求める声
『……………………け…………て』
朦朧とした意識の中で子供泣き声を聞いていた。
子供にありがちな、甘えるような響きがなく、狂おしいほどの叫びを感じさせる泣き声は、聞いているだけで私の胸を締め上げた。
『…………た……………………す…………けて。……………………助けて!!』
パチリと目を開く、薄暗い部屋にもちろん子供の姿はない。
身を起そうとして、激しい頭痛に襲われた。
そうだった、昨日は結構な量のお酒を飲んだ記憶がある。
最後どうしたんだっけ。ロッキードさんが加わったあたりから、飲み比べになっていた気がする。
あぁ、そうだ、違うよ、今の声だ。
頭痛で思考力が低下している。何かを考えているはずなのに、違う思考がすぐに顔を出して、考えようとしていることが、次々に遠くへ行ってしまうような感じだ。
ベッドの上で体育座りをして、しばらく頭痛に耐える。
その最中でも子供泣き声は小さく聞こえていた。
うん、おかしい。
こんな朝早くから、子供の泣き声がするなんて、変だ。
この街は子供が多いのかと思っていたけれど、子供ってこんな朝早くから泣いているもの?
それに、昨日ジーク達の部屋で、防音の魔法がかかっているのではないかと思ったばかりだ。
ちらりと横に視線を移すと、隣でリーが規則正しい寝息を立てている。子供姿の寝顔はあどけなくて、見ているだけで自然と私の頬が緩んでしまう。子供ってなんで見ているだけで、幸せな気持ちになるんだろう。
頭を片手で抑えながら、そっとベッドを抜け出しで、木戸を持ち上げる。
ぼんやりと明るくなりつつある、暁の空が広がっていた。
紫色からオレンジ色へのグラデーションが美しいと目を細める前に、冷えた空気に体を震わせた。
これは冬の寒さだよ。半袖の寝間着姿には辛い風が部屋の中に入ってきて、慌てて木戸を閉じた。
夜と昼間で気温の差が、激しいのだと昨日教わった気がする。昼間は気温が四十度以上なのに、夜は氷点下になるとジークが言っていたっけ。
その割に、部屋の中が快適な温度だということは、やっぱり魔法なのかな。
ベッドに戻り、こめかみを抑えながら、細く息を吐き出す。頭の中で大きな鐘が鳴っているかのような、痛さだ。
子供の泣き声も、まだ続いている。そして、窓を開けても泣き声が大きくなる事も、小さくなる事もなかった。
これは、不思議現象だったりするのかな。
幽霊だったりしたら嫌だなぁ。でも目に見えないものが関わっていそうだよね。
あぁ、でも精霊の声かもしれないってのは、除外していいかも。
精霊だったら、リーや八精霊が黙っているわけがないから。
と、言うことは、やっぱりまさかの幽霊。
いままで日本の幽霊なんて見た事も感じたこともなかったけれど、この世界では幽霊が普通に存在するのだろうか。
ドラゴンいるし、精霊いるし、魔物いるし……………………。
昼間から泣き声を聴かせるような非常識な幽霊がいてもおかしくないかもって、思えてきた。
さっきの夢では助けてって言っていたけれど、助けを求めるままに死んでしまった幽霊なんだろうか。
今の所、私がこの二日酔いから助けて欲しいのだけれど。
耳を澄ませば、微かに泣き声に混じって助けてと確かに聞こえる。
幻聴でもないだろうなぁ。
子供だと分かっている声を、無視したくはない。
幽霊に対して私が出来る事は何一つないんだけどさ。
なんちゃってお経しか上げられない。それもなんちゃって過ぎて申し訳なさすぎる代物だしな。そもそも、ここの世界の幽霊にお経が効くのかって疑問もあるし。
この世界に、宗教はない。
神様に祈るよりも、姿と声を持っている精霊王に行ったほうが早いし、確実だもんね。
精霊王がいれば、存在を感じられない神様などいらないのだろう。
聖職という概念も無さそうだもん。
神頼みの話をした時には、ジークが、祈れば魔王が倒せるのか?って真顔で言っちゃうし。
天使と悪魔のような概念もないと思うなぁ。
加護をしてくれる精霊王と世界を滅ぼす魔王が同一人物なんだから当たり前か。
自分達が持ちえない、強大な力を持つ存在が、世界を守り、また滅ぼそうとする。
祈ったところで、魔王が精霊王に戻ることもない。
魔王が存在する限り、精霊王の出現もまたない。
魔王を倒すことでしかこの世界で人は存在出来ないのだから。
祈るよりも行動を起こす。それが自分達の生活が安定する為の近道なのだ。
それにしても、この助けを求める声は、一体、私に何を求めているというのか。
私に助けを求めるよりも、リーに頼んだほうが早いだろうに。
ん?私に助けを求めているのかどうかは、分からないのか。
ひょっとしたら、誰でもいいから助けてっというメッセージなのかも知れない。
「香蓮?もう起きてるの?具合は大丈夫?」
半身を起しながら、寝ぼけたような声をリーが出す。
「見事に頭が痛いよ。昨日のお酒、とても美味しかったけど、アルコール度数が高かったかも」
「ふふっ。でも楽しそうだったよ。香蓮の周りの精霊も嬉しそうだった。ほら、これを飲みなよ。楽になるはずだよ」
ふわりとリーが右手で円を描くと、その手に液体が並々と注がれた器が現れた。
同時にミントのような、清涼感ある香りが部屋に漂う。
「ん、ありがとう」
器を受け取って、口をつけると、水色の液体が徐々に金色に光る。躊躇うことなく、そのまま飲み干した。癖のある、香草のような苦みが口に広がり最後に口の中がすっきりする。
本当に、最近ファンタジーな飲み物や食べ物に耐性がついたな。
会ったばかりの頃だったら、絶対に飲んでなかったと思う。
裏を返せばそれだけリーの事を信用できているのかもしれないけれど。
リーの言うとおり、スッと頭の痛さが弱まった。完全にではないけれど、割れるような痛みからは解放されて、ほっと息を吐き出した。
「ねぇ、リー、泣き声って聞こえる?」
「泣き声?なにの?近くに動物なんていないでしょ?」
ベッドの上に座り、流れるような動作で私を背後から抱きしめる。
大きな体と手に、リーが一瞬で大きくなったのだと理解した。
心臓に悪いからやめて欲しい。
驚いた私の様子が面白かったのか、忍び笑いが背後で聞こえる。
笑う振動がじかに伝わってきて、なんとはなしに気恥ずかしい。
「動物じゃないよ。子供の泣き声。この街に入ってからずっと聞こえるの。リーは聞こえる?」
「いや?聞こえないよ。ずっと聞こえるのなら、香蓮の気のせいでもなさそうだね」
「うん、今も夢の中で、助けてって言われて起きたの」
「助けて?誰を?」
それは私が聞きたいくらいだ。
リーは興味を惹かれたらしく、私に二、三の質問をした。けれど、すぐに厳しい顔になっり、急に立ち上がる。
目で追いかけていると、そのまま部屋の外へ出ようとするので、気になって追いかけると、リーはジークとファーランの部屋へとノックもしないで入っていってしまう。
まだ寝てると思うよ、リー!
リーに続いて部屋に入ると、私達の気配に気づいたジークが素早く起き上がりベッドから出た所だった。
って、スゴイ。
大音量のいびきに耳を両手で押さえた。
外からは聞こえなかったけれど、部屋の中に入ると驚きの大音量だよ。
ベッドの上からではなく、下から聞こえると思い音を辿れば、この部屋の隅に床に転がったロッキードさんがいた。
酔いつぶれて、ここに泊まったんだろうけど…………。
ジークと見比べて、心配になってしまう。
冒険者って言ってたけれど、酔いつぶれたとはいえ、爆睡してていいのだろうか。
ジークは、気配で起きたのに。
「あら?おはようございます、セシルリールさま。レーンは昨日そうとう酔っていたけれど具合大丈夫?」
部屋の外から、籠を手にしたファーランが入ってくる。どうやら先に起きていたみたいだ。
「ファーラン、アレを何とかしろ」
ジークがロッキードさんを顎で指し示すと、ファーランは苦笑いを浮かべて、仕方ないわねぇと呟きながらロッキードさんを担ぎ上げて、部屋を出ていく。
「あの男、酒癖が悪すぎる。全くあれで冒険者とは……………………」
呆れたような声音に、リーは肩をすくめて答えると、ジークに子供の泣き声が聞こえるか尋ねた。
「いや、聞こえないが」
ジークは首を振るけれど、やっぱり私は泣き声が聞こえている。
「やはり、香蓮だけか」
そう呟いた後、リーは真剣な眼差しで私を見る。
「香蓮、この街には精霊の加護がある。けれど、精霊の気配はない」
私の理解が追いつく前に、リーは吐き捨てるように言った。
「この街、いや、この国はどこかおかしい。調べよう」
どうやらこの国に問題があるのは確実なようだった。




