願い事は…………
ロッキードさんに案内された宿は、街の北側にあった。いかつい親父さんといかにも人の良さそうな美人なおかみさんが夫婦で経営している、食堂兼宿屋だった。ロッキードさんは、案内してくれた後、すぐに自分の家に帰ってしまった。ファーランとは夕飯を一緒に食べる約束をしたのだそうだ。もうちょっとファーランを口説くのだとばかり思っていたから、引き際の良さにびっくりしてしまった。
別れ際に、ファーランの手の甲にキスをしていたのは見ないフリしておこう。
二階建てのこぢんまりとした宿屋は、清潔感があり、手作りらしきベッドカバーやタペストリー、カーテンとあたたかな色彩に囲まれていて、居心地のよい空間になっている。
部屋に案内されて、一目で気に入ってしまった。
二部屋続きになっていて、一室に大きなベッドが置いてあり、入り口がある部屋には真ん中に絨毯が惹かれ、その上にクッションが山になっている。コレ、映画で見た事あるな、アラブの王様が寝そべっているやつだ。
窮屈に感じる靴を脱ぎ、置いてあった柔らかい布の室内履きを履く。サテン生地に細やかな模様が刺繍してある室内履きがとても可愛い。この国の人は、装飾の少ない服だなぁと思っていたら、豪華な装飾をほどこされた靴でお洒落を楽しむのだという。皆、靴だけが豪華なんだって。
室内履きも自然と豪華なものになるのだろうな。靴でその人の生活水準が分かるのだそうだ。
「あぁ~なんだか疲れたよ」
ゴロン、ゴロンと絨毯の上で左右に転がっていたら、なにかに進路を邪魔された。絨毯を満喫中だというのにと背中にあたる障害物を見ると、大きくなったリーだった。私の背中がリーの両足に当たっている。
「空を飛んでいるあいだはずっと硬直してたからね」
「リーが無理矢理乗せるからだよ。高い所は本当にダメなんだから」
「でも、たとえ香蓮がベンチから落ちても、精霊が君を傷つけないよ。僕が許さないことを皆良く知っているからね。とういうより、香蓮は空飛べるじゃないか」
なに常識でしょ?的なニュアンスでとんでもない事を言っているのよ。
ガバリと起き上って、リーの目の前に座りなおす。
「なにそれ、空飛べるって、人間が空を飛べるわけがないでしょうが」
「香蓮こそなにを言っているの?香蓮に出来ないことなんてないよ。『精霊王の妃』だよ?僕と八精霊の長がついているんだ。香蓮が望めばどんな願いでも叶わない事なんてないよ。あぁ、でも死んだ人間を生き返らせたり、異世界へ行ったりは出来ないか。世界の理に反する事は出来ないな。ソコソコ規制があるけど最終的に叶わない事のほうが少ないね」
「そんな馬鹿なっ!」
いくらファンタジーな世界だっていっても、普通どんな願いも叶うなんて事があるわけが…………。都合がよすぎるでしょ。
「なんで馬鹿なっなの?街を丸々一つ作っておいて、それこそ何を馬鹿な事を言っているのさ」
いや、そう言われると、なんて言っていいか分からないけどさ。だって、重力はよ。どこ行っちゃうのさ。
「信じられないならば、何か願い事を言ってみればいいんじゃないの?」
くすりと笑ってリーの大きな手が、私の頭を撫でる。それから、顔の前に手をかざすと、親指で私の眉間をほぐすように揉んだ。
「皺が寄ってるよ。難しく考える事なんてなにもないよ。贅沢がしたければそう願うだけでいい。綺麗なドレスも宝石も、香蓮が望むものを僕達が用意するだけの事だ。誰かが憎ければそう言えばいい。どこに居ようとも探し出して、香蓮の望む痛みを与えよう。それとも食べ物のほうがいい?食べものならば香蓮の世界の物だとしても、産みだす力を僕は持っている。きっときっと叶えてあげるよ」
すっと頬に手のひらがあてられて、撫でられる。妖艶な笑みを浮かべるリーは、まさしく。
「悪魔のささやきっ!! 」
なにそれ、怖いんだけど。なんでも願いが叶うとか。てか、私の望む痛みってなにさっ!
リーに人を殺してと頼んだら、実行するね。うん、なんとなく分かってた。頼まないよ?!
「悪魔?なんだい?ソレ」
「悪魔は甘言で人を惑わして、堕落させるんだよ。分不相応の贅沢は敵なんだから、自分に見合った物欲で十分幸せになれるの」
高価なものは、貯金して買う事が醍醐味なんだよ。ポンポン与えられたら、ありがたみが少なくなるじゃないか。
「面白い事を言うね。対価だとしたら全く分不相応じゃないだろう?香蓮はここに存在するだけでこの世界の人の希望なのだから。それにしても悪魔か…………。いいね、香蓮が僕だけを見て、僕の事だけを考える。そんな風に僕に溺れてくれるならね」
目を細めて、形の良いくちびるが弧を描く。
「ほら、願い事を言ってごらん」
脳が痺れるような甘い甘い声で、囁くように、惑わすように。
「…………蓮に会いたい」
そっと零れ落ちたのは、蓮の名前だった。蓮ならば、帰り方を知っているんだから。ここが現実でないと教えてくれるから。私がいるべき世界はここじゃないと。
さらりと髪を耳にかけられて、そのまま私の髪をリーが撫でる。思いのほか心地よくて、いつの間にリーとの距離が随分と近くなったのだと気づいた。
いくらスキンシップが多いからといっても、触れられて安心するような心地よさがあるなんて。
「そのお願いは聞いてあげない」
……………………ん?さっき何でも聞いてあげるとか、大抵の願い事は叶うとか言ってなかったか?
「なんで僕が、恋敵を探す手伝いをしなくちゃいけないのさ。それはもう、全力で邪魔するに決まってるじゃないか。向こうが探し出しちゃったとか、香蓮が自力で見つけたとかなら、仕方ないって諦めもするけどさ」
聞いてあげないって言われたどころか、全力で邪魔するって、リーが邪魔したら会えるものも会えなくなるんじゃないか?
「リー、蓮は別に恋人じゃないけど。ただの幼馴染だし。リーとしては向こうに帰ってもいいって言ってたよね?」
という事は、日本に帰る事を反対している訳ではないのよね?
「うん。どこへ行ったって、僕は香蓮と一緒だもの。香蓮が行きたい所に行けばいいよ」
「じゃぁ、蓮と会わせてよ。蓮と会えれば帰る方法が分かるんだから」
「だから僕、それは手伝わないよ。香蓮が僕じゃない男を探すっていうだけで我慢ならないのに」
うわぁ、面倒なタイプのアレだ。
ここは「私の事を好いてくれてありがとう」なのか、その面倒な思考回路に突っ込みを入れたほうがいいところか、はたまた、「リーは別に私の事好きじゃないじゃん」の突っ込みが先か、勘違いなどもう二度としたくない。執着と好意は別なのだ。
リーの感情は執着なのだから、勘違いしてはいけない。リーの子供が産めるこの体が大事なだけだ。
そう自分に言い聞かせながら、さて、どう説得しようかと考える。
これといったいいアイディアが浮かばない。ここは素直にファーランに手助けを求めよう。
一人より二人のほうがいい知恵が浮かぶってもんだ。
それに聞きたいことも山ほどある。
そう決めて、さっと立ち上がった。
「どうしたの?」
「ファーランのトコに行ってくる。よく考えたらファーランに聞きたいこといっぱいあったし。この話はまた今度ね?とにかく蓮はただの幼馴染なんだから」
そう言い捨てて、室内履きのまま隣の部屋に突撃することにする。
ジークとファーランがいるはずだ。
誰が想像したであろう。
すでに修羅場がそこにあるなどと。
ロッキードさん、あなた帰ったんじゃないんですか。




