第六十二話 東地区へ
「ねぇ、アネモス、取りに行くって、どこの鍛冶屋に行くの?私まだこの国のこと、一部しか知らないし……外には毎日行ってるけど、ほら、同じ場所行ったり来たりしてるだけだから」
昼食を食べ終わって席から立ち上がり、食器を下げて机を台拭きで拭いてくれているアネモスに私は尋ねた。
「東地区にある鍛治屋だね」
アネモスの動かしていた手がピタリと止まる。彼女特有の明るい鈴のような声が答えた。
「東地区?私達行ったことないよね?」
リアの声は、いつもと同じで明るく、興味津々と言った様子で聞いてくる。
「うん、ここは西地区なんだ。実はこの国は大きく西と東に地区が分かれている。今回行くのは東の方だ」
アネモスから説明を受けて、リアは興味津々だ。
「東地区の話は、確か世界地理……とかっていう名前の授業でやったような気が……行ったことはないけどね……」
次にルティアが言った。
そういえば以前そんな授業もあった。この世界の地理的な話だ。今はもう過程を終えて、終了した授業の一つ。ただ文章で全部解説されていたというのもあって、アネモスやソルフィアから紙の地図を提示されるまで位置的な関係というところまでは頭に入っていなかった気がする。
「東地区も見てみたい!鍛冶屋目的だけじゃなくって、色々何があるのか見てみたい!」
ルティアの言葉に続けてリアがピンと右腕を伸ばして元気に答える。
「ええ、みんなにも色々知ってほしい部分はあるからね、せっかくだし、少しならいいわ」
アネモスはそう言ってほんの少しだけ微笑んだ。
だが、なぜかスケールだけはまだ椅子に座ったまま無言で顎に人差し指を当てて何か考え込むような仕草をしていた。
「どうしたの……?」
私は尋ねた。彼は私の声に反応して思考から醒めたようにこちらを見つめた。しかし、彼は首を軽く左右に振って、ただ「なんでもない」とだけ答えて、私達と一歩遅れて立ち上がった。
✳︎
施設を出て進む。今日はいつも魔術の練習をしている森の方ではなく、初めて施設の外に行った時に買い物をした商店街の方に向かって歩いた。
「今日も賑わってるね」
ルティアが辺りを見渡しながら言う。確かに初めて来た時と同じぐらい、いやもっと賑わっているように見えた。
辺りを見渡すと、今日も私達の国には無い光景がどこまでも広がっている。結界によって切り取られた国の中で、隣国なのに遠く離れた別の場所に立ってるみたいだ。
「ねぇ!この杖綺麗!」
「こらっ、ちゃんとついてこなきゃ」
「はーい……」
私の横でリアの声がした。今から自分の武器を取りに行くというのにリアは新品なものに興味があるらしい。この間来た時と同じように、左右の道路脇に私達を挟み込むように立ち並ぶ豪華絢爛とした店を目を分かりやすいぐらいに輝かせている。
またいつもの如くスケールがリアの服を掴んで、勝手に店のガラス張りのショーケースに駆け寄って行こうとするリアを制止した。
今日もいつも通りだ。
アネモスについて歩いて行くと、だんだんと来たことのない風景へと変わっていった。先程の商店街のある区域は足元が舗装されて、その上石畳になっている箇所もあるほど丈夫な造りだったのに、商店街と住宅街の境を跨いだ先の地面は土が剥き出しになっているところも多く、家々も少なくなってきた。その一方で木々や草の香りが漂ってくる。人が手を加えない、自然区域といった風景。遠くの方には空の色に溶け込んだ雑木林が見えていた。
「なんか急にこの辺りから雰囲気変わったね……随分静かになった」
また一言ルティアが言う。
「この辺りは自然保護区域だから」
アネモスが言葉を続けた。
「田舎っぽい感じだな」
スケールも辺りを見渡しながら言う。
「田舎っぽいって?」
スケールの発言に反応してルティアが尋ねた。
「自然が豊かで落ち着いているっていうことだよ」
それに私が捕捉した。
あってるかどうかは置いといて、多分そういうことなのだろうと思う。私も正直言葉を全部知っているわけではないから、余計なことは言えない。
「それにしても遠いよ……疲れたぁ……」
後ろの方から、リアの声がした。だんだんと歩くスピードが落ちていっている。歩幅が狭くなっていき、先ほどの明るい声に疲れが滲んでいる。確かに太陽の傾きも少しずつ強くなってきて、それによる日照りも強くなってきた気がした。私達が作る四つの影も長くなっていっていた。その様子に、スケールが苦笑した。ふっと漏らした息が震えている。
「何言ってるんだ、ラリージャで冒険者やってた時はいっぱい歩いてただろ?」
「でも最近そんな歩いてないし……」
リアは不服そうに唇を尖らせながら歩く。このままでは可哀想な気もしてきた。そういえば今日は前みたいに遠いから転移を使って行こう、といった話はなかった。だから東地区は保護施設から歩きでも行けるぐらいの距離にあるものだと思っていた。ただ、もうすでにだいぶ歩いたのに、アネモスからは「ここから東地区だ」などと言った発言はない。
「ねぇアネモス、ここってまだ西地区?」
私は先を行くアネモスに駆け寄りつつ、小声で尋ねた。アネモスは軽く頷く。
「結構歩きにしては遠いと思うんだけど……なんで今日は転移使わないの?」
アネモスがまだ西地区だ、という反応を見せたので、私はリアの気持ちを代弁するつもりで静かに言った。
「そうね……思ったより時間掛かってるし、転移で行けないことはないけど、鍛冶屋まで直接転移で飛んで行くわけにはいかないんだ」
返ってきた答えは、意外なものだった。
アネモスは少し考える素振りを見せながら答えた。
「実は東地区へ入るためには抜けなければならない検問所があって、そこを通らずに侵入するのは国家違反なんだよ」
「……東と西って、そんなにきっぱり分かれているんだ…………」
独り言のように言ったはずなのに、何故か自分のその声が大きく感じた。
——なんだか国そのものが違うものみたいに感じる。
ラリージャ王朝は多分そのようなものはないと思う。自分の家と学校と研究所の周辺しか行き来してこなかった私にそのようなことは全く分からないけれど……。なにか複雑なものを抱えている気がした。
「じゃあさ!途中までだったら行けるでしょ?」
後ろからリアが尋ねてきた。
私の周りを漂う灰色の空気感を一瞬で跳ね飛ばした。
「ねぇ、お願いだよ……」
根気強く懇願する声がして後ろを振り返ると、リアはもう動けないというように分かりやすく道の真ん中で太ももをべったり付けて座り込んでしまっていた。
アネモスはその様子に一瞬眉を寄せ、また少し何かを考えてから、答えた。
「分かった。じゃあ東地区の検問所の手前まで移動しようか」
その声は本当に静かで、転移のために作り出された魔力の輝きも、少し揺れているようだった。
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軽くなった体に、再び重みが戻ってくる。閉じていた目に、一瞬失われていた神経に、感覚が蘇る。
瞼を開けると、見たことのないものが立ちはだかっていた。
大きな門と自分の背丈よりも遥かに高く、簡単には壊れなさそうなほど厚いコンクリートの壁。
ミリステッド国の中とは思えない、全く別の国に来てしまったかのようなそんな雰囲気が感じられた。風の音も空気の香りも西地区のものとは全く違う。自然の香り。土の香り。
東地区への入り口……どこかの高級な王宮とかにありそうな城門は漆塗りにされた硬そうな木材で出来ていて、一言で言うと立派だ。
「止まれ」
その技術の高さに息を呑んで見つめていると、後ろから声がした。硬そうな鎧が擦れる音と、昔聞き慣れた金属音。
慌てて後ろを振り返ると、そこには兵士らしき人が立っていた。この検問所で働いている者だろうか。全身鉄色に輝く硬そうな鎧を纏っている。そして右手には、長い銀の槍。顔は堀が深く、瞳はやはり象徴的な翡翠色をしていて、やはり槍を手にしているところ、ものすごく筋肉質だ。当然身長も高く、並んで立つと私の頭はちょうど兵士の腰あたりに来るぐらいの身長差。
その人は私達を見下ろして言った。
「要件は」
威厳にある太い声。聞かれて、アネモスが答える。
「私は風の大魔術師・アネモスです。この子達の武器の修繕を依頼した鍛冶屋がこの東地区にあって、修繕が完了したとの報告があったので受け取りに来た次第です」
落ち着いた声で、淡々と彼女は要件を述べた。
すると、兵士の顔色が変わった。驚いたように両目を見開いて、パクパクと口を動かした。
「風の、大魔術師……!?その連れの者は一体何者だ!」
震える人差し指をアネモスに向け、そして私達としっかり目が合った。
「安心してください。この子は私の施設で保護している子供達です。ラリージャ王朝から逃亡してきたとのことで、私が保護しています。ちゃんと国から短期滞在の許可はもらっていますから」
兵士はなおも警戒を解かず、私達一人一人へ視線を向けた。
まるで少しでも怪しい動きを見逃すまいとするような鋭い眼差しだった。
「……身分証の提示を」
低い声が響く。
「もちろん」
アネモスはそっと私達に視線を向ける。
身分証……?私そんなもの持って……
「これですか?」
私の横で、先にスケールの手が伸びた。両手の中にあったのは、黄色いカードだ。
そういえば……持ってた。私も、ルティアもリアも思い出したように滞在許可を示す身分証を提示する。
しばらくの沈黙。
やがて兵士は小さく息を吐くと、カードを丁寧に両手で私達に返した。
「……疑ってすまなかった。通行を許可する」
先ほどまでの威圧的な口調とは違い、どこか恐縮したような声音だった。
「ありがとうございます」
アネモスは深く頭を下げた。私達も一歩遅れて頭を下げる。
「じゃあ、行こうか」
アネモスはそう言って、静かに歩き出した。




