イヴィとの別れ
私とタイガはひとまず洞穴へ戻った。
氷床に凍り付いたイヴィの姿を目にすると、悲しみがまた溢れ出そうになる。
だけど涙より先に私の身体から出てきたのは、お腹の虫の悲鳴だった。
まったく。いくら3日以上食べていないとはいえ、こんなにも気分が最悪なときでもお腹は空くんだなぁと、自分自身に呆れてしまう。
洞穴に置き去りにされていた肩掛け鞄とリュックを見つけて、タイガに魔力を借りて凍り付いた非常食を調理してから、ようやく腰を落ち着けて温かい食事をひと口食べた時――私は考えを改めて、自分のお腹のデリカシーの無さに感謝した。
いくら泣いた所でイヴィはもう帰って来ない。
悲しくても辛くても、私は歩みを止める訳にはいかないんだ。
前へ進むためには体力がいる。
いま食べられるという事が、どれだけありがたい事か。
きっと私の身体も元気を出せと言っているんだと思う。
元気を出すためのエネルギーを寄越せと催促しているんだ。
私は勢いを増して口にかき込んでは、食事を胃に流し込んだ。
暗い気持ちも一緒に噛み砕くように、しっかりと咀嚼して……。
食事を終えた私達は、最後にイヴィの所にお別れに向かった。
「こめん、イヴィ。氷の棺なんて、きっと寒いよね。いつかきっと街へ下ろして、ちゃんと土に埋葬するから……それまで待っててね」
本当はいまからでも氷床を砕いて、イヴィも一緒に連れて帰りたい。
中身が無くなりかけている大きなリュックなら、少し補強すれば小柄なイヴィをいれて担げる。
だけど何の準備もなしに運ぼうとすれば、裾野に降りる前に遺体が痛んでしまうのは明白だった。
残念だけど、今は諦めるしかない。
「行こう、タイガ」
私が洞穴の出口へ向かって歩き出すと、私を追って馬サイズのタイガが私の横に並んだ。
「魂のない体はただの抜け殻だぜ」
タイガが耳元で呟く。
タイガの言いたい事はすぐにわかった。
亡骸に別れを告げたり、遺体を埋葬するという私達人間の文化に対する純粋な疑問なんだろう。
どう答えようかと少し思案した私はタイガに言った。
「そうかもね……。ねぇタイガ。私達人間が故人を埋葬してお墓を作る一番の理由はさ、きっと生きている残された人のためなんだよ。お墓があれば、手の届かない場所へと旅立ってしまった故人の魂とも、もう一度繋がれるような気がするから……」
だから私は例え時間がかかっても、いつかイヴィの遺体を街へ下ろしてあげたいと思う。
こんな辺境じゃイヴィに会いたい人達だって、気軽に会いに来れないもの。
「ふん。理解できねーぜ」
タイガらしい答えに私は苦笑する。
いつもならこれで終わりにしているところだけど、私はふいにタイガの冷たく光る瞳を思い出した。
「あのとき私、タイガまで氷牙狼に殺されちゃったって思った」
タイガの首に深く突き立てられた太い牙と、生気を失ったような顔でだらりと脱力するタイガの姿を思い出すと、いまでも身体が震える。
「魔族同士の戦いは命の奪い合いだ。死ぬ時はただ死ぬだけだぜ」
「そんな風に簡単に言わないで! 私はタイガが死んだら……嫌だよ」
タイガはすまし顔を崩さない。
私の言いたい事、伝わらないのかな。
「魔族は私達と同じように言葉で会話を交わすんだね。タイガが言葉を話すんだから考えたら当たり前だったのに、氷牙狼がしゃべったときはちょっと驚いちゃった。魔界は弱肉強食がルールの単純な世界だってタイガは言うけれど、会話が出来るってことはさ、獣と違って魔族同士の横の繋がりや複雑な社会があるってことだよね。ねぇ? タイガには離れたくない人……魔族はいなかったの? 1500年の間会えなくて悲しいとか寂しいとかないの?」
「ねーよ。そんなものは戦いに必要ない。不純物だぜ」
ちくりと胸の奥が痛んだ。
「……じゃあ、私は? タイガは私ともう2度と会えなくなっちゃったとしても平気なの?」
目を見開いたタイガは歩みを止めた。
「考えたこともなかったぜ」
「は……? なによそれぇ……!」
呆れて憤慨する私にタイガは続ける。
「つーか、考えたって意味なんかねーよ。全盛期ほどじゃねーが、奪われた力はかなり戻ってきてる。もう人界の魔物如きに、お前の命は奪わせねー。……それでもお前が死ぬ時は、俺が死んだ後だぜ」
最後にぼそりと呟いたタイガの声を、私はしっかりと聞き取った。
「なあに? それって命懸けで私を守ってくれるってこと?」
「ちっ」
しかめっ面をしてタイガがそっぽを向く。
そんなタイガの態度をみて、私はうれしくなった。
言葉足らずで、分かり易いくらいに不器用だけど、タイガなりにちゃんと私の事を気にかけてくれているとわかったから。
考えてみれば他人に無関心なタイガにしては、これってすごく大きな事だよね。
心が離れているかもだなんて、私の気のせいだったんだ。
私達はお互いを必要として、寄り添い合っている。
「えへへ。いままでだってタイガが私を守ってくれてた事は知ってるよ」
私はタイガの首に両腕を回して抱き着いた。
そして心の中でタイガに話す。
だけどね、タイガ。思いだけじゃどうにもならないことだってあるんだよ。
氷牙狼は言った。タイガ達魔族にはおよそ寿命というものがないと。
私の中に天使の血が流れていると言っても、その血は1500年もの歳月で薄められている。
私はちょっと天使の力を受け継いだだけの、ただの人間だ。
タイガはわかってないと思うけど、いくらタイガがあらゆる危険から私を守ってくれたとしても、いつかは寿命が来てお別れする日は来るんだよ。と。
悠久の時を生きるタイガとは違って、私にとってはまだまだ先の話だけどね。
だけどこれは悲観することじゃない。
命に終わりがある事は当たり前のことなんだから。
魔族にしてもそうだ。
寿命がないからって不死身な訳じゃないんだからね。
命が取り返しのつかない唯一の物で、限りや終わりがあるからこそ、人生を、いまこの時を、流れ続ける1秒1秒が貴重なんだ。
私には死の間際にイヴィが満足そうに笑ったように見えた。
それは氷漬けになった彼女の顔を3日ぶりに見た時、勘違いなんかじゃなかったと知れた。
彼女の人生のほとんどを私は知らないけれど、最後に彼女が笑えたのはきっと一生懸命に生きたからだよね。
だから思ったんだ。
いまはまだイヴィの死が悲しいばかりだけど、新しい旅立ちを決めた彼女の事を、いつかは心から送り出せるようにならなくちゃ……って。
顔を上げて、前を向いて、私もいまを全力で生きなくちゃって。
いつか私が死んで、私の魂が先に逝ったイヴィの魂と再会したその時に、彼女に叱られないように。
胸を張って、笑顔で会えるように――。




