お坊さんにはなれません
カチリと静かにカップをソーサーに置く。優美な曲線を描く薄い陶器のティーセットは、外国製の有名な食器メーカーの物と比べても見劣りしない精緻な花の模様が描かれている。やっぱり唇にあたる感触として、木よりも陶器やガラスの方が馴染みがいい。メイドさんが淹れてくれたお茶は、紅茶と同じものでよく知った味は安心感をもたらしてくれる。
「やはり、お前達はこういう物を使い慣れているんだな」
「使い慣れているって?こっちの人はあまりお茶は飲まないの?」
「いや、お茶は飲むがまぁこんな高級茶葉は手が届かないな。それにこういう陶器は王族か貴族でないと使う事の出来ない高級品だ。俺は最初にこのカップを出された時に割りそうでとうとう口がつけられなかった」
今では馴れたけどな、財力もついたしと付け足して、緊張の一欠片も見せずにお茶を飲む。元々傭兵出身だと蓮が言っていたから貴族の出身ではないんだろうな。
「むこうでは陶器とガラスは普通に食器として使ってるから、別にお金持ちってわけじゃないよ。一応こういう細工の凝ったティーセットは高級品だったけど」
アンティーク物は滅茶苦茶高価だった気もする。あまり詳しくないから分からないけど。
「アイツもそう言っていた。一応言っておくがこの国ではそのティーセット一つで一年は遊んで暮らせるからな」
……………………そんな情報いらない。なにさらっと怖いこと言ってんのよ。変に緊張して手元が狂って割ったらどうしてくれる。
私は慌ててテーブルにソーサーを戻した。ちょっと意地悪そうな笑みを浮かべているジークは、ちゃんと会話が通じれば私の思っていたような性格じゃないかも知れない。絶対、私の反応見て面白がっているから。
「それでだな。さっきの精霊達の事だがよく気をつけておかないと、レーンの感情を勝手に読み取って暴走する事があるんだ。だからなるべく平常心を心がけるか、常に精霊のコントロールに気を配るようにするかして欲しい。特に負の感情には敏感だから暴走して相手を傷つけることがある」
「暴走?ってどんな風に?」
「文献では、人間に家族を殺された精霊王の妃が、家族を殺した相手に負の感情を爆発させ、暴走した精霊の長達が国を滅ぼしている。その国の民は全滅だった」
「そんなっ!全く関係ない人達まで?」
「そんな事は精霊達にとってどうでもいい事だからな。精霊の力を手にして舞い上がった妃が悪戯に力を使い、人を殺してしまった事もある。さっきセシルリールはお前だから妃にしたと、誰でも良かったわけではないと言っていたが、アレは嘘だ。お前の人格や、物の考え方などなんの基準にもならない。精霊の長と精霊の王が選ぶのは精霊王の子供を産める人間という事だけが必要な条件だ」
背筋が凍るような錯覚に囚われる。人の命はどうでもいい物で、私の感情を勝手に読み取って暴走するから自分をコントロールしろってそんな無茶な。
「冗談じゃないわよ!そんな力いらないっ!私に坊さんにでもなれって言うの?」
自慢じゃないけど、私は感情の起伏が激しいほうだ。怒ることも、落ち込む事も日常茶飯事だ。ちなみにお坊さんの修行をしたこともない。あったら怖いだろ逆に。
「坊さん?なんだそれは。だが、今まで少数を除いては妃は穏やかに過ごしている。ちょっとレーンが気をつければなんとかなるはずだ。力をいらないと言ったところで、アレ飲んだ時点で契約が成立してしまっているからな」
アレ?飲んだ?…………飲んだら言葉が分かるようになったあのファンタジーな飲み物か!!
「何故止めないっ!!分かってたら絶対に飲まなかったのに!どうして教えてくれなかったのよ」
アレはなんの説明もなく飲んだんだ。あの場の雰囲気で飲まざるを得なかったというか、リーを信用して飲んだというか。
「止めるもなにも、俺にアレがなんなのか分かるわけないだろう」
心外だとばかりに両手を広げる。
「だっていま契約が成立してるって」
「俺に視認できないものが視認できるようになったって事は、契約が成立したってことだ。アレを飲んだすぐ後に精霊の長を見る事が出来るようになったんだろう?馬鹿でもそれぐらい分かるぞ。少しは自分の頭で物を考えろ」
どこぞの誰が、感情をコントロールしろって言いました?なんですか、そのお前頭悪いだろ的な冷たい視線は。怒らせたいんですよね?だよね?じゃなきゃ、最後の言葉言わないよね?
「馬鹿で悪かったわねぇぇぇっ。あいにく私の世界には、精霊なんて物語の中にしか出てこないんです。そんな訳のわからんものの契約なんて、少し考えただけで分かるかっ!それくらい少し考えたら分かるでしょ?私と違って賢い頭してるみたいですから」
「お前可愛くないな」
あぁ、聖司より全然いい人っぽいとか思った私が馬鹿でした。顔が似てれば、性格も似てくるんですかね。
なんでこうも私の神経逆なでするかな。
さらに口を開こうとした瞬間、私の周りの空気が渦巻きまるで小さな竜巻のように私を中心に回りだした。私の洋服も髪の毛も巻き上げていく。カタカタと目の前のテーブルが揺れだしていた。なにこれ?
「だから、感情を抑えろ。お前が抑えればすぐに消えるはずだ」
抑えろって、えっと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…………お経なんか唱えられるかっ!憶えてないよ。ウチの宗派も知らないし。南無妙法蓮華経のほうか?それよりもお経から離れろ、自分。心を無にするんだ。なにがいいか。
そんな馬鹿なことを考えているうちに、自然と風は消えていた。良かった。このカップを割ったら弁償なんて出来ない。
私は現在進行形で無一文なんだから。
自分がちょっと混乱している事は分かっている。感情を抑えろと言われてお坊さんやお経しか思いつかないなんて発想が貧困すぎる。だいたい私無神論者だから、お経も馴染みがない。祖父母の法事の時くらいしかちゃんと聞いた事ないのに。
「今のが精霊の力?」
「だろうな。俺だって偉そうな事は言えないんだ。先代の精霊王が魔に堕ちてから百五十年も経っている。それ以前は随分と長く平穏な年月が続いたらしいから、文献だってそんなに詳しいものは残っていなかった」
「調べたの?」
「あぁ、魔王の討伐メンバーに選ばれた時に少しな。あまり役には立たなかったが、まさかこんな形で役にたつとは」
そうか、ジークは先代の精霊王を倒しているのか。子供を残す事が出来るのなら、リーは先代の息子ってことになるのかな。そうすると、ジークはリーにとってはお父さんの敵?いや、それだとリーがジークを信頼してるのも変な話に感じる。あぁ、でも、ジークが勇者の仲間だとリーが知らなければ有りうる話なのかな。
「違うよ。精霊王は無から有になるんだ。気づいたらそこに在る。だからそんな心配しなくていいよ。血縁関係なんて考え人間だけのものだしね」
突然後ろから腕が伸びてきたかと思うと、リーの声が耳元でする。甘く囁くような声に一瞬クラッときたのは知られたくない。いやそれよりも、リーが私の頭の中の言葉を知っている方が問題だ。
「リー、まさか私が考えている事が分かるとか言わないよね?」
ソレはやっぱり、座禅中のお坊さん並に思考を無にしなければならないという事なんだろうか。
「いや、分からないけど?香蓮は時々独り言を言ってるんだよ」
うんうんと頷くジークが目に入る。そんなに多いのか。
あぁ、しまった。一人暮らしが長いと、どうしても増えるんだよね。朝のニュースのキャスターに、おはようございますとか平気で挨拶しちゃう時もある。気づいた時には、ちょっと危機感があったのだけど、それもあっという間に忘れてしまうくらには、普段から独り言が多い。
恥ずかしさが込み上げてきて、思わず唸った。ここはなにか話題を逸らさなければならない。私の名誉の為に。そんな名誉が果たしてあるのかも謎だけど。




