女たちの宿と灰色の証明
女たちの宿は、川沿いの洗濯場の裏にあった。宿と呼ぶには看板が小さく、救護所と呼ぶには酒の匂いが強く、娼館と呼ぶには子供の泣き声が多すぎた。川から上がる湿気が壁を濡らし、軒下には洗いざらしの布と、持ち主を失った外套と、誰かの名を縫い込んだ小さな下着が並んでいる。女たちはそこで眠り、湯を借り、子供を隠し、名前を変え、翌朝には別の道へ出ていく。
アデルは足を止め、宿の入口を見上げた。白と金を基調としたドレスは施療院の水と道の泥を吸って裾から重くなり、金糸の縁には乾いた血と洗濯場の石鹸滓が細かく付いていた。前面を締める深紅のコルセットは煤と汗で艶を失い、息を吸うたびに硬い布が肋骨を押した。腰回りの大きな薔薇飾りは、施療院の担架と壁に何度もぶつかったせいで片側が潰れ、花弁の金糸がほつれて黒ずんでいる。胸元では青い宝石の台座だけが残っていたが、修道女が通した一針のおかげで、裂けかけた布はかろうじて深紅のコルセットの縁へ留まっていた。
「ここか」
レイモンの声は低かった。施療院を出てから、彼はほとんど喋っていない。妻子が二日前の夜に生きて施療院を出た。その一事だけで、彼の全身は前へ傾いている。歩いてはいるが、内側では走っている。アデルはその横顔を見て、口の中で小さく息を整えた。急かせば壊れる。止めすぎても壊れる。今のレイモンは、刃の上に置いた杯のような男だった。
「ええ。女たちの宿。名前だけなら優雅ですけれど、中身はたぶん洗濯場と野戦病院と安酒場の混血ね」
「入る」
「待ちなさい」
レイモンの足が止まる。苛立ちが見えた。アデルは入口ではなく、窓と裏口と軒下の布を見ていた。戸口に座る老婆が一人。酒を運ぶ娘が一人。二階の窓から外を見ている少女が一人。宿の右手に洗濯場、左手に狭い路地、裏には川へ下りる階段。逃げ道はある。見張りもいる。ここは無秩序な避難所ではない。誰かが管理している。
宿の壁際、日陰の窪みに下級女官が二人の子供の手を引いて身を潜めている。その事実は、アデルが確認した見張りの一部だった。
「正面から聞くと閉じられますわ。こういう場所は、扉より先に目が答えるものです」
「妻がいるかもしれない」
「いるかもしれないから、壊して入らないの」
レイモンは歯を噛んだ。アデルは続けた。
「あなたが処刑人だと知られれば、奥方がここにいたとしても、匿った者は自分を守るために黙ります。ここは女と子供を隠す場所よ。夫が来ました、はいどうぞ、などと明るく引き渡す宿なら、とっくに役人に潰されています」
「ならどうする」
「私が先に話します。あなたは怖い顔を少し控えて」
「控えられるものか」
「努力なさい。元恋人に会えた嬉しさで浮かれている女の隣に、妻を探して殺気立つ男がいるなんて、舞台としては破綻していますわ」
レイモンが一瞬だけ彼女を見た。
「浮かれているのか」
アデルはしまったと思った。思ったが、もう遅い。
「死刑を免れた女は多少浮かれます。常識でしょう」
「俺に会えたことは」
「そこを聞くのは無粋ですわ。あなた、火傷で遠慮まで焼け落ちたの?」
レイモンは返事をしなかった。けれどその沈黙は、ほんの少しだけ先ほどより人間の形をしていた。アデルはそれで十分と判断し、宿の入口へ向かった。
戸口の老婆は、アデルの衣装を頭から足まで見た。白と金の泥汚れ、深紅のコルセットの煤、潰れた薔薇飾り、青い宝石の欠落跡、そしてそれでも崩れない背筋。老婆は笑わなかった。驚きもしなかった。ただ、商売の顔で言った。
「泊まりなら満室だよ」
「泊まる前に人を探しています」
「人を探す客は泊まり客より面倒だ。もっと満室だね」
「お金は」
アデルは言いかけて、口を閉じた。金を出せば早い。だが、今の彼女が出せる金は限られている。宝石は失った。残した装飾も、ここで見せれば目を付けられる。宿の女主人に金で話を通せば、次も金を求められる。今必要なのは、買うことではなく、貸し借りの形を作ることだった。
老婆はその沈黙を見て、鼻で笑った。
「金もない貴婦人かい。流行りの格好だね」
「流行は嫌いではありませんわ。ただ、この泥染めだけは少し趣味が悪い」
「口だけは高そうだ」
「中身も高いわ。買う目があれば」
老婆の口元がわずかに動いた。笑いを堪えたのか、苛立ったのかは分からない。彼女はレイモンを見る。
「そっちの男は?」
「荷物持ちです」
レイモンの眉が動く。アデルは見ないふりをした。
「火傷した荷物持ちを連れて、人探しね」
「働き者でしょう」
「働き者の男は、こういう宿では高くつくよ。揉めるからね」
「揉めさせません。探しているのは、二日前の夜に施療院を出た母子。灰色に青い糸を縫い込んだ証明布を持っているはず。子供が熱を出していた。女は名を言わなかった可能性が高い。下町から来て、追われている」
老婆の目がほんの少し細くなった。反応はあった。アデルはそれを逃さない。レイモンも気付いたが、一歩出る前にアデルが手を後ろへ下げて制した。
「知っているのね」
「ここに来る女は、みんな追われてる」
「その中で、名を言わず、子供の熱を隠し、施療院の証明布を持っていて、二日前の夜明け前に来た女は何人?」
老婆は答えなかった。代わりに、宿の奥へ目をやる。中では女たちの声がしている。湯を運ぶ音、床板が軋む音、子供の咳。アデルはその奥へ勝手に入らなかった。ここで踏み込めば、老婆は敵になる。
「話す理由がない」
老婆は言った。
「では作りましょう」
「何を」
「理由を」
その時、宿の裏手で短い悲鳴が上がった。老婆の顔が変わる。次に男の怒鳴り声がした。
「開けろ! 逃亡者を匿っていると通報があった!」
レイモンの手が動きかけた。アデルは即座に彼の腕を掴む。
「まだ」
「兵だ」
「だからまだ」
老婆は舌打ちし、戸口から中へ振り返った。
「裏だ。子供を奥へ。証明布を隠しな。客じゃない女は寝たふりだよ」
その声で宿の中が一気に動いた。足音、布を引く音、戸を閉める音。アデルは老婆の反応を見て、ここの価値を理解した。ここはただの宿ではない。女たちを隠す手順がある。証明布を隠すという言葉が自然に出る。なら、レイモンの妻子もここを通った可能性は高い。
彼女の背後の宿の壁際には、下級女官が二人の子供の手を引いて身を潜めている事実があった。
裏口の方からさらに怒声が近づく。老婆はアデルを睨んだ。
「あんたたちが連れてきたのかい」
「違います。でも、来てしまったなら使います」
「使う?」
「私を見なさい」
アデルは深紅のコルセットの前面を軽く払った。煤は落ちず、指に黒く付いた。白と金のドレスは泥と水を吸い、腰の薔薇飾りは潰れている。胸元の青い宝石はなく、台座だけが貴族の名残のように残っている。汚れている。だが、まだ目を引く。まだ、役人が見れば先に疑う程度には派手だ。
「役人が探しているのは、隠れた女たちでしょう。なら、先に目立つ女を見せてあげますわ」
レイモンが低く言った。
「危険だ」
「あなたが裏で暴れるより安全よ」
「何をする」
「嫌な貴婦人をするの」
アデルは戸口から外へ出た。老婆が止める暇もなかった。宿の裏から回ってきたのは、兵ではなく市民巡回の男たちだった。三人。腕章を付け、棍棒を持ち、うち一人だけが古い拳銃を腰に挿している。正規兵ではない。だが、正規兵でない者の方が、時々余計に厄介だ。自分の権限を信じたい者ほど、弱い相手へ強く出る。
先頭の男はアデルを見るなり、足を止めた。
「何だ、お前は」
「泊まり客です」
「その格好でか」
「この宿の寝間着に見えます?」
男たちの視線が、彼女の衣装へ集まる。白と金のドレス、深紅のコルセット、腰の薔薇飾り、青い宝石の欠落跡。泥と煤と血で汚れていても、粗布の女たちとは違う。彼らは探していた対象を一瞬忘れた。アデルはその一瞬を十分に使った。
「あなた方、令状は?」
「通報があった」
「通報と令状は別物ですわね」
「反革命容疑者を匿っている宿だ。調べる」
「女の寝床を? 夜に? 男三人で? まあ、革命とは便利な言葉ね。覗きと捜査の区別まで消してくれるのですから」
男の顔が赤くなった。背後の二人が互いを見た。怒りより先に、周囲の視線を気にしたのだ。洗濯場の女たちが手を止めてこちらを見ている。宿の窓からも目が覗いている。アデルは声を少しだけ上げた。
「記録しましょうか。市民巡回三名、夜間、女たちの宿へ令状なく侵入。寝床の検査を主張。目的は反革命容疑者の捜索。押収予定品は、女の下着と子供の毛布かしら?」
「黙れ!」
「黙る理由がありませんもの。私は寝床を荒らされる側です。むしろ、悲鳴の一つも上げた方がよろしい?」
「貴族女が」
男が近づいた。レイモンが戸口の影で動く。アデルは手を横へ下げ、見えない位置で止めた。今出れば台無しだ。男はアデルの胸元を見た。青い宝石がない台座に気付き、笑った。
「落ちぶれたな」
「ええ。あなたにそう言わせる程度には」
アデルは微笑んだ。
「ですが、落ちぶれた女にも使い道はありますわ。たとえば、あなたの名を覚えておくこと」
男の笑みが消える。
「名?」
「腕章に縫ってあります。雑な縫い方ね。奥方が縫ったのではなく、自分でやったのでしょう。こういう男は、家に女がいないか、いても頼めない程度に嫌われています」
窓の奥で誰かが噴き出しかけた。男は棍棒を握る。アデルは身じろぎしない。怖くないわけではない。だが怖がる顔を出せば、相手は踏み込む。だから彼女は、深紅のコルセットで締められた胸をゆっくり上下させ、背を伸ばした。腰の潰れた薔薇飾りが揺れ、煤けた金糸が夕暮れに鈍く光った。
「この宿に入るなら、まず私の荷から調べなさい」
「何?」
「貴族女なのでしょう? なら、最初に疑うべきは私です。女たちの寝床より、私の胸元の空いた台座の方が、いかにも何か隠していそうではありませんか。青い宝石を失くした跡に暗号でもあるかもしれませんわ」
男たちは迷った。アデルは自分を囮として差し出している。だが彼らにはそれが、妙に筋の通った挑発に見えた。目立つ女。汚れた貴族衣装。失われた宝石。反革命の匂い。彼らの手柄欲は、宿の奥にいる名前のない女たちより、目の前の派手な獲物へ傾いた。
その隙に、老婆が宿の奥で小さく指を鳴らした。中の足音が消える。子供の咳も遠ざかる。隠し戸か、床下か、裏階段か。アデルは見なかった。知らない方がいいことはある。知っていると、捕まった時に吐かされる。
男がアデルの腕を掴もうとした瞬間、レイモンが影から出た。今度は止めなかった。男の手首がアデルの袖に触れる前に、レイモンの火傷していない方の手がその腕を掴んだ。強く捻ったわけではない。ただ、関節が逆らえない角度へ置いただけだった。男の膝が落ちる。
「触るな」
男の顔から血の気が完全に引いた。それは一般的な暴力への恐怖ではなく、言葉を失い悲鳴さえ上げられずに全身の筋肉を硬直させる、死の秩序の執行者としての圧倒的な「格の違い」から来る絶望感だった。
「見て。さらに汚れましたわ」
「すまない」
レイモンが言った。
アデルは一瞬だけ彼を見た。謝る場所が違う。だが今はそこを拾っている場合ではない。
「この男、私の荷物持ちなの。少し躾が悪いでしょう」
巡回の男は痛みに顔を歪めながら叫んだ。
「こいつも調べろ! 怪しい!」
「怪しい男を三人で相手にします? それとも、令状なしで女の宿へ入った件を明日の広場で説明します? ちなみに私は声が通ります」
洗濯場の女たちがこちらを見ている。宿の老婆も戸口に立っている。男たちは数を計算した。自分たちは三人。相手は怪しい男一人、派手な女一人、そして見ている女たち多数。殴れば騒ぎになる。引けば面子が潰れる。アデルはその迷いへ、さらに細い針を刺した。
「通報者の名を言いなさい。宿へ入れない代わりに、こちらからその者を差し出してあげます」
「言えるか」
「言えない通報で女の寝床を荒らすの? それは捜査ではなく趣味ですわ」
男は歯を食いしばった。やがて、手を振り払うようにして後退する。
「覚えてろ」
「ええ。あなたの腕章の縫い目まで」
男たちは去った。完全に諦めたわけではない。だが、今夜この場で踏み込む流れは切れた。洗濯場の女たちは何事もなかったように手を動かし始めた。だが、肩の力は少し抜けていた。
アデルはようやく息を吐いた。深紅のコルセットが硬く胸を押し返す。白と金の袖には男の泥が付いている。腰の薔薇飾りは、振り向いた時に戸口へ当たってさらに一枚花弁が折れていた。
「最悪」
彼女は小さく言った。
レイモンが隣で言う。
「怪我は」
「衣装がしました」
「体だ」
「体はまだ私の言うことを聞いていますわ。衣装はそろそろ反乱を起こしそう」
彼はアデルの袖を見た。泥の跡、ほつれた金糸、裂けた内側。火傷の手に巻かれた布も同じ衣装から来ている。レイモンは何か言おうとしたが、宿の老婆が先に口を開いた。
「中へ入りな。あんたたちの探している女の話をする」
レイモンの顔が変わる。アデルは彼の前に一歩出た。
「ようやく泊まれますの?」
「満室だよ」
「では立ち話?」
「奥に一つ、物置がある。そこなら耳が少ない」
老婆は二人を宿の奥へ通した。中は狭く、低く、湿っていた。廊下の両側には薄い布で区切った寝床が並び、女たちがこちらを見ないふりをしている。子供の気配はあるが、姿は見えない。床下か、奥の部屋か、天井裏か。アデルは見なかった。自分が知るべきなのは、レイモンの妻子の通った跡だけだ。
物置には古い桶、裂けたシーツ、壊れた燭台、洗濯用の灰汁が置かれていた。老婆は扉を閉めると、腰に下げた鍵束を鳴らした。
「二日前の夜明け前、灰色の証明布を持った女が来た。子供が熱を出していた。もう一人、少し大きい子がいたかもしれない。暗いし、泣いていたし、数え間違いなら知らないよ」
レイモンの手が硬くなる。アデルは彼の袖に軽く触れた。止めるためではない。今は、崩れないようにするためだった。
「名は」
レイモンが聞いた。
「言わなかった。こちらも聞かなかった。聞かない方が長生きできる名もある」
「どんな様子だった」
「母親の顔だったよ」
老婆は短く言った。
「怖がっていた。けれど、自分が怖がっていることを子供に見せないようにしていた。子供を先に寝かせ、自分は戸口が見える位置に座った。寝なかった。湯を出したら礼を言った。金はなかったが、針仕事ができると言ったので、破れたシーツを縫わせた」
アデルは黙って聞いた。針仕事。灰色の証明布。夜明け前。子供の熱。生きていた。ここにいた。だが、もういない。
「今は?」
レイモンの声は、かろうじて声だった。
「朝になる前に出した。巡回が来る気配があった。ここへ長く置けば、他の女たちも危ない。川沿いの女たちの宿は、母親を隠すが、戦場じゃない。全員を抱えられるほど太っていない」
「どこへ」
「洗濯物の荷車に乗せた。川下の徴発村へ向かったはずだ。そこは男手を取られて女ばかり残っている。子供連れなら紛れられる。洗濯屋の婆さんが連れていった」
「徴発村」
レイモンはその言葉を繰り返した。
「村の名は?」
老婆は古い紙片を出した。洗濯の受け取り書らしく、端に村名と、洗濯屋の印がある。アデルは受け取り、目を通した。字は粗いが読める。川下、半日。急げば夜中。だが夜道は危険。巡回も増える。無理をすれば追いつけるかもしれない。無理をすれば、死ぬかもしれない。
レイモンは紙片へ手を伸ばした。アデルは渡す前に、老婆へ聞いた。
「通報者は、その母子を探していたの?」
老婆は目を細めた。
「そこまで気付くかい」
「私たちが来た直後に巡回が来た。偶然なら神様はずいぶん忙しい方ですわ」
「通報したのは、宿に泊まれなかった男だ。母親がここへ入るのを見て、売れると思ったんだろう。誰に売ったかまでは知らない。ただ、今日の巡回は母子というより、証明布を持つ女たちを探していた」
「証明布を?」
「施療院から出た者を追えば、隠れた負傷者も、逃げた家族も、反革命の連絡役もまとめて拾える。そう考える馬鹿がいるんだろうよ」
アデルは紙片を折った。施療院の証明布は助けになるが、同時に目印にもなる。レイモンの妻子はそれを持っている。つまり、次の場所でも追われる可能性がある。
「レイモン」
「行く」
「行きます。でも、証明布は危険です。奥方がそれを持っているなら、先回りして回収されるか、検問で止められる」
「だから急ぐ」
「だから考えて急ぐのよ」
レイモンは苛立ちを押し殺していた。老婆が二人を見比べる。
「その男の妻かい」
アデルは一瞬、口を閉じた。レイモンが答える前に、老婆は続けた。
「違うね。妻を探す男の隣にいる女は、妻じゃない顔をしている」
「失礼な観察ね」
アデルは微笑んだ。
「当たっているから腹立たしいわ」
老婆は笑わなかった。
「なら、なおさら止めな。この手の男は、妻子が絡むと自分を人間扱いしなくなる。荷車の馬より悪い。死ぬまで走る」
「知っています」
「知っていて一緒にいるのかい」
「ええ。死刑台から降りたばかりで、少し退屈に弱くなっているの」
「馬鹿な女だ」
「よく言われますわ」
レイモンは紙片を見ていた。老婆の言葉も、アデルの返しも、耳には入っているはずだが、今の彼の中心には妻子の進んだ方角だけがある。アデルはそれを見て、胸元の青い宝石の欠落跡に指を当てそうになった。やめた。弱さを触っている暇はない。
老婆は棚から布を一枚出した。灰色の布に、青い糸が一本縫い込まれている。施療院の証明布と似ているが、糸の位置が違う。
「これは宿の印だ。洗濯屋に見せれば話を聞く。あんたがさっき宿の前で囮になった分の礼だよ」
アデルは布を受け取った。
「また借りが増えましたわ」
「返すなら、生きて女を一人逃がしな」
「具体的ね」
「金より役に立つ」
アデルは布を畳み、布包みに入れた。針、硝子片、工房印、革命章、命令書、地図、そして宿の印。彼女の小さな布包みは、もはや飾り箱ではなく、逃亡で拾った人間関係の塊になっていた。
物置を出る時、宿の奥から子供の咳が聞こえた。レイモンは反射的に顔を向けた。アデルはその横顔を見て、声をかける前に、咳の主が違う子供だと分かった。彼も分かったのだろう。けれど、一瞬だけ、全身がそちらへ向いた。
老婆が低く言った。
「ここにいる子は、みんな誰かの子だよ。探している子ではなくてもね」
レイモンは目を伏せた。
「分かっている」
「分かっているなら、顔を覚えすぎるんじゃない。壊れるよ」
アデルは老婆を見た。言葉は乱暴だが、そこには経験があった。人を隠し、人を送り出し、時々戻らない者の荷だけを受け取ってきた女の声だった。
「それは手遅れですわ」
アデルが言うと、レイモンが彼女を見た。
「けれど、壊れたものを抱えて歩く方法なら、少しずつ覚えているところです」
老婆はアデルの胸元を見た。青い宝石のない台座、修道女の一針、煤けた深紅のコルセット、泥を吸った白と金の布。彼女は短く息を吐いた。
「見た目よりしぶとい女だね」
「見た目通りですわ。豪華でしょう?」
「汚いよ」
「今はね」
アデルはそう返し、宿を出た。外は夜に近づいていた。洗濯場の水は黒く見え、川沿いの道には細い霧が出ている。レイモンはもう走り出しそうだったが、紙片を握ったまま踏み止まっていた。アデルは彼の隣へ立つ。
「川下の徴発村へ行きます。夜道は危険。けれど、ここで朝まで寝る選択はありません。あなたが眠れないでしょうから」
「歩けるか」
「誰に聞いているの?」
「その格好で」
アデルは自分の衣装を見下ろした。白と金のドレスは泥で重く、深紅のコルセットは煤け、腰の薔薇飾りは潰れ、胸元には青い宝石の欠落跡が残る。袖の内側は裂かれ、包帯としてレイモンの手に巻かれている。客観的に見れば、歩き続けるには不向きだった。だが、アデルは笑った。
「この格好で死刑台から降りましたのよ。川下の村くらい、礼装の散歩ですわ」
「無理をするな」
「あなたにだけは言われたくない」
レイモンは黙った。夜風が吹き、腰の薔薇飾りのほつれた金糸が揺れた。宿の中では女たちがまた低い声で動き始めている。巡回は戻るかもしれない。証明布を持つ者は追われるかもしれない。レイモンの妻子は、半日前にこの道を通ったかもしれない。すべてが不確かだった。だが、不確かなものの中に、進む方向だけはあった。
「行きましょう」
アデルは言った。
レイモンは頷いた。二人は川沿いへ下りる。アデルの布包みの中で、宿の印が新しく加わり、金属板と硝子片に触れて小さな音を立てた。借りと預かり物と危険物がまた増えた。重さは増している。けれど、死刑台で首を落とされるよりは、ずっといい重さだった。
夜の川は黒く、道は細い。先には徴発された村がある。そこに妻子がいるかは分からない。だが、洗濯屋の荷車がそこへ向かった。証明布を持つ母子がそこへ向かった可能性がある。レイモンは前を見ている。アデルはその横で、泥に濡れた裾を持ち上げた。
「レイモン」
「何だ」
「今度こそ走らないで」
「分かっている」
「信用しても?」
「するな。見張っていろ」
アデルは少し驚き、それから笑った。彼が自分でそう言った。見張っていろ、と。アデルは胸の奥で小さく息を整えた。青い宝石はない。薔薇飾りも潰れている。けれど、今の一言は少しだけ高く売れそうだった。
「では、見張りますわ。元恋人のよしみで」
「好きにしろ」
「ええ。好きにします」
二人は夜道を進んだ。宿の灯りが背後で遠ざかり、川の音が近くなる。アデルの白と金のドレスは闇の中でくすみ、深紅のコルセットだけがわずかに暗い赤を残した。壊れた華やかさを引きずりながら、彼女はレイモンの隣を歩いた。彼の妻子へ近づくために。彼を壊さないために。自分がまだ退屈していないことを、腹立たしいほど確かめながら。
第八話だ、カウントしろよ




