薔薇飾りの出世
夜の移動は、逃亡ではなく輸送に近かった。ラファエルの兵は記録箱を二台の荷車に分け、没収品の封印箱を一台に載せ、町の端へ向かう道を黙って進んだ。灯りは布で覆われ、馬の蹄には濡れた布が巻かれている。音を消すためだ。逃げているわけではない、とラファエルは言うだろう。補給路保全のための移動だ、と。紙束と遺品を抱え、処刑台の町から夜のうちに抜け出す。
アデルは荷車の横を歩きながら、白と金を基調にしたドレスの裾を片手で端を持ち上げていた。乾きかけた泥は布を硬くし、藍の染みは夜目にも黒く沈み、金糸の縁取りには炭粉と石畳の白い粉が入り込んでいる。深紅のコルセットは煤けているのに、夜の中では妙に色だけが残り、見張りの灯りが動くたびに暗い赤を返した。腰回りの大きな薔薇飾りは、昼間の確認作業で何度も椅子や台にぶつかり、縫い直した糸の根元からまた少し裂けている。胸元の青い宝石の欠落跡は、冷えた風を受けるたびに布の内側へ直接触れてくるようだった。彼女はそこを押さえたくなるたび、わざと手を腰の薔薇飾りへ移した。
「歩けるか。」
レイモンが横から聞いた。
アデルは顔を上げる。
「最近、あなた私にそればかり聞きますわね」
「実際、歩けていない時がある」
「失礼ね。歩けていないのではなく、衣装が抵抗しているだけです」
「同じだ」
「まったく違います。私の意思は前進、裾と薔薇飾りは反革命ですわ」
レイモンは少しだけ呆れた顔をした。火傷した手はまだ布で巻かれている。昼間より色は悪くないが、動きは重い。彼は処刑記録を読んだ疲労を顔の奥へ押し込んでいた。妻子を追えない痛みも、処刑場を見た苦しさも、法廷へ進む重さも、全部まとめて沈めている。レイモンは押し黙ったまま、足元の泥を蹴った。アデルはそれを分かっていたが、今は掘り返さなかった。夜道では、掘り返すより足元を見る方が先だった。
「あなたこそ、歩けていますの?」
「歩いている。」
「それは見れば分かります。私が聞いているのは、中身の方」
レイモンは少し黙った。
「分からない。」
「便利な答えね。」
「本当に分からない。」
「では、分からないまま歩きなさい。今夜はそれで十分ですわ。」
彼は返事をしなかった。だが、足は止まらなかった。アデルはそれを確認し、前方のラファエルへ視線を移した。ラファエルは一台目の荷車の横にいる。地図を持ち、時々道の先を見る。彼の歩調は乱れず、疲労は顔にあるのに、判断は落ちていない。
町外れの水車橋へ近づくと、兵の一人が手を上げた。全員が止まる。アデルも止まったが、裾が足に絡み、少し遅れて踏み直す羽目になった。橋の先は暗い。水車小屋の影があり、その横に細い納屋がある。風は川から来ている。川の匂いに、何か別の匂いが混じっていた。油。焦げる前の油。アデルは鼻を少し動かした。
「火を使うつもりですわね」
ラファエルが振り向く。
「なぜ」
「油の匂い。水車小屋に灯りがないのに、油だけが強い。しかも風上。橋を渡り始めたところで火をつければ、荷車ごと記録箱を止められます」
レイモンも前を見る。兵たちが銃を構えた。ラファエルは短く命じる。
「斥候二名、右から回れ。荷車は下げるな。下げれば町へ戻る形になる」
「進むの?」
アデルが聞く。
「進まなければ、ここで朝まで止まる。朝になれば監察官が人を集める」
「合理的ね。嫌になるほど」
「あなたが気付いたので、火がつく前に処理できます」
「褒めている?」
「事実です」
「本当に褒め方が育っていないわ」
ラファエルは無視した。アデルは肩をすくめ、橋の先を見た。斥候が影へ消える。しばらく何も起きない。水車の板だけが、止まったまま黒い輪郭を見せている。すると、納屋の陰で小さな音がした。木桶が倒れる音。次に男の短い悲鳴。ラファエルの兵が一人、油壺を抱えた男を引きずり出した。続いてもう一人。腕章を付けている。監察官の手の者だろう。正規兵ではない。だが、油壺と火打ち石を持っていた。
「証拠を燃やすには、ずいぶん早起きですわね」
アデルが言うと、油壺の男が彼女を睨んだ。
「反革命の紙を守る女め」
「紙を燃やしたがる人間ほど、紙に弱いのよね。不思議だわ」
男は唾を吐こうとした。レイモンが一歩出る。レイモンが手を伸ばすと、男は喉を鳴らし、唾を地面へ吐き出さずに喉へ戻した。
ラファエルは捕らえた男たちを見た。
「誰の命令だ」
男たちは黙る。
「監察官?」
返事はない。沈黙が答えだった。アデルは油壺を見る。橋を焼くには足りない。だが荷車の布、記録箱の外装、乾いた藁に火を移すには十分だ。全部燃やせなくても、混乱を起こし、川へ落とし、一部を濡らせればよかったのだろう。
「記録箱は三台に分けて正解でしたわね」
アデルが言うと、ラファエルがこちらを見た。
「そうですね」
「私の案ではありませんけれど、私が言ったことにしても?」
「しないでください」
「けち」
その時、橋の下で板が軋んだ。全員の視線が下へ向く。捕らえた男は二人。だが、油の匂いはまだ残っている。レイモンが先に動いた。橋の欄干へ近づき、下を覗く。次の瞬間、彼は低く言った。
「下にいる」
ラファエルが銃を向けさせるより早く、橋の下から火が上がった。直接の炎ではない。油を染み込ませた藁束に火がつき、橋の下板を舐め始めた。乾いた部分がすぐに煙を出す。荷車が橋へ入る前だったのは幸いだが、このままでは通れない。記録箱を積んだ荷車は足止めされる。背後は町。夜明けまで残れば、監察官の思う壺だ。
ラファエルが命じる。
「水を」
兵が川へ走る。しかし火は橋の下だ。上から水をかけても届きにくい。橋板を外すには時間がかかる。アデルは周囲を見た。水車小屋、油壺、濡れた布、荷車の防水布、没収品箱。彼女の視線が自分のドレスへ落ちる。白と金の裾は泥と藍で濡れて重い。深紅のコルセットの下で息が詰まる。腰の薔薇飾りは邪魔。だが、濡れた布はある。量もある。高価で、汚れていて、腹立たしいほどよく水を吸った布が。
「最悪」
アデルは言った。
レイモンが振り向く。
「何だ」
「このドレス、今夜ついに役に立ちますわ」
「何を」
アデルは腰の薔薇飾りの縫い目に指をかけた。昼に直したばかりの糸だ。少女に、まだ勝っていると言ったばかりの薔薇。死刑台から降りた時の姿がまた一つ減る。いつ減らすかは自分で決めたい。そう言った。なら、今決めるしかない。彼女は糸を引きちぎった。
薔薇飾りが落ちた。
濡れて潰れた花弁が、白と金のドレスから離れ、彼女の手の中で重く沈んだ。レイモンが息を止めた。ラファエルも一瞬だけ動きを止めた。アデルは顔をしかめた。泣きはしない。そんな暇はない。ただ、ものすごく腹が立った。
「あなた方、後でこの花の損害額を政治に請求してくださる?」
「何をする気だ」
レイモンが言う。
「濡れた布を火へ押し当てるのよ。橋の下へ回れる?」
ラファエルが即座に答える。
「水車側からなら」
「では、行きましょう。私の薔薇を無駄にしたら許しません」
「あなたは残れ」
レイモンが言った。
「嫌です。私の薔薇です」
「危険だ」
「ええ。だから急ぐの」
彼女は落とした薔薇飾りを抱え、兵の一人から水桶を奪ってさらに水をかけた。金糸と深紅の布が完全に濡れ、重くなる。豪華な飾りはもう飾りではなかった。濡れた防火布だった。アデルはその重みに一瞬よろめいたが、レイモンが支えた。
「だから残れと言った」
「支えられるなら問題ありませんわ」
「問題しかない」
「今は橋の方が問題です」
二人は水車側から橋の下へ回った。ラファエルの兵も続く。火は藁束から橋板の裏へ移りかけていた。煙が目に刺さる。工房の火事を思い出す匂いだった。レイモンの火傷した手がわずかに動く。あの時も彼は火へ入った。アデルはそれを見て、すぐ言った。
「今日はあなたが抱えるのではありません。押さえるだけ」
「分かっている」
「本当に?」
「分かっている」
アデルは濡れた薔薇飾りを火の上へ押し当てた。熱が手袋越しに伝わる。蒸気が上がり、煤と油の匂いが顔を打った。白と金の袖が煙を吸い、深紅のコルセットの前面へ黒い粒が飛ぶ。胸元の青い宝石の欠落跡にまで熱い煙が入り、彼女は咳き込んだ。それでも手は離さなかった。レイモンが横から別の濡れ布を押し当て、兵が水をかける。ラファエルが上から橋板の隙間へ水を流させる。藁束の火は暴れ、しばらくしてからようやく弱った。
「まだ右」
レイモンが言った。
アデルは薔薇飾りを引きずるように右へずらした。花弁の布が焦げる。金糸が黒く縮む。アデルは歯を食いしばった。
「本当に、最悪」
「離せ」
「嫌です」
「焦げている」
「見れば分かります!」
「手が」
レイモンが彼女の手首を掴み、位置を変えた。火傷した手ではない。無事な方の手だった。アデルの手袋の端が少し焦げている。彼はそれを見て、濡れた布を上から重ねた。彼女が持つ薔薇飾りと、彼が押さえる濡れ布。その二つで火はようやく完全に消えた。
煙だけが残った。橋板は一部焦げたが、抜けてはいない。荷車は通れる。記録箱は燃えなかった。
アデルは膝に手をつき、深く咳き込んだ。深紅のコルセットが咳を邪魔し、肺がうまく広がらない。白と金のドレスはさらに煤け、裾には火消しの泥水が飛び、腰にはもう薔薇飾りがない。そこだけが急に軽く、同時に寒かった。胸元の青い宝石の欠落跡に続いて、腰の薔薇まで失った。死刑台から降りた姿が、また一つ減った。
レイモンが彼女の肩を支える。
「怪我は」
「薔薇が死にました」
「体だ」
「手袋の端だけ。あと、誇りがかなり」
「誇りは燃えない」
「燃えましたわ。今、かなり香ばしく」
レイモンは言葉に詰まった。アデルは焦げた薔薇飾りを見た。もう飾りには戻らない。火を吸い、水を吸い、油を吸い、金糸は黒く縮れている。これを腰へ戻すのは無理だ。アデルは少しだけ黙った。思っていたより、胸に来る。くだらない。布飾りだ。歩くには邪魔だった。皆に取れと言われた。取った方が合理的だった。だが、自分で決めて取ったのに、喪失は喪失だった。
「アデル」
レイモンの声が低い。
「何?」
「……橋は残った」
彼なりの慰めだった。あまりにも不器用で、あまりにも事実だけだった。アデルは焦げた薔薇を見たまま、少しだけ笑った。
「ええ。私の薔薇は、処刑記録を守ったのね。出世したわ」
「そうだな」
「そこは笑うところですわよ」
「笑えない」
「でしょうね」
ラファエルが橋の上から下りてきた。彼は焦げた橋板と、アデルの手の中の薔薇飾りを見た。
「記録箱は無事です」
「まず私の薔薇へ弔辞を述べなさい」
「助かりました」
「弔辞が事務的すぎる」
「あなたの判断は有効でした」
「最低の褒め方ね。でも今は受け取ります」
ラファエルは捕らえた男たちを見た。
「監察官の手の者か」
兵が頷く。
「一人は逃げました。二人確保。橋下の者は火傷していますが生きています」
「尋問する。荷車はすぐ渡す。橋を越えたら修理班を残せ」
「はい」
アデルは焦げた薔薇飾りをどうするか迷った。捨てれば軽い。持てば邪魔。戻せない。けれど、ここで捨てるのはどうにも腹立たしい。彼女は薔薇飾りの焦げていない布端を裂き、そこから金糸がまだ残っている一部を切り取った。小さな焦げた花弁の欠片。彼女はそれを布包みへ入れた。青い硝子片、工房印、革命章、宿の印、命令書、地図。そこへ、焦げた薔薇の欠片が加わる。
レイモンがそれを見ていた。
「持つのか」
「全部は無理。でも、一部くらいは」
「重くなる」
「軽いわよ」
「そういう意味ではない」
アデルは布包みを結んだ。
「知っています」
橋を渡る時、アデルの腰は軽かった。薔薇飾りがないだけで、歩きやすさは段違いだった。腹立たしいほど楽だった。彼女はその事実にさらに腹を立てた。レイモンは横で何も言わない。言えば怒られると分かっている顔だった。
「今、歩きやすそうだと思いました?」
アデルが聞く。
「思っていない」
「嘘」
「……少し」
「正直すぎる男は嫌われますわよ」
「もう嫌われている」
「誰に?」
「お前に」
アデルは一瞬だけ黙り、それから少し笑った。
「嫌っていたら、薔薇を燃やしてまで橋は守りません」
「記録のためだろう」
「ええ。記録のため。あなたのためではありません」
「分かっている」
「本当に?」
「……分からない」
アデルはその答えに、妙に満足した。分からないと言えるなら、まだいい。分かったふりで全部を処理されるより、ずっといい。
橋を越えると、荷車が一台ずつ渡った。記録箱は無事だった。没収品箱も無事だった。ラファエルの兵たちは橋の向こうで隊列を組み直し、夜道を再び進み始める。背後では修理班が橋板を確認し、捕らえた男たちが縛られている。監察官の手は早い。次はもっと直接的に来るだろう。証拠を燃やし、橋を焼き、町へ戻らせる。これで失敗したなら、次は記録ではなく人を狙うかもしれない。
ラファエルがアデルへ近づいた。
「あなたは次から荷車に乗ってください」
「なぜ?」
「歩かせると、また何かを燃やして解決しようとする」
「私が悪いみたいに言わないで」
「あなたが有効すぎる」
「それ褒め言葉?」
「警戒です」
「でしょうね」
荷車に乗ることになったアデルは、没収品箱の横へ腰掛けた。白と金のドレスの裾をたくし上げ、深紅のコルセットの苦しさを少しだけ逃がす。腰の薔薇飾りがないため、座るのは驚くほど楽だった。彼女はその楽さにまた腹を立て、腕を組んだ。
レイモンは荷車の横を歩く。火傷した手は無事だった。彼は時々、アデルの腰の空いた場所を見る。そこに薔薇飾りがないことを、彼も気にしているのだろうか。アデルは気付いていたが、指摘しなかった。指摘すると、自分も気にしていると認めることになる。
夜道の先で、雲が切れた。月明かりが少しだけ荷車の上へ落ちる。没収品箱の封印、記録箱の角、アデルの焦げた手袋、深紅のコルセット、青い宝石のない胸元。そして、腰にあったはずの薔薇の空白。アデルはその全部を一度に感じながら、布包みの中の焦げた花弁に指を当てた。
「まだ勝っているかしら」
小さく呟くと、レイモンが聞き取った。
「何に」
「薔薇が落ちたら負けかと思っていましたの」
「違うのか」
「橋は残った」
レイモンは少し黙った後、低く言った。
「なら、勝ちだろう」
アデルは彼を見た。彼は前を向いていた。慰めが相変わらず事実だけで、不器用で、少し腹立たしい。けれど今夜は、それでよかった。
「ええ」
アデルは焦げた花弁を布包みの奥へ押し込み、荷車の揺れに身を任せた。
「では、勝ちにしておきますわ」
荷車は夜道を進んだ。処刑記録と没収品と、焦げた薔薇の欠片を載せて。ロベルト派の火は背後で消え、前にはまだ別の火が待っている。




