甘い誘い
「いやはや、まさか今話題のドルチェの菓子を作っているのが、こんなに見目麗しい若い夫婦だったとは思いもよりませんでした。
ああ、いや失敬。私とした事が、興奮のあまり自己紹介もまだでしたな。
私、オーティスと申しまして、ヘキサドマーケットの一棟を所有しております。
え?ご存じない。はあ、まあ仕方ありませんな。一般庶民で、ましてや外国の方なのですから、縁が薄いのも仕方ありません。
ヘキサドマーケットは首都グラードの西のエリアにある巨大な商業施設です。豪奢な六棟が円形に集合した、それは見事な建物です。
食料、宝飾品、布、家具、武器等、世界中からあらゆる最高級品が集められている他、観劇やゲームなどの娯楽施設もございます。このような施設は、世界中どこを探してもないでしょうな。
ここまで聞けばお分かりでしょうが、私どもの顧客は王侯貴族です。目も舌も肥えたお客様を満足させるのは、なかなか骨の折れる作業でしてね。いつも新しい物を探しているのですよ。
最近、ご婦人方の間で密かに流行している菓子があると聞きましてね。それが、こちらで販売されているパウンドケーキとシフォンケーキだったのですよ。
ええ、最初は驚きましたとも。下町の屋台で売られている地味な菓子が、どうして貴族の間でもてはやされているのか、不思議でならなかった。
試しに買ってみて、納得しました。
これまで菓子といえば、果実を砂糖漬けにした物や、蜂蜜や飴をかけた物、パンに砂糖とクリームをかけた物でしたからな。見た目はそれなりに華やかですが、味は似たり寄ったりです。
しかし、ドルチェの菓子は違う。味といい、食感といい、今まで食べた事のない物で衝撃を受けましたよ。
実は、さる高貴なお方から、うちでドルチェの菓子を扱うよう、直々に依頼を受けましてな。
味はことのほかお気に召されたようなんですが、やはり屋台に買いに行くというのに抵抗があるようでして。それに、週に一度しか買えないというのも、ご不満のようでした。
どうです?うちで店を出してみませんか?こんな機会、滅多にありませんよ」
彼は笑って続けた。
「まあ、その場合、お客様にご満足いただけるよう、見た目も改善せねばなりませんな。
なにせ、うちに来るお客様は目の肥えた方ばかりなのです。
商品の包みやリボンにも、もう少し華やかさが欲しい。
ああ、ご主人が店頭に立てば、ご婦人方は毎日のように通ってくるでしょうな。
なにせ、そこらの役者が裸足で逃げ出しそうな色男だ。
貴族のお嬢さんや奥様方に愛想を振りまいておけば、成功間違いなしですよ」
ダンに連れられて事務所に入るや否や、その男はしゃべりまくった。
こちらが口を挟む隙を与えず、長々と一方的に自分の話をするので、私もシヴァも呆気にとられた。
ちらりとダンを見ると、心底うんざりした顔をしていた。
(こんな調子で仕事中話しかけられたら、そりゃあ心も折れるわよね・・・)
男がお茶を飲んだところで、シヴァが口を開いた。
「それはそれは。うちの菓子が高貴な方の口にあったというのは僥倖です。
オーティスさんも、さぞやお忙しいでしょう。
わざわざこんな辺鄙な所までお越し頂き、ありがとうございます」
「いやいや、実はこちらには以前、何度か来た事がありましてな。
持ち主が変わったとの噂は聞いていたのですが、中の様子がすっかり変わっていたので驚きましたよ」
「そうですか。以前は冒険者用の宿屋だったと聞いておりますが、それ以前に何かあったのですか?」
「いや、宿屋とは別に離れがありましてな。美しい建物で、たまに商談で使う事もありました。ご主人が色々な趣向で持て成してくれまして、いい息抜きになったもんです。なくなったと聞いたときは残念でしたが、代わりにあなた方がやってきた。これも何かの縁でしょうな」
「ほう、そうだったんですか」
「ああ、話がそれましたな。で、どうです?悪い話ではないと思いますが」
「そうですね。お互い忙しいので、結論を申しましょう。
私どもはそちらで店を構えるつもりはありません」
「なっ・・・!」
断られると思わなかった男は、驚きのあまり口をぱくぱくさせた。
「何故です!?王侯貴族相手であれば、今よりもっと稼げますよ!」
「まあ、そうでしょうね。先程知らないと言いましたが、正確な名称を知らなかっただけで、王侯貴族御用達の集合市場がある事は聞いていました。店を出すにしても、家賃がかなり高いのでしょう?」
「ああ、そんな事ですか」
オーティスは笑顔になった。
「御心配には及びません。私があなた方を雇いましょう。今貰っている給金の三倍出します。一介の菓子屋からすれば、破格の扱いですよ」
シヴァは穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「さすがは首都、いや世界一のマーケットのオーナーだけありますな。この施設を三倍の値段で買って下さるとは」
「は?いや、そんな話は一言も・・・」
「菓子を作っているのは確かに私の妻です。ですがこの施設無しでは、到底今までのように菓子は作れません。菓子を作る道具も全て特注品です。
私達の雇い主は、妻の腕を見込んで、工房のみならず住居まで用意してくれました。以前のドルトを知っているならば、どれだけ違っているか一目瞭然でしょう。
ここの施設は全て雇い主からの借り物です。まさか、我々を引き抜いた挙げ句、工房をただで使おうなんて思っていませんよね?
ドルチェを立ち上げてまだ半年。おかげさまで黒字続きですが、雇い主のご恩に報いるにはまだまだ足りません。
しかし、三倍の値段で買って下さるとなれば、雇い主も納得するでしょう。手広く商売をされている方だ。一介の菓子職人にこだわる必要はない」
オーティスの額から汗がダラダラと流れ始めた。
「い、いや・・・さすがにここを三倍の値段で買うというのは、非現実的というか・・・」
「そうですね。でしたら同様の工房を作って下さるという事で?」
「いや、それもちょっと・・・」
私達をヘッドハンティングすると、とんでもない赤字になりそうだという事を理解したのだろう。
「ならば、せめてうちに商品を卸していただく事はできないだろうか?味のわからない一般庶民相手に商売するよりも、ずっと効率がいいはずだ」
シヴァが私を見た。
「お言葉ですが、私は子供達に食べてもらいたくて菓子を作ってるんです。首都で働いている子供達の、週に一度の楽しみになっていれば、それでいいんです。
本当はシフォンケーキもパウンドケーキも、小分けして手頃な値段で売りたいんですよ。でも食感が損なわれてしまうので、仕方なくホールで売っているんです」
「馬鹿な。腕は確かかもしれんが、あなた方はやはり田舎者だ。商売の仕方を知らんようだ」
「ええ。所詮、田舎者の作った菓子。今は物珍しさでもてはやされているだけでしょう。そちらで売るような物ではございますまい。何しろ見た目も地味ですから」
シヴァが立ち上がった。
「さて、そろそろ明日の菓子を用意する時間だ。
オーティスさんのようにお忙しい方をいつまでも引き止めるのも忍びない。
本日は色々とご教授ありがとうございました。
我々としては、屋台に買いにくるお客様に優劣はつけません。
いつでもお待ちしておりますとお伝えください」
(あれ?おかしいな。一昨日来やがれって聞こえたわ)
恐らくオーティスの耳にもそう聞こえたのだろう。
彼は苦々しい顔をして席を立ち、お約束の台詞を言った。
「後悔しても知りませんよ」




