を軽く見ているわけではない」
カヤにも進むべき道があるように、選ぶときがくる未来があるように、ユゥリアの場合はカヤよりも重圧がかかるものだと思う。もし、一国を統治する決意をしたとユゥリアが言うのなら、彼女のこれからが平坦な道であるわけがないことくらい、カヤにだってわかる。
「守護石が、きみの道に役に立つものであれば、イーヴェの想いも報われると思う」
一介の魔導師であるカヤが、貴族でもなんでもない孤児だったカヤが、ユゥリアが抱える重圧を理解することは難しい。けれども、カヤは師の遺志を継いだ。師が最期まで国を護ろうと研究した守護石の完成が、ユゥリアの歩む道に通ずればいい。
「カヤ、あなたは?」
「おれ?」
「イーヴェのことばかりで、あなたの道が見えないわ」
「……おれは、魔導師として未熟だ。今はまだ目先のことしか見えない。イーヴェの遺志を、想いを、理解しようとすることで手いっぱいだ」
師が護ろうとした国だから、護りたいという想いを形で完成させただけのカヤは、これからのことをまだ考えられない。
だから、正直、ユゥリアほどの決意を持つことができない。今はそれでいいと思っているが、いずれカヤも、なにかしら決意を抱く日がくるだろう。そのとき、ユゥリアのように冷静な判断ができればいいと思う。
「きみと肩を並べようなどとは思わない。そもそも、おれの道など、国を背負うきみの道ほど、立派なものではない」
「それは立場的なものでしょう? わたくしは……あなたが思うほど、立派な道を歩むつもりはないわ。きっといつでも、葛藤しているでしょうね」
怖いわよ、とユゥリアは言う。声はそれほど重いものではなかったが、そっと握られた手のひらは、重さに耐えきれなかったかのように随分と冷たかった。
ふと、思う。
自分はこの手のひらを、温めることができる魔導師になれるだろうか。
「もし……もし、おれがきみのためにできることがあるというなら、こんなおれでも王のためになにかできるなら、おれは全力でその道を護ろう」
「……わたくしを護ってくれると言うの?」
「魔導師として、それができることだというなら」
カヤを振り返り見つめてきた深い蒼の双眸は、どこまでも澄んでいた。なにも悪いことはしていないのに、罪悪感さえ抱くほどその双眸は美しい。羨ましいとは思わないが、できることならこの澄んだ美しい双眸が曇ることのないような未来を、歩みたい。
ああ、そうか。
師を想って描いた未来は、ユゥリアの道に通ずるのかもしれない。
はじまりの大地は師、そこに息衝いたのは国を護ろうという意志。その道は、誰かに決められたのではなく、カヤ自身で選び決めたものだ。
「……おれは、なにができるのだろうな」
今、心から思う。
ユゥリアの澄んだ瞳を、真っ直ぐな心を、凛々しいその姿を、どうしたら追いかけていられるだろうか。
「カヤは、この国が好き?」
「……ああ」
「護りたいと思う?」
「思うから、守護石を研究している」
ふっと、ユゥリアが微笑む。眩しいほど美しい笑みに、カヤは目を細めた。
「あなたの想いは、イーヴェに影響されたのでしょうけれど、確かにあなたのものだわ。その想いは、わたくしと同じよ」
「同じ?」
「わたくしもこの国が好き。だから護りたいの。わたくしは王女として、いずれ王となる者として、その想いを貫き通せる立場にあるわ。たとえ挫折しようとも、この国が好きだという気持ちだけは変わらないのだから、どんなことがあってもわたくしはその道を歩むと思うわ。あなたが完成させた守護石は、その想いは、そんなわたくしと同じなのよ」
未熟な自分でも、学ぶべきことが多くあるとしても、想いさえ抱き続ければ道は揺らがない。
「そうか……」
できることがあるという、ユゥリアの言葉に、嬉しくなった。
「……綺麗ね」
「ん?」
「笑うことができたカヤは、とても、綺麗ね」
そっと、ユゥリアの手のひらが、カヤの頬を撫でる。どうやら自分は珍しく表情があったらしい、と気づき、おかしな気持ちが込み上げた。
「きみを見ていると、おれの中でなにか、変わるらしい」
「え……?」
イーヴェにはよく可愛げがないと言われたが、ユゥリアを見ていると、その美しい姿を見ていると、いろいろな心が刺激されて感情が動く。それは、イーヴェやヒューのときとは違う、熱を持った感情だ。
魔導師になるのだよ、と言われて数年、魔導師になったカヤは今、魔導師としてなにができるのか考えるようになった。
始まりだったイーヴェはもういない。けれども確かに、それは息衝いていた。
この手のひらにぬくもりを与えたい。
「ユゥリア」
王となるユゥリアに、なにができるかなんてまだわからないけれども、なにかできることがあればいいと望む。
「カヤ……」
「きみのために、おれは、なにをしてやれるだろうな」
いつか、この手のひらを、カヤが温められたらいい。
その感情をどう呼ぶのかわからないけれども、国を護ることがユゥリアを護ることに通ずればいいと、このとき確かに思った。
これにて【はじまりの大地に息衝いた。】は終幕となります。
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津森太壱。