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夫人革命逃亡記  作者: 伊阪証
修正してない本編

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29/39

炭焼き道の目印

炭焼き道は、夜になると黒い裂け目のように見えた。足元には砕けた炭が混じり、踏むたびに靴底で細かな音がした。木々は川沿いより密で、風が抜けるたびに枝が擦れ、乾いた葉が斜面を転がった。遠くで聞こえた子供の咳は、一度途切れ、また細く戻ってきた。レイモンの足は勝手に前へ出ようとしていたが、炭焼き道の端は昼の雨で崩れ、少し踏み外せば斜面を落ちる。アデルが短く「足元」と言っただけで、彼はぎりぎり踏み止まった。

止められたのではない。自分で止まった。第一章の間、彼は何度も走り出しかけ、何度も止められてきた。けれど今は、咳を聞き、灯りを見て、それでも足元を見た。アデルはその横顔を見て、少しだけ息を吐いた。だから何も言わず、泥と藍に染まった白と金のドレスの裾を持ち上げ、深紅のコルセットで押さえつけられた息を整えた。腰回りの大きな薔薇飾りは、金糸を一本失ったせいで片側の形が崩れ、濡れた花弁が脚へ当たるたびに冷たかった。胸元の青い宝石の欠落跡だけが、夜の中でも妙に軽い。

灯りは、炭焼き小屋の中にあった。小屋と言っても、半分は作業場で、半分は物置だった。壁は煤で黒く、戸口には割れた籠と、乾いた薪と、炭を詰める袋が積まれている。灯りは中の低い位置にあり、床に置いた小さな油皿の火だった。炎が揺れるたび、壁に吊るされた道具の影が伸びた。壁に斧と鋸が吊るされ、油皿の火に照らされて影が伸びていた。

レイモンは戸口の前で止まった。中からまた咳がした。小さい。熱の残った子供の咳だった。レイモンの手が扉の枠を強く掴み、指の関節が白くなった。アデルは何も言わず、先に戸へ近づいた。

「開けますわよ。中で倒れているなら返事は要りません。倒れていないなら、刃物を下ろしなさい。こちらの男は今、非常に紛らわしい顔をしています。」

レイモンの後ろで、下級女官が二人の子供を庇うように戸口の影に立ち尽くした。

中で物音がした。刃物を下ろす音ではない。木の棒か、火かき棒を握り直す音だった。アデルはレイモンを横目で制し、戸を押した。

小屋の中にいたのは、レイモンの妻子ではなかった。入口のすぐ脇に、十歳ほどの少女が立っていた。痩せた腕で火かき棒を握り、背後の寝藁を守っている。寝藁の上には、もっと幼い男の子が丸まっていた。咳をしていたのはその子だった。頬は赤く、額には濡れた布が置かれている。小屋の奥には炭焼きの老人が座っていた。片足を布で巻き、手元には削りかけの木片がある。老人は立てない。少女が代わりに戸口を守っていたのだ。

レイモンの表情が、一度だけ崩れた。期待したわけではない、と言えば嘘になる。咳を聞いた瞬間、彼は自分の子供の声だと思ったのだろう。違った。アデルはその空白を見て、言葉を選ばなかった。

「違いましたわね。」

レイモンは黙った。

「でも、咳は本物です。」

少女の火かき棒がわずかに上がった。

「誰?」

「道に迷った、非常に高価な汚れ物です。」

少女は火かき棒を握ったまま、アデルの衣装を頭から足まで見つめた。

「お姫様?」

「惜しいわね。もっと面倒なものよ」

老人が奥から低く言った。

「逃げてきた連中か」

「逃げている途中の連中ですわ。ついでに人を探しています」

「ここにはいない」

老人は即答した。

レイモンが一歩出た。

「母子が通ったはずだ。女一人、子供が二人。小さい子が熱を出していた。染料小屋から炭焼き道へ入った」

少女の火かき棒が下がった。老人の目も動いた。反応は明確だった。アデルはレイモンの袖を掴んだ。詰めるな、という合図だった。彼は止まったが、呼吸は浅い。

老人はしばらく黙り、やがて少女へ目を向けた。

「水を替えてこい」

少女は動かなかった。

「爺ちゃん」

「聞く相手を間違えると、助けた者まで危なくなる。水を替えてこい」

少女は迷った末、火かき棒を壁へ立てかけ、男の子の額の布を取って外の桶へ向かった。アデルはその動きを見送った。老人は少女が出るのを待ってから、レイモンへ顔を向けた。

「通った」

レイモンの喉が動いた。

「いつ」

「日が落ちる少し前だ。小さい子を抱いていた。もう一人は歩いていたが、足がもつれていた。女は倒れそうな顔をしていたが、倒れなかった」

レイモンは目を閉じた。アデルはその横で、アデルは深紅のコルセットの縁を指で押さえ、口の中で小さく息を整えた。

「ここに泊まらなかったのか」

レイモンが聞いた。

「泊めようとした」

老人は答えた。

「だが、女が断った。ここに灯りがあると見つかると言った。子供の熱があるなら休めと言ったが、少しだけ水を飲ませ、布を替え、すぐ先へ行った」

「どちらへ」

老人は小屋の裏を指した。

「古い炭窯の方だ。そこから先は道が二つある。山へ上がる道と、崖下の細道。山へ上がれば人目は減るが、子供にはきつい。崖下は短いが、夜は危ない」

「どちらを選んだ」

「山だ」

レイモンの手が髪紐を握りかけ、すぐ緩んだ。アデルはその動きを見た。握り潰さなかった。

「なぜ分かる」

「女が聞いた。子供を連れて崖下を通れるか、と。私は無理だと言った。あの女は、無理なら行かない顔をしていた。怖がっていても、無茶はしない顔だ」

レイモンは低く息を吐いた。

「そうか」

「それと」

老人は言葉を切った。アデルが先を促さず待つと、老人は膝の横に置いた布包みを取った。

「置いていったわけではない。落としたものでもない。渡してくれと言われた」

レイモンの顔が変わる。老人は布包みを開いた。中には、小さな木片が一つ入っていた。焦げ目のついた炭焼き小屋の端材に、細い刃で印が刻まれている。文字ではない。家の中で使う符牒のようなものだった。アデルには読めない。だが、レイモンはそれを見た瞬間、息を止めた。

「これは」

「知っているのか」

老人が聞く。

レイモンは木片を受け取った。火傷していない手で、ゆっくりと。

「家の、戸棚の印だ。子供が間違えないように、妻が刻んだ。薬箱の印」

アデルは黙った。木片そのものはただの端材だ。だが、その印を知る者にとっては、名前より強い。彼女は少しだけ顔を背けた。妻はここまで来て、夫が追ってくる可能性を考えている。あるいは、追ってきてほしいと願っている。だが同時に、待たなかった。子供を連れて、先へ進んだ。

「伝言は?」

レイモンの声は震えていなかった。震えを殺している声だった。

老人は短く言った。

「父さんは先で待っている、と子供には言った。夫には、追えるなら焦らず来て、と」

レイモンは木片を握った。今度も潰さなかった。だが、指の節が白くなった。アデルは口を開きかけ、閉じた。

外から少女が戻ってきた。桶の水を持っている。彼女はアデルとレイモンを見比べ、寝藁の男の子の額に布を戻した。手つきは慣れていた。小さな子供が病人の世話に慣れている。

アデルは男の子へ近づいた。少女が警戒したが、彼女は無理に触れない。

「熱はいつから?」

少女は答えない。老人が言った。

「昨日からだ。雨に濡れた。薬はない」

「水は煮ています?」

「薪が惜しい」

「惜しんでいる場合ではありませんわ。熱で水を飲ませるなら、一度沸かす。布は冷やしすぎない。小さい子は寒さで余計に震える」

少女はアデルを睨んだ。

「知ってる」

「知っているならやりなさい」

「薪がないって言った」

「言ったのはお爺様です。あなたではないわ」

アデルは小屋の中を見る。薪は少ない。だが炭はある。売り物かもしれない。使えば金が減る。けれど今使わなければ、子供が壊れる。彼女は老人を見た。

「売り物?」

「そうだ」

「燃やしなさい」

「明日の食い扶持だ」

「今夜死ぬ子供に、明日の食い扶持を見せても食べませんわ」

老人はアデルを睨んだ。アデルは引かなかった。レイモンは木片を握ったまま、男の子を見ていた。自分の子供ではない。だが、さっきまで妻子かもしれないと思って走りかけた咳の主だ。その熱い額と細い呼吸を前に、彼はもう素通りできなかった。

「俺が外から拾ってくる」

レイモンが言った。

アデルはすぐ返した。

「あなたは行かない」

「なぜ」

「今その顔で小屋を出たら、妻子の跡を追って山へ走ります。薪拾いの顔ではありません」

老人が鼻で笑った。

「よく見てる女だ」

「見張れと言われていますの」

レイモンは返せなかった。アデルは戸口に立つ少女へ目を向けた。

「あなたと私で行きます。近くに落ち枝は?」

「裏。炭窯の手前」

「案内して」

「その服で?」

少女は素直に疑問を口にした。アデルは自分の白と金の裾を見た。泥、藍、煤、血、炭粉。もはや一つの染色見本のようだった。腰の薔薇飾りは濡れて垂れ、深紅のコルセットの縁には白い糸くずが付いている。胸元の青い宝石の欠落跡だけが、相変わらず無駄に目立つ。

「ええ。この服はもう、普通の道では驚かなくなりました」

少女は少しだけ口を開け、次に笑いかけた。すぐに口を閉じたが、遅かった。少年は木べらを握る手を緩め、アデルの泥に汚れた白金の裾を見つめた。アデルは笑った。

外へ出ると、夜気が冷たかった。少女は小さな籠を持ち、アデルはドレスの裾を片手で持ち上げて斜面を下りた。落ち枝は確かにあった。湿っているものも多いが、炭焼き小屋の周囲には使える枝も残っている。アデルは腰の薔薇飾りが枝に引っかかるたびに顔をしかめた。少女はそれを見て、とうとう小さく言った。

「それ、取ればいいのに」

「何を?」

「腰の花」

「これは薔薇飾りです」

「邪魔そう」

「邪魔です」

「じゃあ取れば」

アデルは枝を拾う手を止めた。彼女は濡れて潰れた薔薇飾りに触れた。取れば軽い。歩きやすい。引っかからない。ここまで何度も考えた。けれど、まだ取らなかった。白と金のドレスも、深紅のコルセットも、薔薇飾りも、青い宝石の欠落跡も、全部が彼女を先王夫人アデルとして残していた。

「まだ早いわ」

少女は首を傾げた。

「枯れてるのに?」

アデルは少し笑った。

「枯れても薔薇は薔薇ですの」

「炭になるよ」

「なら、まだ燃やさないように歩くわ」

少女は今度こそ少し笑った。小さな、短い笑いだった。アデルは枝を籠へ入れた。自分でも妙な会話だと思った。死刑台から降り、元恋人の妻子を追い、炭焼き小屋の子供と薔薇飾りの処遇について話している。あまりにも馬鹿馬鹿しい。だが、馬鹿馬鹿しいことを考えられるのは、生きているからだ。アデルはその事実を、嫌いではなかった。

「触ればいいのに」

少女が言った。

レイモンは顔を上げた。

「怖がるだろう」

「寝てる」

「起きたら」

「起きたら、熱が下がったか分かる」

レイモンは返せなかった。アデルは少女を見る。なかなか強い。火かき棒を持って戸口に立っていただけはある。老人が奥で笑った。

「その子は口が悪い」

「良いことですわ。悪い口は、時々命を繋ぎます」

アデルは炭を起こし、水を温めた。少女が布を替え、老人が乾いた薬草を少し出した。薬草と言っても効くかどうか怪しいが、香りは悪くない。レイモンは木片と髪紐を懐へしまい、火傷した手をかばいながら水桶を動かした。彼は今すぐ山道へ行きたいはずだった。だが、小屋の中で水が沸くまで待った。待てていた。

アデルはそれを見て、初めて言った。

「奥方の伝言、守っていますわね」

レイモンは水桶から目を上げた。

「焦らず来い、だったか」

「ええ」

「焦っている」

「見れば分かります」

「だが、走ってはいない」

「ええ」

アデルは少しだけ笑った。

「上出来ですわ」

「子供扱いするな」

「大人扱いすると、すぐ死にに行くでしょう」

レイモンは返事をしなかった。けれど、怒ってはいなかった。火の光が彼の横顔に当たり、疲れと焦りと、かすかな安堵を浮かび上がらせていた。妻子は生きている。まだ遠い。けれど、追える。追うために、彼は今ここで足を止めている。

水が沸くと、アデルは火から下ろさせ、少し冷ましてから布を湿らせた。少女はそれを男の子の額へ置いた。男の子の咳は少し落ち着いていた。完全ではない。だが、さっきより息が浅くない。

老人はアデルへ目を向けた。

「礼はないぞ」

「最近、礼より情報の方がよく働きます」

「さっき話した」

「まだあるでしょう。ラファエルの隊がこの道を見ている。なのに母子を追わなかった。理由は?」

老人の目が細くなった。

「その名を知っているのか」

「知らないふりをするには、この数日で少し働きすぎましたわ」

老人は火を見た。黙る時間が長い。アデルは待った。外では風が枝を揺らし、炭焼き道の黒い斜面が音もなく夜へ沈んでいる。

「ラファエルの隊は、荷を守る」

老人は言った。

「人を狩る隊ではない。少なくとも、今はな。補給路を押さえ、軍が飢えないようにする。民間人を追い回す暇があれば、炭と麦と馬を数える。そういう男だと聞いている」

「聞いている?」

「炭は軍に売る。兵は口が軽い」

アデルは頷いた。補給路確保。追跡優先度低。女子供二名以上。反革命関係者の可能性は低い。紙片の記録と合う。ラファエルは善人ではない。だが、民衆狩りを優先する男ではない。そこには政治がある。規律がある。あるいは、ロベルトとは違う種類の冷たさがある。

レイモンが低く言った。

「なぜ見逃した」

老人は肩をすくめる。

「女子供だからだろう」

アデルは首を横に振った。

「違うわ」

レイモンが彼女を見る。

「なぜ」

「女子供だから見逃す軍なら、こんな革命で長く形を保てません。見逃したのは、追うより損だから。捕まえれば、誰の妻子か調べなければならない。処刑人レイモンの家族だと分かれば、扱いに困る。処刑すれば火種。匿えば弱み。拘束すれば交渉材料。どれも面倒です」

老人は何も言わなかった。レイモンも黙った。アデルは続けた。

「だから、見なかったことにした。補給路を優先した。少なくともこの炭焼き道では」

レイモンの手が懐の木片へ触れた。

「なら、先も見逃されるとは限らない」

「ええ。むしろ、次に見つかれば別の判断になるかもしれない」

「急ぐ」

「急ぎます。でも、今度は理由が増えた。奥方たちは単に逃げているだけではない。誰かに“まだ追われていない”状態でもある。それを壊さず追う必要があります」

レイモンは、苦しそうに息を吐いた。

「難しいな」

「生きるのは大抵そうですわ。死ぬ方が手順は少ない」

老人がアデルを見た。

「縁起でもない女だ」

「死刑台から降りたばかりなので、縁起の配分が少し壊れていますの」

少女がまた少し笑った。アデルはそれを見て、妙に満足した。自分は何をしているのだろう。知らない子供の熱を見て、老人から軍の話を聞き、元恋人の焦りを抑え、自分の薔薇飾りを庇いながら笑われている。最悪で、不便で、汚くて、何一つ予定通りではない。なのに、退屈ではない。むしろ、死刑台へ向かう馬車の中よりずっと、空気が肺に入る。

「行きましょう」

レイモンも立った。老人が言った。

「山道を上がるなら、炭窯の裏を通れ。表の道は崩れている。灯りは隠せ。ラファエルの隊がまだ下を見ているかもしれん」

「恩に着ます」

レイモンが言った。

老人は驚いた顔をした。処刑人が礼を言うとは思わなかったのだろう。アデルは横で小さく笑った。

「少し上手になりましたわね」

「何が」

「礼」

「黙れ」

「嫌です」

少女が戸口まで来た。アデルは彼女を見る。

「弟の布、冷えすぎたら替えなさい。水は沸かして冷ます。炭は惜しみすぎない。あと、お爺様がけちったら怒鳴りなさい」

「うん」

「よろしい」

少女はアデルの腰の薔薇飾りを見た。

「やっぱり、それ邪魔そう」

アデルは片手で薔薇飾りを押さえた。

「ええ。でも、まだ取らないわ」

「なんで」

「私がまだ私だから」

少女は分かったような、分からないような顔をした。アデルはそれでいいと思った。子供に分かりやすく説明する気はない。分からないままでも、人は覚えることがある。

小屋を出ると、夜の空気が冷たく頬を打った。炭焼き道はさらに上へ伸びている。レイモンは木片と髪紐を懐にしまい、紙片を折り直した。アデルは布包みを結び直し、白と金の裾を持ち上げる。藍に染まった布が闇の中で黒く見えた。深紅のコルセットはまだ彼女の胴を締め、潰れた薔薇飾りはまだ腰に残り、青い宝石のない胸元はまだ空いている。

「レイモン」

「何だ」

「今度は、走ってもいい場面になったら言います」

彼は一瞬だけ彼女を見た。

「お前が?」

「ええ。私が。そうでない間は、走らない」

「分かった」

返事が早かった。アデルは少しだけ驚いたが、すぐに顔を戻した。

「素直だと気味が悪いわね」

「急ぎたいからだ」

「正直でよろしい」

二人は炭窯の裏へ向かった。小屋の灯りは背後で小さくなり、子供の咳もやがて聞こえなくなった。前方には、山道がある。レイモンの妻子はそこを登った。ラファエルの隊は、追わなかった。だが、見ていた。

アデルは歩きながら、ふと口元が緩みかけるのを感じた。最悪の逃亡だった。泥まみれで、煤まみれで、宝石も失い、衣装も壊れ、元恋人は妻子を追っている。普通なら笑う場面ではない。

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