魔族の死生観
封印から解き放たれたタイガの魔力が、髪を伝って滝のように私の中に流れ込んでくる。
私は破裂してしまいそうな自分の身体を両手で抱きしめた。
「ぐ……っ! うぅ……ッ!!」
体内でタイガの魔力が荒れ狂う。
6回目になるというのに、体内を蝕まれていくようなこの感触はやっぱり慣れない。
それに私の神力が極限まで弱っているせいだろうか?
これまでと違って身体の隅々までタイガの魔力に浸食されていくのを感じる。
私は全身を強張らせて、嵐が過ぎ去るのをただただ身を丸めて待つしかなかった。
耐える時間、待つ時間というのは、どうしてこんなにも長く感じるのだろう?
いつもならそろそろ落ち着いてくる頃合いだと思うのに、何故か魔力の浸食が一向に収まらない。
じわじわと私の深い部分にまで浸食してくる魔力に、私は流石に恐怖を覚え始めた。
私の胸の奥にまで伸びて来たタイガの魔力が、赤く腫れあがった悲しみのしこりに触れた時――耳元で声がした。
ううん、違う。耳元じゃない。
この声は……私の中から響いている。
言語を成さない声は、私の感情に直接問いかけてきた。
それはとても甘く、私の中の様々な感情を掻き立てるものだった。
悲しみは怒りを生み、怒りは殺意と快楽、安らぎと解放感を生み出した。
自制心と後悔がそれらの感情を諫めようとすると、悲しみが膨れ上がってより強い怒りを生み出す。
他責と自責の自問を繰り返すたびに、声に後押しされて相乗的に感情は高ぶり、尖っていった。
自制が効かないほど悲しみが膨れ上がった時、すべての感情はある一点へとその向きを揃えた。
それは――イヴィを死に至らしめた氷牙狼への憎しみ。
歯止めを失くした感情はもう止められなかった。
私の中の黒い感情が、急速に膨れ上がっていく。
この自分が自分ではなくなっていく感覚には覚えがある。
魔力暴走――。
私はせめてもの抵抗とばかりに、首を振って逃れようと頭を抱え込んだ。
だけど心を黒く染めていく甘い痺れは止まらない。
「タイ……ガ……。助け……っ」
ふさぎ込むように震える体を押さえつけて、私はかろうじて片目だけ薄目を開けた。
狭い視界にタイガの姿を捉える。
タイガの首には……氷牙狼の牙が深々と突き刺さっていた。
だらりと脱力したタイガの四肢と、意識のない表情を見た時――私の中でブチリと何かが切れた。
抗い、せき止めていた感情が怒涛の如く流れ出す。
一瞬のうちに視界が真っ赤に染まった。
私の身体から溢れ出した濃密な魔力が、周囲の冷気を吹き飛ばす。
その魔力は私の怒りと殺意を糧にするかのように、胸の奥から溢れてくる黒い感情を受け入れるほどに濃度と量を増やしていった。
タイガをまるでゴミのように放り捨てた氷牙狼が、見開いた目で私を見て何かを叫んでいる。
何か、とは言ったけれど、声は私の耳に届いていたし、言ってる内容も理解していた。
ただそれらの中間工程を全て飛び越えて、結論たる”不快感”だけが私の耳に響いていた。
ゆらりと私は立ち上がった。
身体に感じる痛みさえ、目の前の魔物に対する憎しみへと変わっていくようだった。
「うるさいよ……黙って!」
荒れ狂う濃密な魔力が視界を覆うと、私の記憶はそこでプツリと途絶えた――。
次に目を覚ました時、私は馬サイズのタイガに包まれていた。
日の光の眩しさと空気の冷たさにぞくりと身を震わせた私は、タイガのやわらかい体毛に顔を沈めた。
頬に温かいタイガの体温と息遣いを感じる。
それはタイガが無事であるということの証しだった。
安堵した私は目をつぶったまま、ぼんやりと眠りにつく前のことを順を追って思い出す。
そこではっとした私は、ばっと身体を起こした。
慌てて辺りを見回す。
周囲には無残な姿で無数のナザーユサスカッチの死体が転がっていた。
一体何が……?
吹雪は止んでいて、見上げた空は雲1つなく一面に青い空が広がっている。
どうやらあれから大分時間が過ぎたらしい。
背後の氷壁を見ると、少し高い場所に巨大な穴があった。
いや、だったと言うべきかもしれない。
大穴は内部から崩れたのか、砕けた氷が大量に溢れ出していて、半分ほどが閉じられていた。
「目が覚めたのか」
タイガが顔を起こした。
「何があったの? 私達はどうしてここにいるの?」
「覚えてねーのか?」
神妙な面持ちで私がこくりと頷くと、タイガは話し始めた。
首に受けた致命傷と、封印が解除された事で取り戻していく自身の魔力との狭間で、身動きの出来なかったタイガは歯がゆい気持ちで横たわったまま事の成り行きを見守っていたそうだ。
ゆらりと立ち上がった私に、氷牙狼はうろたえた様子で私に疑問を浴びせかけると、私の殺意を浴びて攻勢に出た。
その後、私は襲い掛かってくる氷牙狼に怒涛の如き連続魔法を放つと、近づけることなく一方的に叩き伏せたらしい。
そこまで聞いて、私は胸の奥にかすかに残る感情に気づいた。
タイガは簡素な言い方をしたけれど、この心地よくも黒い感情の余韻は……。
もしかすると私は……氷牙狼がタイガにしたのと同じく、もっといたぶる様に、苦痛を味合わせるように、わざと急所を外してじわじわと氷牙狼の体を破壊し、命を削り取ったのかもしれない……。
確かな記憶はないけれど、そう考えるとこの胸に残る感情の残滓にしっくりきたんだ。
暗く沈む私にタイガは話を続けた。
氷牙狼が倒れた後、私はぐちゃぐちゃになった氷牙狼の死体を踏みつけて高笑いをした後、タイガを一瞥したらしい。
だけど私は、横たわったままのタイガに対して興味がなさそうに顔をしかめると、氷壁を破壊して飛び出していったそうだ。
ようやく動けるようになったタイガが私を追いかけて外へ出ると、そこには無数のナザーユサスカッチの死体が転がっており、その中心で私は倒れて眠っていたと言う。
それから3日3晩、タイガは目を覚まさない私を温めて、ずっと守ってくれていたみたい。
「これを……全部私が……?」
私は急に怖ろしくなって、震える体を抱きしめた。
「何を怯えてる?」
「だって……これは私の意思でやったことじゃない」
本当にそうだろうか?
たぶん……違う。
私達を苦しめたナザーユサスカッチに対しても、イヴィの命を奪いタイガをいたぶった氷牙狼に対しても、私は敵意の感情を抱いていた。
魔力暴走が私にそうさせたと言えば、ある意味では正しいけれど……根本的な視点で言えば原因は私の意思だ。
私自身が抱える、魔物達に対する負の感情に突き動かされた結果だ。
自制の効かない感情は、火元近くに置いた火薬のようなものだ。
火が付いてしまった火薬は、理性という水をかけても爆発は免れない。
私が感じている恐怖は、そういう自分ではどうにもならないような環境に身を置く事と、それによって引き起こされるかもしれない取り返しのつかない事態に対してだった。
私は胸に抱いている不安を隠さずにタイガを見た。
するとタイガは意味がわからなそうに首を傾げると言った。
「サル共もギンガも、お前よりも弱かった。だから死んだ。それだけのことだぜ」
「でも、もしも……私がタイガまで手にかけていたら?」
伺う様に訊ねた私に、タイガは平然として答えた。
「同じだぜ。違いなんかねーよ。強い者が生きる。それだけだぜ」
タイガの主張は出会った頃から変わっていない。
魔界は弱肉強食が常――それは知識として頭ではわかっているつもりだった。
だけど赤く光る冷たいタイガの瞳に、私は寄り添っていると思っていたタイガの心が、本当はずっと離れた所にあるのではないかと不安になった。
それと同時に、初めて会ったタイガ以外の魔族、氷牙狼の事も頭を過ぎる――。
言葉が通じるからと言って、それだけで分かり合える訳じゃないんだ。
少なくとも命に対する捉え方は、私達人間とは根本的に違う。
いろいろと思う所はあったけれど、エンリの顔を思い浮かべた私は気が重くなった。
魔界の大魔王達との交渉は、私が思っているよりも遥かに難しいのかもしれない。




