そんな馬鹿な
半年ぶりの文明的生活アンド仕事。疲れた。おもに神経が。
なんだろう、電車や車に感動しちゃう自分にちょっと涙目になっちゃったよ。
昼休み、休憩室で買ってきたファストフードのハンバーガーで昼食を済ませて、愕然とした。
久しぶりのファストフードで懐かしの味を楽しもうと思ったのに、味が濃すぎる。
しょっぱい、超、しょっぱい。
舌が翡翠の料理に、調教されてしまったに違いない。
「リー。しょっぱいよ」
小さい声でつぶやく。
たった半日。されど、半日。
胸の奥が痛い。こちらに帰ってきてすぐに、表現のしようがない喪失感に襲われた。無理やり体の中身を引きずりだされたような感覚だ。あるべきものがない、気を抜くと涙が出てきそうなほどの寂寥感。
この半年で、私がどんなにリーに依存してしまっていたのかを、たった半日で思い知らされてしまった。
つい、リーの気配を探してしまう。いないと気付いて、不安になる。まるで親に置いて行かれた子供の様に、心もとない感覚に支配されている。
もう一つ困ったことに、私の寂しさとは別に、体の中で泣き喚くような感覚があるのだ。こちらの、感覚は今まで存在感など全くなかった、ジークの剣だと思う。ジークを求めて嘆き悲しみ、狂乱と言っていいほどの荒れ狂う感情が体の中で渦巻いている。これを無視をして仕事をするのは、ちょっと大変だった。
伝わるかどうかは、謎だけど、なんとかジークに会わせるからと自分の中に向けて語りかけている。
朝よりも少しだけ、感情が穏やかになっている気もするけれど、気のせいかもしれない。
実際、蓮がこちらに戻ってきたら、あちらへ行く事は出来ると思う。
思うけれど、問題がある。
蓮がこちらに帰ってくるとしたら、それは、リーがどこにも存在していないということだ。
私がいない事に気づいたら、リーは魔王になってしまう。
これは、自意識過剰じゃない。確信だ。理屈じゃなくわかってしまうのだ。
そして、リーが存在しなくなったりしたら、私は自分がどうなってしまうか分からない。
大きすぎる感情の変化に、私が一番驚いていた。
午前中は、今日やらなければならない事を消化していって、これからの段取りをつけた。
半年離れていていも、好きだった仕事は、きちんと覚えている。
自分、やれば出来るじゃん、偉い! と自画自賛しながら取引先への資料を読み返したり、抜けていたところを補ったりしていたけれど、正直、勘を取り戻すのに時間がかかりそうだとは思っていた。
忘れかけている仕事をこなしている今、リーの事を考えている場合ではないのに、どうしてもリーの事を考えてしまう。急に、こちらに帰ってくることになってしまって、別れの言葉も言っていないからだろうかとも、思ったけれど、どうも違う気がする。
認めたくない感情が、そこにある気がして、考えてはいけないと、どこかで声がしていた。
おかげで、私は、表に出さないようにつとめてはいたけれど、非常に不機嫌だった。いや、不機嫌をとおりこしてイライラしていた。これからの不安と、やっぱり蓮を待たずにリーの元へ帰る方法を探さなくてはいけないんじゃないかという思いと。だからって、方法なんか欠片も思いつかないしなんて、途方にくれながら、食後の珈琲をすする。そうやって、自分と剣を落ち着かせていると、休憩室に上野さんが顔を出した。
「礼羽さん、先日いただいたこの企画書、穴だらけですのでもう一度最初からやり直してください」
バサリと企画書を目の前に突き返される。昼休みにまで仕事とは恐れ入るなんて思いながら、上野さんをちらりと横目で見た。
スーツをパリッと着こなして、爪の手入れも化粧も完璧な彼女は、プライベートも仕事も手を抜かない、エリート様だ。まだ役職にはついていないけれど、企画部では仕事の評価が高い。
まぁ、私はものすごく嫌われているけれど。
仕事に私情を持ち込むは勘弁してもらいたいけれど、朝の挨拶しても無視されるぐらいには嫌われている。
原因は前回のプロジェクトの時とメンバーが同じなのにもかかわらず、上野さんが外され、経験が浅い私がチームに選ばれたからだ。そして、部内でも有名なのが、上野さんの片思い相手がチームの責任者の池田さんだということ。
今のチーム選抜について、私は誓ってなにもかかわっていない。
池田さんや、他の人にチームに入れてくれとお願いしたこともなければ、アピールしたこともない。
だけど、上野さんにとっては、実績のない私が上野さんの代わりのようにチームに組み込まれたことが許せなかったのだろう。そういえば、ちまちま嫌がらせされてたわと、思い出した。
「わかりました。上野さん、申し訳ありませんが不備があったところを教えていただけますか?」
そのお願いは、失笑と共に却下された。まぁ、上野さんに教えてもらえるとも思っていなかったけれど。
「それぐらい自分で考えて下さい。それも仕事よ。なんでもかんでも教えてもらえると思ったら大間違いよ」
上野さんの言ったことは正しいと思う。けれど、この企画書は、何度も何度も池田さんに見てもらって修正してもらい、了承を得たものだった。甘えかもしれないけれど、企画書作り初心者の私には、これ以上どこを直したら良いのか皆目見当がつかなかったりする。ちなみに、池田さんに指導してもらった事に他意はない。チーム内でさらにコンビに分かれて仕事をするのだ。チーム内で新人の私は、今回池田さんについて仕事を覚えることになったからだ。責任者なのに、新人教育まで引き受ける池田さんは、とてつもなく仕事が出来るエリート街道まっしぐらな人だ。
それに、なんで部長に提出した企画書を、上野さんが突き返してくるのかも不思議だったりするんだけど。そんなことを思ってしまったからか、私は余計なことをつぶやいてしまったのだ。
「確かこの企画書、池田さんにオッケーしてもらったヤツなのにな…………」 と。
半年のブランクは確実に存在した。上野さんの目の前でこんなことを言ったら、どうなるかなんて解っていたはずなのに、するりと口から出てしまったつぶやきはもう取り消せない。
企画書を私に渡して、きびすを返していた上野さんが、振り向き、一瞬で怒りを表情に現した。
「礼羽さん、あなた私が言いがかりをつけているとでも言いたいの? 」
「申し訳ありません。そんな事を考えて言ったわけじゃな…………」
謝らなければと、口を開いたところで、上野さんが楽しそうに笑った。それはもう、本当に腹の底が冷えるような嫌な笑い方だった。
「馬鹿だと思ってたけど、さすがにそこまで馬鹿じゃなかったのね。そうよ、言いがかりをつけてるのよ。でもね、礼羽さん。あなたより、私のほうが仕事は出来るし、立場も上なのよ。それに、友利部長と親しい私がこれはダメと言ったらもうこの企画は通らないの。そうね、あなたがあのチームから自主的に抜ければ、この企画書もすんなり通るかもしれないわね? 」
そんな、馬鹿な。友利部長が上野さんの言いなりみたいな言い方していいのか?
というか、会社ってそういうもんなの?これ、パワハラって言わない?
と思いつつも、怒りが沸々とわき上がる。半年前までの私は、衝突を出来るだけ避けていた。私のスタンスは波風たてずに、平穏にだ。どんなに理不尽なことを言われようと、私が黙っていれば、もしくは謝ることでその場がおさまるならば、衝突するよりはいいと思っていた。
けれど、この企画書は寝る間もないくらいに、忙しい池田さんが、快く指導してくれた企画書なのだ。実際、家に帰るのは深夜か早朝、悪けりゃ泊込みな、ブラック企業も真っ青な殺人的なスケジュールをこなしながらの企画書作成だった。内容がお粗末ならば仕方ないけれど、言いがかりで突き返されたらたまったものじゃない。おかげで木下さんに会う時間も取れず、連絡もできずに、結局振られたという、おまけまでついている。あぁ、思い出したくない事まで思い出しちゃったじゃないか。
思わず、上野さんを睨み付けてしまった。
「あら、随分と反抗的な…………………… 」
と、言いかけて、上野さんは私の視界から、勢いよく消えてしまった。
目で追いかけられない速さで。同時に壁にぶつかるような大きな音がする。
なにが起こったのか理解できない、けれど馴染のある感覚に呆然とつぶやくしかなかった。
「そんな馬鹿な……………………」
精霊がいるなんて、なんの冗談だ。




