第23話:彼と、間接キスしちゃった
その夜、大佐が仕事から戻ると、ソフィーは彼に近づき、他愛もない世間話を切り出した。それから、不意に核心へと切り込む。
「もし、あなたが一番愛してる人が、今すごくお腹を空かせてたら、あなたはどうする?」
大佐は虚を突かれ、一瞬きょとんとした後、すぐさま、率直にこう聞き返した。
「君は、お腹が空いているのか?」
(かわいい。本当に、ジャッキーの言った通りになった)
「私がお腹を空かせてるなんて、一言も言ってないけど」
ソフィーは構わず彼をからかい続ける。
大佐は少しだけ考え込み、己が罠に嵌められたことにようやく気がついた。それから、慌ててこう言い繕い始めた。
「い、いや、だから、その、もし彼女が私に訊ねたら、私は彼女にお腹が空いているのかと訊く、そういう意味だ。で、ついでと言っては何だが、今、君にお腹が空いているのかと訊いたのも、単なるついでであって、つまり、他意はまったく、本当にまったくないんだ」
ソフィーは笑いを必死で堪えながら、更に言葉で追い込んだ。
「ふうん。じゃあ、その『彼女』って、いったい誰なの? 私の知ってる人?」
大佐は、完全に二の句が継げなくなった。結局、緊急の書類を片付けねば、と言い訳して、早足で自室へと戻ってしまった。
(ああ、面白い。これが、彼に愛されてるって知ってる女の、『特権』ってやつなんだ)
部屋に戻ると、ソフィーはベッドに寝転がり、先ほどの攻防を回想し始めた。彼の間抜けな顔を思い浮かべるだけで、どうしても口元が緩んでしまうのを抑えられなかった——その時だ。
コンコン。
「フィーちゃん。私だ」
なんと大佐だった。ソフィーは慌てて飛び起きると、髪と服を軽く整え、ドアへと向かった。ドアを開けるとすぐ、手に皿を持った大佐が立っているではないか。その皿の上には、パンが一つだけ載せられていた。
腹の虫は、とっくに鳴き止んでいる。でも、彼のせっかくの好意を無駄にするのも惜しかった。そう思ってソフィーはとりあえずパンを手に取って、適当に一かじりだけかじってみたが、それを皿の上に戻して、こう言い放った。
「固すぎ。これ、食べられない」
大佐は慌てて詫びを入れたが、しかしそのまま、こともあろうにそのパンを手に取った。そして何を思ったか、彼は、彼女がついさっきかじったばかりの、まさにその部分に、かじりついたのだ。それから彼は何事もなかったかのように、パンを皿の上に戻しながら、こう言った。
「うむ、固さはちょうどいいと思うが、問題ない」
その光景を目の当たりにしたソフィーは、唖然としてこう思わずにはいられなかった。
(こ、これって、間接キスってやつじゃ……)
「大丈夫だ。もう一度台所へ行って、何か作り直してこよう。少しだけ、ここで待っていてくれ」
そう言い置くと、大佐はくるりと背を向けた。
「待って!」
ソフィーは慌てて彼を呼び止めると、彼の手から皿ごとパンをひったくって、言った。
「だ、大事な書類が、まだ、たんとあるんでしょ? そんなことに、時間を割いてる場合じゃないわ。それに、これだって、もうちょっとしたら、その、固くなくなるかもしれないし」
大佐は深く考えもせず、それもそうだ、まだ片付けねばならない仕事が確かに山積みだ、と思い、そのまま階下へと戻って行った。
自室のドアをきっちり閉めるや、ソフィーは、まずは自分がひとかじりし、その同じところを大佐がひとかじりした、そのパンをじっと見つめながら、抑えきれない妄想を膨らませ始めた。
(もし、間接キスと間接キスを重ねたら、それはもう、本当のキスになっちゃうのかな?)
(間接キス+間接キス=直接キス)
そんな「ソフィー式」が、彼女の頭の中で静かに、しかし確かに、産声を上げたのだった。
彼女は目の前のパンを、幾度となく口元まで運んでは戻した。だって、もしそんなことをしたならば、今度こそ本当に、自分は「小悪魔」になってしまう——そう、怖気付いてしまったからだ。





