突然の帰宅
「リー!!」
先ほどまでムーリスのお城にいたはずなのに。目の前にはスチール製の窓枠。見慣れた緑色のチェックのカーテン。その向こうに見えるのはコンクリートのビルやマンションだ。
足から力が抜けて、ペタンと座り込む。懐かしいフローリングの冷たい感触に帰ってきてしまったのだと、思った。
「はっ……………はは。帰ってきたのか?」
呆然としたような響きで、聖司が呟いた。
「夢?これ、夢?違う、今までのが夢だった?」
リーもジークも八精霊も、全部夢だったのだろうか。
急激になにかが遠ざかり、まるで夢から覚めたかのように、現実が近づいてくる。そんな気分に襲われ、なにかに操られるように、テレビをつけた。人口的な光が放たれ、ニュースキャスターがコメンテーターと今日の特集なのだろう、『激安ワンコインランチ』がいかに美味しいのかという話をしている様子が映し出される。あまりにのどかな話題に、日本の平和っぷりを突き付けられているように感じた。
「七月二十五日、午前六時三分。すげぇ、こっちの世界じゃ時間が全然進んでねぇよ。俺が飛ばされた二十分後だ」
確か私がマーリンダイトに飛ばされたのが七月二十三日の土曜日だった。と、言うことは一年たっていない限り、二日しかたっていないってことになる。このアナウンサーは月曜日朝のニュース番組の顔だ。間違いない、マーリンダイトでの半年という時間がなかったことになっている。
無意識に胸元に揺れる、石を握りこんだ。冷たくて、すこし尖った石が夢じゃなかったと教えてくれているみたいだ。そりゃ、うん、そうだよ。日本じゃあり得ない恰好の私と聖司。これじゃぁコスプレもいいとこだ。なんてったって、砂漠の国ムーリスにいた私は、暑さに負けてファーランが作ったアラビアン風衣装を身に着けている。聖司は胸当てに、肩当てに、ロングーブーツにマントなんていう、向こうの冒険者装束だし。
「ろくじ、よんぷん……………………会社っ!!会社行かなきゃ!!」
「はぁ?なに言ってんだよ。この状況でどうしろって?俺、向こうに半年近く行ってたんだぞ?見ろよ、この伸びきった髪っ!!こんななりで会社なんかいけっかよ」
「シャワー、とりあえず浴びる。そんで、細かいことは会社行って、帰ってから考える。聖司の髪と日焼けは大丈夫、問題ないよ。蓮がもとに戻してる」
あの勇者様はどれだけ、優秀なんでしょうね。見かけを半年前の状態まで戻すとか、どんな魔法使ったのよ。
今、私が置かれているこの状況が、どんなにぶっとんでいたとしても、会社の人達に迷惑をかけるわけにはいかない。半年前に抱えていた仕事はなんだったっけ?なんて軽くテンパっていたとしても、取引先との打ち合わせが入っていたことだけは覚えている。
異世界に飛ばされて、帰ってきたら月曜の朝でしたとか、これなんの無理ゲーよ。
軽くいるかどうかも分からない神様を呪いながらも、クローゼットを開けた。
半年前までの生活に戻らなければならない。この半年間で、滅多なことには動じないだろうと思われるくらいに、色々な経験をした。だから、今から会社にだって行ける。頭を切替ればいいだけの話なんだから。
精霊王の妃でもなんでもない私は、働かなければ生きていくことすら難しいのだ。この不景気に、次の職がすぐに探せて、同じ程度の給料がもらえるだなんて夢は見られない。自分の能力ぐらい把握できているからこそ、そう思う。
まず、帰ってきて、行方不明にならずに済んでいたってことは、私にとって朗報なのだ。
半ば自棄になりながらも、乱暴に必要な衣類を取り出して、バスルームに飛び込んだのだった。
こちらのシャンプーとリンスは優秀だ。瞬くまに髪粉が落ちて、緑色の髪が黒髪に戻る。そしてなにより、すっきり感と洗っている最中からのするする感がたまらない。キシキシにならないシャンプーとリンス万歳だ! 生活用品のレベルが段違いなんだよね。求めていた、髪の洗いあがりに、なんともいえない幸福感を覚えた。
大急ぎで支度をととのえ、最後にお気に入りだったオードトワレを手首に少しつける。
聖司は出勤すつもりがなさそうで、テレビのリモコン片手に勝手に淹れたであろうコーヒーをすすっていた。なんでそんなにくつろいでいるんだって話だ。
「ちょっと、私は会社行くって言ってんでしょ。自分の家帰ってよ」
居座りそうな雰囲気を読み取り、迷惑だと伝えているのに、聖司はんーとか、あぁ、とか生返事しかしない。
「俺、今日はここでお前の帰り待ってる。ちょっと気になることあるし」
これは、絶対に動かないパターンだ。まぁ、聖司が私の部屋に居たいっていうならば仕方ない。それぐらいの信頼関係は築けているので、合い鍵を取り出して渡しておく。
「じゃぁ、いてもいいけど、散らかさないでよ。今日はそんなに遅くならないと思うから、夜に現状とこれからを相談しようね。シャワーもキッチンも勝手に使っていいから。じゃ、今、職を失うわけにはいかないからとりあえず行ってきます」
「おぉー。無理そうだったら、早退して来いよ。あんまり無理すんな」
ゆるくそう言われて、あんたはきちんと仕事へいけ、国家公務員と毒づきながら、表へと出たのだった。
あぁ、浦島太郎の気分。
なにしろ朝の駅構内は、人であふれている。マーリンダイトでは、人が少なかったので、人が沢山いること驚いて、そんなことを考えた自分にさらに驚いた。
生まれも育ちも都内なのに、人の多さに驚くとか、どんだけマーリンダイトに馴染んでいたんだよ。
頭の片隅で、電車や、街灯、アスファルトの道に、信号、さまざまな現代にあるものが、どんなに暮らしを豊かにしてくれていて、便利なものなのかを考えていた。
満員電車に乗れば、狭いスペースでスマホを取り出し、これまでの一週間にあった事と、これからのスケジュールを頭に叩き入れ、半年前の日常に戻るよう頭に言い聞かせた。
体の中心から、声にならない悲鳴が聞こえてきているけれど。
何かを、少しでも考えたら、自分がどうなってしまうか分からない不安もあるけれど。
心臓を半分、どこかに置いてきてしまったのではないかと、疑うほどの喪失感があるけれど。
本当は、座り込んで、泣いて、わめいて、助けを求めたかったけれど。
きっと、これは逃避だと、分かっていた。でも、生活がかかっているのも本当で、今日は休めないというのも本当で。
そっと溜息を飲み込んで、スケジュール機能に、打ち込んである、タイムスケジュールを目で追いかけた。
私は、気付けなかった。
気づきたくなかった。
『精霊王の妃』の意味を、正しく理解していないということを。
髪の色の説明を加えました。




